第二話 蜜の壺
私は小さくて色が白いので、マシュマロと呼ばれています。
本当の名前は、よく覚えていません。
でも、それはそれでいいのです。
今日はピンクの靴を履いて、街へとおでかけをしました。
桜色の空の下、道端に落ちている赤いものがとても綺麗です。
ぴちゃ、ぴちゃと音を立てながら角を曲がると、あのお店が目に入りました。
「蜜の壺」
看板の蜂さんはにこにこ笑っていて、ハートがたくさん飛んでいます。
ここは、大人の甘いお飲み物を出す、とっても特別なお店なのです。
綺麗なお兄さんやお姉さんたちが、「あれ」に背中を押してもらいながら、頬を赤らめてお店に入っていきます。
「いやぁ……! 死にたくない……!
助けて……誰か助けて……!」
みんなの嬉しそうな声を聞くと、私はいつも、大人っていいな、と思います。
入っていく人は本当にたくさん。
でも、出てくる人は……一度も見たことがありません。
お店のドアは蜂蜜色の木でできていて、触ると少しねばねばします。
中から聞こえてくる音楽は、ゆったりとした子守唄のようで、とっても優しいのです。
私はお邪魔にならないよう、そっと隙間から中を覗いてみました。
お店の中は黄金色にきらきらしていて、とても綺麗。
床はぬるぬるで、歩くたびにくちゅくちゅと可愛い音がします。
カウンターにいるバーテンダーのおねえさんは、今日もにこにこ笑顔。
黄色いダウンシャツと、ふわふわのエプロンでお洒落にきめています。
スカートの裾は、時々、ゆっくりと波打っていました。
「ようこそ、お客様。本日はとても甘くて濃厚な蜜をご提供しますわ」
バーテンダーのおねえさんが、グラスをお客様に差し出しました。
お客様はグラスを受け取ると、目をきらきらさせて、
「やめて!口に入れないで!」
と、感嘆の声をあげました。
とても美味しそうに、夢中になって飲み始めます。
すると、テーブルの隙間から、たくさんの太くて柔らかい蔓が伸びてきて、お客様の体に優しく、まるで大好きなお人形を抱きしめるように絡みついていきました。
服の奥、肌のさらに奥の方まで入っていくにつれて……
お客様の目が大きく見開かれ、嬉しそうな声で何度も歓声をあげました。
「やめて……中……入ってくる……助けて!」
他のテーブルでも賑やかなパーティーが始まりました。
あるお兄さんは、大きなお花に包まれて、うっとりとしたお顔をしています。
あるお姉さんは、蔓に埋もれながら友達の手をぎゅっと握って、涙を流しながらもとても幸せそうな声で叫んでいました。
「食べないで……いや……いやぁ……!」
みんな、とっても楽しそう。
お店にすっかり夢中になっているんだと思います。
特に可愛いのは、蔓の表面に生えた小さな吸盤のお仕事。
ぷくぷくとした透明な膨らみが、お客さんの肌にくっつくと、とても優しい音を立てながら、中をお掃除してくれるのです。
布と、芯の部分だけ残ってしまうのですが、
それもすぐに、たくさんの「あれ」が集まってきて、競うように綺麗にお片付けを始めます。
天井の蔓たちが、満足したように愛らしく動くのを見ながら、私は店中に入って、カウンターの近くに行きました。
おねえさんは上半身だけを優しく傾けて、いたずらっぽく微笑みます。
根本のほうはお食事中のようで、採れたての蜜を吸い上げる音が聞こえました。
「マシュマロちゃんも、飲んでみる?
今夜は特に甘くて濃いわよ」
私は両手を後ろに組んで、首を小さく振りました。
「子供をからかったらダメですよ?
私はまだ小さすぎますもの」
おねえさんはくすくすと笑って、
「まあ、良い子ね。じゃあ、せっかく遊びにきてくれたし、これをどうぞ」
そう言ってカウンターの下から、透明な容器を取り出しました。
中には、白くてシワの寄ったものが入っています。
ところどころに、細い欠片が浮かんでいて、
とても甘い香りが漂っていました。
「おみやげに、どうぞ。採れたてのお菓子よ」
私は器を受け取って、にっこりお礼を言いました。
そのとき、お店の外からまた賑やかな声が聞こえてきました。
きっと新しいお客様たちが来たのですね。
ここは、本当は子供がいてはダメなお店なのです。
おねえさんに小さく手を振ってさよならをしました。
「お邪魔しました。また遊びに来ますね」
お店を出ると、綺麗なお兄さんたちが、ドアの近くで立ち止まっていました。
私を見て、表情がパッと明るくなります。
「助け……」
でも、私の顔を見た瞬間、言葉がすっと止まってしまいました。
目が大きく見開かれ、唇が震えています。
そのまま、逃げるようにして、よろよろとお店の中へと入っていきました。
思わず首をかしげます。
「どうしたのかしら? きっと蜜が楽しみで、はしゃいでいるのね」
帰り道、指にねばねばした蜜がついているのに気がつきました。
ふふ、きっとお店のドアに触ったときにくっついちゃったのですね。
少しだけ迷いましたが、
私はそっと指を口に近づけて、舌先で舐めてみました。
……わあ、とっても甘くて、じんわり温かくて。
なんだか胸の奥がふわふわします。
ちょっとだけ大人の気分です。
……ねえ、あなた。
この街に来た時には、あなたも「蜜の壺」に連れて行ってあげますね。
きっと夢中になりますから。
私は色々な事を知っています。
でも、知っているのは、可愛いことばかりなのです。




