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現代ダンジョンライフの続きは異世界オープンワールドで!【コミカライズ5巻 2025年2月25日発売】  作者: しば犬部隊
サイドクエスト "石窯に火を灯せ"

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

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75話 リザドニアンのパン屋さん



コッペパンとソーセージと冷たい水のダイマ。

 



 ………

 ……

 …



 〜竜祭まで残り7日、冒険都市アガトラ、貴族区。貴族両院アガトラ分院にて〜





「さて、それでは次の議題に移ります。冒険都市近郊、平原の北部、"ミトラ森林"で起きていた複数の冒険者の行方不明事件の報告です」




 豪著な部屋。真鍮で出来たシャンデリアに蝋燭が静かに揺れる。ふかふかの絨毯に、一流の職人に作らせた調度品の数々は帝都の本院と比べても見劣りは決してしない。




 円卓を囲むメンバー全員、しつらえの燕尾服、貴族の正装姿を揃える。




 ここは、冒険都市アガトラにおいと政の多くを決める貴族の会合の場。



 貴族区に設けられた貴族両院の分院にて、今この都市で起こっている彼ら上に立つ者が把握しておかねばならないことを話し合っていた。





「……oh」



「……む、どうされましたかな、領主殿」



 お付きの進行役、冒険者ギルドマスター、ハイデマリー・スナベリアが新たな議題を提示した瞬間、顔色を悪くして俯いた小太りの男が冒険都市辺境伯、サパン・フォン・ティーチである。




 サパンの隣に座る貴族が心配そうに声を掛ける。



「いや、なんでもないよ。ギルドマスター、続けてくれ」




「はい、領主様。ここにお集まりのギルド幹部の皆様も何名かは既にコトの顛末をご存知の方もいらっしゃるでしょう。結論から言うと、この行方不明事件の原因は、"古代種"によるモンスター被害でした」




「なっ……?! ギルドマスター、それは事実でしょうか!? "古代種"の偶発的発生は、ヘレルの塔内部でのみ起きるもののはず! それ以外の古代種は、塔級冒険者により監視されているのでは」




 貴族両院のメンバーの1人が声を上げる。古代種、それの脅威を理解していない人間はここにはいない。




 モンスターの特異点、"大戦"よりも以前から存在していた、あるいはそれら古い怪物にに匹敵する力を持つ化け物の中の化け物に与えられる名称。



 それは畏怖の対象となっている。




「残念ながら事実です。この帝国領において、未確認の"古代種"が、塔以外で発生していたということですね」




「……由々しき事態じゃないか? ギルドはその発生を予見出来なかったというのは。"古代種"はそれ単体で都市をも滅ぼしかねん化け物と聞く。事実、これまでにも怪物災害の呼び水となった前例もある、ギルドはこの件に関してどのような責任を持つつもりか?」




 辺境伯の向いに座る初老の男。整髪油で整えられたオールバックに鷹のように鋭い目。突き出た眉頭は太く、武人の顔付きを思わせる。




 貴族両院分院において、辺境伯と対になる権力者、ジスイ・メロ・ヴァンガディ伯爵。武門であるティーチ家と並び称される帝都の武門派有力貴族。




 貴族院から遣わされた辺境伯へのカウンターたる人物だ。





「……お言葉ですが、ジスイ伯爵。この件に関してはギルドはその役割、つまり、モンスターを討伐しての帝国民の生存域の確保、その使命を果たすことが出来ていると認識しております」




 ジスイの言葉へ返答したのは、ギルドマスター。静かに顔色ひとつ変えずに貴い血の人間に意見を伝える。



「……どういうことだ? 貴族院に届いた情報では、塔級冒険者、ユト・ウエトラルは生存し帰還したものの、未だ"古代種"は健在。ミトラ森林は現在も立ち入り禁止措置が取られているはずだが……」




「ええ、その通り。ですが…… 領主様?」



 ギルドマスターが領主へと視線を。それは許可を求めるアイコンタクト。




「ああ、ここからは私が。済まないね、親愛なる貴族院の皆様。実は、先日の速報、ギルドから貴族院へ通達した内容には、誤り。いや、誤りというのは不誠実だね。……ギルドへは私の方からある情報の隠匿を命じていてね。君たちに伝わった情報は全てが真実ではないんだ」




「「「「っ?!」」」



 会議場に集まる貴族たちに衝撃が走る。



 辺境伯が冒険者ギルドへ貴族区への報告をねじ曲げた、それを吐露したのだ。彼らの衝撃も当たり前のことだ。






「……サパン辺境伯。貴公が皇帝閣下の肝煎りであること、そして、あの武門、ティーチ家において歴代最優の当主であることを我々も深く理解して、敬意を払っている。それでいながら、貴公は我々に対して偽証報告をしたと?」




 ジスイ伯爵の鋭い目と低い声が、沸騰しかけた会議をわずかに収めた。誰もが気づいていたからだ、ジスイ伯爵の静かに円卓の上に置かれた手のひらに青筋が何本も浮き出ていたことに。





「そ、そうだ! 辺境伯殿! どういうおつもりですか! わ、我々が帝都の貴族院から派遣された分院と侮っていらっしゃるのか!?」




 がやがや、わいわい。



 口々に貴族たちが文句を言い出す、ここで発言しておかなければ自分の立ち位置が危ない。それを全員理解していた。






「その件に関しては深く、深くお詫びを。ですが、聡明なる貴族院、冒険都市分院のお歴々であれば、全てお気づきになられているはずかと」



 辺境伯が静かに言葉を挟む。



 ジスイ伯爵のみが、その言葉に動きを止めて。




「何を言っていらっしゃる! 今は辺境伯殿、貴公が我々をっーー」




「……"竜大使館"関係ですかな? サパン公」



 静かに伯爵がぼそり。シーンと、静まる会議。先ほどまで喚いていた貴族たちが押し黙る。




「御明察にて。さすがはジスイ伯爵。全てお見通しでしたか」




 にこり、辺境伯が笑う。その笑顔を見て彼を侮る貴族が数人、その数人はそう遠くないうちにこの場からいなくなるだろう。




 毒虫の擬態、この笑顔はそれにとても近いものだ。





「……先ほどの発言を訂正致します。竜大使館に関して、我々貴族院は関与する権限を皇帝陛下からいただいてはおりません。こちらこそ、辺境伯の思慮や配慮を考慮できず申し訳ございません」




 ジスイ伯爵が、席をたち、胸に手を当てて腰を折る。頭を辺境伯に向けて下げる。




「いえ、伯爵殿。あなたが不快に思うのも無理はない。私としては、正直、かの大使館との折衝は、貴族院の方々にお任せした方がよろしいと、兼ねて皇帝陛下に直訴しようかと考えている次第でして」




「「「………っ?!」」」



 辺境伯の言葉に、貴族たちが息を呑む。竜大使館、冒険都市、いや、帝国にとっては魔境の中の魔境。



 彼らにとっての護り竜、蒐集竜の領域にして、竜界との繋がりたるかの場所との交渉や交流は現在、貴族においてはサパンが主に矢面に立っている。




 貴族院のメンバーはみな知っている、竜との関わりがどれほど難しいか、そして、帝国にとってその竜との関わりがどれほど重要なことか。




 サパンという皇帝からの信が厚い大貴族は、他の貴族にとって利権を奪っていく目の上のたんこぶだ。




 しかし、現状、竜大使館に、いや、蒐集竜に、個体として認識されている貴族はサパン以外には皇帝以外に存在しないということを貴族たちは理解していた。





「フッ、意地の悪いお方だ。して、辺境伯殿、竜大使館が関与しているということは、まさか、古代種は既に、蒐集竜様が?」




「おお、さすがは帝国の護り竜!」



「伝説通り、やはりあのお方は苛烈ながら、慈悲深い!」



 額に汗を流しつつ、竜を讃える貴族たち。竜大使館との折衝役の交代などという無茶なことから話題を逸らすために、彼らはその流れに乗らざるを得ない。




 その中、1人ニヤリ。



 薄く微笑むサパンの表情に、やはりジスイだけが気付いていた。






「いえ、残念ながら此度、蒐集竜様はお動きになられておりません。皆様、今一度ギルドマスターの言葉を思い出してください。今回の件、冒険者ギルドは、確かに()()()()()()()()()、というね」





