76話 サイドクエスト【石窯に火を灯せ】
ホットドッグのステマ。
………
……
…
〜天使教会 聖別室にて〜
「いーい? スヴィ、確認しておくわ。私たちはこれからあの厄介者の所に行って賃貸物件の引き渡しを行う」
「はい、主教様」
大きな鏡台の前。美しい新雪を固めて透かしたような白髪が、少女の手のひらの中で梳かれていく。
「それ以上でもそれ以下でもない。鍵の引き渡しと今月分の日割り家賃の金貨3枚を受け取ってそこでさようなら。ここまでいいわね?」
「はい、主教様」
天使教会最高指導者、主教、カノサ・テイエルフイルドと、主席聖女、スヴィ・ダクマーシャル。
天使教会の中でも最高位に存在する女2人が身支度を進めている。
「あんの欲深キツネ目野郎は必ず何か厄介ごとを持ち込んでくるわ、私の秘蹟がそう言ってるの。もうまじで速攻帰るからね」
「はい、主教様」
主教が糸のように細められた目を険しくしながら語るのは、これから向かう用事においての心構え。
謀うずまく貴族の連中よりも、交渉ごとにおいては厄介な、とある冒険者への賃貸物件貸付。
おおよそ聖職者とは思えない用事ではあるが、彼女はその用事にかなり力を入れていた。
「交渉ごとの全てはノー。もしも、私がなんかお金とかお金とかお金とかお金儲けの話とかに惹きつけられてたら、スヴイ、力づくで私を持ち帰りなさい、いいわね」
「……いいんですか?」
パッチイイイン、指を鳴らしながらキメ顔で言い切る主教。表情の乏しい修道服の少女が小さく声を傾ける。
「いいわ、今の私が許可する。数十分あとの私が金貨に負けたらあなたしか頼りにできないから、頼むわよ」
「主教様のお言葉のままに」
「シャア! 行くわよ! 貴族たちの会議はノルンが代わりに行ってくれたから問題なし! ヨシ! 今回こそ、あの畜生竜タラシが持ち込む厄介ごとをガン無視して、ティエルフイルドはクールに去るのよ!」
「……それが出来ればいいんですけど」
鏡の前で座ったまま気合を入れる主教。そんな彼女を見ながら聖女は小さくつぶやいた。
多分、クールには去らないんだろうな。聖女の呟きはしかし舌に乗って声になることはなかった。
………
……
…
〜同時刻、冒険都市アガトラ商業区、一等地に近い郊外の通りにて〜
奇妙な集団に、すれ違う誰もが視線を注いでいた。
黒髪の男に、リザドニアン、そしてはっとさせられるような美しい顔をした水色の髪の美少女。そして数人の子供たち。
なんの集まりなんだ? と言わんばかりの視線が彼らに注がれる。
彼らはそんな視線を全く気にせず、整備された水路に沿った道を歩き続ける。
「いいか、ラザール、作戦を確認する。これから俺たちはあの曲者スポンサー様の所に言って新しい家を受け取りにいく」
「ああ、ナルヒト」
黒髪の男、遠山鳴人が、パッチイイインと指を鳴らして声を向ける。その言葉にトカゲ男、ラザールがテンションを平坦なままに頷いた。
「だがそれだけではダメだ、今日ここで、俺たちのパン屋事業にあの女を巻き込む、いいか、ストル」
ぱちん、その指の音が次は銀鎧にマントを羽織った水色髪の少女に向けられる。
「はあ、今の私は、異端審問官トオヤマナルヒトの命に従います、ディス……」
髪と同じ、水色の瞳をなんどか瞬きさせて少女がしぶしぶ頷いた。
「OK。あんの銭ゲバ糸目女は危険察知能力が高い。俺たちの動きを把握していた場合、すぐに逃走する可能性がある、それを俺たちは阻止しなければならない。鍵もらって、日割りの家賃渡して、はいさようなら、じゃあ、まずいんだ」
「……なあ、ナルヒト、だが、またか? 前回の色街の件でも結果的にはうまくいったが、その…… また何か予定外のことが起きるんじゃ」
「ルァラザァァル! そういうことは口に出すな、いいか、余計なフラグを立てるんじゃない! いいか? 俺だって好きであの畜生ナマグサ銭ゲバにちょっかいかけてるわけじゃねえ。アイツがいつもいつも、金と権力を握ってるのが悪いんだ!」
ラザールの言葉に、遠山が大きな動きで腕を振り上げて声を荒げた。
「今、俺らのクリアするべき課題は2つ、竜祭でぶちかますパンの開発経費と材料費、そして天使教会のオカルトどもが設定している"パンに対しての法律"! この2つの問題を一気に解決出来る立場にあの愉快な女がいるんだ! 最悪の交渉相手だが、最速の近道なんだよ」
2日前、今はもう後にした宿屋でのパン試食会を終えて、今遠山たちはついに、天使教会主教から借りる家への引っ越しの日を迎えた。
そこに立ち合いに来る主教。
以前の夜遊び突撃の夜では半ば脅しに近い形で竜祭への参加を認めさせたわけだが、今回はついに、ラザールベーカリーそのものに、教会を巻き込もうというトチ狂ったことを遠山は本気で考えている。
「……トオヤマ、もういっそ、あなたのお友達の竜にお願いしてみてはどうディス? 教会に圧力をかけてくれと頼んだら、あの竜2人ならやってくれそうディスけど」
ストルがすぴーっとため息をつく。冗談のように軽く言っているが、その実、その方法は遠山鳴人にのみ可能で、そして恐らく成功の可能性も高い方法だ。
だが、遠山はノータイムで首を横に振る。
「……いや、なんか、それは違う。こう、うまく言葉には出来ないけど、アイツらに頼りすぎるのは良くねえ。なんて言うんだろ、始めからアイツらありきで動くのは良くねえ気がする。悪い、論理的じゃねえんだけど」
「あの2人なら、友人の貴方の言う事のほとんどを聞き入れてくれそうディスけどね」
「それでも、持ちつ持たれつ、だ。手全部任せるなんて、そんなん友達でもなんでもねーだろ。まあ、手助けくらいはしてもらうかもだけど」
