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義母の策略を叩き潰して幸せを掴む。  作者: 逆立ちハムスター


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 ひやりとした石畳の冷たさが、薄い布地を透かして肌に伝わってくる。

 窓一つない薄暗い屋根裏部屋。それが、誇り高きオルコット伯爵家の長女である私、リアナ・フォン・オルコットに与えられた「自室」だった。

 朝を告げる鐘の音が遠くで鳴り響くと同時に、私は跳ね起きるように身を起こした。全身の関節が悲鳴を上げ、ひび割れた指先から鈍い痛みが走る。それでも、休んでいる暇などない。早く厨房へ行き、かまどの火を熾さなければ、また料理長から罵声を浴びせられ、朝食抜きの罰が待っているからだ。


「……急がないと」


 掠れた声で呟き、私はすり減った麻のワンピースに腕を通す。かつては美しい銀糸のようだと父に褒められた髪は、今や手入れもされず、くすんだ灰色の塊となって背中に垂れ下がっている。前髪は伸び放題で、視界の半分を遮っていたが、それが好都合でもあった。怯えきった私の瞳を、誰の目にも晒さずに済むのだから。


 私がこの家で実質的な「下働き」に身を落としてから、すでに三年が経過していた。

 優しい実母が早くに亡くなり、父が後妻として迎え入れたのが、現在の伯爵夫人である義母カルメラだった。彼女は連れ子である義妹のセルリアと共にこの屋敷にやってきた。当初は猫を被っていた義母たちだったが、三年前、流行り病であっけなく父が他界した日から、その本性を露わにしたのである。

 正当な血を引く私を疎んだ彼女たちは、ありとあらゆる理由をつけて私の財産を没収し、部屋を奪い、ドレスを切り裂き、ついには使用人以下の扱いへと貶めた。

 反抗すれば、暴力と飢えが待っている。

 元々気弱で、父の庇護の下で温室の蕾のように育ってきた私には、彼女たちの理不尽な悪意に立ち向かう術などなかった。ただひたすらに嵐が過ぎ去るのを待つように、頭を垂れ、息を潜めて生きるしかなかったのだ。いつか、誰かが助けてくれるかもしれない。そんなあり得ない奇跡にすがりながら、私はただの「便利な道具」として飼い殺されていた。


 重い足取りで厨房へ向かい、義母達の息のかかった使用人たちの嘲笑を浴びながら冷たい水で床を磨く。以前の使用人たちは、一人、また一人とやめさせられていったからだ。

 それが終わると、義母と義妹が目を覚ます前に、朝食の配膳の手伝いだ。今日はひどく冷え込む朝だったが、私の手はあかぎれで血が滲んでいた。


「おい、のろま! 奥様たちの紅茶が冷めるでしょうが! さっさと二階へ持っていきなさい! クズ!」


 メイド長から怒鳴られ、私はビクッと肩を震わせた。慌てて銀のトレイを受け取り、二階の豪奢なダイニングルームへと向かう。トレイの上には、私が一年かけても口にできないような、高級な茶葉を使った紅茶と、ふんだんにバターを使ったクロワッサンが乗っている。


