第6話─道標の篝火─
「ディヴィヌス祭……ですか?」
窓の外には朝霧が立ち込め、モンテリスの侯城を静寂に包むような、少し肌寒く感じる朝。
この日は朝早くから忙しなく、いつもと違う城内の様子を不思議に思っていると、侍女のアルマが星羅の髪を梳かしながら教えてくれた。
「はい。毎年十一月の朔日に行われる、モンテリスで最大の祭りにございます。……明日がちょうどその日なのですわ」
「最大のお祭り……それは楽しそうですね! どんなお祭りなんですか?」
鏡越しに彼女を見上げると、アルマは穏やかに微笑んだ。
「ディヴィナリア三柱神の一柱。主神ナトゥリウスの父にして創世神でもある、ディヴィヌス神の御加護を願う祭りです。」
アルマの言葉に、星羅は小さく息を飲む。
「創世神……」
「はい。ディヴィヌス神は、戦と勝利、そして再生を司る父神にございます。蛇と火を象徴とし、我らモンテリスの民にとっては、特に縁の深い神なのです」
そう言いながら、アルマは最後に銀の髪飾りをそっと星羅の髪へと差し込んだ。鏡の中で、淡く輝くそれが朝の光を受けてきらめく。
「モンテリスでは、フェルモント広場にて〝ディヴィヌス神の火〟と呼ばれる聖火が灯されます。その火は各家庭へと分け与えられ、国中に神の加護が広がると信じられているのです」
「各家庭にまで……素敵ですね」
星羅は微笑みながらも、どこか感心したように呟いた。アルマはさらに言葉を続ける。
「ええ。それだけではございません。モンテリス侯国は、侯城を囲む山脈から鉄や魔鉱石、さらには魔鉄を豊富に産出する地として知られております。これらは武具や魔導機器の材料として欠かせないもので、かつてヴァレリオン帝国の北西防衛領として重んじられてきた理由でもあるのです」
星羅は小さく頷く。
「だから、ディヴィヌス神と縁が深いのですね。戦と火を司る神様……でしたっけ」
「その通りでございます。分け与えられた聖火は、各家庭だけでなく、山脈に点在する鉱山の入口にも篝火として灯されます。これは、崩落などで命を落とした鉱夫たちへの弔いの意味も持っておりますの」
「……弔い」
星羅は微かに神妙な面持ちになる。アルマはその変化を感じ取り、優しく頷いた。
「夜になりますと、モンテリス侯城を囲む山々に無数の篝火が灯されます。その光景は、まるで巨大な蛇がとぐろを巻いているかのように見えるのです。再生を象徴するディヴィヌス神のお姿になぞらえているのですよ」
その情景を思い浮かべ、星羅は窓の外へと視線を向けた。朝霧の向こうに霞む山々が、夜には炎に彩られるのだと思うと、胸の奥が静かに高鳴る。
「ぜひ、見てみたいです」
「きっとお気に召されますわ。……それに、祭りでは〝再生の儀〟も執り行われます」
「再生の儀、ですか?」
「古くなった道具や農具を聖火にくべ、その金属を新たな品へと作り替えるのです。終わりは新たな始まり――それがディヴィヌス神の教えにございます」
アルマはそう言って、星羅の肩にそっと手を置いた。
「この祭りは、過去に別れを告げ、未来へと歩み出すための大切な節目でもあるのです」
その言葉に、星羅の胸がわずかに震えた。自分自身の境遇と重なるものを感じたのかもしれない。
やがて、城内の回廊から遠く鐘の音が響き渡る。祭りを迎える準備が、すでに始まっているのだろう。
「……明日が楽しみです」
星羅が微笑むと、アルマもまた優しく微笑み返した。
「ええ、きっと忘れられない一日になりますわ。ぜひシグルズ様とお出まし下さい」
「シグルズと……?」
ふと、シグルズの顔を思い浮かべる。いつも仏頂面というか、無表情というか、シグルズはあまり感情を表に出さない。魔族とはそんなものかしら、と思っていたけれど。
「うん……、そうだね。お祭り、誘ってみようかな」
きっと、これからの研究で、魔族であるシグルズの存在は欠かせない。毎日のように顔を合わせるのなら、もっとお互いを知ることも必要だと思う。
「……来てくれるかな」
思わずこぼれた小さな呟きに、アルマがくすりと微笑む。
「シグルズ様は寡黙でいらっしゃいますけれど、無関心というわけではございませんわ」
「そう、かな」
「ええ。あの方は……ただ、言葉にするのが少し不器用なだけですもの」
優しく言い切るアルマの声音に、星羅は少しだけ肩の力を抜いた。
確かに、思い返してみれば――完全に拒絶されたことは、一度もない。
無表情の奥で、何かを考えているような気配。
時折見せる、ほんの僅かな視線の揺らぎ。
「……うん、やっぱり誘ってみる」
今度は迷いのない声だった。
ディヴィヌス神の火が灯る夜。
山々に連なる篝火が、蛇のように大地を巡るというその光景を、彼はどのように見るのだろう。
窓の外では、朝霧がゆっくりと晴れ始めている。
差し込む光はまだ淡く、それでも確かに、賑やかな一日を予感させていた。
◇◇◇
淡くゆらめくエーテル灯を道標に、地下牢へ続く仄暗い階段を降りる。一段下るごとに、空気が重く、肌に纏わりつくような感覚が強くなっていく。それは〝地下牢〟という言葉がもたらす漠然とした負の印象のせいだけではないように思えた。
「シグルズってば、なんだってこんな所に……」