「は? な、なにを」



 ぽかんと、首を傾げる貴族たち。




「……まさか」




 ジスイが、細い目を見開く。ある可能性に気づいた。





「マリー君」




「はい、領主様。貴族院の皆様。この場を借りて謝罪を。この都市の運営に深く寄与いただいたおります皆様の虚偽の報告を行ったこと。そして、併せてご報告させていただきます」



 ギルドマスター、才媛と称される眼鏡美女が頭を下げる。その長い脚と細い腰に何人かの貴族が見惚れて。



 すっと、顔を上げたマリーが眼鏡をくいっと持ち上げて、淡々と告げる。




 その、事実を。



「件の古代種、暫定名称"ラミア"につきましては、既に当冒険者ギルド所属の4級冒険者により討伐が完了しております」




 会議場に、沈黙が募った。



 ギルドマスターの言葉をみんなが咀嚼するのに時間がかかったのだ。





「………失礼、今、なんと? 4級……?」




「と、討伐が完了しているだと? バカな!? 古代種だぞ! それも塔級冒険者でさえ生きて帰るのが精一杯だった化け物だ! それを、4級冒険者、そこらならごろつきより少しばかりマシなだけの存在が?!」




 ざわざわ。再びざわめく会議場。4級冒険者が、"古代種"を葬った。お伽話ですらありえないそんな話、酒場の飲んだくれでさえ話さないような荒唐無稽な話だ。





 それをこの場にて、真面目な顔で告げたギルドマスターへ向けて貴族たちが言葉を荒げてーー







「………なるほど、"竜殺し"、ですか」





 その中で唯一、黙考していたジスイ伯爵がつぶやく、その一言で喚いていた貴族たちは一気に大人しくなった。





「はい、子爵様のおっしゃる通りです。古代種を討伐したのは4級冒険者、トオヤマナルヒトにございます」



 聞く人が聞けばわかるだろう、僅かな声の高揚。ギルドマスターのその声色は何かを誇るようなものであって。





「トオヤマナルヒト……?」



「まて、聞いたことがある、蒐集竜様が以前お探しになっていた冒険奴隷の名前が確か……」




「情報が錯綜して確かではないが、昨今、貴族区のオークションで、ティタノスメヤの素材を多数卸していた商会、それの関係者リストに、その名前を見たような」




「私は、天使教会の異端審問会のリストにその名前を見ましたぞ」




「まさか、それではあまりにも……」



 今度は別の意味でざわめき始める貴族たち。



 トオヤマナルヒト、その人物が冒険都市に起こした余波は噂や、報告といった形でゆっくりと拡がりつつある。





 曰く、竜を殺しただの、"カラス"に手を出しただの、天使教会の騎士と殺し合っただの、色街で竜をコマしていただの、荒唐無稽な話が会議の場で噴出する。




 何より荒唐無稽なのは。



「貴族院の皆様、信じがたい話ではありますが、今あなた方がトオヤマナルヒトという人物名を聞いて連想したもの、それは全て同一人物です」



 その噂話、トオヤマナルヒトに関するめちゃくちゃな話のほとんどが事実であることだろう。




「ば、ばかな。それではその者は、奴隷の身で竜を殺し、冒険者でありながら、名うての商会にも関わり、更に天使教会の異端審問会にも所属していると?」




「あまりにも節操がなさすぎる、風説では?」




「そんな人物がいたとして、まともじゃない、何を考えているのか理解不能だ」




「残念ながら、事実です。更に頭の痛い問題もございます、マリー君?」




 貴族たちの疑問の声に、サパンがぴしゃりと言い放つ、そしてさらにダメ押しが。



「はい、皆さま、お手元の資料をご覧下さい。昨日、冒険者ギルドに伝書鷹を用いられて届いた文の写しです」




 それぞれの手元に配られていた紙。



 それを見た貴族たちが、みな息を呑む。





「これは…… っ!? この蝋印、まさか」




「"魔術学院"の……」



 複雑な星に、それを飲み込まんとする大蛇の印章。空に浮かぶ島に存在する魔術師たちの庇護者にして、故郷。




「はい、差し出し人は"魔術学院"当代学院長。内容はーー」





「魔術学院による4級冒険者、トオヤマナルヒトへの、魔術師認定、及びギルドへの等級昇格の要請……」




 震える声で、紙を握った貴族がその書状を読み上げる。




「ば、バカな…… あの学院が、ただの4級冒険者にこれほど干渉するわけが」




「……そして、これは最近確認が取れたことなのですが、現在、この冒険都市に、かの学院の開祖、"全知竜"が逗留していることをご報告いたします」




「「「「「は?」」」」




 あまりに唐突に投げられた爆弾に、貴族たちが同時に声を上げる。




「加えて申し上げると、4級冒険者、トオヤマナルヒトを森林から連れて帰ってきたのは、全知竜です。当時、現場にいたものの証言によると、なんの前触れもなく、突如、意識のないトオヤマナルヒトを担いで現れて、古代種の討伐を報告、そのあと、再びトオヤマナルヒトとともにその場から忽然と姿を消した、と」





「「「「なんて?」」」」




 情報の暴力。貴族たちの語彙はもうボロボロ。



「……待て、その者があの伝説の存在だという証拠は?」



 ジスイですら、頭痛を抑えるように自らの頭を揉みながら苦々しく声をあげる。




「先日、人知竜、様がギルドに顕現された時、私もギルドマスターもその現場に居合せました。ギルドへ現れた理由は、トオヤマナルヒトの冒険の成果の確認、まあ、ギルドが彼の成果をネコババしないように、釘を刺しに来たというとこですな」




「な、なぜ、かの竜が、魔術師の祖がトオヤマナルヒトのためにそんなことを……」





「わかりませぬ、ですが、その手がかりは……それはそこにいらっしゃる"教会"の代理出席者、第二聖女さまからお聞きになるのがよろしいかと」




 会議のメンバー全員の視線が、円卓の1人。普段であれば、教会の長が収まるべき席に向けられて。






 アホ毛。茶色のハテナマークの形をしたそのアホ毛がぴょこんと揺れた。





「ぴゅ、ぴゅい!! へ、へふえええ、あの、その、そのその、わたし、わたしぃいい」




 黒いフードなしの修道服に包まれた小柄な身体、小動物を思わせる少女が涙目で、悲鳴じみた声をあげる。




 天使教会、第二聖女。聖女派、と呼ばれる主教派と騎士派と教会の勢力を三分する派閥の長。




 ノルン・ベイ・ラティーナ。突然話を振られた彼女が、びくりと身体を縮こませる。先ほどまでずっと話に入って行けず、ポテイトのお菓子のことしか考えていなかったので、仕方ないのだ。