実際、あの竜達に頼めばおそらく遠山が頭を悩ましていることのほとんどは一気に解決するだろう。
だが最初からそれを前提とした関係は不健全だ。借りるばかりの対等でない関係は遠山の好みではなかった。
「……まあ、ここで簡単に竜の力を借りるような人間が、竜に認められるわけもなし、ディスか。発言を撤回しますディス、騎士として竜を軽くみた発言でした」
「ストル、お前なんか今頭いい感じ? すげえじゃん」
「……ラザール、もしかして私今、バカにされてますディス?」
「すまない、ナルヒトには多分悪気がない。許してやってくれ、ナルヒトはもう手遅れなんだ」
3人がいつものように呑気なやりとりを繰り広げる。
元奴隷2人に、元教会騎士。しかも初めは本気で殺し合った仲。
「まあ、でも、あれだ。ドラ子の方はもう引っ越しの手紙送って招待しちまってるからな」
「え?! 蒐集竜様がいらっしゃるのディス!?ど、どうしよ、失礼のないようにしないとディス」
「昨日ナルヒトが説明していたじゃあないか。あ、ストルはそういえば引き算の練習で話を聞いていなかったのか。……ううむ、俺のパンがかの竜のお口に合えばいいのだが。……燃やされたりしないよな」
だがこの異世界で送る日々の中でそんなやりとりはもう日常になっていて。
「ふふ、ふふふふ」
「どした? ニコ?」
「ごめんなさい、すごくたのしくて。なにか、本当に夢みたいなの。おうち、私たち、これから新しいおうちにいくのよね」
「ついこの間まで、路地裏の隅が俺たちの家だったからな。正直、アニキ、俺もまだ全然自覚がねえ、引越し、ていうのがよ」
「……まあ、夜の番せずにみんなが寝れるのはいいことじゃないかな」
「ペロも新しいおうち、たのしみだねー」
「ダウ」
孤児達、スラム育ちの子供たちが口々につぶやく。
「……あー、がきんちょども。なーにしみじみしてんだよ。お前らにも新居に入ったあと色々仕事してもらうからな」
「はーい!」
遠山が意識して、子供たちにぶっきらぼうな言葉をかける。彼らはニコリと笑って、彼らをスラム街から連れ出した1人の冒険者に返事をした。
「ついた、ここ、か。……マジ?」
立ち止まる。貰っていた地図と、物件のスケッチを見比べて遠山が口をぽかんと開いた。
「おっと、これは、……」
「さすがは主教様の資産ディス、これ、家というより……」
「「「「お屋敷だあああ!」」」」
子供たちが目をキラキラさせて声を上げた。
豪邸。
石と木で組まれたであろう大きな屋根が、周囲を囲む石の塀から突き出ている。おそらく3階建てはあるだろう。
「すげえな、マジで。えーと、確か表の門から入って中庭で待っとけつってたな、え、中庭あんの?」
ぼへーと、遠山一行が豪邸の門に近づく。
重たそうな木で出来た門戸の前には、フルフェイスの銀の鎧の大男が2人左右に構えていた。
どこかで見たことのある鎧の作りだ。
「お待ちしておりました、トオヤマ異端審問官さま、ラザール審問官補佐様、……ストル・プーラ審問官側仕え殿。主教、カノサ・テイエルフイルド様はまもなくご到着です。どうぞ、庭園でお待ちください」
「あ、どうも……」
がちゃん、がちゃん。
「ラザール、ラザールやべえ、アルソッ●ついてるんだけど」
「それが何かは知らないが、警備付きだとはな。……さすがは天使教会主教、生半可な貸家ではない」
「騎士派の無派閥の人間ディスね。まあ、私たちの監視もあるかもディスけど」
「……ストルが頭良さそうな事言ってるってことは、あんま気を抜かない方が良さそうだな」
「どーゆう意味ディスか」
「わあ、すごい……」
「ひ、広い…… こ、これがアニキのもんになんのかよ」
「……ぼ、僕たちほんとにここ住んでもいいの?」
「おいおいおい、カルイザワのセレブの家じゃん。あの銭ゲバやべえな」
中庭もすごい。天然の芝がはりめぐされた大きな庭はフットサル程度なら余裕で出来そうな面積がある。
木のテーブルやイスも用意され、雨除けまで設置されている。ちょっとした公園にちかい。
「な、ナルヒト…… こ、これ……」
「あ? ……おい、マジか」
震えた声のラザール、遠山もまた言葉を詰まらせる。
公園の雨除けつきのベンチ、キャンプ場の炊事場のようなスペースには、ツルツルの石で象られたドーム型の釜が備わっていて。
「パン釜。ドワーフの工房に作らせた一点ものよ。石材はヒエノ山脈の石切場から良質なものだけを選んで使用、釜の底面にはワイバーンの皮膜を張ってるわ。屋敷の厨房にも一つあるわ。火を入れたのは数回だけど、まあきちんと使えるものよ」
「……こうはい、久しぶり」
背後からかかってきた女の声。気怠げだが知性を感じさせる女の声と、静謐な森の奥から届いたような小さな少女の声。
「おお、どうもっす、センパイ。ーーそれに我らが主教様」
遠山が振り向く。
修道服の2人。長い白髪を纏めた糸目の女と、身長の低い二つ編みの少女がそこにいた。
カノサ・テイエルフイルド、スヴィ・ダクマーシャル。
天使教会の最高位の2人。
「ふん、ここは公の場所じゃないわ、無理して形式ばらなくいいわよ。聞いたわ、ミトラ森林でのこと。また死に損なったらしいじゃない、竜殺し殿?」
中庭の椅子に腰掛ける主教、裾の長い黒いスカートきら伸びる長い脚を組み、ぷらぷらと揺らす。自分の家のようにリラックスした様子だ。
「耳がはえーな、相変わらず。おかげさまでまだ生きてるよ。まあいい。わざわざ家主様にご足労頂いたんだ。手続きを始めようじゃねえか」
遠山が同じく対面のイスに腰掛ける。木の触り心地もいい、かなり金をかけた調度品のようだ。
