20 回想
──七年と少し前。
その日は、ブランシュの十歳の誕生日の、三日前だった。
貴族社会では、十歳の誕生日が過ぎたら、大人への仲間入りとみなされる。
第二王子との婚約ももうすぐ正式に決まるし、そうなったら警護も厳しくなって、街中へ出ることも制限される。
それに、このゲームの魔王討伐に、ブランシュはできうる限り協力するつもりだった。
きっと今後は、遊んでいる暇なんか全くないに違いない。
そう思ったブランシュは、この日、綿密に計画を立てて、一日だけの冒険を決行することにしたのだった。
冒険の内容はこうだ。
屋台や小さな出店が立ち並ぶ繁華街に行って、屋台の食べ物や、小さな買い物を楽しむ。
広場の大道芸や、紙芝居などを楽しむ。
メイド達に気づかれる前に、明るいうちに部屋に戻る。
終わり。
ちなみに、市場はすりが多いらしいので、行ってみたいけれど我慢するぐらいの分別はあった。
実際の所、大した冒険ではない。
市井の子どもたちなら普通にやっていることだ。
ブランシュが貴族の令嬢だったために縁がなかっただけで、さほど危ないことでもない。
メイドの子どもと仲良くなって下町の子どもが着るような衣服や小銭を手に入れたし、子どもたちが使う邸の出入りルートも入手した。
三日後に控えた誕生パーティの準備で、メイド達は忙しい。
図書室で読書してますと言う書置きを残しておけば、部屋にブランシュがいなくても、誰も、気にしないはずだった。
ブランシュの計画はうまくいき、無事に街中へ紛れ込むことに成功した。
そして、屋台の立ち並ぶ繁華街で、ブランシュは──その子をみつけてしまった。
黒髪に青銀の瞳をしたその男の子は、ブランシュより少し小柄な少年だった。
少年がよく着る服装をしているのに、絶妙に周りに溶け込めていない。
(貴族の男の子が、お忍びをしてる? でも、それもちょっと違うみたい)
男の子は、屋台で買ったのか、紙袋に入った焼き菓子を手に持っていた。
ブランシュはなんとなく気になって、男の子の観察を続けてしまった。
そして、その瞬間を目にする。
路上で遊んでいた子どもたちが、男の子にぶつかったのだ。
当然のように、男の子が手に持っていた焼き菓子は、地面に転がっていってしまった。
男の子の目がすっと細められるが、ぶつかったほうの子どもたちは気づかない。
背中が、ぞくりとした。
気が付いた時には、ブランシュは、男の子に駆け寄っていた。
そして、男の子の口に、自分が手に持っていたお菓子を詰め込んだ。
「ねえねえ、これもおいしいでしょ? オリーボーレンっていうのよ」
「……」
男の子は、反応はないが、口だけがもぐもぐと動いているところを見ると、気に入ったようだ。
ブランシュはほっと息をつく。
なぜだか、とんでもないことが起こりそうな気がして、思わずこのような奇行にでてしまった。
ブランシュは自分で自分を不審に思いながら去ろうとするが、男の子がなぜかついてくる。
「……迷子?」
「違う」
「しゃべれるじゃない、名前は?」
「アル」
「私はブランシュよ。一緒にお店回る?」
ブランシュの誘いに、アルは、こくりとうなずいたのだった。
彼はなぜか、ブランシュを、おいしいものを口に運ぶ親鳥と勘違いしたらしい。
後をついてきては、ブランシュが買った屋台の食べ物を物欲しげに見つめてくる。
ブランシュは、結局その視線に耐え切れず、一口食べると、残りは全てアルの口に運んでしまうのだった。
ブランシュは、ついてくるアルが、弟みたいでちょっと可愛くなってきてしまった。
二人で屋台や露店を巡って楽しんでいると時間はあっという間だ。
やがて、ブランシュが帰ると決めていた時間がきた。
ブランシュがアルに手を振ると、アルは、ブランシュがあげた紙袋を大事に抱きかかえたまま、じっと見送った。
(きっと、もう、会うこともないよね)
ブランシュは、邸の方角へくるりと向き直る。
なんだか、寂しくなってくるが、仕方のないことだ。
それでも名残惜しくて、最後にブランシュが振り返ると、大人の男が、アルに話しかけている。
(お父さんかな? ……違う)
男は、そのままアルの腕をつかみ、引きずるように連れていく。
「アル!」
放っておけなかった。