「ノルン様、落ち着いてください。ギルドマスター殿、ここは私、第二聖女側仕えのシップからご説明させて頂きましても?」



 小さなリスのように震える第二聖女の背後に立ちすくむ教会服の大男が、発言を求める。第二聖女の側仕え、シップ・コイン教父だ。




「構いません」



 ギルドマスターが頷く。



「では。まずはお集まりの皆様に謝罪を。本来であればこの場には、天使教会最高指導者、カノサ・ティエルフイルド主教が参る予定でしたが、彼女は急用にて顔を出すことができませんでした、代わりの出席として、我々は主教より天使教会の名代としての発言を許されております。平にご容赦を」




「……シップ殿、なぜ教会が全知竜についての発言を託される? かの者と貴方達は不倶戴天の間柄と記憶しているが」




 ジスイ伯爵がその鋭い目を、トランジスタグラマーな体を震わせる聖女と、微動だにしない教父へと向けて。




「ピィ!?」



「ノルン様、落ち着いて。……ごほん、伯爵様のおっしゃるとおりです。ええ、まあ、単刀直入に申し上げると、先日、全知竜、いや、今は人知竜、かの竜の手により、天使教会の騎士派上層部が文字通り、壊滅致しました」





「……な、んと?」



 あまりにも衝撃的な一言。



 ジスイ伯爵が今度こそ固まる。





「頭が痛い限りです。理由はシンプル、騎士団がかの"竜殺し"に手を出したから。これに尽きます。詳しいことは不明ですが、竜殺しは全知、失礼、人知竜とも何かしらの繋がりがあるようですね」





「……では、こういうことか? 竜殺しにまつわるこの都市に広がりつつある噂話、竜を二股にかけてることや、最優の騎士、ストル・プーラを己の小間使いにしていること、商人ギルドを裏から乗っ取ろうとしていること、カラスに手を出したこと、彼と揉めた冒険者は数日後皆、不可解な死を遂げていること、これら荒唐無稽の話が真実であると?」





「まあ、全て真実かどうかは分かりませんが、少なくとも、かの竜殺しが人知竜の庇護下にあり、なおかつ我々天使教会の審問官であることに間違いはありません。……少なくとも主教の人を見る目は間違いではなかったということかと」





 残念ながら全て真実である、だが彼らからすれば酒場の酒呑み話よりもめちゃくちゃな話だ。





「……それが本当なら、天使教会に名を連ねる者でありながら、魔術学院にも選抜されたことになる。帝国の歴史上、そんな存在は今まで確認されていない」





「はい、そして、なおかつ彼は、我々冒険者ギルドにとっても有益な人材となります。古代種の単独討伐、戦果だけを見れば、一級、いえ、"塔級"冒険者と比べても遜色はありません」





「な?! ぎ、ギルドはまさかかの者を塔級冒険者に認定するつもりか? い、いくらアガトラの冒険者ギルドとはいえ、塔級冒険者の保有の割合が偏りすぎるぞ!」




「……今のところ、冒険者ギルドではトオヤマナルヒトの昇格には慎重の構えを取るつもりです。魔術学院からの推薦を蔑ろにするつもりではありませんが、あくまでギルドの人事はギルドが決めること。今のところ、冒険者ギルドとしての判断は様子見、でございますれば」




「……一度、トオヤマナルヒトを貴族院の監査に召還したいと思うが、サパン公はどう見られるか?」




「悪手ですなあ。後ろ盾、いや、本人には自覚がないと思われますが、アレは竜に近すぎて。下手をすれば我々の行動は、蒐集竜さまの蒐集品に勝手に触るようなものと受け取られかねません。それに人知竜の動向も、読めない」




「この魔術学院、学院長名義の手紙ですら、おそらく人知竜が関わっていることでしょう。故に、今我々に出来ることは、特大の火薬に火が付かないように祈ることだけかと」





「………天使教会の異端審問会所属ということなら、主教殿であれば、筋を通して本人、竜殺しの召喚が可能では? 主教殿は今日どちらに?」





「ふむ…… ノルン様?」




「あ、へふゅい、へい、ちん、ひん、」



「……?」




「ち、ちんたいぶっけんの引き渡しで、今日ここには来ていませんですううううう」




 第二聖女は頑張った。教父だけに仕事させるのは申し訳ないと思ったから頑張った。





「「「「「「は?」」」」」




 だが彼女の精一杯の言葉に、貴族のおじさんたちはただ、首を傾げるだけだった。




 …………

 ……

 …



 〜領主会議の3日前〜




 ぷちっ。



 噛みちぎる。ホクホクの熱と肉汁が口の中に広がる。



 肉汁は火傷しそうなほど熱く、しっかり肉の野性味溢れる味をたっぷりと含んでいる。舌が火傷しそうなくらい熱いそれを噛み潰して飲みこむ。




 鼻の奥に肉の強い匂いがガツンとぶつかってきた。




 肉だ、肉を食べている。




「おほっ、おい、おいおいおいおいおい、これ、当たりなんじゃねえの? ジャイアントボアの肉で作ったソーセージちゃん」




 中庭で熾した焚き火に、くるくると棒に突き刺したソーセージを炙る。ぷち、ぷちっと皮が弾けて亀裂が、入る。肉汁のしたたるそれを熱々のうちに頬張って。




「あち、あつ、ほふ、ほほ! ひひ! 美味え! 肉だ!」



 遠山鳴人が口の中を火傷しつつ、それを二口で食べ終えた。



 新たにまた、カゴの中のソーセージに手を伸ばし、串に刺して、焚き火で炙り始める。くるくる回していると、ぷちっと皮が弾け出した。




「……驚いた、ここまで肉汁の滴るソーセージは初めてだ」



 同じく目を丸くしているトカゲ男の、ラザール。彼もまた口の中を火傷しつつ、頬張ったそのソーセージの味に驚いて。




「ほお、これがモンスターの肉か。ふむ、モンスターの食材当たり外れがあるが、ジャイアント・ボアのソーセージは大当たりのようだな」




 お上品に、フォークとナイフで切り分けたそれを口に含んでいたのは、口髭の壮年男性、ドロモラ。遠山鳴人と協力関係にある商人だ。






「ユト・ウエトラルのレシピ様々だな。いやー、これにたどり着くまで苦労したなオイ。なんでソーセージ作るための食材狩ってたらワケわかんねー白蛇女と殺し合うことになるんだか」




「……その節はすまない、ナルヒト」



「あー、いい、いい。あの白蛇女、あれはあれだ、良いやつ特攻の害獣だったからな。ラザールが惑わされんのも無理ねえ。早めに厄介な化け物を始末出来たと思っとくさ、それに、収穫もあったしな」




 遠山は、この肉以外の報酬のことをラザールやストルにはまだ説明していなかった。



 遺物、キリヤイバの新たなるステージ。恐らくあの化け物との戦いがなければ辿り着けなかった力だ。



 全員生還、そして新たな力も手に入れた、結果だけ見れば大勝利に近い出来事だ。





「収穫?」




「こっちの話さ、プラス思考で考えよーぜ。美味いソーセージのレシピも完成した、全員生きてる、それによ、ラザールのパンも試作品が完成したしな。……仕込みは?」




 ラザールの言葉に曖昧に返事をして、遠山は話題を変える。



 あの化け物との死闘以降、割とガン泣きしてガンギレしたストルにより、遠山とラザールは2日ほどの外出禁止令を出されていた。




 ストル曰く、"あなたたちが街に出ると何かのトラブルを拾ってくるに決まっています。最低2日は、宿屋から出ることを許しません"