「そうね、と、言っても条件のすり合わせは済んでる。部屋の状態の確認は…… まあ、何か文句があったら後で言いなさいな。建てたのは半年前だし、特に傷もないはずだから」
「へえ……」
意外だ。遠山は主教のその言葉に目を細める。この女のことだから部屋の現状確認などを徹底的にやるものだと思っていた。
こちらが難癖つけたりはしないだろうという信頼の証かと一瞬考えたが、そんなわけはない。この女の優先するものなによりもカネと己の保身。
故に、その主教の言葉は遠山にとって違和感となる。
「さあ、トオヤマナルヒト。この書面にサインを。それでこの屋敷はアンタのものよ。とりあえず契約期間は半年。それ以降は更改していく形でいいわね」
聖女がすっと差し出した羊皮紙を主教が机に置いて指を指す。
遠山は未だこの世界の文字が読めない、だが様式を見ればサインの署名欄くらいはわかった。
ラザールに代読を頼もうとしてーー
「半年?」
主教の言葉に首を傾げた。
「ちょっと、嘘でしょ? アンタもしかして忘れたとか言わないわよね?」
主教が呆れたような声を出す。
「教会誓約書……」
隣にいたラザールが渋い声で、苦々しげにつぶやいた。
「そ、私たちとアンタ達が交わした最初の契約。この冬までにアンタ達が規定の白金貨を払えなかった場合、ここに記載されてあるラザールとトオヤマナルヒトからは自由意思が剥奪され、教会の、そうね、奴隷となる。……本当に忘れてたの?」
「あ」
忘れてた。色々なことがありすぎて、パン屋やら化け物との死闘やら、そもそもそれを始めた理由が金策だったことを割と本気で遠山は忘れていて。
「ナルヒト、アンタ、本気か?」
ラザールも、マジか、とばかりに遠山を見つめる。
「……お、俺がしくじったから……」
いつのまにか近くにいたリダが、ぼそりとつぶやく。そもそも教会誓約書とかいう悪徳取り立て屋も真っ青な契約を取り交わしたのは、スラム街での一件、瀕死のリダを救うために、聖女と取引したことが原因だ。
「あー、あー、書いた、書いた書いた。いやー
そうだった、そうだった。ここんとこ色々あったから少し忘れてたわ。なるほど、どちらにせよ下手したら冬には俺とラザールは金を返せなければ頭がパァになるわけね、家もクソもなくなるわけだ」
「そういうことよ。まあ、出来れば私個人の考えとしては、貴方がそうならない方がありがたいけど」
教会誓約書の効果は、債務不履行者から自由意志を奪うことにある。事実上の死刑のようなものだ。
どういった形で自由意志を奪われるのかはわからないが、この世界の不思議アイテムだ、どうせロクなことになならないだろうと遠山は予測している。
「ナルヒト、契約書をひととおり読んだが、特に変わったことはない。意外なほどに良心的だ。退去のさいには日割りしてくれるようだぞ」
「わお、優良大家じゃん。ひひ、安心しろよ。きちんと金は返す。そして家の契約もきちんと更改させてもらうよ。はい、サイン」
羽パンでサラサラと名前を記入して紙を渡す。
それを受け取った主教が、古代ニホン語で名前空間書いてんじゃないわよインテリ気取りが、とぶつぶつ呟きつつも、それを受け取った。
「ま、期待しておくわ。じゃ、私たちはこれで」「ン待てぃ、まあまあまあ、主教サマよー、なんかアンタ今日やけにすぐ帰ろうとしてるよな」
即座に立ちあがろうとした主教よりも先に遠山が席から立って機先を制する。
ぴくり、聖女がそれに反応するも、ストルがそれを牽制する形で誰も動かない。
「……こう見えても忙しいのよ、私たち。やることをやったから次の仕事に行かないといけないの」
主教が表情を変えずにつぶやく。
遠山は確信した。こいつ、長居する気がない。確実にこの前の夜遊びの一件で警戒されている、と。
だが、既にその対策も考えている。主教の性癖はあの夜店でリサーチ済みだ。
「……ルカ! ペロ!」
パチリ、遠山が指を鳴らす。
「………おねえさん。少しだけお話できませんか?」
「わー、キレーな白い髪! おねーさん、おしゃべりしよーよ」
遠山の指示、ラザールベーカリーの誇る可愛い顔をしたショタ達が、主教の近くに、とててと駆け寄った。
ルカはあまり表情が豊かではないが、縋るように上目遣い、ペロはにっこーと無邪気な笑顔を向けて。
「ンがッ、さっきから思ってたけど、か、可愛い男の子…… 帽子中性美少年に、金髪くせっけ子犬系美少年…… おのれ、トオヤマナルヒト」
ぎぎぎ、主教が鼻息を荒くしながら遠山を睨む。本当に案件になりそうであれば止めるつもりだ。
「……主教さま?」
冷たい声、スヴィの声に主教がはっと顔をあげる。
「ハッ、そうよ、私、負けない。私好みの美少年達を使って誘惑してくるなんて、なんてひれつなやつなの。そんな卑劣な男に負けないわ。帰るわ、私、約束がーー」
「商人ギルドと税金の会合だろ? たしかそれは夕方からだ」
ドロモラ商会を通じて、情報もおさえている。
「………ほんと、厄介ね、貴方。どこからその情報を?」
主教の声が低くなる。すっと、僅かに開かれた瞼の隙間には紫の色が染みていた。
「なに、親愛なる我ら天使教会の主教さまのご予定を把握しておくのも審問会の勤めさ。食えねえのはどっうちだよ、主教さま。心配するなよ、この前みたいにアンタの夜遊びを邪魔するつもりじゃないんだからよ」
そう、今回は脅迫ではない。必要以上に主教の弱みをつく気はあまりなくて。
「…………夜遊び?」
「ぁ、やべ」
遠山の言葉に、スヴィが反応。主教の顔が青ざめた。
「うん? ……もしかして、主教様、あんた、センパイにあのこと」
夜遊びのこと、まさか主教は言ってない、つまり聖女に隠して、それがまだばれていないのか?
