天久隼人の受難
天久家が新たに生まれ変わる日に立役者であるはずの彼女がいない。
そのことに首を傾げつつ、いつもなら声を掛けることすら躊躇う人に説明を求めてしまった。
彼女のおかげで、恐れ多いというイメージで話しかけるのも憚れる存在であった天久分家まとめ役である政人さんにこちらから話しかけるなど今までない事行ってしまった。ーー政人さんにも感情が有ったのだと、勝手に恐れ多いと判断し遠ざけていた人のイメージを一夜にして崩した彼女は偉大だ。
ただ、ちょっと変わっている子なので心配なことも確かだが。
「政人さん、何故、『お狐様』への祝詞や『真名』を捧げている遵を支えるべき小鳥さんがこの場にいないのでしょうか」
………嫌みのつもりでもなく、ただ素朴な疑問だった。まさか、政人さんが俺程度の指摘に目を丸くし、言葉に窮し、反論らしい言葉すら考え付かずに
「……あれは、必要か……?」
と苦々しく逆に問い返されるという事態に俺は驚いた。
必要か必要でないか。ではなく、この場に居なければいけないのではないだろうか。
「『お狐様』が選んだ方でしょう?」
「あれに天久家に嫁いで欲しいのか?」
「ですからー…」
「架空の人間は嫁げんぞ」
ポンッと肩を叩いて去っていく政人さんに首を傾げる。ーー架空の人間?
呆然と去る背中を見つめながら、次に視界に入った小中高と同級生だった志鶴に話しかける。
彼は、水色の髪と瞳をした子供に足元をうろうろされ、とても困っている表情をしていたので俺がその子供の相手を申し出ると、志鶴は最初、難しい顔をしたが、その子供が無邪気に俺に抱きついてくると、「……頑張って」と意味がわからない言葉を残し、『お狐様』への祝詞を急ピッチに造りあげた祠の前で、真剣みもなく平気な顔で捧げる遵のもとへ行ってしまった。
俺は子供が好きだし、弟が実家の商売を継ぐから。と、義務教育を終えてすぐに実家を継いだので、俺は素知らぬ顔で大学に通い、教職の資格を得て小学生を相手に教鞭をふるっているので子供の相手は苦痛ではない。
人間向き不向きがある。
商売とか俺には無理だ。が、『お狐様』のおかげで家が潤っていたのは確かだ。両親は商売上手じゃなかったのに赤字がほとんどなかった事と、両親は、『お狐様』を本当に信仰していた。
俺もそんな両親が好きだったし、護ってくれてると何度も話しに出てきた『お狐様』に悪い印象はなかった。……弟は違うようだったが……。
実をいえば『お狐様』の寵愛が血の濃さではないのではないかと俺は思っていた。
なんとなくそう考えていたのは志鶴の存在が有ったからだ。志鶴より、政人さんの方が大成している。
志鶴は商売上手だし、一生懸命『お狐様』を信仰していたが、弓鶴おじさんの件で少し『お狐様』と距離が出来ていた。
政人さんは、対面が出来ずとも何かあるたびに『お狐様』大事という態度を一貫していた。言葉がトゲトゲしい場合もあったが確かに天久の神を尊重していたのは政人さんだった。
だから『お狐様』は政人さんを無意識に贔屓していたのだろう。が、それは『契約書』とは異なる事だ。
『契約書』の取り決めを無視するのは、神にとって本当に負担になることらしいが、『お狐様』はそんな事は知らなかったらしい。『鶴』のおかげで力の供給が出来たせいで、無意識に『穢れ』を誘発していたらしい。
そして、『鶴』も天久の分家への恨みを無意識に『お狐様』に流していたらしい。………破たんが静かに迫っていたのかとおもうとゾッとする。
子供の抱き上げると嬉しそうに俺に抱きつき、笑うので人懐っこさに笑んでしまう。
かわいい子だ。
しかし、誰の子供だろう?
「儀式は退屈かな?」
「我の為の儀だ。平気だ」
………何故、老成したような口調なのだろう。
「『お狐様』も今日からゴン様か……まったく、遵の奴は」
「気軽にゴンと呼べ」
この子は何を言ってるんだろう。
『お狐様』をゴンと呼び捨て……恐ろしすぎる。が、子供は頷いている。
「良い名だ。我が長く『お狐様』と呼ばれていたので、遵が合っていると判断したのだろう。ごんぎつねという話があるのだろう?」
ちょっと、志鶴に助けを求めて視線をさ迷わせる。
この今、俺が抱き上げている小さな子供の正体を悟りたくない。
「あ、隼人さん、おき……ゴン様のお相手ですか。ご苦労様です」
そう言って立ち去っていく俊平に恐る恐る抱き上げている存在に問う。
「……『お狐様』?」
「ゴンだ。真名を呼ぶがいい。我の神気が大丈夫ならば、お前の信仰は本物だということだ」
くらり、と目眩を感じた。確かに俺程度の血筋が呼ばれたというのに一部、天久の重鎮が居ないのは、何故だと考えれば、天久の神の気に当てられても大丈夫な人間のみ呼ばれたのだろう。
「どうした。もっと頭でも撫でてみたいのか?」
「いいえ!とんでもありません!!」
こてん、と首を傾げるゴン様をどうしようと血の気が引きつつ、辺りを見回すと、あー疲れた。と遵が……っ。
「じゅ、遵!お、ごんさまを」
「あ、隼人さん、お疲れー。ゴン様、子供と信仰深い人は、触っても大丈夫になったらしいから。構ってやって」
「いや、だからな」
「なんかー、市長が聞いた限りだと座敷わらしだったみたいなんだけど。『この土地』に来て、天久に大事にされてたら神になってたんだって。まだ、若い神様だから、甘やかしてやって」
「うん、だから」
「政人さんもさっき頭を必死に撫でてたし、嫌じゃないみたいだし」
絶句した。
なんだそれ。正直想像しただけで怖いのだが。
その隙ではないが、じゃあ宜しくとばかりに去っていく遵。
「どうした、隼人」
「ふ、不敬ではと」
「そうか?我は、ずっと、『鶴』以外にも頭を撫でてほしかったが?」
何かを懐かしむように目を細め、
「そういえば、弓鶴も昔は撫でてくれた……我より救いたい者が出来たと言い出す前は……」
「それは……」
残酷な言葉だ。
この神には『鶴』しかいなかったのに。
そんな言葉を聞かせた先代の『鶴』に政人さんが怒り狂った理由もわかる気がする。
「我は、自分の望みがわからなかったー…だから、弓鶴に呆れられたのかもしれぬ」
「ゴン様……」
どうしよう。切ない話なのに真名を呼んだら一気に台無しにされた感が半端じゃない。
「これから先はー…」
「はい」
「贔屓したいものを贔屓したいだけしようと思う。うむ、何かその方がいいような気がしてきた」
ーー実家に帰ったら、すぐにうちの商売がどうなっているのかチェックしなければ。