第37話 反抗期達のその後
キャロラインが帰国してから二か月後、シャルメリア王立学院では卒業式を迎えていた。隣国とは半年ほど始業学期がズレているため、シャルメリアでは夏に卒業となる。
「はぁ~、ようやくこの時が来たわ」
卒業パーティーに参加していたキャロラインはそう呟くと、グラスを手に取る。
「これでようやく鉄仮面の私とおさらばできる!」
「鉄仮面を脱いでも、覆面は被ったままだろうが」
キャロラインの隣にいたアッシュブラウンの髪色をした少年、グレイ・マクレナガンがそう呟いた。
「あら、仮面が一枚取れたと思えば、かなり楽になるじゃない」
「お前がそう言うならいいけどな」
互いに持つグラスを合わせてから、キャロラインはグラスを傾けた。
「それで、本当に行くのか」
「…………ええ」
キャロラインはこれから卒業パーティーを抜け出し、家出をする。
今のキャロラインは収入源があるし、取材含めて市井の勉強をしていたので生活には困らないだろう。
未練がないかと問われれば、かつての自分のように強く「ない」とは言えなかった。
リチャードと出会い、自分を見つめ直したキャロラインは、帰国後に父親と話をしたのだ。
『ずっと、お父様に聞きたかったことがあるのですが』
そう訊ねると、父親は訝し気に眉を顰めながら頷いた。
『…………言ってみなさい』
『わたくしが家や結婚することよりも、絶対にやりたいことがあると言ったら、お父様はなんて言いますか?』
父親はしばらく黙っていたが、短くため息をついた。
『…………好きにしろ』
(好きにしろって言うんだったら、家出するっきゃないわよねぇ~~~~~~っ!)
ただし、期限付きだ。家には手紙を残して、旅行に行くので半年後に帰ると伝えてある。
結局、キャロラインは全てを捨てきれなかった。
あの後、父親はさらにこう言葉を続けたのである。
『キャロライン、私はお前の教育に妥協したことは一度もない。私はいつかお前よりも先に死ぬし、お前が自分で考え、一人で歩めるように育てたつもりだ。お前が家や結婚よりもやりたいことがあるのであれば、お前をそのように育て、選択させたのは私であり、私の責任だ。後悔はしないだろう。他に質問は?』
『…………い、いいえ。ありません』
『そうか。付け加えるのであれば、私は第一王子として王になるべく育てられたが、結局は周囲からの反対で王位に就けなかった。そのことに後悔も未練もないし、おかげでやりたいことが生まれた』
『や……やりたいこととは?』
『御託を並べて私を王位から引きずり落とし、私の時間を浪費させた貴族達を叩き潰すことだ』
父親が議会で貴族達を説き伏せている光景がありありと目に浮かび、キャロラインは内心でなるほどと頷いた。
『だから、キャロライン。お前も好きなことをしなさい。私からは以上だ』
正直、あの厳しい父親からそんな肯定的な言葉が出るとは思わず、キャロラインは部屋を出た後も混乱していた。すると、父の少年時代から付き添っている侍従から、弟が生まれた時の話をしてくれた。
『キャロラインに後継者の教育は必要なくなったが、それ以外のことはすでに教育が終わっている。ずっと家に縛りつけていたからな。あれのやりたいようにさせる。私の娘だから、昔の私と同じようにやりたいことを勝手に見つけてくるだろう』
どうやらあの父親は家を継ぐ必要がなくなったキャロラインが、自分でやりたいことを勝手に見つけてくると思って、見守っていたらしい。
それを聞いた時は「ただの放任では?」と思ったが、いっそう父親らしくて脱力した。考えてもみれば、あの父親が家を継ぐ必要がなくなった娘に対して、婚約者も見繕わずに五年も放置しているのがおかしな話だった。
そして、キャロラインは堂々と家出をすることを決めたのであった。
「夏休み期間は色んな所を旅行して、秋になったら潜伏場所に行くつもり、それまでグレイの顔が見られなくて残念だわ~」
キャロラインが心にも思ってないことを言うと、グレイは何やら物申し気に視線を送ってくる。
「何よ。もう原稿は渡したし、何も心配ないでしょ?」
「まあ、そうなんだが……まあいい。それで、次の新刊の構想は?」
「ふふっ、次はロイヤルウエディング系のお話を書くの!」
次こそは隣国の王弟カップルをモデルした話を書くと決めている。キャロラインはこの旅行中に構想を練り直す予定だ。
平民主人公が多い中で貴族のカップルは人を選ぶかもしれないが、最大限のラブロマンスを用意するつもりだ。
(呪いのせいで心を閉ざした王子様と魔女の血を引く王女様の結婚のお話! 次も売り上げ一位もらうわっ!)