そしてその青ざめた顔から、それがバレたら主教的にはまずいことを状況から理解する。
「おほほほほほほほ!! トオヤマナルヒト! 気が変わったわ! まあ、可愛い部下のお話だもの。聞こうじゃないのよ!」
急にフレンドリーになった主教。判断がやはり早い。
「………だめ、さっき主教様、自分が何を言ってもすぐに連れ帰れって」
「センパイ、そういえば知ってるか? この前、俺らが色街でさあ」
「うそうそうそうそ! ほんとさあ! 私ったらすーぐそういうこと言うからさあ! ね、スヴィ、大切な審問会のメンバーのご厚意だもの、ね?」
「……主教様がそうおっしゃるなら」
主教に促され、聖女もまた同じく席につく。
「はい、一名様ご案内、アンタらの力関係愉快だな」
「ふん、煩いわよ、この人でなし。つまらない話なら許さないわよ」
「楽しい話さ、ぶっちゃけた話をすると、金の出資と教会のパンに対する縛りの話だ」
「は? どういうこと? あなた、今度は何しでかすつもりよ」
「竜祭を獲りにいく、ラザールのパンでな」
「……ラザールのパン?」
遠山の言葉に主教が首を傾げて。
「ああ、美味いぞ」
「はあ、トオヤマナルヒト、正直、私、貴方は物の道理だけ、この世の仕組みだけは理解できてる人間だとは思ってたわ」
主教の言葉から、温度が消える。同時にそれはひどく乾いていて。
「あ?」
「ヒトには持って生まれた才能と役割があるわ。ヒトはそれを振るう為に生きていると言っても過言ではない。才能を与えられた者はね、その才能を活用しなければならない義務がある」
背もたれに大きく体を預けて、組んだ脚の上に手を構える。
それは冷たいシステム、天使教会主教としての彼女の姿だ。
「ラザール異端審問官補佐の才能は、影と悪事に愛されたこと。彼の才能はね、他者から奪うためのもの、決して呑気にパン作りなんかする為の人材じゃないのよ」
この世界の宗教システムのトップ。人に役割を求めるのは彼女の役割でもある。
「………主教様、あなた」
その言葉にピキッたらしいストルが一歩前に。
「いい、ストル、待て」
遠山がそれを制す。素直にストルは表情を険しくしたまま、後ろに下がる。
くすっ、その様子を見ていた主教が満足そうに少し笑った。
「へえ、ストルの手綱をきちんと握ってるじゃない。トオヤマナルヒト、あなたのそれも役割よ。この街においての異物、あなたはきちんと、あなたとして役割を果たしている」
主教の手入れされた指が、遠山、ストルを順番に指差していく。
「ラザール異端審問官補佐の才能を腐らせるような真似に私が手を貸すとでも?」
天使教会の主教として、彼女がラザールに見出した価値は、その隠形の業。帝国の総力をかけた追跡もかわし、彼女の手勢、審問会の羽よりも優れた闇に紛れる才能。
決して、パンなど作っている場合ではない。主教が言いたいのはそういうことだ。
ラザールの才能は、奪う者としてでありーー
「なるほど、一理ある。だが、主教サマよ、アンタは一つ見落としてる点がある」
だが、遠山鳴人の見解は違う。彼が見出したラザールの才能は、役割は、
「ふうん?」
「ラザールの才能は、人から奪うためのもんじゃない、人に与えることが出来るものだ。俺や、アンタとはラザールの役割は違うんだよ」
「……その根拠は?」
「それをこれから見せてやる」
彼が見出したラザールの才能は、役割は決して奪う者としてのものではない。
「ラザール」
「ーーああ」
リザドニアンの静かな返事、彼はもう知っている。彼の友人が見せてくれた、辿り着かせてくれた光景を。
自分のパンを美味しいと言って食べてもらうことが出来る事実を、既に。
遠山が、席を立ち、石窯の側に積んである薪を拾った。
「石窯に火を灯せ」
………
……
…
「美味しい……」
パチクリ。
聖女スヴィがエメラルド色の目を瞬きして、今自分が頬張ったもふもふのパンを見つめる。
コッペパン。たった今、庭園の石窯で焼き上げたそれを二口で聖女が食べ終わる。
そして、もう1人。先ほどまで冷たい目で才能がどうの、役割がどうの言っていた糸目の女。
天使教会主教、カノサ・テイエルフイルドもコッペパンを一口、小さく齧って固まっていた。
「………………………………………………オカネ」
ぼそり。小さな声、しかし普段は閉じられ感情の見えない紫瞳は今は開かれ心なしかキラキラしている。
それは果たして美味しい食べ物への感動か、それともそれで生まれるだろう利益を見越してのことか。
「すげえよ、この女。美味いもん食っての一言目がカネだよ」
「ここまで徹底してるともう清々しいな」
遠山とラザールはもちょもちょとパンを齧っては、オカネ……とつぶやく金の赤ちゃんへ目を細める。
チベスナのような虚無の目と細められたトカゲの目は雰囲気が似ていた。
「ほんとに、美味しい…… ラザールこうはい、貴方、すごい」
「お褒めに預かり光栄だ、聖女殿、よかったらお代わりがある、いかがかな」
ラザールがカゴに固めたコッペパンを差し出す。ホカホカのサクサクのそれを見たスヴィが頬を少し赤く染めて、コクリと頷いた。
「聖女センパイはこんなに純粋なのに」
遠山がスヴィを見てから、主教に視線を向けて。
「……この味、外はサクサク、中は柔らかい、いえ、未知の食感のはずなのに本能に訴えてくる心地よさがあるわ…… 発酵、いえ、祝福の時に発生する酸味もほとんど感じられなく、あるのは口当たりのいい甘味だけ、でも、これは砂糖の甘みじゃないわね、どちらにせよ、これは、売れる……、通常のこれより大きいロフブレドが銅貨5〜8枚、でもこの味ならこの小さなサイズでも同じ金額、いえ、下手したら大銅貨1枚でも売れる…… すんすん、天使粉の香りの中に、混じるこれは…… 酒精?」
「マジかこの女」
当てやがった。発酵の知識はあれど、酒の搾りかすを利用した酵母生地の知識などあるはずないのに、ぶつぶつつぶやく主教はそれを言い当てた。
