老師
横薙ぎの一太刀がシロの眼前に迫っていた。
「くっ!」
シロはそれを仰け反りながらも、どうにか躱し体勢を立て直す。
逃がさないと宣言をし、なんの躊躇いもなくカインズは剣を向けてきた。今はこうして追われてはいるが仲間に剣を向けられてシロも若干ではあるが戸惑っていた。
「カインズさん……」
シロの呟きにカインズが口を開く。
「シロ君、君は自分の意思を貫く為に…。私は、私の信じるものの為に動いている。……なら言葉など不要だろう」
それはこの場では戦う以外に道はないと言っているのだろう、カインズは剣を構えるとシロが構えるのを待っていた。
彼を目の前にしてシロはカインズから発せられている圧力に気圧されてしまっていた。シロがカインズの戦っている姿を見たのはクレアノでの官吏の屋敷でレクトと対峙した時だけで、その時カインズは屋敷の警備に就いていた衛兵達を無力化した後でかなり消耗していたのだ。
だから万全の状態でのカインズと対峙して初めて理解する、もしあの時カインズに余力があればレクトを追い詰める事が出来たのではないかと……しかし今はそんな事を考えている場合ではなく、その頼もしい存在がシロを追い詰める側として目の前に居るこの状況はかなり不味いだろう。
(俺がカインズさんに手傷を負わせる事が出来るかどうかは別として、やっぱり極力戦わない方向でいきたいな……)
そんなシロの迷いを察したのかカインズが一瞬で間合いを詰めると剣を振り下ろした。
(はやっ…!)
辛うじてその一撃を横に避けるが、カインズはその縦振りの剣を途中で止めると剣の腹で横に薙いできた。
初撃の回避がギリギリだったシロは当然それを避けられずに腹部に直撃を食らう。
「がっ――は!」
そのままゴロゴロと転がりシロは腹の痛みに耐えながら息を吐くと、どうにか起き上がる。
その様子を見てカインズが少し呆れた様に溜息をついた。
「今のを受けてすぐに立ち上がるなんてシロ君はなかなか頑丈だね」
それは一撃で動けないようにすることで必要以上に傷付けまいとするカインズなりの気遣いだったのだが、シロが普通に立ち上がったのを見て考えを改める。
「今ので勝ち目が無いのが分かったのなら抵抗は止めてもらいたいな」
「悪いけどそういう訳にはいかないんだよねぇ~」
「そうか……残念だ」
それはカインズにとっても予想通りの言葉であったが、それ故に気が乗らなかった。
「なら君の足を切り落としてでも、ここに留まってもらうとするよ……」
カインズの言葉にシロの背筋に冷たいものが走るが、それに気圧されるだけでは駄目だと魔力を練り始める。
それと同時にカインズが身を低く屈めると前へと出てシロに剣を振るう。カインズの狙いは言葉通りシロの右足だった。
カインズの動きは速すぎてシロは回避が間に合わない。だがそれは先程の攻撃から理解できていた事だった、だからシロも慌てることなく準備しておいた手札を切る。
カインズの斬撃から逃れるように右足を咄嗟に引きながらシロは右手を前へと出した。
シロの魔法が展開されカインズの剣は狙いを定めた右足に届く前に防がれた。しかしカインズは動揺した様子もなくシロの展開した消壁に目を向ける。
シロの魔法を何度か見る機会があったカインズは、シロの魔法が基本として前方へと展開する防御系の魔法だと把握していたため、その前方に現れた壁を避けて再度シロに攻撃を加えれば良いと考えていたのだがシロが展開した消壁がカインズの予想していた物とは形状が大きく異なっていた為、その動きを止めてしまっていた。
「シロ君それは……」
それは本当にシロの魔法なのかと聞こうとしたのだろうが、カインズはそこまで口にすると一旦シロから離れる。
距離をとったカインズはシロが手に持つその魔法から目を離せなかった。
シロの魔法は透明に近い物で構成されているため、その形をはっきりとは視認できないが剣のような形を成しているのが分かった。
虚を突かれ咄嗟に距離をとったカインズだがシロが持つ物が通常よりも硬度の高い剣だと判断して、今一度攻撃の態勢に入り前へと出ると剣を切り上げた。
そのカインズの攻撃に合わせる様にシロも大きく剣を振り下ろすと、カインズは剣を横にしてその一撃を受け止めようと構えた。
(…むっ!)