 ディス口調なしの言葉と、戦闘の時と同じ人形のような無表情で説教されて、普通にびびった遠山とラザールは素直に少女の言葉に従っていた。




 だが、ただのんびりしていたわけではない。




 宿屋の主人に頼み込み、厨房を借りてあるパンの開発を行なっていたのだ。




 ラザールの天才的なパン職人としての能力。



 そして、本来であれば、この世の全ての知識を得られたはずの知識の眷属の領域を、丸ごとパン特化にして作り出した"パン文書館"の知識。




 これらにより、たった2日で遠山とラザールは、この世界には存在していないあるパンの開発に成功していた。





「すでに。先ほど石窯に入れたところだ。ゆっくり火入れしてるから、あともう少し焼き上がるまで時間はかかるだろうが。だが、ナルヒト、本当に大丈夫だろうか?」




「問題ないさ」




「なんの話をしている? トオヤマナルヒト、金儲けの話か?」




「まあ、似たようなもんさ」




 ドロモラの言葉にニヤリと笑う遠山。



 ソーセージの試食会のほかにも、ドロモラを呼んだ理由はある。そして、それはまもなく焼き上がるのだ。



「………………ぱあ」



「……………ぷえ」



「ぷぽ」



「ダウ」




 先ほど、ソーセージを頬張ったガキンちょ4人、リダとニコとシロとペロは目をキラキラさせて固まっている。



 スラム暮らしの長かった彼らにとって、このソーセージはあまりにも強かったらしい。言葉すらも忘れていた。





「ルカ、リダ、シロ、ペロ。お前らそれどういう表情?」




 遠山は固まった彼らの手に、それぞれまた新しく焼き上がったソーセージ棒を持たせる。



 黙って物凄い勢いで、咀嚼を始める彼らを見て思わず笑いを溢した。



 なんか肉食のハムスターみたいだ。子供達を眺めたあと、視線をドロモラに移す。




「にしてもやるな、ドロモラのおっさんが口説いてきた肉屋。あっという間に注文通りのソーセージを完成させちまいやがった」




「ふん、当然だ、友よ。と、言いたいところだが実際は、トオヤマナルヒト。この味はジャイアントボアの肉質の素晴らしさもあるが、キミが肉屋に伝えたあの製法によるものが多いらしいぞ。ほら、あの氷で冷やしながら肉を成形するやり方だ」




「おー、あれな。昔、漫画で読んだんだよ、手作りソーセージは温度管理しねえからボソボソになるんだってさ、氷で冷やして10°くらいを保つと美味いのが作れるんだって」




「ふむ、マンガというのはわからんが、肉屋のブッチャー精肉店はお前に強く感謝していたぞ。これからもご贔屓に、とのことだ」




「ナルヒト、アンタやっぱり妙なことを知ってるものだな」





「まあ、俺んとこの地元は飯だけにはマジでうるさいとこだからな。うーん、かみごたえもある、肉汁もたっぷり。ユト・ウエトラルの言った通り、あのイノシシの化け物の肉は当たりだったな」



 厄介な化け物との戦いの報酬が美味いソーセージ。



 中々釣り合わない気もするが、この異世界生活の中で、少しでも口に合う美味いものが増えていくのはかなりありがたいことだ。





「これなら、ナルヒト。アンタの言っていたホットドッグも作れるんじゃあないか?」





「うーん、だな。そうなると後は、ケチャップがいるわ、ケチャップ」




「ケチャップ?」




「ああ、ほらこれ、このソーセージなんだけどよ、やっぱ香辛料がバカ高いから練り込めねえじゃん。となるとやっぱどうしても肉の臭みが気になるわけよ」





「そんなに気になるか?」




「気になる。いや、これは肉の臭みを誤魔化す他にもケチャップが必要な理由はあるんだよ。あれ、どーやって作るんだっけ。ラザール、トマトって余ってるか?」




「ああ、昨日、ストルが買い出しに行ったぶんが残っていると思うが……」




「……あー、ストルか。やべえ、どうするよ、ラザールくん」




「ああ…… まさか彼女があんなに心配性になるとは。外出が制限されてもう2日だぞ」




「……泣かれながらキレられると、こっちの情緒がおかしくなるよな。つーか、ラザール、お前こそ身体はいいんかよ」




「おかげさま。いや、竜のおかげだ。ナルヒト、あんたの人脈ならぬ竜脈はいよいよというところまで来てるよ」




「……あの変態ドラゴン、ホント何考えてるかわかんねえな」




 人知竜と名乗るあの銀髪のド美人、いや、美竜はまた自分を助けてくれたらしい。



 教会騎士の時を合わせてこれで2回目だ。



 感謝はもちろんしている、だがそれ以上に遠山が彼女に抱いている感情はーー






「いや、きっと人知竜の考えはシンプルさ」




「あー?」




「あんたのことが好きなんだ、あんたの役に立ちたいのさ、俺たちと同じでな」




「……なんだそりゃ」



 遠山は目を瞑り、顔を背けた。



「フッ、ナルヒト、アンタ恥ずかしい時は目を瞑るんだな」



 ラザールの少し弾んだ声が届いて。




「うっせ。…………俺のやってることは、綱渡りだ。ラザール、考えてたことがある。




「……なんだい、ナルヒト」





「……これからは狩りはもう最悪俺だけで行こうと思ってる。正直、今回全員生き残れたのはただの運だ。俺もおまえも、ストルも、ぶっちゃけ誰が死んでてもおかしくなかった」




 怖い。今更ながらに、遠山は恐れていた。



 冒険のリスク、この世にはやはりまだまだ自分の力の及ばぬ化け物がうじゃうじゃ存在している。



 だから、それらからせめて仲間を遠ざけようとしてーー




「ナルヒト、アンタ、ストルが泣いた理由本気でわかってないんだな」





「あ?」





 ラザールの声は、冷たい、いや、寂しそうな声で。



「たっだいまー、ディス。あ、やっぱり2人とも部屋から抜け出してたディスね。む、ドロモラ商会の店主ディスか」




 中庭に現れたのは、日用品の買い出しに出ていたストルとニコだ。



 教会騎士の銀鎧の上からケープマントを羽織ったストルの姿は、遠山が指定していた。




「やあ、第一の騎士殿。貴君の審問官殿達をお借りしてすまないね」




「フン、むさい男連中が雁首揃えて楽しそうで何よりディス。む、リダ達が食べているそれは……」




「わあ! ソーセージ、ソーセージだわ! もうお兄さんに、みんなに、ずるい! 私とストルちゃんがお買い物してきてる間に隠れて食べてるなんて」




 ストルとニコが、焚き火で炙るソーセージの存在に気付く。


 肉が焼ける匂いはそれだけで人の欲を刺激するのだろう。




「まー、まー、怒んなよ、ニコ。ほら、お前の分もきちんと焼いてるからよー」




「わあ、美味しそう! ありがとう、お兄さん!」




「ニコちゃん、食べ物にそんなに簡単に釣られては」



 遠山から差し出されたソーセージに満面の笑みを浮かべるニコ、ストルが口を僅かに尖らせて。



「んー? ストルはいらねえのかー? 俺らが狩ったジャイアント・ボアから作ったソーセージ、焚き火で直火かましてるからよー、ほのかな木の香りと肉汁の旨みが口と鼻をぶっ壊すぞー」