「……トオヤマナルヒト、このパンは確かに素晴らしいわ。ええ、発言を撤回します。ラザール異端審問官補佐の才能は、これです。彼にはパン作りの才能が与えられている。謝罪を」
「い、いえ、恐れ多いお言葉だ、主教様」
素直にラザールに向けて頭を下げるカノサ。この柔軟性が彼女を敵に回したときの厄介さだと遠山は知っている。
「ラザール、安心するのはまだ早え」
だから、まだはなしがこれで終わりだとも思っていなかった。
「ですが、天使教会主教として、このコッペパンの存在を許すことは出来ません」
主教が静かに告げる。有無を言わさぬ圧力がそこに。
「ほらやっぱり」
「理由はわかっているのですね。このコッペパン、見た目こそ教会指定の白パンとあまり変わりませんが、製法に大きな違いがある。教会法ではパンは天使様からの贈り物、よって天使粉と水のみで作るように定められていますが、これは違う」
「……」
「おそらくは、酒の搾りかす、入手の容易さから考えれば麦酒でしょうか? それを生地に混ぜて焼きあげている。……教会法で認められた作り方ではありません」
コッペパンをちゃっかり全部食べ終えて、口をハンカチで拭いた主教が遠山を見つめる。
「異端審問官として教会に所属する人間でありながら遠山鳴人、なかなかに大胆なものですね」
「ああ、そうだな。まあ、こっちも色々考えたんだ。いっそのこと黙ってこの酵母パンを世の中に出してしまおうとか、ドラ子の竜としての名前を借りて強引にブランド化しちまおうとか、色々さ」
その視線、糸目の圧力を真正面から受け止めて遠山が言葉を紡ぐ。
「でも、それはやめた。真正面、正々堂々大手を振って、アンタを説得する作戦に決めたよ」
「ハハ、説得も何も、このパンは教会の法に認められていません。この話はこれで終わりだと思うのですが」
「………なあ、このパン美味かったか?」
「ええ、そこは偽りなく。ほのかな甘みにさくさく、あなた風に言えばもちもちしている生地はとても。しかしいくら美味しかろうと決まりは決まりーー」
パンの味だけで、この女は崩せない。
だが、それでもパンの味で、遠山は天使教会を動かすつもりだ。
「このパンは、はじまりに過ぎない」
「………はい?」
「コッペパン。これは確かにいいパンだ。食べやすく何より簡単に作れる、いわば量をたくさん作るためのパンなんだ」
「……何が言いたいわけ?」
主教の言葉遣いが崩れる、天使教会主教ではなく、銭ゲバとして遠山鳴人の言葉に疑問を抱いた証だ。
「コッペパンは、味を重視したパンじゃない」
「…………変な話ね、トオヤマナルヒト、それだとまるで、ラザールとあなたならーー」
主教の淀みない言葉のリズム、それが僅かに揺れたのを遠山は見逃さない。
「俺たちにはもっともっと美味いパンを作る準備がある」
「………………へ、え」
「俺の頭にあるレシピ、簡単に発酵する天使粉、そしてラザールのパン作りの才能。この世界に存在しえない、ああ、別の世界の古今東西ありとあらゆるパンを俺たちなら作ることが出来る」
「それは危険すぎるわ、だって」
「パンに自由さを許せば、誰かが"天使の祝福"の仕組みに疑問を持つ。そしてそれはアンタらが秘匿している発酵に誰かがいずれたどり着く。……そうなればあのキショク悪い天使とやらにどんな影響が出るかわからない、そんな所だろ?」
「なんだ、わかってるじゃない。そうよ、その通り。この世の真実、私たちヒトは、たまたま"天使様"という正体がカケラもわからない大いなる何かの気まぐれで生きているに過ぎない。そんなことが大衆にバレればどんなことになるかわかるでしょ」
そう、要はそういうことだ。教会が何より恐れるのは、パンの自由な制作を認めることにより、いずれ自力で"発酵"が発見されることにある。
そうすれば、正体不明の"天使"にどのような影響が出るかわからない。
「ああ、ロクなことになんねえだろうな。だからよ、主教様、ラザールの、このパン、教会御用達にしてくんね?」
「………は?」
それを解決する方法はシンプル。
遠山鳴人は、決して善人ではない。多数に進歩を、利益を分け与えることを求めているわけではない。
優先するのは自分と身内。つまり。
「これから先、ラザールのパンが世に出た後、必ず後を追うもの、このパンの秘密を探る者が出てくるだろ? だから、それを防ぐ為に教会に俺たちのパンを守って欲しいんだ」
酵母パンの独占。進歩を、発見を、大衆に行き渡らせる気など遠山には全くなかった。
「……教会のパンに対する法を捻じ曲げようというわけ? あなた達の商売の為に? はは、そんなこと罷り通るわけないじゃない」
主教は冷たく言い放つ。薄く開けられた紫瞳はわかりやすいように失望と侮蔑の色に染まっている。
だが、遠山はそれを見て確信する。
釣れた、と。
「主教様、よだれ、出てるぞ」
「…………失礼」
「アンタはもう気付いている、このパンの持つ途方もない価値に。そしてアンタは知っている、自分にはこのパンを好きに扱う権利があることを」
「…………」
「何事も大きな利益、利得ってのは物事の始まりに噛むか、噛めないか、乗るか、乗れないかで決まるもんだ」
「具体的に、あなたのその提案は?」
「俺たちラザールベーカリーのパンの売り上げの3割を直接アンタに分け与える、代わりにラザールベーカリーのパンには全て、"教会印"をつける許可が欲しい、このパンはそれで教会が認め、教会が背後についたパンとなれる」
「そうすりゃ、信心深い帝国の皆様はこう思う。このありえないほど美味いパンの秘密は、作り方が違うとかではなくて、より天使様の祝福を強く受けているからだ、なにせーー」
「教会の印が付いているパンだから、ね……」
遠山の言葉を補完する主教、身体がピクリとも動いていない。日向ぼっこをしている爬虫類のように指先から頭のてっぺんまで固まっている。
