第5話 初めての街、うちの領地は割と治安が悪かったようです[挿絵有]
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第5話 初めての街、うちの領地は割と治安が悪かったようです
来月には七歳になる。
五歳で母さんがいなくなってから、六歳の一年は、今回の人生においてなかなか激動だった。
家族と食卓を囲むようになった。
剣の鍛錬を始めた。
兄たちと一緒に、家庭教師の講義を聞くようにもなった。
前世から数えても、ミラ母さんは俺が初めて失った肉親だった。
世の中は、こちらの悲しみに合わせて止まってくれない。
時間は進む。
このことだけは、前世も今も変わらない。
最近の俺の一日は、だいたいこうだ。
朝に起きる。
剣術の鍛錬をする。
家族で昼前の食事をとる。
午後は家庭教師の授業を受ける。
あとは、夜に食事をして、寝る。
他の時間は自由だ。
こう書くと、驚くほど健康的な生活である。
前世の社会人時代の俺に見せてやりたい。
一日三食ではなく、食事は昼前と夜の二回。
それが、このあたりでは普通らしい。
朝に軽く何かを口にすることはあるが、きちんとした食事として数えられるのは二回だ。
剣術の稽古では、最初に倒れ方や、崩された時の身の守り方を習った。
剣を振る前に、まず転ぶ練習。
これは前世の授業でやった柔道を少し思い出す。
そもそも、実戦的な稽古は、稽古で怪我をしない準備ができてからということだ。
剣術と聞いて想像する、格好いい打ち込みや華麗な踏み込みは、まだ遠かった。
それがある程度できるようになると、バルドとの軽い打ち合いも始まった。
軽い、と言っても俺基準では軽くない。
バルドの「軽く」は信用してはいけない。
軽く打ち込むと言われて受けたら、腕がしばらく痺れたこともある。
稽古場は本来、トルガ領の兵士たちが使う場所だ。
俺たちの稽古とは、基本的に時間が分かれている。
それでも、自主練で使う時など、たまに兵士たちの鍛錬を目にすることがあった。
しばらく鍛錬を続けて、確信したことが一つある。
この世界の人間は、前世の世界と比較して強い。
厳しい世界だから自然と体が鍛えられている、とかそういう話ではない。
そもそもの生き物として、前世の人間より身体能力の上限が高い。
兵士たちの打ち込みを見ると、木剣なのに、ドゴッ、みたいな音がする。
しかも、筋力だけではない。
反応も速い。
目もいい。
身体能力全般が高い。
そして、転生者ではあるが、この世界の人間として生まれた俺も、どうやらその例外ではないらしい。
鍛錬を始めて一年も経っていないが、明らかに実力はついた。
前世基準で言えば、子どもの動きではない。
少なくとも、六歳の体でやっていい成長速度ではなかった。
まだバルドには勝てない。
剣術の鍛錬という意味では、向こうも同じように走り続けているのだから、ある意味当然ではある。
ただ、最近は剣の軌道が見えるようになってきた。
振られた木剣がどこを通るのか。
どのあたりで受ければ痛みが少ないのか。
どこで足を引けば、体勢を崩さずに済むのか。
少なくとも、まともに打ち合えるようにはなったので、差は縮まったと見ていいだろう。
初めて木剣を握った日、バルドが差し出してきた木剣を重いと思いつつも、どうにか持って振ることができた理由。
あれは、この世界の基準では子どもが振れる木剣だったからだろう。
前世の六歳児に渡すには、明らかにごつすぎる代物だった。
人類がどこかで別の進化をしたのか。
それとも、魔法はないが、気とか闘気とか、そういう面倒なものが実はあるのか。
そう思ってガルム先生に聞いてみた。
「鍛えた者と鍛えぬ者では、差がつきます」
返ってきた答えは、かなり普通だった。
普通すぎて逆に困る。
「それは、かなり大きな差ですか」
「大きいですな」
「農民を集めて槍を持たせる、というのは」
「数にはなりましょう。兵にはなりませぬ」
なるほど。
家庭教師のマルク先生の授業で戦争の話が出ることがあるが、兵士の話は出ても、民兵の話はあまり出てこない。
その理由が、少し分かった気がした。
この世界では、鍛えた人間と鍛えていない人間の差がかなり大きいのだ。