「……一つ貰いますディス…… !!」



 だがストルも、その匂いには逆らえなかったらしい。頬を膨らませながら遠山から差し出されたジュワジュワに焼かれた焚き火ソーセージを受け取って。




「ありがとうお兄さん! ……ンェ!」




「え、美味し…… なん、ディス、この肉、教会で食べてたソーセージと全然違う……」




 ストルとニコが、ソーセージを頬張る。



 ニコが固まり、ストルが口を抑えて目をまん丸に見開いた。




「ンンンンンンン!! あつあつで、ぷちぷちで、じゅわじゅわだわ! お兄さんのソーセージ、とっても美味しい!」




 ぴょこぴょこ飛び跳ねて喜ぶニコ。ここまで喜んでくれるとは振る舞う側としては嬉しい。



 年寄りが周りの人間に飯を食わせたがる理由が



「イェーイ、ソーセージ爆弾喰らわせてやったぜー、あと、ニコ、お兄さんのソーセージはやめてくれ。条例に引っかかる」




「??」





「ほ、ホントに美味しいディス…… こ、これなら竜祭りに出しても……」




「ドロモラ、このソーセージ、竜祭までに何本仕入れることが出来る?」




「ふむ、保存は決して良いものではないからな。フロド山脈の氷を敷き詰めた氷箱に入れて保存すると考えても、だいたい100が限界だろう」




「……少ないな。金に糸目はつけねえと言ってもそれが限界か?」




「……今のところかかっている経費はすでに金貨17枚だ。これ以上かけるといくら竜祭の収益だけでは回収が難しいな」




「……ドロモラ商会的には、ペイバックが望めないかも、ってことか?」




「ああ、その通り。正直、竜祭への参加権を天使教会からもぎ取ってきたこと自体驚くべきことだが、それにしても経費をかけすぎだ。私はお前に利益的な価値を見込んで協力しているが、正直にいうとまだお前が信じるラザールの腕前をみたわけではない」




「へえ、まあ、たしかに」




「竜祭りまであと10日だ。そろそろお前の言う勝算、つまりはラザールの腕前を見せてもらってもいいと思うのだが」




「わかってるさ、ドロモラ。アンタは優秀な商人だ。ティタノスメヤの素材の件でアンタを引き込むことには成功した、そして次はアンタを引き留める、ラザールのパンでな」




「そうしてくれると助かる。お前達とはこれからも良い関係でありたいというのは本音だ。……商品力を見たい、ラザールの腕前が、トオヤマの言う通りのものであるかどうかをな」




「……そう言うと思ったよ。ラザール」




「心得た」



 遠山の言葉を受けて、ラザールがとぷりと当たり前のように影の中に消える。




 アイツ緊張してるな、遠山はわざわざスキルを使って離席したことからラザールの緊張を察する。




「ディス? トオヤマ、ラザールはどこに?」




「すぐにわかる、ストル」





「よっと、これでいいのかね。全く人使いが荒いったらありゃしないよ」



 遠山の言葉の後、また中庭に新たな人物が現れた。



 白髪の老婆、子供たちには優しいこのボロ宿の主人だ。






「あ! おばあさま! おはようございます!」



「あんら、ニコちゃん、今日も元気ね。この老人をこき使う男とは大違いだよ」




 老婆が遠山に向けて口を尖らせる。



「そりゃ人聞きが悪いな、ばあちゃん。言う通りにしてくれたか?」




「フン、業腹だけどアンタらは金をきちんと払う上客だからね。たく、長生きはするもんだね、まさかリザドニアンに石窯を貸すことになるとは思わなかったよ」




「ヒヒ、信用ならねーか?」




 悪態じみた言葉にはしかし、悪意はまるで感じられない。




「ふん、バカ言うんじゃないよ。ラザールみたいな良い子だったら文句はないさ」



 既にこの宿屋に逗留している期間で、ラザールの人間性はこの主人の心を開いていた。




 ぶっちゃけ、態度が冷たいのは遠山に対してだけだ。





「えっと、アニキ、ラザールさんは何しにいったんだ?」




「それもすぐにわかるさ、リダ」





「えーと、すみません、あのー場所ってここで合ってますか?」





 ゾロゾロと、人々が集まってきた。みんなそれなりに粗末な格好の市民たちだ。



「む? なんだね、君たちは?」



 ドロモラが眉を顰める、商人としてのサガだろうか、集まってきた人々があまり裕福でないことを嗅ぎとっていて。




「ああ、アンタらかい。そうだよ、今日の昼食はここだ。そこの生意気ボウズの奢り、らしいよ」




 老婆が集まってきた人々に答える、遠山を指さしてカラカラと笑った。




「なに?」




「よしよし、ばあさんきちんと知らせてくれたみたいだな。宿にお泊まりの方達だ。ドロモラ、アンタに面白いもんを見せてやるよ」



 怪訝な表情のドロモラに、遠山が笑う。




 本日のメインイベント。この2日間の努力を披露する時が来た。




「あ、良い匂い……」




「これ、パンの……」



 誰しもが知る優しい匂いが風に乗って。




 ボロ宿の煙突からはもくもくと昇る煙が少しづう薄くなってゆく。





「この世界に来て、俺が初めて食べた美味いもん。食べ物にうるさい俺が言うんだ、ラザールの腕前に間違いはない」




 遠山がニヤリと笑う。



 そして続々と中庭に集まってきた人々に向けて、声を向けた。



「お待たせいたしました、皆さん。天使教会が誇る、天使からヒトへの施し、ヒトの営みと天使の奇跡が生み出した良きモノ、つやつや、ほかほかの焼きたてのパンです」




「おおー、ノメ婆さんの言う通りか、みんなー、この兄さんがパンを奢ってくれるんだってよ」




 ざわざわとギャラリーがひしめく。



 人数は15、6人だろうか。



 遠山が宿屋の老婆に頼んでいたのはこれだ。




 中庭に、大きなカゴを抱えたラザールが現れる。



 尻尾をピンと立てて、カチカチと今まで見たことのないような硬い動きで歩いてくる。




「……上質な天使粉を使用し、混ぜ物は使わずにただ純粋に天使粉の素材の味を追求、暖めた石窯で外はさくっと、中はふわりと、焼き上げた一品、名前はトオヤマナルヒトがつけた」



 小さな声でボソボソとラザールがつぶやく。ギャラリーたちには聞こえていないだろう。それだけラザールは緊張していた。



「こ、これ、パンの匂いだ。え? これ、パン?」




「珍しい形だ……」




「これは、天使教会の指定するパンの形ではないな…… トオヤマナルヒト、このパンの名前は?」




 ラザールのカゴを覗いたドロモラがつぶやく。




 にいっと、遠山が笑う。カゴからひとつひとつ紙に包まれた小麦色に輝くそれを持って、言葉を紡ぐ。






「1919年、俺の地元では毎日食べられてなおかつ作り方は簡単、大量生産に向いているパンが必要とされた。田辺のおっさんが作り出したそのパン。天使粉と俺の知ってる小麦粉の性質が若干違うからな、ラザールにはなかなか無理を言ったが、ようやく完成した」




 パン文書館の知識、それは遠山の故郷のパンをも記録していて。


 そう、ニホンに生きる者ならばおそらく誰もが一度は口にしたことがあるだろうソレ。



 遠山鳴人のパン計画の初めの一歩にして、マスターピースとも呼べる"ニホン生まれのパン"




