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死ぬたびに弱くなる勇者は、勝つために考える  作者: Futahiro Tada
第4章:契約の鎖は笑顔で締まる

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5:鎖の継ぎ目を噛む、そして王都へ

5:鎖の継ぎ目を噛む、そして王都へ


 戻った子どもは、生きていた。

 診療所の薄い布団の上で、浅い呼吸を繰り返している。目は開いたり閉じたりを繰り返し、焦点が合うときと合わないときがある。言葉は出ない。喉の震えが弱い。声が盗まれている――診療所の女性が書いたとおりだ。

 フィーネは子どもの枕元で、膜を薄く張り続けていた。治す膜じゃない。崩れないように支える膜。急に刺激すると、喉が反射で動き、名前が出るかもしれない。今はそれすら危険だ。

 星の印の男性は、少し離れた椅子に座っていた。抱きしめたいはずなのに、抱きしめない。呼びたいはずなのに、呼ばない。代わりに、子どもの胸元の星形の木片をそっと撫でる。

 印に触れるだけで、涙が落ちる。

 村人たちは診療所の外で、互いの印を確認しながら見守っていた。

 誰も大声を出さない。

 誰も名前を言わない。

 村全体が、ひとつの呼吸になっている。

 俺は診療所の入口で、静かに息を吐いた。

 一人戻した。

 だが、ここからが本番だ。

 セラが工具袋を肩にかけたまま、俺の横に立つ。

「次は祠を壊すんでしょ」

 俺は頷いた。

「壊す。……でも壊し方を間違えると、保管庫が破れて村に漏れる」

 リュカが短く言う。

「封じてから壊す」

 ミリアが記録紙を胸に抱え、静かに言った。

「祠の奥の結晶……王都の結晶と同じ黒い筋がありました。繋がっている可能性が高いです。……もし、王都側が遠隔で反応したら」

 フィーネが視線を上げる。

「この村だけの問題ではなくなります」

 ――契約の鎖が、ここで噛みつく。

 特務契約は自由をくれた。だが同時に、口外を禁じた。

 村人にこれ以上の真実を言えない。

 王都に繋がっているなら、もっと言えない。

 でも、言えない言葉は、また誰かを消す。

 俺は決めた。

「祠を壊す前に、回収を優先する」

 セラが眉を上げた。「回収?」

「保管庫にいる人を、全員は無理でも、可能な限り引き戻す。祠を壊せば穴は閉じる。閉じたら、向こう側の人は戻せないかもしれない」

 リュカが頷く。「合理的」

 フィーネが小さく息を呑む。「でも……村人が耐えられる?」

 耐えられないかもしれない。

 だから、やり方を変える。

「村人を祠へ連れて行かない」俺は言った。「鍵を村の共有印にする。……祠の前で叫ばなくても、共有された印は鍵になる」

 ミリアが頷く。「村の地図があります。印の一覧も」

 セラが口角を上げた。

「つまり、鍵の束を持っていくってことね」

 俺は頷いた。

「そうだ。村人を守ったまま、鍵を持ち出す」

 ――鍵が名前なら、村人が必要だ。

 だが鍵が印なら、印を持ち出せる。

 共有が成立していれば、形は村の中の約束として力を持つ。

 その日の午後、村の各家から印を一つずつ預かった。

 木片、布切れ、縄。どれも粗い。

 でもその粗さがいい。精密な鍵は複製される。粗い鍵は、共有がないと成立しない。

 村人たちは印を渡すとき、言葉を使わなかった。

 目で頷き、手で握り、胸に触れて渡す。

 言葉がなくても、確かな意思が伝わる。

 診療所の女性は紙に書いた。


《みんな》

《まだ》

《あっち》


 俺は頷いた。

 分かっている。

 だから行く。

 夕暮れ前、俺たちは再び祠へ向かった。

 村は静かに見送る。

 声はない。

 でも、焚き火の煙がまっすぐ上がっていた。