もともとの身体能力の差もそれなりにあるが、鍛えることでの伸び率が圧倒的に高い。
鍛錬終わりの昼食は、かなりうまい。
最初のころは緊張もあって、食器をかちゃかちゃ鳴らしながら食べていた。
今は体を動かした後なので、かなり食べる。
かなり食べるが、ここは貴族の食卓である。
がつがつ食べるにも作法がいる。
できるだけ上品にがつがつ食べる。
ただ、中世フランスみたいに「手で食ってテーブルクロスで拭くのがマナーです」と言われるよりはましだ。
手と布でソースを処理する文化は、見る分には歴史資料として面白い。
当事者になると、たぶん嫌だ。
その日の昼食も、いつも通り始まった。
俺は肉を切り、パンを取り、スープを飲んだ。
バルドは相変わらずよく食べる。
アルノルトは相変わらず静かだ。
ヒルデガルドは、いつも通り背筋を崩さない。
父上は、少し食事を進めてから俺を見た。
「ベルク」
「はい、父上」
「今日、商会に行く用事がある。ついてくるか」
俺は手を止めた。
商会。
屋敷の外。
街。
その三つが頭の中でつながった。
「そろそろ、お前も屋敷の外を経験してよい年だと思ってな」
願ってもない話だった。
俺は七年近く、この屋敷の敷地からほとんど出たことがない。
屋敷は広い。
庭もある。
稽古場もある。
本館も別宅も倉庫もある。
基本的なことは屋敷の中で完結してしまう。
貴族の子どもが外に出るとなれば、護衛だの馬車だの予定だのが必要になる。
だから、基本的に理由がない限り屋敷の外へ出ることはない。
ちなみに、五歳まで屋敷の中で育てるのは、このあたりの貴族社会ではそう珍しくないらしい。
病気。
誘拐。
事故。
それから、単純に子どもが死にやすい。
理由を並べると、まあ分からなくはない。
外の世界。
無茶苦茶、興味がある。
「行きます、父上。ぜひ行かせてください」
少し食い気味になった。
父上が、ほんの少しだけ目を細めた。
「そうか。では、昼の鐘のあとに出る。支度しておきなさい」
「はい、父上」
その後の食事は、少し味が薄かった。
いや、たぶん料理の味は変わっていない。
俺の意識が馬車の外へ先走っていただけだ。
よそ行き用として用意されていた服に、初めて袖を通した。
少し硬い。
布は悪くないのだが、普段着よりも動きづらい。
襟元も詰まっている。
貴族の服は、見た目と引き換えに可動域を犠牲にしている気がする。
戦場で着るものではない。
まあ、商会に行くのだから戦場ではない。
商人にとっては戦場の場合もあるかもしれないが。
馬車に乗り込むと、外には護衛の騎士が十名ほど並んでいた。
領地の中を移動するだけにしては多い気もする。
だが、父上は何も言わない。
つまり、これが普通なのだろう。
領地内だからといって、完全に安全というわけではないらしい。
俺は窓の外を見た。
馬車が動き出す。
そして、俺は七年近く出たことのなかった門を、あっさりとくぐった。
もっと感慨深いものかと思っていたが、現実はあっさりだった。
まあ、何事もそんなものではある。
外に出て、最初に思ったことは、綺麗な石畳だな、だった。
屋敷の周りの道は、思っていたより整っている。
石の大きさもある程度そろっているし、馬車の揺れもひどくはない。
街道整備は、一つの文明がどの段階にあるかを見るには良い指標だ。
道が整っていれば、物が動く。
人も動く。
商人も来る。
兵も動かせる。
豊かさと支配は、だいたい道の上を通ってくる。
家にある金属製品や、食卓に並ぶ食材からも薄々感じていたが、この世界の文明は思っていたより発達している。
もちろん、前世の尺度でそのまま測れるかは怪しい。
そもそも別の世界だ。
文明レベルという物差しが、どこまで使えるか分からない。
ただ、少なくとも、ただの泥道と藁の家だけでできた世界ではなさそうだった。
門を出た感動がおさまると、すぐに匂いが来た。
人が多い場所の匂いだ。
いや、人だけではない。
馬。
犬。
家畜。
排泄物。
煙。
焼いた肉。
湿った藁。
いろいろ混ざっている。
屋敷では三日に一度くらい風呂に入れる。
この世界ではかなり恵まれている方だろう。
庶民ではそうもいかないはずだ。
人間という生き物は、密集して生活すると匂う。