「名前は"コッペパン"。帝国のパンの歴史には存在しない、新しいパンだ」





「コッペ、パン……」




「う、うまそう…… な、なあ、アンタこれ、ほんとに食べてもいいのか?」




 キラキラ輝くそのパンにギャラリーたちがざわめく。香りと見た目は容易に人の食欲を刺激する。





「おお、もちろん。今日は俺らの奢りだ」



 遠山はそのパンを差し出してーー






「で、でも、作ったのって、その、リザドニアンなんだよな」




 その一言は、ぼそりと小さく。しかし速やかにギャラリー全員に毒のように染み込んだ。






「リザドニアンが作ったのか? 嘘だろ?」




「ど、どうする? あのトカゲが捏ねたパンって」





「…………」



 ざわ、ざわ。



 ギャラリーが、一歩引く。二歩引く。




「……………」



 ラザールが、目を一度瞬きさせて、それから少し俯いた。




「なるほど、こういう反応か」



 リザドニアン、その種族への差別感情を改めて遠山は目の当たりにする。とりわけ飲食が絡むとその感情はさらに厄介なものになるのだろう。





「……すまない、ナルヒト、やはり、俺だと……」



 ラザールがパンのカゴを抱えたまま、しょんぼりと下を向く。尻尾も力なく、地面にへにょんと垂れていて。




「いや、問題ねえよ、ラザール」



「だが、やはり、リザドニアン、俺の作ったパンなんて…… 誰も」




 しょんぼりトカゲになりつつあるラザール。朝早くから宿の石窯を借りて、仕込みを行っていた時の生き生きとした姿とは真逆の姿で。




「一つ貰うぞ、構わないな?」



 不意に、ひとり。



 ドロモラが、ラザールに近づきカゴに入った円錐形のパンを指さした。




「あ、ああ! もちろんだ!」



 パァと顔を輝かせるラザール、それを見てニヤリと笑う遠山、少し緊張した顔でパンを見つめるドロモラ。




 遠山は、ドロモラに仕込みはしていない。ラザールのパンの話も何もしていないのだ。




 だから、これから先はもう、ラザールのパンの出来次第になる。竜祭の屋台の行く末を占う前哨戦、ひいてはパン屋開業のため。



 ラザールの職人としての試金石が、今、ここで。





「お、おい、あのおっさん、受け取ったぞ」



「身内だろ? 俺はそれよりあそこで焼いてるソーセージの方がーー」




 ラザール、リザドニアンのパンに懐疑的な連中がざわざわしつつもその様子を見守る。




「……ローフブレドをかなり小さくした形のパンだ。天使教会の指定する白パンの一種か? これならまあ、教会のパン法に外れることはないだろうが……」




「まあ、いいからよ、ドロモラ。食ってみろよ、ウチのパン職人が日の出前から仕込んだ自信作をよ」






「………いただこう」



 たらりと小さな汗をかいているドロモラ。



 しばらくパンを見つめた後、意を決したように一気にがぶりと食らいつく。






 もぐ、もぐ。しばらく無言で、咀嚼。




 そのあと、ドロモラは動きを止めた。





「な、なんだ、これは」




 ぼそり、低い声が、ドロモラの口から。





「あ……」



 ラザールが視線を逸らす、何かを諦めるように項垂れて。





「ひひ」



 だが、遠山だけはただ、小さく笑った。













「う、まい」





「………………え?」



 ドロモラの言葉だ、ラザールの尻尾がぴゅんと持ち上がる。




 今、聞き間違いでなければーー




()()()





 ドロモラが、しっかりとつぶやく。目を見開き、信じられないものを見る目で、その手に握ったコッペパンを見つめていた。






「それに、何という柔らかさ…… し、しかも、噛めば噛むほど優しい甘味が……!?」



 もぐり、あっという間にドロモラが残ったパンを飲むように頬張り終えた。




「ドロモラ、アンタが、いや、この世界でまだ誰も食べたことのない製法、恐らくこの世界では本来なら誰も思いつかなかったかも知らない製法で作られたパンだ」




「さ、砂糖を生地に練り込んでいるのか? でないとこんな甘くならないはずだぞ!」



 遠山に詰め寄るドロモラ、すごい剣幕だ。彼は本気で驚愕、いや半分パニックになりつつあった。




 彼は砂糖などという高級品を、遠山たちに卸した覚えはなかったからだ。




「いいや、違う。天使粉の他に少し仕掛けはあるが、砂糖なんか使ってない、それが小麦本来の味だ」




「く、も、もう一つ貰うぞ! う、ま…… ど、どういう仕掛けだ、トオヤマナルヒト! パン特有の酢味が全くない! しかも、これだけ柔らかいのは…… パンとはもっと、()()()()()()





 二つ目のパンもあっという間にドロモラは平らげる。





 遠山はその言葉にニヤリと笑う。



 読みがあたった。



 天使粉による自然発酵のみで作られているこの世界のパンは、ラザールのパンよりも圧倒的に堅く、そして酸っぱい。



 天使粉の性質により、自然発酵でも膨らむパンが出来上がる、しかしそのパンはどれも硬く、ボソボソしていた。



 もちろん、遠山の口にはこの世界のパンは合わなかった。



 だが、ラザールのパンは違う。




「ドロモラ、うちのパン、柔らかいパンの味はどうよ」



 柔らかいパン。それだけでこの世界では商品として武器になる。そして、その武器の効果はーー





「……美味い、今まで食べてきた全てのパン、教会の指定する最上質天使粉を使って作られた白パンよりも、このコッペパンは、美味い…… な、なんだこの柔らかさ、柔らかいのに噛めば噛むほど弾力まで」




「それはな、もちもちしてるって言うんだ」



 効果は大、大なり。柔らかいパンはこの世界の人間の口にも合う。未知の味なれど、ウケる。



「わあ! 美味しそう! ラザールさん、私も頂くわ! ……ッッッ?!?! エン!!?」



 ぴょこぴょことニコが満面の笑みでラザールからパンを受け取り、頬張る。



 身体をびくりと震わせて、跳ねた。




「ど、どうした、ニコ!?」



「お、おいしい…… リダ……、みんな、食べて……」



「「「「……ェン!?」」」」




 ラザールのパンを口にした子供たちが目を見開いて固まる。身動きは止まっているのに、モグモグ動く口だけは止まらない。




 目をキラキラしながら黙ってパンを食べ続ける。




 ごくり。



 リザドニアンのパンを受け入れられない連中も、その様子を見て喉を鳴らしていた。



 彼らもまた決して裕福な層の人間ではない。家を持たず、この日雇いの仕事を繰り返しこのボロ宿に泊まっているものや、近隣の労働者達だ。



 腹はいつも空いている。目の前の男や、子ども達が美味しそうにパンを頬張る様子に心を動かされつつある。




 そして何よりそのパンの香り、見た目。




 揺れている。リザドニアンが作ったパンへの抵抗と、そのわかりやすい美味しそうと言う感覚に。



「……う、まそう」



 誰かが、ぼそりとつぶやいた。




 香ばしい天使粉の優しい香り、てらてら、ふっくら焼き上がった薄い茶色のパン皮。湯気のたつ白い生地。



 その全てが彼らの生き物としての本能に語りかけていく。そしてその本能と、リザドニアンへの偏見という理性が拮抗し始めて。




「ラザール、パン一個もらうぜ」



「あ、ああ」



遠山がパンを一つ手に持って、ギャラリーの前に立つ。




「お集まりの皆様、わかるぜ、皆さんのその不安。リザドニアンが作ったパンに抵抗がある、そりゃわかる。うーん、残念だ。これをタダで食えるなんて今だけの期間限定大チャンスなんだけどなー」




