06(完)
「頼み、ですか」
「ああ、あんたにしか出来ないことだ。俺はさっきも言った通り苗床だ。キルシェに、寒くて植物が成長を止めるようなところにいけば、この植物が成長をやめて助かるかもしれないと思ったが、間に合いそうもない」
彼は袖を捲った。肘のあたりにもう一つ控えめな花が咲いていた。
「こちらの花が、俺の本来の樹人の文様だ。手首の花は苗床の種が成長し、咲かせたものだ。苗床の種は、身体能力を飛躍的に高めるが、身体が負担に耐えられなくなる。具体的には、心臓が誤作動を起こすだろうと言われている」
そして、そこから伸びている蔓のようなものを示して言った。
「この蔓の文様が、心臓に到達した時に、俺は死ぬだろう。もう時間があまりない」
「数日前から身体が軋んでいたから、もしかしたらと思ったが……」
彼は頭を振って嫌な考えを振り払うかのようにした。
「あんたに頼みたいのは、この植物を殺すことだ」
「植物を殺す……」
植物だけを、取り除くことなんてできるのだろうか。もし、ラパンも一緒に死んでしまったら?メイシャは恐ろしさに思わず身体を震わせてしまった。でも、やらなくとも、ラパンは死んでしまう。
「私にできるでしょうか……いえ、やらなくては、いけませんね」
「できるさ、メイシャなら。人を助けたいと思う心を持っているから大丈夫だ」
ラパンはメイシャの手に左手を重ねてきた。
「やっとあんたに触れられた」
彼は苦しいだろうに身体を起こし、右手も伸ばしてメイシャの頭を撫でてくれる。
「あんたは何も悪くない。酷いことを頼んでいる自覚はある。もしも俺が死んでも、自己責任だ」
「縁起でもないこと言わないでください。絶対死なせませんから」
こんなに優しいラパンと、さよならするなんて嫌だった。
メイシャはラパンの左手を両手で包むように握りしめ、意識を集中する。願いは死ではなく生。どうかラパンが、助かりますように。忌まわしき植物の種から解放されますように__彼女は祈った。どれだけそうしていただろう。
辺りは真っ暗になり獣の遠吠えが響く。今襲われたら一巻の終わりだった。メイシャは暗闇の中ひたすらに祈り続けた。そうして、朝日が登る。ラパンは動かなかった。メイシャに不安がよぎる。だが、彼は静かに眠っていた。思わず呼吸をしているのを確かめてしまう。
メイシャが動いたせいか、彼は目を覚ました。
「ラパンさん大丈夫ですか?」
彼は左手を握ったり開いたりしていた。その動きはちょっとぎこちない。そして、その優しい目で感激したようにメイシャを見た。
「問題ない。悪夢を見ずに眠ったのは初めてかもしれない。ありがとう、メイシャ」
「本当に?私ちゃんと出来ましたか?」
「ああ。暖かい何かに包まれている夢を見た。あれは、メイシャの力なんだな。暖かな力の渦が俺に巻き付いていた蔓を引き剥がしてくれたんだ」
彼は左手を示す。手首にあった禍々しい花は消え去っていた。
「ちょっと動きは鈍いが普通にしている分には大丈夫だ」
「よかったです……」
彼に飛びつきそうになって、慌てて抑える、感情を抑えられなくて下を向いてしまうと、彼の方から抱きしめてくれた。
「ラパンさん……」
「メイシャは悪い魔女じゃないって証明できただろう?」
「さあ、港に行こう。追っ手に追いつかれる」
「はい!」
二人は、港町ミレーユに入った。
路銀をケチらず、宿をとって一泊だけする。北に向かう旅支度を入念に済ました。
その間も時間は経つ。とうとう恐れていたことが起こったのは、宿を立って、キルシェに向かって歩き始めてすぐだった。ふたたび樹人が反乱を起こしたのだ。
荊のような植物がうごめく港は醜悪だった。ここでの反乱は初めてなのか、人々は逃げ惑い足元をすくわれて転ぶ。転倒したものに荊は襲いかかり、その身体を貫いて命を奪う。
とても、見ていられない光景だった。やめて!叫びそうになる自分をメイシャは必死に抑えていた。感情を暴走させたら、植物を枯らすだけでなく、樹人や人間の命まで奪ってしまうかもしれない。
そんなとき、加勢は思わぬところからやってきた。船だ。見たことのない船に乗った樹人が、こちらに手をかざしている。すると、人間を襲っていた荊が急速に力を失っていく。