歴史書にはあまり書いていないが、民間の記録にはだいぶ残っている。
屋敷の前に近い区画には、兵士の詰め所らしい建物や、倉庫が並んでいた。
荷車が行き来している。
樽が積まれ、袋が運ばれ、男たちが声を張り上げている。
そこを過ぎると、市場に入った。
塩漬けされた肉。
干した魚。
野菜。
毛皮。
木工品。
鉱石らしい黒い塊。
瓶詰めの何か。
ピクルスに見える。
つまり酢がある。
酢は重要だ。
食べるだけでも使い道は多いし、あとで調べる価値はありそうだった。
馬車の窓から見える範囲だけでも、かなりの品物が並んでいた。
無茶苦茶にぎわっている、というほどではない。
だが、人はいる。
物もある。
声もある。
少なくとも、死んだ町ではなかった。
市場のある通りを抜けると、少し風が変わった。
生暖かい。
匂いも強い。
父上が短く言った。
「このあたりは、あまり治安がよくない。すぐ抜ける」
治安がよくない。
なるほど。
言い方が貴族である。
要するに、スラムだ。
前世でも、スラムや治安の悪い地域は、案外にぎわっている場所のすぐそばにあったりする。
にぎわう場所からこぼれた小銭。
余った食べ物。
仕事にならなかった仕事。
そういうものを拾って食いつなぐためだ。
こちらの世界でも、そこはあまり変わらないらしい。
道の端に、痩せた子どもがいた。
一人ではない。
二人、三人。
服は汚れている。
髪もぼさぼさだ。
そのうちの一人が、馬車を見て手を伸ばした。
何かを言っている。
言葉は聞こえない。
護衛の一人が、馬を少し寄せた。
子どもたちはすぐに下がった。
慣れている動きだった。
食えない人間は、ただ死ぬだけではない。
盗む。
売られる。
病気を運ぶ。
誰かに使われる。
歴史で何度も見たやつだ。
そして今、馬車の窓の外にいる。
「あの子どもたちは、どこへ行くのですか」
気づけば、俺はそう聞いていた。
父上は少しだけ窓の外を見た。
「行く場所がある者は戻る。ない者は、ない」
答えになっているようで、なっていない。
だが、たぶんそれが答えだった。
行く場所がない。
それ以上でも、それ以下でもない。
俺は窓の外を見続けた。
スラムを抜けると、道がまた少し広くなった。
匂いも少しだけましになる。
やがて、屋敷を出てから見た中では一番大きな石造りの建物が見えてきた。
厚い壁。
広い入口。
荷を運び込むための脇門。
そして、大きな看板。
トー商会。
そう書かれている。
馬車が止まった。
建物の前には、すでに人が並んでいた。
先頭に立っているのは、腹の出た中年男だった。
ただ、だらしない感じではない。
よく食べて、よく稼ぎ、よく眠っている人間の腹だ。
服は質がよい。
指には太い指輪。
笑顔は広いが、目は笑いすぎていない。
なるほど。
商人だ。
「レオンハルト様。本日はようこそお越しくださいました」
男は深く頭を下げた。
媚びているというより、礼儀としての角度をよく知っている感じだった。
「ベルマン。急に来てすまない」
「とんでもございません。トルガ家のご当主をお迎えできるのは、当商会の名誉でございます」
言葉はなめらかだった。
磨いた金属みたいな声だ。
光るが、硬い。
「こちらが、ベルク様でいらっしゃいますな」
ベルマン商会長の視線が俺に向いた。
「はい。ベルク・トルガです」
俺は、教わった通りに軽く頭を下げた。
深く下げすぎない。
貴族の子どもとして、商人にへりくだりすぎるのは違うらしい。
面倒くさい。
角度で身分を表す文化、やめてほしい。
「これはこれは。噂には聞いておりましたが、たいそうご立派で」
噂。
どんな噂だ。
そう思いながら視線を上げると、トー商会長の少し後ろに、女の子が立っているのが見えた。
俺より少し年上だろう。
水色の髪に、緑の瞳。
赤系の服を着ているが、貴族令嬢のように飾り立てているわけではない。
かといって、使用人のように地味でもない。
父親の後ろで、きちんと背筋を伸ばしている。
「娘のクララです」
トー商会長がそう紹介すると、少女は一歩前に出て、頭を下げた。
「クララ・トーです」
商会の玄関に立っているのが妙に似合う子だった。
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