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32.喧嘩はいつも思い込みから

 生まれてから九回目の夏。


 雪がある間、じっと我慢してた緑の新芽がぱーって一斉に芽吹いて、見える景色がにぎやかになって。

 生まれた季節だからっていう訳じゃないけど、一番好きな季節。


 大好きなトマトも美味しいし、酷い冷え込みもないし。

な により晴れ間が多くて、洗濯物もよく乾いて、お気に入りの服をヘビーローテーション出来るし。ほんとにいい季節!


 そんな大好きな季節なのに、私の気分はちっとも晴れない。




 きゅいあさんとどぅえとさんがクリーネ王国に使者として旅立って半月。

 湖の先導にって、一緒に行ったカレカも、まだ帰って来てない。


 あんなに大きな船で行ったんだし。兵隊さんだって大勢乗ってた。

 なにか連絡があっても不思議じゃないはずなのに、父さんはなんにも教えてくれない。


 晩御飯の時だって、カレカがいつも座る席に書類なんか置いちゃってさ。

 ごまかそうとしてるのみえみえ。


 私がなにか話し出そうとすると


「学校はどう?」


 なんて母さんがさえぎってきたりする。



 カレカがいなくなった後、めそめそしてる日が多かったのはごめんって思ってる。

 でも、もう泣かないよ。


 ただ心配なだけ。


 カレカが州都の学校に行った時と同じ。

 少しずつ慣れてくるんだから、もう大丈夫なんだ。ちょっと心配なだけでさ。


 どっちかっていうと、学校の話した方が泣いちゃいそうなんだけど。でも、それはそれで、母さんに心配かけちゃいそうで話せない。


 家族三人。

 お互いに言いたい事も言えないまま、なんだかぎすぎすした晩御飯の時間。

 ちょっと重たい溜息をついて、母さん特製のミネストローネを一啜り。ちょっぴり酸っぱいスープは、涙の味に似てる。

 かな。



 机の上に置かれた小さな黒板。

 この世界の紙は貴重品で、だから、ノートのかわりに使うのがこの小さな黒板。


 机の下の収納スペース――引き出しとかはついてない、ただの荷物置きね。

 授業で使わないときはそこに入れとくんだけど、体操の時間が終わって帰ってきたら、それが机の上に出てた。

 それだけでも異常事態なんだけど、問題なのはそこに書かれてる文字の方。


 もしかしたら、なにかの間違いかもしれないし、内容をもう一回だけ確認する。

 縦読みとかかもしれないからね。


「放課後

 楓の木の下

 一人で来い」


 まぁ、そんな事ありえないってわかってたけど。

 どう考えてもお呼び出し。


 それだけなら別に、行かなくてもいいかなって思うんだけど。

 椅子にかけておいたカーディガン――母さんが編んでくれたレモンイエローのカーディガンで、桜の花びらが透かし編みされたお気に入り。

 それに、カバンの中から手帳が消えてる。


 返してほしかったら……って事だよね。



 州都から戻って、学校に通い始めてから一ヶ月。

 クラスの中で二人組を作る時行き場がなかったり、無視されたりなんだりと地味な嫌がらせはずっと続いてる。

 そしてついにこれ。


 私があんまり相手にしないでいたから、私の物にちょっかい出す事にした。

 そんなとこなんだろうね。


 私だって、帝都から疎開してきた子達と仲良かったとは思ってない。

 でも、こんな事されるほど嫌われてるとも思ってなかったから結構ショックで、なんだか溜息が出ちゃった。


「トレ、大丈夫か?」

「あ、はい。だいじょぶです」


 心配して声をかけてくれたホノマくんから隠すみたいに、黒板の文字を消す。

 見たら絶対ついてきちゃうって思ったから。

 一緒に来てもらったら心強いけど、こんな事する子達だから、思うようにいかなかったら変な事するに決まってるもん。


 それにしても、どうしてこんな風に、言いたくても言えない事ばっかり増えてくんだろ。




 楓っていったら、多分、決闘の木の事。お庭の隅っこにあるから、校舎から見えないし、なにか嫌な事をされるに決まってる。

 そうわかってても一人で来たのは、大事なものを返してほしいっていうのが半分。

