新参舞《しんざんまい》で、年は明け・・・
大奥の大晦日の、お話です。
今日は大晦日。
長局の、呉服の間女中の部屋では、私をはじめとしたお針子たちが集まって。
噂話に花を咲かせていた。
あちこちから頼まれていたお正月用の打掛や着物も、無事、全て縫い終えて。
注文主である、お年寄りや側室の方々にお届けすることが出来た。
とは言うものの、三日ほど前から今日の午前中にかけては、本当に大忙しで。
昨夜は半分徹夜仕事だったんだけどね。
でも、なんとか届け終わって。
今はこうやってくつろいでいる・・・わけない。
ぺぇぺぇの私は、お針子の皆さんに
年越し蕎麦
を、作って運ばないとならないからね。
と、言うのも、上様や御台様のお食事は、御広敷の方にある奥御膳所で作られるのだけど、何分、大奥には、御台様以外にも1000人近い女中が暮らしているわけで。
それだけの人数の食事は、とても奥御膳所で作ることが出来ない。
そのため、御台様以外の食事は、いくつかの講のようなものがあって。
毎日、その講に入っている女中の中から二人ないし三人が炊事の当番となって、長局にいくつかある台所で講の人数分を調理することになっているんだ。
もちろん、お部屋様やお腹様、お年寄りなど、身分の高い方々は、ご自分の身の回りの世話をしてもらう
部屋方の女中
を、抱えておいでだから、食事もそれら部屋方の女中が作るんだけどね。
たとえ下働きのお末の食事にせよ、食材は大奥に届けられる一級品。
秋刀魚やマグロなど、禁忌の魚はあるものの、白身魚の中でも活きのいのが手に入るし、野菜も果物も旬のものばかりだ。
調理の仕方によっては、とっておきの味になる。
「 はーい、皆さん、年越し蕎麦をお持ちしました 」
「 わぁ・・・おしまちゃん、おいしそー 」
「 あ、私、唐辛子は抜きにして・・・ 」
私が運んできた年越し蕎麦を、みんなは美味しそうに食べてくれた。
「 おしまちゃん、呉服の間頭様が、お菓子を差し入れしてくれたんだけど・・・後で食べよ 」
「 はい 」
「 あーあ・・・今年もお宿下がり、出来なかったなぁ・・・ 」
「 来年は出来るって 」
なんて言いながら、騒いでいたら・・・
どこからか、妙な声が聞こえてきた。
「 新参舞を、見ぃしゃいな、新参舞をみぃしやいな 」
と。
年かさのお針子である おこう さんが、障子を開けてくれたので、そちらを見ると・・・
暗がりに、ぼぅ・・・っと、白い影が見えた。
「 キャッ!! 」
私は驚いて声を上げる。
だって、妙な歌声に合わせるように、その白い影は、ユラユラと動いていたのだから。
まさか・・・お化け???
なんて思って青くなった私に、おゆうさんが
「 大丈夫、おしまちゃん。アレは新参舞って言う踊りなんだ 」
と、教えてくれた。
よくよく目を凝らすと・・・白い影に見えたのは、人間。
それも、上半身に何も身に着けていない女性たちだった。
上半身に何も身につけず、様々な色合いの湯文字で下半身を隠した数人の女性たちが、踊っている。
にこやかに・・・・
楽しげに・・・
笑いながら・・・・
鍋の底や桶の底を、すりこ木や柄杓でたたいて音頭をとっているのは、着物は身に着けているものの、湯文字をあらわに裾をからげた女性たちで。
それらの女性たちの後を、何人もの裾をからげた女性たちが、踊りながら通っていく。
「 あれ、今年入ったお末たちが、大晦日の夜にああやって、上半身をさらして踊るんだ 」
「 わぁ・・・楽しそう・・・私も混ぜてもらおうかなぁ・・・」
「 おしげちゃん・・・あ・・・止めとけっていおうとしたのに 」
同僚の おしげちゃんは、ちゃっかり裾をからげて。
舞い踊る女中達の輪の中に入っている。
そりゃ、そうよね。
江戸の町では、お武家も町人も、よほど身分が高いか正当な理由でもない限り、それぞれの家に
湯殿・・・お風呂場
を、作ることは許されていない。
火を使う湯殿は、火事の原因になりやすいし、
一旦火事になったら、多くの人が命を落としかねない。
そのため江戸の人々は、身分の上下にかかわらずほとんど ( 約7割~8割 )が銭湯を利用しているし、
その銭湯にしてから、別々にお湯を沸かしていては効率が悪いという事情もあって、男女混浴だ。
恥ずかしい
なんて言ってたら、湯浴みなんてできやしないからね。
だから、身分の上下にかかわらず、大抵の江戸の女は同性・異性にかかわらず、他人に素肌を曝す事には慣れている。
新参のお末たちが、素肌をさらしながら楽しそうに踊るのも無理ないんだ。
「 あの右側の お末・・・嫌に赤い顔して、ふらふらしていたけど大丈夫かな? 」
「 みんな一杯飲んでるからねぇ・・・ 」
「 新参舞をみぃしゃいな 新参舞をみぃしゃいな・・・ 」
遠くから聞こえてくる除夜の鐘と、新参舞の声と共に・・・・
今年もくれていった
大晦日の
新参舞
の、お話です。
新参舞は、大奥のイジメだ
なんて仰る方もおいでですが・・・
私は、文中に書いたような理由から、さほど苦にならなかった
むしろ、娯楽が少ない大奥においての、見るほうもするほうも楽しい、一種の
パフォーマンス
ではなかったのかと、思っております。
解釈が違う方がいらっしゃいましたら、どうかお許しくださいませ。
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