 祈りみたいに。

 祠に到着すると、空気が昨日より冷たかった。

 嫌な予感が背中を撫でる。

 向こうが学習したのかもしれない。

 セラがすぐに枠を作る。釘、ワイヤー、蝋。

 ミリアが線を引き、境界を描く。

 フィーネが耳と喉に膜を張る。

 リュカと俺が祠へ棒と鞘を押し当てる。

 押す。叩かない。

 喉を塞ぐ。

 吐かせない。

 祠の奥の光が脈打った。

 そして、囁きが来る。

「……よべ……」

 昨日より低い。

 でも、刺さりが深い。

 慣れた刺さりだ。

 命令が最適化されている。

 フィーネの膜が震え、少しだけ薄くなる。

 抵抗している。

 向こうが膜の形を学習し、刺さりを変えてきた。

 セラが低く言った。

「早いね。もう対策してる」

 リュカが短く言う。

「時間がない」

 俺は頷いた。

 なら、こちらも手順を短くする。

 複雑な手順は学習される。

 単純な手順は壊しにくい。

「穴は一つだけ開ける。鍵は束で一気に引く」

 ミリアが息を呑む。「一気に……?」

「一気に。……でも引くのは手じゃない。印の流れで引く」

 セラが笑った。「乱暴だけど、理にかなってる」

 俺たちは地面に大きな円を描いた。

 円の中に、預かった印を並べる。

 星、波、三角、丸――村の約束が集合する。

 フィーネが円の上に膜を張る。

 膜は集める膜。音を集めるのではない。存在を集める膜。

 ミリアが円の外周に線を引き、境界を固定する。

 セラが蝋を薄く塗り、形が崩れないようにする。

 祠が脈打つ。

 穴が開く。

 昨日より大きい穴。

 輪郭が不安定で、黒い糸がすでに縁に絡んでいる。

 向こうは覗かれることを前提にしている。

 穴の奥が見えた。

 暗い保管庫。

 光片。

 そして、人影の群れ。

 俺の喉が締まる。

 名前が頭に浮かびそうになる。

 でも浮かべない。

 印の束を見る。

 印が基準になる。名前を追い出す。

 俺は円の内側を指でなぞり、合図を送る。

 フィーネが膜を少しだけこちら側へ傾ける。

 ミリアの線が流れの方向を示す。

 セラがワイヤーを引いて、穴の輪郭を一瞬だけ安定させる。

 リュカと俺が祠を押し、穴の開き幅を保つ。

 円の中の印が、淡く光った。

 村の約束が、鍵になる。

 鍵が束になる。

 保管庫の影が、揺れた。

 群れが、こちらへ寄る。

 その瞬間、黒い糸が一斉に伸びた。

 穴の縁から、円の印へ絡みつこうとする。

 鍵を奪う。鍵を名前へ戻す。

 村の約束を壊す。

 セラが歯を食いしばり、ワイヤーを強く引いた。

 枠が歪み、糸の軌道が乱れる。

 フィーネが膜を反転させ、糸を押し返す。

 糸が地面へ落ち、蝋に吸われる。

 だが一本だけ、糸が俺の喉へ向かってきた。

 刺さる。

 名前を引き出される。

 俺は反射で、息を止めた。

 息を止めると、喉が固まる。

 固まれば、言葉は出ない。

 言葉が出なければ、鍵は完成しない。

 糸が喉の前で震える。

 そこで止まる。

 俺はゆっくり息を吐き、代わりに印を見た。

 意識の焦点を変える。

 名前ではなく形。

 形が基準なら、糸は刺さる場所を失う。

 糸が、ふっと弱まった。

 その隙に、穴から最初の影が飛び出した。

 人が倒れる。

 二人、三人。四人。

 地面に転がり、息をする。

 声はない。

 目が虚ろ。

 でも、生きている。

 成功だ。

 一気に引けた。

 だが、穴の奥が震え、結晶が強く脈打った。

 向こうが吸い戻す動きを始めた。

 吸い戻し。

 鍵を逆に使う。

今度は印を鍵にして、戻された人を引き戻そうとしている。

 セラが叫びそうになるのを堪え、低く言った。

「やばい。鍵が向こうに読まれた」

 リュカが短く言う。