明日のディヴィヌス祭に誘おうとシグルズの私室を訪ねると、数日前に本人の希望で部屋を移したのだという。
階段を下りきると、鉄柵の扉の奥には洞窟のような暗い空間が広がっていた。壁面のあちこちには黒く鈍い光を帯びた鉱脈が走り、どこからか水の滴る音が、やけに大きく反響している。
本来の用途としては長らく使われていないらしく、埃っぽさはあるものの、腐敗したような匂いがないことに星羅は少し安堵する。それでも、この場所が〝何かを閉じ込めるための空間〟であったことは、肌で感じ取れた。
「……シグルズ? いますか?」
呼びかける声は、思ったよりも小さく、空間に吸い込まれるように消えていく。
一拍の間のあと、最奥の部屋から「こっちだ」と、シグルズの声が返る。
「シグルズ?」
金属で補強された分厚い木製扉を開くと、牢内に鈍い音が反響する。最奥の部屋はより一層、空気が重く感じられた。
明かり取りの小さな窓のみで薄暗くはあったが、室内は思ったよりも広く、簡素ながらも整えられて一見すると快適そうであった。
星羅の声にシグルズが振り返る。
いつもは首元まで詰められた襟元も、今は少し開かれている。私室ということもあるのだろうが、その無防備な姿に、星羅は不意に気恥ずかしさを覚えた。
「……これを見てみろ」
構う様子もなく、シグルズは床に並べられた魔鉱石を指し示す。
ひとつは、魔鉱石をただ置いたもの。
もうひとつは、魔法陣のような術式の上に魔鉱石を置いたもの。どちらも微弱な光をゆらめかせている。
「シグルズ、これは……?」
「これはどちらも空の魔鉱石だ。……先日のお前の実験を、俺なりに試してみた」
シグルズが魔鉱石をひとつ取り上げると、微かに灯っていた光はすぐに掻き消える。
「この地下牢は侯城内で恐らく最も魔力の濃い場所だろう。……だからこそこの場所に私室を移して貰ったのだが──」
「魔力が、濃い……」
「ああ。だから、空の魔鉱石を置いただけでも一定の反応はあった。……そしてこっちだ」
術式の上の魔鉱石へ視線を移す。こちらは先程の魔鉱石よりも、微かに強い光を保っている。
「術式で周囲の魔力を集約させている。さっきのものより、幾分かは多く魔力を保っているだろう? ──だがこれも」
シグルズが術式上の魔鉱石を取り上げると、先程の魔鉱石と同じように次第に光は失われていく。
シグルズはその石を握りしめると、静かに意識を研ぎ澄ますように瞳を閉じた。
――次の瞬間。
強い光が弾けるように放たれ、魔鉱石は夜空のような青い光を帯びる。内側から滲み出すような輝きが、きらきらと揺らめいていた。
「綺麗……。シグルズ、これって……!」
「いや、まだだ」
シグルズを見上げた星羅が再び魔鉱石へと視線を戻すと、光はゆっくりと衰え、やがてただの鈍色の石へと戻っていった。
「どれも反応はあるのに、溜まらない……どうして……」
星羅は石を見つめたまま呟く。
「魔鉱石が使用された時点で、おそらく〝空いた〟状態になるのだろう。一度空いたものは閉じられない。だから、溜まらない」
「……〝空いた〟状態……」
星羅はその言葉をなぞるように繰り返した。
淡々とした声で、シグルズは続ける。
「魔力は流れる。地脈も、術式も、俺の魔力も――すべて同じだ」
その視線が、手の中の石に落ちる。
「だが……火は、少し違うように見える」
「火……?」
「あれは流れるだけじゃない。形を変えながら、その場に留まり続ける」
はっきりと断定するでもなく、観察をなぞるような口調だった。
「……もし、ああいう在り方で魔力を留めることが出来るなら」
そこで言葉を止める。
結論までは踏み込まず、ただ手の中の魔鉱石を見つめている。
星羅もまた、その視線を追った。
淡い光を失った石は、何事もなかったかのように沈黙している。
――けれど、先ほど確かに輝いていたことを、星羅は覚えていた。
「……試してみる価値は、あるってことですよね」
「ああ」
短い肯定。再び、静けさが落ちる。
水の滴る音だけが、一定の間隔で響いていた。
その沈黙を、星羅はほんの少しだけ迷ってから破る。
「……ねえ、シグルズ」
「なんだ」
「明日、その……ディヴィヌス祭、なんだけど。フェルモント広場で、聖火が灯るって聞いて。山の方も、すごく綺麗らしくて……」
ほんの一瞬だけ言い淀み、それから顔を上げた。
「もしよければ、一緒に行かない? ……聖火が何かヒントになるかも」
「……祭り、か」
短く呟いてから、手の中の魔鉱石へと一度視線を落とした。
「人が多いのは、あまり得意じゃない」
やはり、いつも通りのそっけない調子。
けれど──
「だが……確かに、聖火には何か手掛かりがあるかもしれんな」
「うん。じゃあ……決まりですね」
星羅は小さく頷く。
「……ああ」
「迷ったら困りますし、一緒に行きましょう」
「お前も初めてだろう」
「……あ」
一瞬言葉に詰まり
「……その時は、その時で」
少し誤魔化すように言うと、シグルズはわずかに目を細めた。
それが笑みだったのかは、分からない。
けれど。
地下牢の重い空気の中に、ほんのわずかに違う温度が混じった気がした。




