プロローグ─宿命の星─
今日は大学の天文サークルの仲間と、観測合宿と称したグランピングに来ている。
「名前に〝星〟がついてるのに天文入らないなんて言語道断!」
そんな理不尽な理由で友人に誘われて、なんとなく入ったサークルだったけど、静かに夜空を見上げる時間は思っていたよりずっと心地よく、先輩や仲間たちも、他のサークルと比べて陽キャ過ぎないのがちょうど良かった。
──それに。
サークルに、気になる人ができたとなれば、楽しくないわけがない。
お酒とBBQでひとしきり盛り上がった後、空気が少しだけ静まる。観測にはちょうどいい時間帯だ。
「先輩、コーヒーいかがですか?」
湯気の立つマグカップを差し出しながら、できるだけ自然を装って隣に腰を下ろす。
受け取る指先が、ほんの少し近いだけでドキドキする。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、他の皆は少し離れた場所で観測を始めたので、夜空を見上げていると、まるで本当に世界にふたりきりのようだった。
秋の夜気は少しひんやりしていて、吐く息が微かに白くなる。
「ちょっと冷えてきたな」
隣で先輩が、気楽な調子でそう言った。
「ですね。でも、このくらいのほうが星は綺麗に見えるって聞きました」
「うん、空も澄んでるしな。ほら、あそこ」
先輩が軽く顎で示す。
「〝すばる〟今日はけっこう見えてる」
言われて目を凝らすと、小さな星がまとまって瞬いているのが分かった。
少しずれた眼鏡を、そっと指で押し上げる。
「ほんとだ……思ったより、ちゃんと分かるんですね」
「慣れるとすぐ見つけられるよ」
そう言ってから、少しだけ笑う。
「まあ、自分の名前だからってのもあるけど」
──そういえば。
「……先輩って、どうして天文サークルに入ったんですか?」
「ん? ああ、それな」
先輩はコーヒーに息を吹きかけながら答える。
「名前が〝昴〟だからって、友達に半分ノリで連れてこられた」
「やっぱり」
「〝お前は入る運命だろ〟ってさ。わりと強引だったな」
苦笑しながらも、どこか楽しそうだ。
「最初は正直、そんなに興味なかったけど」
視線を空に戻す。
「こうやって見てると、なんだかんだ面白いよ。季節で全然違うし」
「分かります。今日も、夏の星とちょっと変わってきてますよね」
「うん。あっち、もうオリオンが顔出しかけてるし」
「え、ほんとですか」
「ほら、あの辺。まだ低いけど」
先輩が指差した方角を覗き込むように身を寄せると、微かに肩が触れた。
地平線のあたりに、見覚えのある並びがわずかに見える。
「……ほんとだ。なんか、季節が変わるのが分かりますね」
「だな」
先輩は軽く頷いてから、何かに気づいたように、ふとこちらを見る。
「あ、……もしかして、明智も同じ口?」
苦笑しながら、コクン、と相槌を打つと、悪戯っ子みたいに先輩が笑った。
「〝星〟の元に生まれた者の宿命かぁ!」
顔を見合わせ笑って、また空を見上げる。さっきよりも、距離が近く感じる気がした。
「でも」
小さく息を吐いてから、視線を向ける。
「今は、好きです」
「……うん」
少しだけ静寂に包まれる。
遠くで誰かがはしゃぐ声と、風に揺れる草の葉音。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
──どうか先輩に聞こえていませんように。
「そういえばさ、明智の〝星羅〟って名前の意味、知ってる?」
コーヒーを啜りながら、先輩が思い出したように口を開いた。
「〝星が羅なる〟って意味なんだって。綺麗な名前だよね」
小さい頃に、親に一度は聞いたはずなのに、そんな事、すっかり忘れていた。
〝羅〟なんてちょっと重々しいし、〝星〟までついて、地味目な自分にはなんだか似合わない気がして、正直、あまり好きじゃなかった名前。
だけど……。
「私、あんまり好きじゃなかったんです。この名前」
少しだけ視線を逸らしてから、続ける。
「でも、先輩にそう言ってもらえたなら……これからは、好きになれる気がします……」
言葉にしてから、胸の奥がじんわりと熱くなる。
──好き。
さっきまで口にしていたそれと、同じはずなのに。
星が好きで、サークルが好きで、ここにいる時間が好きで。
その〝好き〟が、少しずつ形を変えて、今、胸の中でひとつに重なっていく。
自分でも分かるくらい頬が熱くなる。
「……好きになるのは、それだけ?」
そう言ってはにかむ先輩の頬も、ほんのり赤く見えるのは、きっと気のせいなんかじゃなくて。
その時、少し離れた場所にいた仲間たちの歓声が上がった。
振り返ると──。
紺碧の夜空に、雨のような流星が降る。
まるで、胸の奥に溜まっていたものが、静かにこぼれていくみたいに。
思わず立ち上がろうと手をついた先で、温かな指先が重なった。
──このまま、もう少しだけ一緒にいられたらな。
「──昴先輩、私……」
その瞬間、眩暈のように視界が歪む。
言いかけた言葉は、先輩の横顔と共に、光に溶けた。