 ダイニングルームの重厚な扉を開けると、そこには優雅に朝のひとときを楽しむ二人の姿があった。


「あら、遅いわね。グズな子豚のせいで、せっかくの朝の気分が台無しだわ」

「本当に。お母様のおっしゃる通りですわ。お姉様ったら、歩く姿もみすぼらしいこと。視界に入るだけで不愉快ですわね」


 義母カルメラは扇で口元を隠しながら冷笑し、輝くような金髪を縦ロールにした義妹セルリアが、それに追従して甲高く笑う。

 私は何も言い返せず、ただ震える手でティーカップをテーブルに置いた。

 その時だった。


「……ねえ、お姉様。あなたの首にかかっているその薄汚い紐、なあに?」


 セルリアの鋭い声に、私は息を呑んだ。

 慌てて胸元を押さえる。そこには、服の下に隠していたはずの、銀細工のペンダントトップが覗いていた。屈んだ拍子に外へ出てしまったのだ。

 それは、亡き実母が最後に私に遺してくれた、たった一つの形見のロケットだった。これだけは奪われまいと、肌身離さず隠し持っていたのだ。


「な、なんでもありません……っ! これは、その」

「隠すなんて怪しいわね。見せなさいよ!」


 セルリアが立ち上がり、私の胸元へと手を伸ばす。


「や、やめて! これだけは、お母様の……っ!」


 生まれて初めてだったかもしれない。私が彼女たちに対して、明確な拒絶の言葉を口にし、抵抗したのは。私は無我夢中でペンダントを両手で握りしめ、一歩後ずさった。

 しかし、それが彼女の逆鱗に触れた。


「生意気ね! この穀潰しが、私に逆らう気!?」

「セルリア、そんな汚い娘に触れては手が汚れますよ。……ほら、さっさと渡しなさい」


 義母の冷酷な声と共に、セルリアが力任せに私の腕を叩き落とした。

 バチンッ!という甲高い音が響き、私の頬に火の出るような痛みが走る。平手打ちだった。

 その衝撃でよろめいた私の体は、ダイニングルームを出たすぐ裏にある、大階段の縁へと追いやられた。


「あっ……」


 バランスを崩した私の目に映ったのは、歪んだ笑みを浮かべる義妹の顔と、何一つ感情を動かさない冷え切った義母の眼差し。

 次の瞬間、セルリアの両手が、私の肩を力強く『突き飛ばした』


 ふわり、と。

 体が宙に浮く感覚。

 そして、果てしなく続くように見える大理石の階段を、私は転がり落ちていった。

 世界がぐるぐると回転し、天井のシャンデリアと冷たい階段が交互にフラッシュバックする。

 やがて――ゴンッ、という頭蓋骨が砕けるような恐ろしい衝撃音と共に、私の視界は真っ暗に塗り潰された。


 ああ、私はここで……呆気なく死んでしまう。

 お母様、お父様。ごめんなさい。私、最後まで弱虫で、何もできなくて……。


 意識が遠のく中、冷たい床に広がる自分の血の温かさだけを感じていた。

 ――しかし、私の意識が完全に暗闇に落ちる直前。

 不意に、脳の奥底で『パツンッ』と何かが弾けるような音がした。

 それは、風船が破裂して、中から大量の濁流が流れ込んでくるような、異様な感覚だった。


『……ふざけるな! 今月の残業時間、150時間超えてるんですけど!?』

『また企画書の書き直し? 部長、昨日と指示が全然違うじゃないですか!』

『あーあ、せっかくの休日なのに、また終電コース。帰ったらあのドラマの続き見ようと思っていたのに……』


 見知らぬ景色。見知らぬ言葉。

 光るパソコンに向かって、血走った目でキーを叩く自分。

 コンクリートで囲まれた無機質な街並み。満員電車に揺られながら、ため息を吐く自分。

 名前は、佐々木理花。年齢、三十歳。

 中堅のブラック企業で身を粉にして働き、理不尽な上司の要求を全て呑み込み、他人に迷惑をかけないようにと自分を押し殺して生きてきた女。

 そして彼女は――過労によるクモ膜下出血で、誰もいないワンルームマンションで呆気なく孤独死したのだ。


(……え? これ、誰の記憶?)


 いや、違う。「誰の」ではない。これは「私」だ。

 気弱で無抵抗な伯爵令嬢『リアナ』の魂と、現代日本で理不尽に耐え続け、最後に擦り切れて死んだ社畜『理花』の魂が、頭への強烈な衝撃によって急速に融合していく。

 二つの人生の記憶が混ざり合い、パズルのピースが完璧に組み合わさるように、一つの明確な「自我」として覚醒したのだ。


 薄れかけていた意識が、驚くほどクリアに冴え渡っていく。

 閉じていた瞼の裏で、私は冷静に状況を理解していた。

 前世の私(理花)は、事なかれ主義で他人の言いなりになった結果、心身を壊して死んだ。

 今世のリアナは、気弱で義母たちの言いなりになった結果、階段から突き落とされて、現在進行系で死にかけている。


(――馬鹿みたい)


 心の中で、底冷えのするような声が響いた。

 どちらの人生も、他人に自分の人生の決定を委ねた結果がこれだ。

 我慢すれば報われる? 耐えていればいつか誰かが助けてくれる?

 そんなものは、おとぎ話の中だけの妄想だ。現実世界でも、この異世界でも、黙って耐えているだけの弱い人間は、徹底的に搾取されて捨てられるだけなのだ。


(もう、二度と御免だわ)


 他人の顔色を窺って、自分の尊厳をドブに捨てるような生き方は、もう終わりにする。

 私は、リアナ・フォン・オルコットであり、佐々木理花。

 二度目の命をもらったというのなら、今度こそ、絶対に自分の足で立ち、自分の手で幸せを掴み取ってやる。


「……あら? ちょっと、死んだの? ねえ、お母様、血が出てるんですけど……私、ただちょっと押しただけなのに!」


 階段の上から、セルリアの焦ったような声が聞こえてきた。自分から突き落としておきながら、責任を問われることだけを恐れている卑怯な声だ。


「チッ……面倒なことになったわね。誰か、使用人を呼びなさい! この薄汚い娘が勝手に足を踏み外して転げ落ちたと言い含めるのよ。息があるなら、地下牢にでも放り込んでおきなさい。どうせあの『計画』までは生かしておかなければならないのだから」