しかしカインズの持つ剣に受け止めたような衝撃はなかった。
それもそのはずで剣同士がぶつかる瞬間にシロは魔法の展開を解除していたのだから当たるはずもなかった。
「はあぁぁぁ!」
そして剣を上に構えていたせいで隙だらけになったカインズの腹部をシロは全力で殴りつけた。
避ける事もままならずにシロの拳を何発も叩き込まれカインズは吹き飛ばされる。身体強化で強化した拳で殴りつければ岩も砕ける威力をその身に受ければもはや動く事も出来ないはずだが、それは生身の人間が相手の話であってカインズはその例から漏れる。
ならばここで動けないようにしなければ逃げる時に御堂やクロネの障害になりかねないので加減はできないとシロは倒れたカインズに追い討ちをかけようとするが、そこで急に足の力が抜け、その場に片膝をついてしまう。
「なん…だ?」
カインズと対峙して気を張ってはいたが急に動けなくなるような消耗などしていないシロは疑問の声をあげるが、この場でこのような不可思議な事が起こったのなら原因は一つしか考えられなかった。
「これは…カインズさんの仕業ですか?」
「そうだ」
短く答えるとカインズが立ち上がり膝が地に着いていない方のシロの足を躊躇なく斬りつけた。
「―――づ!」
灼けるような痛みが足を襲うと同時に血が溢れ出してくる。その痛みに耐えながらシロはカインズを睨みつける。しかしカインズは顔色一つ変える事なくシロを見下ろす。
「これも仕事なんだ、悪く思わないでくれよシロ君」
そしてシロの意識を刈り取るためか手刀を構えてくるが、シロは足だけではなく体全体が鈍く重くなっていることに気付く。消壁を出そうにも魔力も上手く練ることができないでいた。
抵抗も出来ずこれで終わりか、と諦めかけた時だった、頭上からなにかが崩れる大きな音が響いてきた、その音にシロもカインズも上を見上げる。
この場にいるシロでは知り様もないが、この時城壁の上でグローウィルが城壁の一部を崩し御堂の足止めを行っていた。
「まったくグローウィル殿も加減というものを知らないですね、あんなに暴れては後で国王になんと言われるか……」
事情を知っているであろうカインズがそう漏らす。そして御堂の元にグローウィルが向かったと知ったシロは御堂の身を案じる。
(御堂さん……。殺されはしないだろうけどミリアナさんの祖父となると強いのは間違いない…無事ならいいけど。――――と心配する前に自分の方をどうにかしないと!)