「閉じる」

 フィーネが頷く。

「戻った人を固定します。膜でここに留める」

 ミリアが炭筆で線を引き、倒れた人々の周囲に簡単な円を描いた。

 円は境界。

 境界があると、流れに乗りにくい。

 フィーネの膜がその円に沿って張られ、戻った人々の呼吸を支える。

 セラが蝋を円の外側に塗り、地面に吸い付かせる。

 ここにいるを固定する。

 俺とリュカは祠を強く押し、穴を縮める。

 喉を塞ぐ。

 吐かせない。

 穴が縮む。

 黒い糸がぶちぶち切れる。

 最後に、囁きが一瞬だけ大きくなった。

「……なまえ……」

 だが今回は、名前は出ない。

 村の印が基準になっている。

 俺たちは息を止め、形を見続ける。

 穴が閉じた。

 祠の光が、ほとんど消えた。

 沈黙が落ちる。

 森の鳥が遠くで鳴く。

 川の水音が戻る。

 俺は膝に手をついて息を吐いた。

 生きている。

 死んでいない。

 弱体化していない。

 戻ったのは四人。

 全員、声がない。

 識別が薄い。

 でも息をしている。

 ――ここで終わりじゃない。

 祠を壊す必要がある。

 だが今、穴を閉じた直後に壊すのは危険だ。

向こうがまだ糸を伸ばせるかもしれない。

 セラが低く言った。

「今日はこれで撤退。祠はほぼ沈黙させた。完全破壊は……王都で結晶の仕組みを調べてから」

 ミリアが顔を上げる。

「王都……?」

 俺は頷いた。

「この祠は王都の結晶と繋がってる可能性が高い。村だけで壊せば、逆流が起きるかもしれない。――なら、鎖の継ぎ目を噛む」

 鎖の継ぎ目。

 契約の鎖。

 結晶の鎖。

 国の鎖。

 俺は続けた。

「王都へ戻る。グレンに報告する。……ただし、全部は言えない。契約がある。だから、言える形に変える」

 フィーネが静かに言った。

「真実を、言葉のまま出せないなら……構造だけ渡す」

 セラが笑った。

「管理者に、管理できない形で渡すのも手だね」

 リュカが短く言う。

「急ぐ」

 村へ戻ると、広場の空気が震えた。

 戻った人が四人増えている。

 村人たちは泣きそうになる。

 叫びそうになる。

 名前を呼びそうになる。

 フィーネが中心へ膜を広げる。

 喉を抑える膜。

 優しさを燃料にしないための膜。

 俺は言った。

「戻った。……でも今は名前を言うな。印で確認しろ。抱きしめていい。泣いていい。だが叫ぶな」

 村人たちは震えながら頷き、印を手に戻った人々へ近づいた。

 星、波、三角、丸。

 形で繋ぐ。

 形で泣く。

 診療所の女性は紙に書いた。


《ありがとう》


 俺は頷いた。

 言葉はいらない。

 頷きで十分だ。

 ――しかし、別れの時間が来た。

 俺たちは村に代名のルールを残し、祠へ近づかないよう伝え、戻った人々のケアの手順も渡した。

 声を取り戻す方法はまだ分からない。

でも生きている。生きていれば、次がある。

 村の入口で、星の印の男性が深く頭を下げた。

 名前は言わない。

 でも、胸元の星を握り、確かな感謝を示した。

 俺は手を挙げ、軽く振った。

 言葉の代わりに。

 馬車が走り出す。

 村が遠ざかる。

 森が流れる。

 王都が近づく。

 胸の奥で、契約の鎖がまた鳴った。

 王都へ戻れば、結晶塔が待っている。

 管理者が待っている。

 言葉が管理される部屋が待っている。

 でも、俺たちはもう知っている。

 言葉は鎖になり得る。だから形を変える。代名を作る。境界を引く。記録を残す。

 そして――鎖の継ぎ目を噛み切る。

 王都の門が見えたとき、俺は心の中で呟いた。

 次は、村じゃない。

 国そのものだ。

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