キャロラインは心の中でぐっと拳を握っていると、グレイからため息を吐く音が聞こえた。
「馬車はすでに待機してある。達者でな」
「もう、別に今生の別れじゃないんだから。また二ヶ月後ね、グレイ」
キャロラインはグラスをテーブルに戻すと、グレイに軽く手を振って会場を後にした。
グレイが用意してくれた馬車は学校の裏口にあった。ドレスから旅装に着替え、荷物を抱えたキャロラインは馬車を見つけて心が軽くなる。
「これで私は自由よ~~~~~~~~っ!」
キャロラインがそう言って、扉を開けた時だった。
「待ってたぞ、キャロル」
「………………は?」
思わぬ人物が馬車に乗っており、キャロラインは固まる。
プラチナブロンドの髪、深い青色の瞳をした少年は、キャロラインも知る人物だった。
「リ、リリリッ、リックっ⁉」
「久しぶり。元気そうでよかった」
彼は馬車を降りると、にこやかにキャロラインに微笑む。
「なななな、なんでリックがここに⁉」
「実はつい先日、こっちの学校では夏休みに入ったんだ。話に聞いたら、今日がお前の卒業式と聞いたからついでお祝いにきた」
「お、お祝い……? こんな裏口に待機しておいて?」
キャロラインがそう指摘すると、リチャードは眉間に皺を寄せた。
「それはこっちのセリフだ。まさかお前が卒業と同時に家出を考えていたなんて思ってもなかった」
「うっ、なぜそれを⁉」
「調べたんだ。『しばらく返事が書けません。お元気で』なんて書かれて、不思議に思わない方がおかしいだろう? それにまだ返事を聞いていない。ただの保留ならともかく、うやむやにして雲隠れされたら困る」
最後にリチャードから手紙を受け取ったのは約三週間前。その手紙には婚約の申し出が書かれていた。婚約の申し出という割にはかなり低姿勢な文面だったのを覚えている。
『オレと婚約して欲しい。ただ、正式な申し出ではないから、断ってくれてもかまわない』
キャロラインは時間が欲しいことと、卒業間近で忙しい旨を書いて返信した。返事を出したのは二週間前、まさかたったそれだけの期間で調べたのだろうか。
リチャードは呆れたようなため息をつくと、キャロラインに手を差し出す。
「さあ、行くぞ」
「え……行くってどこに?」
「どこって、うちの王宮だよ。家出するんだろ?」
「待って⁉」
一体どこに隣国の王宮へ家出するヤツがいると言うのだ。絶対におかしい。
「へ、下手したら、誘拐と勘違いされて国際問題になるわよ?」
「ああ、それは大丈夫だ。すでにお前の両親とシャルメリア王室には承諾を頂いているから」
「承諾いただいてたら、それは家出とは言わないのよ! というか、何をどうやったら二週間で手筈が整うのよ! 私は二年以上の時間をかけて準備してきたのよ!」
いくら国家権力を使ったとはいえ、さすがにすぐに手が回るとは考えづらい。誰かがキャロラインの行動を漏らしたはずだ。グレイだろうか。いや、彼はビジネスパートナーだ。人気作家であるキャロラインを簡単に手放すとは思えない。
リチャードはやれやれと肩をすくませる。
「お前の一番の失態は、不用意に叔父上に近づいたことだ」
「ライオス王弟殿下……?」
なぜここで彼の名前が出てきたのだろうか。
「叔父上はとても勘が良い。その昔、父上は幼い叔父上の言葉で命拾いしたことが何度もあったそうだ。今回も父上が叔父上の些細な言葉を聞き流していたら、お前が家出することも隠れて執筆業をしていることにも気付けなかっただろうな」
(うえぇえええっ⁉ 執筆活動のこともバレてるのおおおおっ⁉)
一体、彼はミカエルに何を言ったのだろうか。腹芸はできる方だと自負していたキャロラインは頭を抱える。
「い、一体いつから……私を調べて……」
「調査結果が出たのはお前が帰国した直後らしい。さすがの叔父上も執筆活動をしていたとは思ってなかったみたいだが。あ、オレも読んだぞ。面白かった。父上は婚約してくれるなら執筆活動は好きなだけ続けてもらって、国内史上初の作家の国母として頑張って欲しいと」
「ミカエル国王陛下⁉」
「あとはビジネスパートナーのマクレナガン侯爵子息も執筆ができる環境下なら文句なし。肝心のお前の父上だが『不出来な育て方をした覚えはないので、自分で考えなさい』ってさ。信頼されてるな」
「それって信頼なの⁉ 放任の間違いでしょ⁉」
まさに四面楚歌。権力者に囲まれたキャロラインに逃げる場所などどこにもなかった。
(どうしてこんなことになってるのよ!)