だが、唯一テーブルに置いた人差しだけは規則的に、曲がり、伸ばされ、曲がり。
「ご明察。主教様、俺たちは天使教会のブランドが欲しい」
「………………」
沈黙。
先ほどは拒絶のみだった主教の反応が明らかに変わっている。
最後の詰めだ。
人は理屈と感情で動く。
理屈はクリアした。あとは感情だけだ。
「ラザール、アレを頼む」
「承知した」
石窯から再びいくつかの焼き上がったコッペパンをラザールが慎重に取り出す。
「何を?」
「売り込み、それと聖女センパイにはお礼、だな。ラザールのパンを美味しそうに食べてくれたし」
遠山もそう言って、運んできたカゴからソーセージを取り出す。パウチなんて便利なものはない為、軽く燻して保存出来るようにしているものだ。
「ほんとに何を?」
「ソーセージ焼くの。ちびっこ達、この前教えた要領で火を起こしてくれ。石窯の燃えてる薪を火種にしてな」
「任せてくれ! アニキ」
「あ、俺もやる……」
「え、ええ……」
わたわたと子供たちが遠山の指示に従って動き出す。
遠山によって生きる術と目的を与えられた彼らはとても働き者であった。働けば認められる、それはスラムで生きる彼らにとっては夢のように遠いことでもあった。
「ニコ、トマト、あー違った、ポモドロを潰してペースト状にしといてくれ。ペロはシロの面倒見ておくように。ストル、ちびっ子達の様子を見守ってくれ」
「はーい、任せてよね、お兄さん!」
「りょーかーい、シロこっちだよー」
「だう」
「承知しましたディス、審問官」
テキパキとそれぞれが、それぞれの役割を果たす。
たしかに遠山たちがこの異世界の生活の中積み上げてきたものがここに。
「……すごい」
聖女が子供たちの仕事ぶりに小さくつぶやいた。
「俺が選んだ優秀な従業員だ。ラザールベーカリーはすでに開業の準備を終えている。ここまで来たんだ、主教サマよ、必ずアンタを堕としてみせるぞ」
「ほんと、厄介ね……」
流れる手つき、すでに膨らんでいたパン生地がラザールの手のひらの中で踊るように捏ねられる。
天使粉をまぶしつつ、まな板の上で転がされ、筒状に変わっていく。かと思えば、すとん、すとん、すとんと、小気味良い音共に切り分けられて。
「ナルヒト、生地の発酵、おっと、祝福の度合いもちょうどいい。焼成には20分もいらないだろう」
「OK、薪をもう少し足しとくわ。温度もきちんと上がってる。もう入れておいて大丈夫だ」
「アニキ! 火を熾したぞ!」
「ナイス、リダ。ルカ、燻製ソーセージを2本、串に刺して遠火でじっくり焼いてくれ。あ、この前ドワーフのおっさんから貰った手袋使えよ、火傷するぞ」
「……了解だよ、アニキ」
役立たずなど1人もいない、みなが仕事を果たしていく。
「この子達は、スラムの出身だったかしら、トオヤマナルヒト」
主教が静かに問いかける。
「…………!」
リダがびくりと、身体を震わせた。
「ああ」
「……白金貨50枚の価値があったと思う?」
その問い。スラムでの選択を問いかけるそれ。
「ッ…………」
リダとルカ、聞き耳を立てていた彼らの手元で、彼らが熾した焚き火が少しづつ、少しづつ薪に燃え広がって。
炙られたソーセージのテラテラの皮に炎が映っていた。
「まあ、妥当な金額だろ」
遠山に迷いはない。それが答えだ。
「そ、ならいいわ」
ふっと、一瞬だけ、主教が微笑んだ。
ぱちっ、ソーセージの皮が炎に舐められて弾けた。
「……焼き上がったよ、アニキ」
「あら、美味しそう。ソーセージの付け合わせにさっきのパン? 裕福なおうちのランチでもご馳走してくれるのかしら?」
「いや、この世界にない新しい娯楽の提供だ」
「お兄さん、ポモドロのペースト、刻み終えたわ」
「サンキュー、ニコ、ストル、なんか適当なサイズのレンガ2つ取ってくんない?」
「これでいいディスか?」
「どうもどうも」
遠山がカゴから取り出した鉄の調理器具を焚き火の上に寄せる。ルカから防火手袋を受け取り、火でそれを炙り始める。
「それは……」
「ドワーフの工房で作らせたフライパン。なんでもつい最近、北領のある街で作られて最近流行り出した調理器具らしいな。……人間ってのはよ、ほっといてと必ず進み続けるものだ。より便利に、より豊かに。その為に必ず工夫して、発見して、進むんだ」
ざり、ざり、ざり。
小さなナイスで遠山がまず岩塩を削る。薄く薄く伸ばすようにフライパンの上に広げたトマト、ポモドロペーストに塩をまぶして。
「それを進歩、と呼ぶ。誰にも止められない、ひとが人でいる限り、その歩みは止まらない。だけど唯一、それを停滞させる方法がある」
続いて、先日果物を煮詰めて作った果糖もどき。瓶に入ったそれをスプーン2杯分掬ってフライパンに。
「方法……」
「宗教だよ、主教様」
商会から仕入れた虎の子の香辛料を少し、ふりかける。
「俺の知っている最も宗教の力が強かった時代。人の進歩はその絶大な力と支配、人の宗教を信じたいという思いが、人の進歩をはっきりと妨げた」
遠山は歴史を語る。遠山のいた現代においては中世と呼ばれた時代の話を。
「その時代では、地球は宇宙の中心とされ、有能な女性は魔女と呼ばれ火炙りにされ、前の時代の叡智を悪魔の知識と呼んで焼き滅ぼし、先人が作れたものを理解出来ない故に悪魔が作ったとして滅ぼした、人類は間違いなくその時代、停滞していた」
星に手を伸ばした多くの人間は火炙りとなり、家族を思う女たちは魔女とされ水に沈められる。
宗教により起きた事実。
人の進歩を認めぬ時代。
「暗黒時代、宗教はそれを生み出す力がある。恐らく唯一、ヒトから進歩を奪うことが出来る存在だろう」
遠山の手元でぐつぐつとペーストが煮詰められていく。赤々と燃える焚き火の香りが心地いいが、火が少し強い。
熾火の偉大さがよくわかる。