 ピコン。



 矢印が生まれる。指さすのは、今まさに迷っているギャラリーたち。




 遠山の話術ショーの始まりだ。



【スピーチ・チャレンジ発生】



【食レポ】



 メッセージが告げる、今、この場に必要なこと。ラザールは美味いパンを作るという仕事を当たり前にやってのけた。



 それなら、ここから先は遠山鳴人の仕事であった。





「き、期間限定って、どういうことだ?」



 ギャラリーの1人が言葉をあげる。




「言葉のままさ、俺たちは近い未来、パン屋を開く。ただのパン屋じゃない、この帝国には未だに存在していない、別の世界のパン、ありとあらゆる古今東西の美味いパンを揃えた最強のパン屋だ。今、アンタらはそのパンの試食のチャンスを与えられているんだ」




 遠山が手にしたホカホカのコッペパンから白い湯気がたちのぼる。





「「「「ごくり」」」」




 つやつやてらてら、ラザールのカゴからは変わらず香ばしい香りが辺りを包む。




「この宿の使い込まれた石窯を森林地帯で採った薪でじっくり火入れする。遠赤外線効果で、暖められたパンの食感は、外はサクサク、中はモチモチのふわふわ。良い天使粉を使ってるから、熱も逃さねえ。ほら」




 遠山が、手に持ったコッペパンを2つに割る。ぷちり、ぷちぷち。




 ゆっくり裂けていく白い生地はモチモチと弾力を持っている、割れた断面からさらにホカホカの湯気が立ち上り、優しい甘味の香りが強くなって。




「もぐり」



 それを遠山が一気に頬張る。



 やはり美味い。もちもちした生地は噛めば噛むほど甘くなる。



 近くに置いてある井戸水の入った桶から水を掬い、それを一気に流し込む。



「美味い! 口の中に満ちる天使粉のもちもちした生地! 香ばしい香り! これを冷えた井戸水で流し込んで、ッあー、決まった」




 暖かく、柔らかい後味が素晴らしい。



 やはり、美味い食べ物は豊かな人生に欠かすことは出来ないものだろう。



 大袈裟な食レポだが、ギャラリーはその様子から目を離さない。








「すげえ」



「あの生地、とてもきれい」



「うまそうに食うなあ……」



「ねえ、おかあさん、ぼく、あれ食べてみたい」



「そ、そうね…… で、でも、リザドニアンだし……」




 後もう少し。



 遠山は手応えのままに、最後のひとおしをかます。




「ちなみにこのパンを作ったうちの職人はリザドニアンだが、あの()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()男だ、身分は保証するぜ」




「リザドニアンが、天使教会の? そ、それは流石に無理が」




「ストル」




「ディス。皆様、こんにちは。私の名前はストル・プーラ。天使教会の人間ディス。こちらのリザドニアンの身分の証明は私が。この教会章にかけて保証するとお約束致します、ディス」




「まあ! あれ、天使様のおしるし!」




「教会の人間しか持てない印章だ!」



「で、でも、偽物とかじゃないのか?」



「バカ! んなことしたら教会に処刑されるぞ! それにみろよ、あの女の子のマントの下、銀の鎧! あれは教会騎士の正装だろ!」




「じゃあ、ほんとに教会の人たちなの?」



「ねーえ! パパ! 私、あの美味しそうなパン食べたい! 食べたい! あの子達もさっきからすごく美味しそうに食べてるもん!」




「う、うーん、そうだなあ」




 ざわざわ、ざわざわ。




「ひひ」




 帝国の人間は、流行りと権威に弱い。いつかドロモラに聞いたことのあることだがそれはどうやら事実らしい。



 天使教会という権威、つまりブランドが、リザドニアンという偏見を食い始めた。




 狙い通りだ。風評や偏見が足を引っ張るのなら、それを薄めてぶちのめすほどのハッタリをぶつければいい。



 遠山鳴人の大雑把な仕込みは、ほぼ完成した。あとは詰めだ。



 人は感情と利益で動く。



 リザドニアンへの偏見という感情は、天使教会というブランドで薄めた。




 あとは、利益ーー。それはとてもシンプルで、簡単なことだ。






「ちなみにこのコッペパン、パン屋開業後は最低でも銅貨2枚から3枚のお値段の所、今日だけはタダでーす。あ、数に限りがあるので、なくなり次第終了なのでお早めに」




「「「「「ーーーー」」」」




 無料。その言葉にギャラリーが、動きを止めて。




【スピーチ・チャレンジ】







「あ、あの! おひとついただいてもいいかしら? 子どもに食べさせてあげたいの!」





【食レポ、成功】




「ひひ、ええ、もちろん。一つと言わずにもう一つ。お嬢さんとお母さんで召し上がりください。ラザール! こちらの方へコッペパンを!」





「あ、ああ!」




「わあ! トカゲさん、大きなお目目! このパン、トカゲさんが作ったの?」




「こ、こら! だめよ、失礼なことを! ご、ごめんなさいね、リザドニアンさん」




「い、いえ、あの、ご婦人、お、俺、私が怖くないのですか? その、リザドニアンの作ったパンで本当に」




 気付けばラザールの尻尾が震えていた。



 遠山や孤児、そしてドロモラといった身内にパンを振る舞うのと、他人に振る舞うのではやはり違うのだろう。




 ラザールの恐れを遠山は眺める、だが何もしない。





「ふふ」



「え?」




「あ、ごめんなさい、その、話に聞いていたリザドニアンと、あなたはまるで違うものですから。とてもお優しいお方なんですね。天使様のお恵みと、それに仕える貴方の優しさに感謝を。パン、2つ頂けるでしょうか?」




「トカゲさん! はーやーくー!」




「あ、ああ! 喜んで! どうぞ、お口に合えばいいんだが」




「わあ、ありがとう! はむ………… ぴ、ピャアアア! なにこれ、なにこれ! さくさくのもちもち! ふわふわして暖かい! ママ! これ、美味しい!」




「……お、いしい。ほんとに、おいしい…… よかったね、ふふふ、リザドニアンさん、ありがとうございます、ほんとに美味しいです、踊りたくなるほどに」




「ーーあ」




 ラザールの動きが止まる。ニコニコと微笑む親子を眺めて、カゴを抱えたまま動きを止めていた。




 その男は、悪事に愛されていた。その運命は本来ならば、影を歩み、夜を駆け抜けて、闇に溶けゆく筈だった。




「お、おれも! リザドニアンの()()()()()() 俺んとこの子にもパンをわけてくれ! 食べさせてやりてえ!」



「俺っちのとこにも一つおくれよ! すげえ美味そうなパンだ! リザドニアンとかもうどうでもいいや!」



「あ、わ、私も! 私も食べたい!」



「僕も! パン食べたい!」




「パン屋さん! こっちも!」



 ギャラリーが、一気に湧く。リザドニアンの男は、自分の抱える籠、自分の作ったパンの前に人が集まるのを、呆然と眺めていた。




 誰かから奪い、手を汚し、温もりを奪う、それがその男の業()()()()




「ラザール、言ったろ? アンタのパンは美味い、また作ってくれってさ」




 だが、リザドニアンの男は、それと出会った。異物、この残酷な世界の中、笑いながら嗤いながら、欲望のままに進み続けるソレに出会って。




 ーー俺が作っておいた黒パンがある。食うかい?




