【第71話『舞い戻る影──“悪役令嬢”再び断罪される』】
王都に、風が吹く。誠実乳世界協議会(WIBS)の大判ポスターが広場の掲示板からはがれ、街路樹に引っかかって揺れていた。
その下を、リリアーヌ=フェルミナスは帽子のつばを押さえながら歩いていた。
銀髪を無造作に束ね、深紅のマントを肩にかけたその姿は、あまりに堂々としていた。だが、彼女の視線はどこか迷っていた。
──ここへ戻ってきて、正しかったのかしら?
誰に向けるでもない疑問が、胸の奥で揺れる。過去に“断罪”されたこの街で、“誠実乳”という理念を掲げた彼女は今、ふたたびその渦の中心へ足を踏み入れようとしていた。
「おい、これ見たか」
「……まさか、また?」
ざわつく声が、新聞売りの少年の呼び声とともに広がっていく。
リリアーヌの足が、止まる。
『王都新聞・号外──誠実乳の聖女は“仮面”だったのか!?』
『理念を掲げた裏で、私怨による復讐劇!? 元婚約者王太子を貶めた真相とは──』
白黒の紙面に踊るその見出しと共に、彼女の過去の肖像画が載っていた。
断罪された“悪役令嬢”としての姿。
高慢な笑み。睨みつけるような視線。今の彼女とは違う、けれど確かに彼女だった。
「……記者、やるわね。あの時の肖像まで引っ張り出してくるなんて」
リリアーヌは唇を噛みしめた。
手の中のMIRAI翻訳装置が小さく震え、感情反応を記録する。──心の揺れ。すなわち“乳”だ。
否応なく、あの日が蘇る。
王宮の大広間。
揺れるシャンデリア。
王太子の「この女は、婚約者としてふさわしくない!」という声。
冷たい視線。ざわめき。静まり返った空気。
──そして、誇りを張り続けた自分の“胸”。
今、再び同じ構図が迫っている。
◆ ◆ ◆
「リリアーヌ様、お戻りを!」
塾舎に駆け込んできたエミリアが、息を荒げて叫ぶ。
「すごい数の記者が正門前に……それに、旧王政派の貴族まで、声明を出し始めています!」
その場にいたユーフィリアも眉をひそめた。
「今さら“私怨説”なんて……リリアーヌさんがどれだけ真剣に“揺れ”と向き合ってきたか、皆、知ってるはずなのに」
だが、情報ネットを見ていたソフィア巫女が静かに呟いた。
「“揺れ”を見せる人ほど、揺れてはならないと期待されるのです」
静寂。
それは、リリアーヌにとって──かつて味わった沈黙と、まったく同じ重みだった。
「私は……何を、証明してきたつもりだったのかしら」
その声に、エミリアが即座に返す。
「あなたは“私たちが自分で揺れていい”って、そう教えてくれた! 今さら否定されてたまるもんですか!」
ユーフィリアも歩み寄る。
「リリアーヌさん、今こそ“あの時のあなた”と、向き合う時なのかもしれない」
◆ ◆ ◆
夜。王都劇場。
かつて断罪劇が行われたこの場所に、今、記者たちと王都市民が集まっていた。
主催者は、保守派貴族連合。
名目は「表現倫理再検討会議」──だが、実態は“再断罪式”だった。
舞台の上に置かれる、一枚の椅子。
誰もが知っている。あの日、リリアーヌが立たされた“罪人の座”。
その椅子に向かって、彼女は静かに歩く。
ゆっくりと、しかし迷いなく。
そして、振り返る。
「私は、あの日、この椅子で“何か”を奪われたと思っていた」
「でも今なら分かる。あの日、私が自分で奪ったのは──“胸を張る自由”だった」
「だから、ここに戻ってきたのは、過去を許すためじゃない」
「──私を、私自身として“選び直す”ためよ」
その瞬間、観客席が揺れた。
拍手ではない。
反論でもない。
それは、静かな震え。
人々の心が、揺れていた。
──そして、その“揺れ”は、ひとつの乳に、確かに届いていた。