ブランシュは、飛び出して、男に体当たりすると、アルの手を引いて、路地裏へと駆け込んだ。
(息が切れる。きつい。もう、走れない)
二人きりの路地裏での逃亡劇には、すぐに終わりが訪れた。
追ってくる男は諦めなかったし、ブランシュたちの進む路地裏は、すぐに行き止まりになってしまった。
あろうことか、男は刃物を出している。
ブランシュは、人通りのない路地裏に来てしまった失敗を悟る。
<スゲエ、イイニオイ>
男の顔は崩れ、牙と角がその顔から現れる。
男の姿は、いつのまにか、人ではない者に変わっていた。
(オーガだ)
ゲームのストーリーはまだ始まっていない。
それなのにもう、街中に、魔物がはびこっているのだ。
魔王復活は近いのだとブランシュは唇をかんだ。
ブランシュの背後にはアルがいて、その裏は行き止まりの路地だ。
どうやったら助けられるのか、さっぱりわからない。
二人とも助からない確率の方が高いだろう。
「ごめんね、アル」
「どうして謝る?」
「私がこんなところに連れて来ちゃったから」
「大丈夫だ」
アルは、ブランシュを責めなかった。
その答えを聞いて、ブランシュは自分のやるべきことを決めた。
「そうだね、大丈夫だよ。私が、助けてあげる。私が、男のナイフの腕を押さえるから、アルは、脇を駆け抜けて大通りへ逃げるんだよ。それで、お家にまっすぐに帰るの」
誰か人を呼んできて、とは言わないことにする。
呼んだら、オーガに殺されてしまうから、そこまでしか指示しない。
最後にアルの顔を見ておきたくて、ブランシュは、後ろを振り返った。
少年は、青銀の瞳でじっとブランシュを見上げていた。
ブランシュを信じきっている眼だ。
(どうせなら、この子には、私の笑顔を覚えておいてほしいな)
ブランシュがにっこりとほほ笑むと、少年は、不思議そうに首を傾げる。
「いくよ」
ブランシュは、オーガに向かって、飛び出した。
オーガのナイフを持つ腕にしがみつき、アルに叫ぶ。
「走って!」
そして、オーガの腕に、かじりついた。
<コノニンゲンメ!>
ナイフが、届かない位置にうまく組みつけた。
オーガが腕を振り回す。
ブランシュは振り落とされない。
(これで、時間が稼げる、か、も)
──ずくり。
ブランシュの胸が、急に熱くなり体から力が抜けて、オーガの腕から滑り落ちた。
視線を下に向けると、オーガのナイフを持つ手と逆の手が、手刀となってブランシュの胸に埋まっていた。
ずるずると胸から、その手が引き抜かれる。
ブランシュの口から、こぽりと、血が零れ落ちる。
胸は、ひたすら熱いだけで、痛みを感じない。
<ツギハオマエダ。ゴクジョウノヤミノニオイ>
視線の先には、アルの姿があった。
(怖くて逃げられなかったんだ)
オーガなんて、ゲームを知っていたブランシュだから、平静でいられた。
普通の子には、無理だった。
それでも、とブランシュは、オーガの足に手を伸ばす。
<ウルサイニンゲンメ>
ブランシュは、蹴り飛ばされた。
空と地面が何度か入れ替わり、再び離れた位置からアルとオーガの姿が視界に入った。
「ごめ……」
次々と口から沸き上がる血が、ブランシュから言葉を奪う。
「ブランシュ」
幻だろうか。アルの姿が青年の姿に重なって二重に見える。
そして、青年は、オークに右手を向けると、こともなげにその頭を吹き飛ばした。
鮮烈な赤い瞳を見たブランシュの記憶は、それがあり得ない人物だと告げてくる。
アルが、あの人?
まさか。
でも、そうならいいと思う。
(よかった。私が助けてあげなくても大丈夫だから。だって彼は、強いもの)
「お前は、死ぬのか?」
答える力のないブランシュは、ほほ笑んだ。
それを見たその人は、自らの胸に、自分の手を埋めた。
滴る血はない。
言葉通りの、あり得ない光景だった。
胸から取り出されたその手には、脈打つ心臓が握られていた。
彼は、その心臓を、半分に引き裂いた。
──そして、その半分を、ブランシュの胸に埋め込んだ。
ブランシュの胸の傷は、みるみるうちに塞がり、それと同時に、気が遠くなっていく。
その人は、ブランシュを抱き上げ、血に塗れた手で、その頬を撫でる。
「お前は、俺のものだ」
その人──ラストダンジョンの主は、そう言うと、小さくほほ笑んだ。