 でも、意地みたいな気持ちの方が強い。


 赤ちゃんの掌みたいな葉っぱを青々と茂らせた楓の木の下に見えるのは五人。


 黒板は隠せたんだけど、結局クラスの子にきいてまわって事情を知って


「一人でなんか行かせない!」


 って言い出したホノマくんにも来ないでって言ったし。決闘の木に寄りつかないでいたから、エウレもきっと来ない。

 テアは仕事で教会にいないって言ってたし、ほんとに一人きり。



 細くて小さい――テアと決闘した頃は大きく見えてたけど、精々二メートル半くらいの樹高の楓の木と比べて、そこにいるのはしっかりした体格の子ばっかり。

 帝都から疎開してきた子達の中でも、ちょっと威張ってる子達だ。


 家柄がいいとかお金持ちとか、理由は色々みたいだけど。だからって、人の物を好き勝手に持ってっていいはずなんてない!


 ちょっと近づいたら気がついたのか、近づいてくるのが“見えた”。

 左右に広がって、囲んで逃げられないようにしようとかものすごくいやらしい。

 こんな子達になんか絶対負けないんだ!


「トレのカーディガン、返してください!」


 気の強そうなはっきりとした眉。

 一番背が高い子――フィテリっていう子だったと思うけど、その子に少し見上げるみたな姿勢で、でも、お腹からなるべくはっきりと大きな声を出す。


 接点があんまりなかったから名前以外はよく知らないけど、大きな家の子だってきいてる。

 顎を少し上向かせてつんとした感じは、私の事を捕まえに来た黒い制服の人――アデイアっていう名前だったと思うけど、あの人みたい。


 薄い緑のツイード――全部手織りで高い生地のワンピースから、すらっと伸びる長い手足。

 そんなに暑い訳でもないのに、持ってるたたまれた扇子は、骨組みに飾り彫りがされた竹製の高価なもの。


 身なりからして高圧的なその子は、どんぐりを横向きにしたみたいな、少し細い目で見降ろすみたいにふふんって笑った。

 それを追っかけるみたいに周りの四人も笑う。


 親分と取り巻きって感じですごくかっこ悪いけど、気づいてるのかな?


 返してって言ったのに返事もしないし、真面目に話し合おうとか。そんな気配なんかちっともない。

 ……まぁ、知ってたけど。


「どうしてこんな事するんですか!?」

「貴女、ここのところ逃げるみたいに帰ってたでしょ。だから、少し話がしたかったの」


 鼻にかかった、ちょっと甘ったるい声がいちいち気に障る。

 それにフィテリがしゃべると、周りの子がにやにやと笑って、それにいらいらするけど、怒ってもどうしようもないよね。


 気持ちが顔に出るって言われてるし、隠せてる気もしないけど。


「そんな怖い顔しなくても、すぐすむから」

「フィテリさんに話す事なんかなんにもないです。人の物を勝手に持ってくのは悪い事だって、習いませんでしたか?」


 言い返した私の言葉に、薄く笑うフィテリの顔が一瞬強張って。扇子を握る手にぎゅっと力が入る。



 どんなに理屈をつけたって、この子達がやってる事はただの泥棒。正統性なんかなんにもない。

 でも、取り巻きさん達は、指摘されたのがよっぽど気に入らなかったのか


「調子乗んな!」


 とかなんとか声がして。その瞬間、後ろから肩を突き飛ばすみたいな勢いで強く押してきた。

 突き倒すつもりだったんだろうけど、思い通りになんかさせないから!


 なんかされるってわかってたし。

 それに、ぶたれたりするのも全部“見える”から、覚悟も準備もできるんだ。


 ……わかってる分、ぶたれるまでの時間が怖いって事でもあるんだけど。それはそれね。



 フィテリには取り巻きの子がなにを言おうと関係ないらしくて、よろけた私を見下ろしながら話を続ける。


「ききたい事は一つだけ。貴女、あの方と……テア様とどんな関係なの?」


 テアと仲良くしたい子にやっかまれてるってのは、ホノマくんから聞いてた。

 でも、そんな話、休み時間とかに教室ですればいいんじゃない?


「友達、ですけど……」

「一緒にいるのをよく見かけるけど、距離が近すぎるんじゃないかしら?」


 なにが言いたいんだろ?