その場に崩れるように膝をついたキャロラインに、リチャードはそっと肩を叩く。
「まあ、逃げられたら困るが、婚約の返事は急がない。ひとまずうちの国で夏を過ごさないか?」
「………………どうせ、決定事項なんでしょう?」
不貞腐れたようにそう口にすると、リチャードはふぅと息を吐き出した。
「小耳に挿んだんだが、次の新刊のモデルを叔父上達にするそうだな」
一体、どこで聞いたんだ。グレイにも話が行っていることを考えると、彼が話したのかもしれない。
「我が校も夏休みに入ったし、もしかしたら叔父上達が王宮でいちゃついているところを見られるかも…………」
「本当⁉」
実はあの二週間では彼らを観察しきれなかったのだ。人物像のインプットの為に彼らを観察できるのは願ってもないことだった。
思わず顔を上げると、リチャードが呆れた顔でキャロラインを見下ろしていた。
そういえば、リチャードはライオスが苦手だったことを今更ながらに思い出した。
「こほん……ここまでお膳立てされたら仕方がないわ。旅行先を変更しようかしら。リチャード殿下、エスコートをお願いできますか?」
「……ええ。もちろんです。フロイス公爵令嬢」
リチャードは苦笑しながらキャロラインの手を取り、馬車に乗り込むのだった。
◇
王宮に到着したキャロラインはさっさと荷物を預けると、リチャードに掴みかかる勢いで訊ねた。
「それで、王弟カップルはどちらに⁉ ぜひ挨拶を……」
「叔父上達は昨日から旅行に行っているから王宮にはいない」
まさかの回答にキャロラインはぽかんとしてしまう。
「なんですって⁉ まさか私を騙したの⁉」
「オレは見られるかもって言ったのであって、見られるとは断言していない」
「くっ!」
確かに彼はそう言っていた。とはいえ、長い間旅行しているわけではないだろう。夏休みは長いのだ。彼らに会える機会はいくらでもあるはずだ。
そう自分に言い聞かせていると、リチャードは侍従に一冊の本を持ってこさせた。
「それから、これ……」
「ん? 何よ、私の本じゃない」
そう、留学する前に発売した本だ。手渡された理由が分からず、キャロラインはリチャードを見上げれば、彼はため息をついた。
「非常に不本意だが、オレが国を発つ前に叔父上がこう助言をしていったんだ」
『もしも彼女が返事を渋った時は、私とルルイエをダシに彼女を連れてくるといい。ああ、そうそう。私の助言通りに彼女が釣れた暁には、これにサインをもらっておいてくれ』
そう言って、彼はこのロマンス小説をリチャードに預けていったようだ。
「最初は『コイツ、自意識過剰かよ』と思ったんだが、マクレナガン侯爵子息から馬車を借りる時にお前が叔父上達をモデルにしようとしていると聞いて納得した。多分、お前の留学時に気付いたんだろ。まあ、叔父上はキャロルが本当に釣れるとは思っていなかっただろうが」
「……………………」
ライオスは勘が良い。確かにそう言っていた。
彼は何かの拍子に次の新刊のネタに自分が使われると察したのだろう。実際にライオスは自分を避けている節があった。
そして、甥っ子の為に自分をダシにキャロラインを釣り上げたというわけだ。おそらく彼はキャロラインからの追及を避けるため、王宮の外に退避したのだろう。
「くぅ~~~~~~っ! よくも謀ったなぁ、王弟ぇーーーーーーーーーーっ!」
その後、キャロラインが解像度高めにライオスとルルイエをモデルにしたロマンス小説を執筆し、のちにベストセラーとなったのは先の話である。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
ライオス、以前と比べると人の心が分かっているのでは……?と匙加減が難しくて頭を悩ませていたこともありましたが、第二部これにて終幕です。
第二部では『リチャードを幸せにしてあげたいな』『でも、コイツは不憫なままでいて欲しいな』という気持ちで執筆していました。
彼らがちゃんと婚約して作家の国母が爆誕となるのか、書いている私が気になるところですが、未来のリチャードに頑張ってもらいたいと思います。
第二部を読んでくださりありがとうございました。少しでも面白いと思っていただけたら幸いです。