彼らの先頭に立つものは言った。
「我らは誇り高き樹人である。同族が人間を襲っていると聞いて張り込んでいた。弾圧の歴史は知っている。だが、それでも同じ誇り高き樹人か!恥を知れ!」
「南の楽園はいつでも汝らを受け入れよう。ただし、誇りを持つ者のみだ」
きっぱりとした口調だった。
それまで人間を襲っていた反乱軍は、みんな顔を見合わせひそひそと囁きあっている。
「その話は本当か?」
しばらくして、反乱軍の指揮をとっていたと思しき人物が応えを返す。
「本当だとも。我々は嘘をつかない。そちらの反乱に困った王より、正式に依頼があったのだ。しかるべき手段を踏んで来るといい」
そう言い残して、彼らは去って行った。
この隙を突いて、メイシャとラパンはキルシェに抜けた。
北の国は、建物の雰囲気も、温暖なスワルとはまるで違っていた。スワルが木なら、キルシェは石だった。
二人はなれない言葉に戸惑いながらも進み、やがて、あの童話の伝説の残る場所にやってきた。
そこには、魔女と恋人の墓という石碑が建っていた。
枯れかかった草に包まれた石碑をきれいに払ってやる。そこはそれなりに有名な場所のようで、幾人か手を合わせるものがいた。
「魔女は、人間を愛したのですか?」
聞いたメイシャに、現地の人は言った。
「ああ。恋人を殺されて、魔女は狂っちまったのさ」
メイシャは思う。力とはなんだろうと。参拝の人がいなくなった後、メイシャは手をかざし、魔女の墓の周りの植物に命を吹き込み、青々としたものに変える。
__どうか安らかに。
そっと祈り、顔を上げるとラパンに向き直った。
「ねえ、ラパンさん。私やりたいことができたのです」
「どんなことだ?」
彼は先ほどからじっと、メイシャを見守っていた。
「私はこの地で良い魔女になろうと思うんです。伝承のまま、魔女が、この力を持つものが、悪いものと誤解されたままなのは、悔しくって」
「そうか」
「ラパンさんはどうしますか?生まれた街に帰りますか?」
本当は帰って欲しくなかった。一緒にいて欲しかった。彼の顔が見たい、けれど怖くて見れない。
「俺のやりたいこともできた」
「どんなことですか?」
声が震えないようにぎゅっと拳を握りしめて、聞く。
「健気な魔女を支えることかな」
メイシャは弾かれたように顔を上げた。
「メイシャはきっと人に好かれる魔女になる。でも一人だと危なっかしいからな。傍にいる」
「ラパンさん……」
メイシャは潤んだ瞳をこすった。
「メイシャは、誰よりも人を大切にするくせに、自分のことは大事にできないんだ。だから、俺が大切にする」
「魔女は、魔女はきっと幸せに暮らせますね」
「もちろんだ」
二人は笑いあった。おかしな気分だった。メイシャは、自分が聖女で、魔女で、それからラパンの大切な人に区分されているのが嬉しかった。
「ラパンさん。私、あなたと一緒に居られて、幸せです。だから、ラパンさんも幸せになってください。私、頑張りますから」
「頑張らなくても良い。十分だ。俺は、メイシャの傍に居られるだけで幸せになれる」
彼は、メイシャをそっと抱きしめてきた。彼に触れられることを拒否しなくなったのは、いつからだろう。彼を、自分が傷つけるのではないかと怯えなくなったのは、いつだっただろう。
ラパンはキルシェに入ってから、メイシャに考える隙を与えないように、日常のちょっとした指一本の触れ合いから始めて、いつのまにか、抱きしめられても何も言わないくらいに、メイシャは慣らされてしまった。
慣れって怖い。そう思いながらメイシャはラパンを抱きしめ返した。これは初めてやったかもしれない。ラパンはちょっと驚いたかのように目を見開いたけれども、ふんわりと微笑んでくれた。
そのまま、見つめあって、それが自然だと思った。二人の距離はゼロになる。
彼らはその土地に永住して、その地の人を癒し、助け続けた。
後にその話はおとぎ話として長く語り継がれることになる。土地の彼らは口々に言う。
この地は、悲劇の魔女と癒しの魔女の眠る地である。
癒しの魔女は緑と幸福の導き手であったと。