 ほんとにわからない。


「別にトレから近づいてる訳じゃありませんし」


 決闘の時もそう。

 テアの存在はややこしい事が起きた時にばっかり浮き上がってくる。


 男の子を感じさせるような。

 そう、例えば、守るとかお嫁さんとかそういう話をされるのも苦手。この子たちが変に勘ぐるほど、私はテアの事好きじゃない


 それなのに突っかかられたいらいらが乗っかった声は、思ったより大きくて自分でも驚いちゃった。

 でも、出た物をひっこめる事なんか出来ない。


 それに、声の大きさにびっくりしたのかフィテリはほっぺたをひきつらせてる。

 いい気味!


「帝都の剣術大会で優勝。

 僧正推薦も近いというクレアラ様の付人で、ご実家の位も高い方。

 容姿だって華やかなあの方の隣にいて、恥ずかしくないの?」


 フィテリの上ずった声に、外野がざわざわ。

 自分達じゃなにもしないくせに、中心のフィテリが動揺したら騒ぎ出すとか。関係ないくせにうっさい!


 フィテリにしたって人の物をとった泥棒のくせに、テアの隣に立って恥ずかしくないの!?

 って、言ってやりたいけどそれは我慢。


 もう、こんなの全部馬鹿馬鹿しい!

 テアのせいで振り回されるのも。この子達の思い込みにつきあわされるのももうたくさん!


「容姿でも家柄でも釣り合いがとれるなら、フィテリさんが近づけばいい。

 トレには関係ありません。

 テアさんは教会の人だし、トレが近づこうと思ってる訳でもないのに……」

「ちょっと貴方!」


 おっきな声を上げてさえぎりたいのかもしれないけど、そんなの知らない。

 言いたい事は言うんだ!


 言った後、ほっぺたひっぱたかれるのも“見えてる”けど。


「友達になりたいなら話しかければいいじゃないですか!テアさんは優しいから応えてく……」

「生意気にっ!」

「っ!」


 ばちんっていう音。

 それから、ほっぺが熱くなった。

 唇の端っこが切れちゃったのか、痛むところをなめたら、口の中に赤さびみたいな香りと塩気が広がる。


 でも、痛みのせいで頭がはっきりした。

 この子達の事、嫌い!

 だいっきらい!


「帝都から来た私達が話しかけるのを我慢してるのに、あんたなんなの?

 同じクラスなのに一人で抜け駆けして!」

「そんなの知りません!

 友達になるのにそんな風に、誰が一番とか順番決めて。そんな事してなんの意味があるんですか!?」

「田舎娘にはわからないでしょうけど、あの方と縁があるっていう事そのものに意味があるの!

 特定の一人になれるならなおさらだって。そんな事もわからないの!?」

「トレは友達にそんな順位づけなんかしません!テアさんだっ……」

「うるさい!」


 今度は手に持ってた扇子が振り上げられるのが“見え”た。

 けど、もう我慢なんか出来ない。


「フィテリさんも他の皆も、テアさんの立場とか家とかそんなのに興味があるだけじゃないですか!?