「天使教会、お前らの力は絶大だ。俺は歴史に知っている、宗教を敵に回す恐ろしさを。だから、俺は選ばない、お前らを敵にはしない」
「あなたの目的には、私たちが邪魔なんじゃないのかしら」
「ひひ、ああ、そうだな。でも勝ち目は薄そうだ。だからお前らには味方になってもらうよ。これは、この世界でもいずれ、どこかの誰かがたどり着くはずだったであろう可能性。宗教により停滞させられていた新たなる進歩」
ラザールのパンを受け取り、子供たちが焼いたソーセージを焚き火から遠ざける。
人の進歩が許された時代、簡単な思いつきは時に世界を変えることもある。
それが、文化。
「ホット・ドッグ、竜祭でお披露目予定の帝国に存在しない新たなパン」
遠山がパンにナイフで側面に切れ目を入れる、ソーセージをすっと差し込み、ケチャップを垂らして。
「パンに、腸詰めを…… このソースは」
「ケチャップ。まあ、モドキだけどな。本当ならもっと精錬された砂糖と長い時間をかけて煮詰める必要がかある」
遠山が慣れた手つきで二つ目を拵える。
ホカホカの石窯パンに、焚き火で焼かれた熱々のソーセージ。真っ赤なケチャップをそれに垂らせば出来上がり。
「主教様、センパイ。どうぞ、召し上がれ」
「「ごくり……」」
シンプルに本能を刺激するその香りに、2人が唾を飲み込んだ。
「し、主教さま…… これ」
「……落ち着きなさい、スヴィ、こんなのパンに腸詰めを挟んだだけじゃない、こどもにだって思いつくような」
「だがこの世界では誰も試したことのない、試そうにも教会が禁じていたことだ。まだこの世界にないものだぞ」
「……舐めんじゃないわよ、トオヤマナルヒト。それでも天使教会の法は法。そう簡単にアンタだけ特別扱いするなんで甘い話があるなんておもわないこと「…………ァ」
「スヴィ?」
主教の言葉を聖女の掠れた声がさえぎった。
「………主教、サマ」
「え、あなた、さっきのパンは? どこかに置いたの?」
「………」
フルフルと力なく首を横に振るスヴィ。
「え、てことは、まさかもう食べたの?」
「ううん、……じゃった」
「は?」
「飲んじゃった…… ほっと、どっぐ…… のみもの」
涙目で、スヴィが嘆いた。
一瞬で、彼女はその新しいパンを食らいつくして。
「ひひ」
遠山が笑う。
とった、と。
「……天使様、貴女の忠実な信徒にご加護を」
ごくり。カノサも覚悟を決めて。
そのホカホカのホットドッグにかじりついた。
ぷちっ。ざくっ。もぐ、もぐ、もぐ。
「ーーーーーーー」
「ウ」
主教の口の動きが止まる。
「ナルーー」
ラザールが不安げに、遠山の名前を呼んで。
「問題ない、 ラザール」
遠山はただ、薄く笑うだけ。
「ゥんまあアアアアアアアアアアアアアあ〜い!!!!」
「え?」「イエス」
キョトンとするラザール、ぐっと拳を固める遠山。
「は? な、なに、なにこの、なに? 噛み付いた瞬間、ぷちっと奏でられた小さな音、例えるなら、そう! 金貨が金貨とぶつかり合って奏でられる音と同じくらいに、イイッ!! そしてその音の後に口の中に流れ込んでするジューシーな肉汁!! 普通の腸詰めからは考えられないほどの瑞々しさと滑らかさ!! 私が今まで食べていたのは、紙かなにかを焼いてたんじゃないかと錯覚するほどの、衝撃ッッ!!」
主教が、ものすごい勢いで叫ぶ。目は完全に見開かれ、震える手で持つホットドッグを見つめて。
「え、ええ……」
「よしよし」
「それにこの腸詰めの衝撃と余韻のあとに気付くっ!! パン、このパンの旨さ!! かじった所から溢れた肉汁が、パンの生地に染み込んでッ!! いや!それよりもこの皮! 噛み締めるとザクって言うわ!外はしっかりとした噛み答え! 内側の生地はもちもちとして!肉汁と合わさる! ハーモニー、ハーモニーだわ!そして、この腸詰めにかかってる赤いソースは…… ポモドロソース? いえ、違う、塩と砂糖、香辛料に刻んだオニオで味付けされて、なんとも言えない味に……」
「語彙豊富なやつが食レポすると長くなるな」
ごく、もぐ。
そして主教もあっというまにそれを食べ終えた。
「と、トオヤマナルヒト、こ、これは、あっ、私のホット・ドッグが、どこかに……」
「主教様、もうアンタが全部食ったぞ」
「ーーっあ」
「天使教会、お前らが止めていたこの世界の時代を、進める時が来た。俺たちラザール・ベーカリーに乗るか、そるか、主教様よ、アンタが決めてくれ」
「……"発酵"の秘密に関しては、教会の焼印をパンにつけることを条件に、この新しいパンに関わることが出来るのを教会だけにすれば漏出は防げる……か」
「答えは」
「…………………この新しいパンの秘密は異端審問会が預かります。いいでしょう、教会は、ラザールのこのパンを庇護することを約束します」
「主教様……!」
「イェース、言質とったぜ!」
「は、はは、ほ、ほんとに、上手くいった。お、俺のパンが教会の公認に」
「く、や、やっぱり厄介なことになりました、でも、このパンを教会の祝福税の対象にして、異端審問会のみの取り扱いにしてしまえば、実質市場の独占が教会によって完成する…… ふ、ふふふふ、………スゴイオカネ」
「主教様……」
「あら、ごめんなさい、スヴィ。こほん、トオヤマナルヒト。でしたらすぐに細かい条件の打ち合わせを。そしてこれからの事業計画を聞かせてもらってもいいですね?」
「ああ、勿論、実は、ホットドッグにはまだ仕掛けがある。竜祭のようなイベントだからこそ効く仕掛けがあってだな」
「主教様……、こうはい。わたし、その……」
遠山が色々話そうとしたところ、モジモジと聖女が呟いた。
「え? ……ああ。そうね。こほん、あー、トオヤマナルヒト、それにラザール。その、私たちは貴方達のパンを認めます、ですので、その、先程のホット・ドッグ、おかわり、頂いてもよろしくて?」
「ーーひひ」
ホットドッグすげえ。予想より遥かに、反応が良い。
