07
魔王様と二人きり、という状況に堪えきれば、放課後である。
しかしそれで終わりではなかった。今日はさっそく決定した委員会の集まりがある。
残念ながら歩夢は美化委員であるらしく、私は一人寂しく図書館へ向かう。
第三校舎から図書館へ続く道を行く。その途中、見知った背中を見つけて、声を掛けるべく駆け出した。
「こんにちはっ。お疲れさまです、真弓司令官」
緩く三つ編みにされた長い黒髪が、彼女が振り向いたと同時に揺れ動く。片腕に書類を抱えたまま、彼女は眼鏡の赤い縁を押し上げてその奥の深緑の瞳でこちらを確認し、
「あら? ……あら。あらあらまあまあ、里中さん!」
私だとわかれば、ピンクのグロスで縁取られた口元を綻ばせた。ふわっと花びらが舞うような、柔らかい微笑だ。
「お久しぶりねえ。春休みは一度も会えなくて残念だったわ」
「お久しぶりです。いえ、図書館には二度ほど伺いましたよ」
「あらまあ、そうなの? なら入れ違ったみたいね」
残念、と本当に残念そうな表情の彼女に苦笑する。
真弓司令官と私が呼んだ女性は司書の一人で、右目の泣き黒子がチャームポイントな美人さんである。白いブラウスに黒いタイトなロングスカートがよく似合う、出るとこ出てる美女なのだ。同性には憧れの大人な容姿と言えよう。
「私、また図書委員になったんです。これから一年よろしくお願いしますね」
「あら、そうなの! 嬉しいわあ、顔見知りがいてくれて。作業内容もわかっているものね。安心だわ」
むしろ何をするのかわかっていたからこそ、今年もこの委員を選んだのだが。知っている、というのは安心するものがある。……いや、物によるが。
二人でのんびり図書館の入り口を潜る。すると沢山の本棚が目に飛び込んできた。相変わらず凄い量の本だ。
学園の図書館は吹き抜けの二階構造で、シックな内装になっている。市の図書館並みの蔵書量を誇り、だからこそ色々やることがあって大変なのだが、本好きの学生には堪らないものがあると思う。
入り口から左手に見える、本の貸し借りを受け付けるカウンター前には、もう何人も生徒が集まっていた。図書委員は一組に一人、学年は八組ずつあるので、総勢二十四名となる。広いところなので、人手は多いのがありがたい。
「あらあら、まあまあ。皆早いのね、感心するわ。さあさあ、こっちに集まって」
カウンターの向こうの扉へぞろぞろ消える。戸惑いがちなのは一年生だろう。初等部も中等部も、さすがにここまでではなかった。
キョロキョロと忙しない新入生の中に、飛び抜けた身長の男の子がいた。ツンツンとした黄土色の頭をあちこちに振って、物珍しそうな顔で辺りを眺めている。眉尻が下がって見えるからか、少々情けない印象を受けた。
彼の左目はエメラルドのような綺麗な瞳をしていたが、右目は医療用の眼帯に覆われていて見えない。物貰いだろうか。
入った場所は資料室を兼ねた事務室で、仕事中の司書さんの姿が一人あった。カウンターに二名いたので、真弓さんを合わせると司書さんは四人になる。因みにリーダー的存在なのが真弓さんだ。
「はい。それじゃあ、自己紹介ね。私は司書の片桐真弓よ。よろしくね」
甘い笑顔にくらっとくる。たぶん私だけではない。彼女見たさに図書館に通いつめる生徒もいるくらいだ。
「あ、でも私のことは司令官って呼んでね。じゃないと返事しないわよ?」
「え?」
なんで? と不思議そうな生徒の上履きは揃って黄色い。
知らないなら覚えよう。委員限定だが司令官と呼ばないと、彼女は本当に返事をしてくれない。要するにあだ名みたいなものだ。気に入っているらしい。
なんで司令官なのか、という理由については、そう呼び始めた過去の図書委員に聞いてほしい。ついでに了解の意を示す際は「はい」ではなく「ラジャー」とか「イエッサー」とか、とにかく軍人っぽい返事でないとぷんぷん怒られるので注意されたし。
お気づきだろうが真弓さん、ちょっと天然の気があるのだ。
彼女が名乗ったのを皮切りに、生徒達の自己紹介が始まる。学年と組と名前だけの、簡潔なものだった。
「い、一年五組の水野琉生です。よろしくお願いしますっ」
そう緊張ぎみに名乗ったのは、さっき目についた少年だった。ふと大型犬を連想する。
「あら、その目どうしたの? 怪我かしら」
「え? あ、えっと、これは」
真弓さんの指摘に彼は戸惑った。長く骨張った指が眼帯に伸びる。
「……す、すみません。これにはあまり、触れないでもらえると助かります……」
「まあ、ごめんなさい。じゃあ、隣の貴方から自己紹介を再開して?」
詮索を拒んだ水野くんに、彼女はさらっと軌道を修正した。
私は彼を盗み見る。気落ちしたような表情に、少し申し訳ない気持ちになる。眼帯の理由を、私はもう知っているのだ。
それは他人にとっては取るに足らない、でも本人には大きなコンプレックスの右目。現在の水野琉生を、つくるきっかけとなったもの。
この一年で彼はそれを乗り越えられるのだろうか? それはおそらく彼自身と、お相手次第なのだろう。
頑張れ、水野くん。私は片隅で応援している。