 そんな人にテアの友達になんてなってほしくない!」


 扇子は立派な作りだし、ぶたれたらきっと痛いんだろうな。

 って、身体をぎゅっとこごめて、きつく目をつぶる。


 ぶたれるのは我慢できる。

 でも、この子達の、勝手な思い込みで相手に都合を押しつける態度は我慢できなかった。


 テアを見もしないで。話しもしないで、どうして好きになんかなるんだろ。

 この子達の気持ちはただの思い込みだ。


 そんな色々が全部嫌で。どんどん言葉が強くなって。それがこの子達を怒らせた。

 だから、ぶたれても仕方ない。



 そう思ったのに、でも、痛みは全然来なかった。


「そのくらいにしておこう」


 痛みのかわりにふってきたのは、少ししゃがれたテノール。


 ぶたれるってわかってて。それが当然だと思ってても、痛いのはやっぱり怖くて。だからぎゅっと閉じていた目を怖々目を開ける。

 私の頭のすぐ上まで来てたフィテリの手を、赤と白の教会服の広い袖口から伸びた手が抑えてるのが見えた。



 教会でも高い地位にある人が着る赤と白の服を、いつもならだらしなく着崩してるその人。

 でも、今日は。

 少なくとも今は、その左右合わせの服を隙なく着こなして、目の前に立ってる。


 空気も震わせず、音もさせず現れたその人の姿を、フィテリも取り巻きの女の子も静かになって見上げてた。



 つかんだ手をするするっと巻き上げて、背中に回り込みながらフィテリの腕と体を固定する。

 映画のアクションスターが犯人を捕まえる時みたいな格好で、その人は私と。それから取り巻きの子達をきろっとにらんだ。


「喧嘩、だね?」


 五体一でも喧嘩って言えるなら、これはきっと喧嘩なんだって思う。

 でも、横目に見た取り巻きの子達は眼に見えて青ざめてた。


 言い合ってたのはフィテリと私だけ。私達は関係ないとか言い出しそう……。


「ちょっと前から見てたし、君たちの顔は覚えたよ。今更無関係ってのは、通らないからね」


 でも、口元に笑みを浮かべてフィテリを押さえつけてるその人は、はっきりと宣言した。

 取り巻きの子達がつばをのむ音が聞こえる。


 全員が言葉を失ってた。

 気持ちの悪い沈黙。風が楓の葉っぱを揺らす音が、さーって辺りを駆け抜けてく。


「く、クレアラ様、放して下さい」

「あぁ、ごめんよ」


 その沈黙の中、フィテリが苦しそうに言うと、クレアラさんは手を放した。

 けっこう強い力で握られていたのか、手首が手の形に赤くなってる。


「君が言ってたように、テアは確かに剣術大会で優勝した」


 そこまで言ってクレアラさんは言葉を区切る。

 ちらっと私の方を見て、口の端だけで笑う。授業中とかそうじゃない時もそうだけど、私をからかう時の嫌な笑い方。


「でも、ここにいるトレは、そのテアと決闘して勝ったことがあるんだ。

 むやみに喧嘩を仕掛けるのはやめておいた方がいいと思うけどな」

「嘘です!あの方がこんなちんくしゃに……」


 そう。

 信じる訳ない。

 っていうか、あの決闘は勝ったって言えるの?

 自分でもよくわからないのに、そんな話されるのが恥ずかしくて、痛くない方のほっぺまで熱くなってくる。


「ほんとだよ。見届け人はあの子」


 楓の木の横から、ててーって私の横に来た紅茶色の髪の女の子――エウレの姿を見たら、なんだか急に力が抜けちゃって、ペタンってお尻が地面についた。

 そんな私の横に跪いたエウレは、両手で私のほっぺをそっと包んでくれた。

 緊張してたのか、少し冷たいその手は、熱を持っったほっぺに気持ちがいい。


「遅くなってごめんね、トレ」

「いえ、ありがとう。エウレ」


 今にも泣きだしそうなエウレは私の肩をそっと抱いてくれた。

 うん、大丈夫。

 一人じゃないって心強い。


「あの子のカーディガンを返してくれたら、君達はもう行っていいよ。

 今日は寮から出ない様にね」


 クレアラさんは低く作った声で、フィテリさん達に告げる。


「クレアラさん、ありがとうございました」

「うん。大変だったね、トレ。

 エウレも知らせてくれてありがとう。もう大丈夫だから仕事に戻りなさい」

「で、でも……」


 口調は穏やかだけど、クレアラさんの口調はあくまでも偉い人のそれで。少し厳しい口ぶりに、エウレの紅茶色の毛皮に覆われた耳はぺたーって寝ちゃった。

 内校に通うエウレにとって、クレアラさんは先生でもあるけど怖い上司でもある。


「クレアラ様。トレに意地悪しませんか?」


 それでも、エウレはクレアラさんにそうきいてくれた。


「意地悪なんかしないよ。少し話を聞くだけ」

「ほんとですね」


 念押しするエウレの髪をぐしぐしとなでて、クレアラさんは頷いた。

 けど、形のいい唇はゆがめられて、含んだように笑ってる。


 背筋がぞわっとするような。

 獲物を捕らえた獣みたいに、少し歯を見せたその口元が、言葉を裏切ってる。


 この人はきっと、それに気づいてるんだ。

今回は、主人公がクラスの子達と喧嘩するエピソードをお届けしました。


学生時代、ずーっといじめられっこをしてましたけど、こういう喧嘩になった事って一回もないです。

謝ったり、我慢したりで済めばその方がいいと思います。


主人公は元男の子だからなあ。



次回更新は2013/05/30(木)7時頃、主人公が問い詰められるエピソードを予定しています。

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