突如野出来事で時間が稼げたシロは僅かに動くようになった身体に魔力を流して、まだ上を見上げていたカインズに拳を向けた。
完全にシロから意識をはずしてしまっていたカインズの顔に拳がめり込む。それでも咄嗟に半歩退がり威力を軽減するのはさすがとしか言いようがない。
「っつ! さすがに諦めが悪いよシロ君!」
「以前はこんなんじゃなかったんだけどね。こんな風になったのもきっとルシアの影響なんじゃない…かなっ!」
こちらに来る前は危険な物事には首を突っ込まない性格だったのに、気付けば自分から血生臭い事案に関わる事が多くなっている気がする。とは言っても結果的にそうなっているだけなのだが、それでも自覚があるほど自分に変化があったのには驚きだったとシロはそんな事実に心の内で笑ってしまう。
言葉を交わすとカインズが剣で突きを放ってくる。
殺さないように突きを放つとなると狙う場所は限られてくるので、シロはその剣の軌道をきちんと確認し予測する事で、その刃先を両手で挟むと傷む右足を軸にしてカインズを蹴りつけるが剣から手を放して回避する。
シロはカインズが手放した剣を持ち直して向かい、その剣に全力で回転を加えて投げた。
「くっ!」
真っ直ぐに飛ばしただけなら受け止められてしまう可能性があったが、回転させる事により掴むことを困難にさせて隙を作り、今度は全身に身体強化をかけて肉弾戦を仕掛ける。
お互いに殴り合いよろけながらも殴り続けるがカインズは困惑している様子だった。それを見てシロが攻撃の手を緩めずに口を開く。
「全身に魔力を通してあります。だから完全とはいかなくても、さっきのように簡単に体の自由を奪うことはできないですよ」
「そうか……君の魔法は相手の魔力を否応なしに消してしまうんだったね。たしかにそれでは少しずつ動きを抑えることは難しいな」
そういうとカインズが後ろに飛び退き陣を展開し、そしてシロもいつでも魔法を展開できるように集中する。
カインズの展開した魔法陣は紫色の強烈な光と轟音を発生させた。
「なっ! これは雷……?!」
攻撃がくるとばかり思い込んでいたシロはカインズの放った雷光で一時的に視力を失ってしまっていた。そんなシロの後ろを取るのは容易な事でカインズはそのまま無防備な首筋に手刀を叩き込み昏倒させた。
「ふぅ……殺さずとは言え、ここまで苦戦させられるとは思いませんでしたよシロ君。やはり君にルシア様を任せて正解でしたよ……ですが今回の件は君にはどうする事もできない、だから暫らくの間は大人しくしていてくださいね」
誰も聞いているはずもないカインズの言葉が終わると、そこへ楽しそうな表情で上から軽やかに飛び降りてきたグローウィルが現れる。
「随分とやられたではないか」
「ええ、私もまだまだですな」
そう言うカインズもどこか嬉しそうな顔で返すと、すぐに難しい表情になる。
「それよりグローウィル殿、上で何を仕出かしたのですか? 先程の音から察するに戦闘を行ったようですが苦戦ですか、貴方らしくない」
「若いもんを見たら試したくなっての、中々に楽しめたわい」
「ほっほっほ」と笑いながら答えるグローウィルの発言にカインズは頭が痛くなる。彼の実力なら取り逃がすという事にはならないだろうが、敵でない者に対して遊びが過ぎるというのは昔からの悪癖であると騎士である者なら誰もが知っていることではあるが、どうやら今回もそれで上で暴れていたのだろうと容易に想像がついてしまう。
「まぁ、きちんと国王の命を守ってくれたのなら構いませんが事後処理は御自分でなさってくださいよ。私に振らないでくださいね」
「なんじゃ、年寄りに鞭打ってここまでやらせて片付けまでやらせる気かの? 随分と酷い話じゃの~」
と悪びれる事もなく答えるグローウィルの態度に溜息をついてカインズはうな垂れる。
「わかった、わかりましたよ。私の方で片付けをしておきます。ですが、まずはこちらの三人を運んでしまいましょう、目を覚まされたら面倒です」
「確かにの。しかしこんなに騒いだのに他の騎士はなにをしておるんじゃ? ワシ達ばかりに働かせおってからに」
「貴方の魔法に巻き込まれたら大変ですからね、周囲を包囲しておくように命じてありますよ」
カインズの話にグローウィルは目を細める。
「そんな柔な鍛え方をした覚えはないんじゃがの。これが終わったら皆を集めて鍛えなおさねばいかんな」
「大事の前ですので程々にしといて下さいね。――しかし一般人ではないにしても素人であるシロ君達に逃げられた彼等にはちょうどいいかもですね」
釘を刺しながらも騎士達の不甲斐無さを指摘するカインズ。しかしグローウィルはカインズに鋭い視線を向けた。
「何を言っておる。お前も参加するに決まっておろうが」
「……なんですと?」
と騎士達を周囲に配置した事を後悔するカインズであった。