 義母の氷のように冷たい声。

 『計画』? ……そういえば、以前厨房で料理長が噂していたのを思い出す。義母が私を、借金の形として、悪趣味で残酷なことで有名な初老の辺境伯へ後妻として売り飛ばそうとしているという話を。

 飼い殺しにされた挙句、最後は化け物の餌として売り払われる。それが、大人しく従順に生きてきた私に用意された結末。


 ……ふふっ。

 思わず、唇の端が歪んだ。

 怒りを超えて、呆れ果てて笑いすら込み上げてくる。


 私は、ゆっくりと目を開けた。

 額から流れる血が右目に入り、視界が赤く染まっている。全身の骨が軋み、激痛が走っていたが、前世で高熱を押して徹夜でプレゼン資料を作った時の苦痛に比べれば、意識を保てないほどではない。


「……ひっ!?」


 私が身じろぎをし、ゆっくりと上半身を起こしたのを見て、階段の上にいたセルリアが短い悲鳴を上げた。

 死んだと思った虫が這い上がってきたような、嫌悪と恐怖の混じった顔。


「おや、生きていたの。運のいい鼠ね。さっさと床の血を拭いて、自分の部屋に戻りなさい。朝から目障りなものを見せられたわ」

「……申し訳ありません、お義母様」


 私は、血に染まった前髪の奥から二人を見上げ、あえて、今まで通りのひどく怯えたような、震える声で答えた。

 立ち上がり、深く頭を下げる。

 義母は鼻を鳴らし、セルリアは気味悪そうに顔を背けて、そのままダイニングルームへと戻っていった。


 二人の姿が見えなくなった瞬間、私の顔から「気弱な令嬢」の仮面が剥がれ落ちた。

 ポタポタと床に落ちる自分の血を冷ややかに見つめながら、私は破れたスカートの裾で額の血を乱暴に拭う。


 反撃の第一歩は、現状の把握と情報収集だ。

 真正面からあの女たちに喧嘩を売るのは下策中の下策。屋敷の使用人は全てあちらの息がかかっている。今の私は、金も、権力も、味方もない底辺の存在だ。

 だが私には「前世の記憶」という冷静な思考回路と、この三年間、気配を殺して屋敷の隅々まで掃除させられたことで得た「情報」がある。義母がどこに裏帳簿を隠しているか、誰と密会しているか、そのすべてを、ただの風景として見て知っているのだ。そう、逆らう勇気がなかっただけ。


 それに――私は自分の手のひらを見つめた。

 この世界には「魔力」という概念がある。貴族の多くは少なからず魔力を持つが、私は幼い頃の魔力検査で反応なしの烙印を押されていた。

 しかし、覚醒した今ならはっきりと分かる。私の体内には、膨大で、制御しきれないほど高密度の魔力が眠っている。ただ、あまりにも性質が特殊で、当時の凡庸な魔道具では測定できなかっただけなのだ。


「私を飼い殺しにしたこと、後悔させてあげるわ」


 血の味のする唾を吐き捨て、私は痛む足を引きずりながら屋根裏部屋へと歩き出した。

 もう、泣いて許しを請う小鳥は死んだ。

 義母カルメラ。義妹セルリア。

 あなたたちが私の人生を搾取して築き上げたその豪奢な生活、根こそぎ奪い返して、絶望のどん底に叩き落としてあげる。

 それが、私からあなたたちへ贈る、最初で最後の最高のプレゼントよ。


 窓のない薄暗い自室に戻った私は、ベッドの下に隠していた小さな布の包みを引っ張り出した。中には、少しずつくすねて貯めておいた数枚の銀貨と、古い屋敷の地図。

 辺境伯への売却話が進む前に、この屋敷から脱出するための準備を始めなければならない。

 そのための強力な「後援者」の心当たりは、すでに一つあった。

 義母の不正の証拠を喉から手が出るほど欲しがっている人物。王宮内での権力闘争において、オルコット伯爵領の利権を狙っている、冷徹にして最強と謳われる『氷の公爵』、ルードヴィヒ閣下。


「まずは、彼に取引を持ち掛けるための手札を揃えなきゃね。今のままでは門前払いだわ」


 全身の痛みを忘れさせるほどのアドレナリンが血管を駆け巡る。

 鏡もない部屋で、私は酷薄な笑みを浮かべた。

 第二の人生の幕開けだ。もう二度と、誰にも私の頭を下げさせはしない。

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