 ソレに関わった。その時すでに、リザドニアンの運命は冒されたのだろう。



 拡大する自我、進み続け、辿り着こうとするその強欲の姿に、影と悪事に愛されたリザドニアンもまた、冒された。





「……ああ、作るさ、何度だって。作る、作り続けるよ、ナルヒト」




 縦に裂けた瞳が、潤む。うるんで、前が見えない。



 しかし、そのリザドニアンを目を拭ってしっかり目の前の光景を見つめる。




「うっま!! なんだこのパン! は、はははは、うめえ!」



「くくくく、ワシのパンが1番ぷっくり膨れておる! つまり、これが石窯の中央に位置され焼き上がった逸品! センター! ……美味っ」




「お、いしー!! パパ、ママ! こんなパン、僕初めて食べたよ!」



「ああ、よかったな、本当に美味しい…… パン屋さん! ありがとう!」




「やるなあ! リザドニアン! アンタのパンまじで美味しいぜ!」




「トカゲさん! ありがとう! パン、すっごく美味しいよ!」




 笑顔が、ただ、そこにはあった。



 リザドニアンがかつて望み、しかし諦めたはずの光景がそこにはあった。



 奪うだけの筈だった腕。殺しと悪事にのみ長けていた腕は今、しかし、誰かにぬくもりと笑顔を与えるものに変わっていて。




「ナルヒト、俺は、夢でも見ているのか? 俺の作った、リザドニアンの作ったパンをみんなが、ありがとうって……」




「リザドニアンの作ったパン、じゃねー。ラザールが作ったパンだろ、そんでこれは夢じゃねー、現実だ、お前が望んで、努力してたどり着いた現実だ」




「そうか……ナルヒト、ありが」



「まだだ、ラザール。ここじゃない、たどり着くべき場所はまだ、先だ」




 ラザールの言葉を食い気味に遠山が遮る。




「え?」



「夢があるんだろ? ()()()()()()()()ひひ、まだだよ、ラザール。ここは始まりだ、俺たちは、必ずそこにたどり着く。だからまだ満足して貰うと困るんだよなあ」




「……たどりつく、か。それならナルヒト、先程の話だが、はっきりと答えておこうか」




「あ? あー、狩りの話だろ? 後でストルとも話そうと思ッーー「答えはNO、クソ喰らえ、だ、トオヤマナルヒト」




「は?」




「アンタ1人危険な真似をさせて、それで俺は呑気にパン作りか? ふん、悪い冗談だな、到底そんな話には乗れないね」




「バカ、おまえ。見てみろよ、こいつらの顔。おまえは、パンでこれだけ他人を笑顔に出来る、奴、で」




 遠山が言葉に詰まる、ラザールの表情を見て、それ以上何も言えなくなった。




「トオヤマナルヒト、これはアンタが俺をここまで連れて来てくれたからだ。あの日、あの奴隷馬車の中で。アンタが俺をここまで辿り着かせてくれた」



「……この先もうまくいくかわかんねーぞ」




「だからこそ、協力するのさ。この話はこれで終わりだ。決してアンタを1人にはさせない、もう2度と、アンタを死地に置いていくのはナシ、だ」





「バカトカゲが。……人の言うこと聞く気ねーな」




「大バカヒューマン。人のこと言えた口かよ」



 互いに悪態をつく。でも、2人とも口元は綻んでいて。




「……どんなに現実がクソでもよー、それを願い、それに向かって進み、それにたどり着くことを目指すのは誰にでも許されている、か」



 昔、学生の頃ある人物が言っていた言葉を、何故か今遠山は思い出す。




 色々考えた。あの白蛇女は強く、本気で死を覚悟した。



 あの強さが、仲間に向かうのが怖かった、だから遠ざければいいと思っていた。今更気づく、それは前と同じ選択だ。あの現代ダンジョンで死んだ時と同じ選択だ。




 ならば、今回は。



 この現代ダンジョンライフの続きはーー



「ーーまあ、せっかく生きてんなら、好きにやるか、もう。わかったよ、ラザール。欲望のままに、"俺たち"、でたどりつくか」




 もぐり、美味いパンをほおばり、冷たい井戸水で流し込む。それだけで何故だろう、生きてて良かった、そう思えて。





「ああ、ついていこう、友よ」




「おう、相棒。これから忙しくなる。コンゴトモヨロシク」




 2人がどちらともなく突き出した拳を突き合わせる。




 ラザールが目を細めて、パンに綻ぶ人々の姿を眺める。



 遠山もパンを頬張りつつ、確信を新たに頭を回す。





 天使粉と、ドロモラから仕入れた麦酒の搾りかす、酵母を利用した生地の酵母パン。



 現代では当たり前の酵母によるパンの製造、しかしこの世界では歪な発酵の仕組みにより生み出されなかった製法だ。




「リザドニアンの旦那! アンタすげえな! このパンまじでうめえよ!」




「ちょいとアンタ、大したもんじゃない! もう一つパン頂いてもいいかしら?」




「リザドニアンのパン屋さんよ、こっち来いよ! 実はさっき普請の現場から貰った酒がある! 一緒に一杯やろうぜ!」



 ラザールに詰め寄るギャラリー、それは差別種族リザドニアンに向ける侮蔑や、嫌悪の視線ではない。




 美味いパンを作る腕の良い職人への賛美と尊敬の視線で。





「お、おっと、な、ナルヒト?」




「行ってこい、リザドニアンのパン屋さん。未来のお客様候補だ、味のアンケートでも取ってきてくれ」




 ギャラリーに引き込まれるラザールを見送って、遠山は木の椅子に座り込む。




 すっかり輪の中に入っているラザールを眺めながら、パンをもぐり。





「トオヤマナルヒト、ひとまず第一段階はクリア、と言ったところかな」




 すっと、現れたドロモラ。見ると顔が少し赤くなっている。その手にはワイン瓶が握られていた。



「だな、ドロモラ。ラザールのパンは本物だ。必ずこの帝国でもウケる」



「それは認めよう、彼のパンには力がある。全く帝国に来てから驚くことが多くて退屈しないよ。だが、トオヤマナルヒト、我々にはまだ課題が残っているぞ」




「へえ」




「……このパンには酒の搾りかすが必要だ。経費は普通の天使粉のみで作るパンよりも多くかかる。それに、教会が黙っていないだろうな。奴らはパンにはうるさいぞ」



 木のコップに赤いワインを注ぎつつ、ドロモラが静かな視線を遠山に向ける。




 それは遠山を試すような目でもあり、遠山に何かを期待しているような目でもある。




「ひひ、問題ねえよ、ドロモラ」




「というと?」




「いるじゃねえか、経費、金の問題と、教会の法。それらを全て1人で解決してくれるドラえもん見たいなら奴がさ」




「ど、どら?」




「安心しろよ、ドロモラ。3日後、俺たちの引っ越しの日に全て解決する。いるじゃねえか。商人よりも強欲でお金大好きで教会への権力も握っている素敵なスポンサーがな」




「……ああ、たしかに。彼女が、いたな」




「ああ、ラザールベーカリー創業のためだ。前回は脅迫だったが、今回は違う」




 パンの香りに包まれるお昼下がり。遠山鳴人だけはいつも通り健やかに、次のわるだくみを描いていた。




「ホームパーティ大作戦の始まりだ。天使教会の法を、ぶっ壊ァァァす!!」





 化け物と戦い、死にかけ、遺物の新たなるステージに踏み入れようとも、その男は変わらない。




 ただ、欲望のままに進み続ける。故に遠山は気付かない。



 ゆっくり、ゆっくり始まっていた己の変化に気づくことは出来なかった。




 飲み込んだ水が、やけに冷たい。胃の中に落ちた後も、その冷たさが体に染み込んでいく感覚を、今の遠山は気付くことが出来なかった。







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― 新着の感想 ―
美味しいパンて何も入ってなくても美味しいからなぁ。
お店で食べたふかふかであまーい焼きたてのパンを思い出してしまった
泣いた。
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