「ああ! 喜んで、我らが天使教会の知恵と誇りよ」
ラザールが嬉しそうに会釈して。
「「「「よろこんでー」」」」
子供たちも手をあげて答えた。
ホームパーティで、天使教会の法はぶっ壊れた。
「ご歓談中大変失礼いたします、主教様、異端審問官様。正門に、お客様をお待たせしております。いかがなさいますか?」
がちゃ、がちゃ。重々しい足取りで門番が現れる。
きた、そろそろだと思っていた。遠山がうなずく。
「へ? 客?」
主教がきょとんと首をかしげる。
「ああ、そろそろだろ。主教様、1人このホームパーティに参加させてもいいか? 大丈夫、俺とアンタの共通の知り合いだからよ」
「共通の知り合い、誰……ーーあ、あなた、まさか」
主教が何かに気づいたように、わなわなと震えて。
「ああ、蒐集竜呼んでる。家が出来たら招待する約束しててさ。何度も助けて貰ってるからおもてなししないとな」
なんのこともなしに、ケロリと遠山が答えた。
「……ぬけぬけと。もし、私が貴方のパンの申し出を断っていたら」
「仮定の話だが、ラザールのパンを竜が気に入った場合は、手助けくらいしてもらったかもな。ドラ子と2人でアンタともう一度話してたかもしれない。俺と竜の、2人で」
ニヤリと笑う遠山。おんぶにだっこされるつもりはないが、竜と2人で主教とお話するのも、なんか友達みたいで楽しいかも、そのくらいのテンションで色々考えていた。
「アンタ、ほんといつか燃やされる…… いえ、それはなさそうね」
「まあ、そうならなかったからセーフ。悪い、少し席外す。ラザール、我らが主教様とセンパイにとびきりのホットドッグを。あと金ピカドラゴンが小腹を空かせてやってくる、アイツの分も焼いといてくれ」
「承知した!」
遠山はラザールに声をかけて離席する。
ドラ子に会うのも久しぶりな気がする。
「こちらです、異端審問官殿」
「はい、すぐ行きますよっと」
門番に同行し、遠山が玄関に向かう。いつになく、上手くいった流れに少し気がうわついている。
これでパン屋開業のための大きな関門はクリアした。あの時、教会という権力に近付いた判断はやはり間違いではなかった。
異端審問会という組織に属していなければ、いくら主教へのメリットを用意していてもこんなに上手く話は進まなかっただろう。
「門番さん、あんた達はずっとこの家の番を?」
ふと、遠山は高揚した気分のままに、先導する衛兵へと声をかける。
「はい、主教様のご指示です。異端審問会の皆様がご入居した後も、ここには衛兵が数人つくことになっております」
「へえ、そりゃありがたい」
「有料ですが。後ほど主教様からお話があるはずです」
「うわー、そういうことやるよねー」
まあいい、値段にもよるが子供たちを置いていく心配もある。門番はいた方がいいだろう。
「門の向こうにおられます。開門いたしますのでお待ちください」
「はいよ」
門番が門の開閉のために、そばを離れる。
遠山は門の前に立ち、ふと思う。
考えればここまで長かった。奴隷からスタートして、竜を殺して、他の邪魔者全て始末して、ここまでやってきた。
「異世界転移して、奴隷になって竜を殺して、竜と友達になって、屋敷に住む、か」
考えてみれば、割と、いやかなり上手くやってきたのかもしれない。
だが、何度も死にかけた。特に前回の白蛇女はやばかかった。
これからも同じことがあるかもしれない、だから今よりもっと、もっと必要だ。
「金、力、たどり着くためにもっと、もっと」
そのために教会と手を組んで、そのために夢の中の奇妙な存在を受け入れた。
だがそれでも不安は残る。今まで生き残れた理由、それが
「ただ、俺は確実に運が良かった。でもそれじゃ限界が来るよなー。もっと、もっと、確実に、この世界で生き残ってたどり着くためには」
力が欲しい。失わないために、進むために、奪われない為に。
遠山の欲望は、次の段階に進もうとしてーー
「開門、かいもーん! お客様は門に触れないようにお気をつけください!」
門番の声が響く。
ふと、独り言と考えをやめて気を取り直す。まあ、今はいいか。
竜の友達が自分の屋敷に遊びにくる。冷静に考えたらファンタジーオタクとしてはめちゃくちゃアガるイベントだ。
俺は、一つ一つたどり着いた。また、一つ一つ積み重ねていこう。遠山は深い場所に潜るような思考を切り替える。
ドラ子の奴、ホットドッグ食べたらどんな反応するかな?
竜の食レポを少し思い浮かべて、遠山が笑う。
ーー門が、開いた。
「よう、ドラ子、よくきた
……………あ?」
遠山の声がしりすぼみ。柔らかく砕けた笑顔が、真顔に変わる。
「あらあら、家主様直々にお出迎えなんて恐縮してしまいます! ふふ、初めまして、"竜殺し"さん」
「…………あ? 誰、だ?」
門の前にいたのはドラ子ではなかった。
笑顔を、浮かべた、緑髪の女。見覚えがないのに、どこかで似た顔を見たことがある、そんな感覚。
「まあ、これは、失礼致しました。名乗りもせずに、ご自宅に訪れるなんて非常識ですよね、ふふ。あなたに一度お会いしたくて、この街を歩いていたら、偶然、ここを見つけましたの、ええ」
女は笑う、何がそんなに楽しいのか、何がそんな愉快なのか。固まる遠山と対象的に、コロコロと、何が起きても楽しい年頃の少女のように、女が笑う。
「偶々目についたお屋敷に"竜殺し"様がいらっしゃるなんて、驚きました。ふふ、本当にーー」
ニコニコと浮かぶ笑顔。
それが一瞬、動きを澱ませた。春の麗らかな日差しの下に一瞬だけ、雪が降ったような感覚。
「"幸運"にも、ね」
どこまでも、どこまでも。その女は話を聞かずに、ただ笑うだけだった。
読んで頂きありがとうございます!ブクマして是非続きをご覧ください!
来週はエルデの王となる旅に出ている可能性が非常に高いため更新なかったらすみません、狭間の地でお会いしましょう。




