第十六番歌:アヅサユミ、引く(四ー技)
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【もみぢ葉の 流れてとまる みなとには 紅ふかき 浪やたつらむ】
『古今和歌集』巻第五・秋歌下、第二九三番歌。青アヅサユミの詠唱により、いおんブルーが立つ一帯が川となった。
「冷たい、本物……ですか」
足首が、水に浸される。十二時の方向から流れくるは、紅き連なり―。
「血…………?」
【もみぢなり。我は、悪しきもてなしはせず】
水の布地に、紅葉が点々と、または、集まって、模様を生み出す。秋の錦が、いおんブルーの瞳に焼きついた。
【汝の祖父、弦志は、水くくるに惜しき人なりけり】
領巾の端が裂かれた。
「どうも……です」
露草色の長剣を閃かせて、いおんブルーは抑揚のない礼を述べた。
【祓を刀にせしか…………!】
今度は袴を切られる。ひだがくずれて、みっともない。神はスーパーヒロインの背後に回った。
「撃ち落とす……」
目が利くブルーは、武器を銃型に切り替え、空気の弾を発射した。対象に当たり、紅の川に沈めた。
「決着……です」
【―侮られしものよ】
葉を払いあげて、青アヅサユミが流れる衣より身を起こした。
【陣を敷けぬ汝に、敗るる我にあらじ】
いおんブルーは若干、戸惑った。アヅサユミの分身が、さらに増えていたのだ。
【我を濡らしき】
【許すまじ】
【汝に慮りは無きや】
【畏れの情、つゆほども無きや?】
【つれなし!】
【鬼だに我を溺れさせぬものを】
数多なるずぶ濡れの女神が、じりじりと近づいてくる。
「本体は、どれ……?」
剣型にした「沖つ青波・改」を、群がる青アヅサユミの胸へ振り下ろしてゆく。悲鳴をあげ、切り口からは濃い薄いの紅葉を含んだ真水がほとばしる。
【川が絶えぬ限り、我を切れぬと心得よ!】
【あなや!】
【真の我は、此処なり!!】
うるさくされても、いおんブルーは顔色ひとつ変えず剣を離さなかった。
【冷めた娘なりけり】
【我を木偶とみなしたるや?】
【未だ陣を敷かず。いたづらに切りても】
「陣…………?」
六時の方角に退避して、いおんブルーが問うた。
【知らぬならば、教ふるが定め】
【陣は、祓を己がものにした証】
【陣を敷けて、はじめて一人前となる】
【汝は、かたほなれば……】
【我に勝てぬ!】
分身体の分身が、矢継ぎ早に返す。
「陣は、イメージすれば、出せる……ですか」
【汝が頭にて、考えめぐらせよ】
最前線にいた青アヅサユミの領巾が、ヒロインの手首を絞めた。引っぱられて、うつ伏せに水面へつく。
【弦志と同じくして、息絶えさせむ】
後頭部をもう一柱におさえられ、四肢の自由も利かなくなった。アヅサユミ達が、反撃に出たのだ。
無駄に暴れるな、もっとたかられる。耐えて、祓を行使しろ。針状にして、遠ざけようか。風船のように泡を膨らませて退かせる方法は? 蒸気で熱するか…………形が幅広くて、かえって選びにくい……実現、しないと…………終わ……………………
幻、だったのだろうか。せせらぎの音は消えていて、いおんブルーは、モノトーンのパンツルックに……変身前の姿に戻っていた。
「唯音、唯音……」
お祖父さんが、呼んでいる。だけれど、傍らにいるのはオニヤンマ。
「そうだ、まさかのオニヤンマだよ」
あごが外れそうになった。とんぼが、人の言葉を操れるとは。
「いわゆる転生をしてな。研究と執筆はできないが、すいすい飛べる。神様のご褒美でな、こうして話せる」
快適だぞ、とオニヤンマは宙返りした。
「私は…………」
「それは決して口にしてはいかん。戻れなくなる」
じぐざぐに唯音を周り、ある一点で止まった。
「唯音、ごらん。何に見える?」
きれいに三列並んで空に遊ぶ物体について、唯音は見たままに答えた。
「羽の、ついた、色鉛筆……です」
弦志はお構いなく笑った。
「想像が足りんなあ。あれはとんぼだよ、私がこしらえたのさ。これも神様にいただいてな、頭に描いたものを形にできる。本になれんのが、惜しいところだ」
おそらく六十色あるだろうとんぼらは、弦志をからかうかのように散らばっていった。
「私はようやく、自由にやれている。妻にも会えた。立浪川の葦として生きていた」
「そう……ですか」
「唯音はどうだ。好きにできているか?」
唯音は、下を向いた。
「お祖父ちゃんがいなくなって、遠慮がちになったんじゃないか? やりたいと望んでも、ストッパーがかかって、手前で引き返してな」
「私、まゆみさんに、会いたい……」
言葉の雨粒が、ぽつぽつ降り出す。
「会うには、倒さないと、ならない、アヅサユミを、私は、溺れそうに、なって、いる、陣を、出さなければ、私は…………!」
「分かったよ。大変な時こそ、頭を冷やしなさい」
オニヤンマが、孫の肩に憩う。
「お祖父ちゃんはな、蝉かタニシの予定だったんだ。だが、無理を言ってこれにしてもらった」
「なぜ……」
「唯音、とんぼを気に入っていただろう」
唯音の息が、震えた。
「水の上を、チョンチョンはねる様子と、四枚の翅が、をかし、とな。お母さんが着せたお洋服をびしゃびしゃにして、追いかけていたじゃないか」
「恥ずかしい……です」
「唯音も、とんぼをやってみないか?」
複眼が、青く光った。
「人間をやめるんじゃないぞ。翅を作るんだ。お前の力でな」
「祓……?」
「イメージをしぼるんだ。これをしたい! と決める。阻む人は、いないぞ。今こそ、自分に正直にならないと」
「自分に、正直…………」
オニヤンマが、飛行を再開する。
「をかしなとんぼに、化けてやりなさい!」
「…………です」
それが、祖父との最後の会話だった。
羽を、背中に。角をたたせて、のしかかる神を怖がらせろ。私は、とんぼだ―!
いおんブルーは羽ばたき、青アヅサユミ達が紅の水に還る。
【潮時か…………】
むせながら、川を発つヒロインの瞳には、青い三角が映っていた。足元には、正三角形の陣が露草色に潤んで展開される。
「原子見ざる歌詠みは、スーパーヒロイン・いおんブルー……です」
陣の効果で、ヒロイン服が進化を遂げた。三角の意匠が施された巫女風のドレスをまとい、紫水晶の護符が胸元を飾る。
【をかしき羽衣なり】
「いいえ、とんぼ……です」
【『技』の持ち味、惜しみなし!】
青アヅサユミが、矢を三本放った。束ねられ螺旋を描き、スーパーヒロインを穿とうとする!
「へし折る……です」
四枚の羽衣が二手に分かれて、ペンチに形を変えた。水の工具は矢の両側をはさみ、簡単に折ってしまった。
【汝の祓は、量が乏しけれども、いかにぞや?】
「資源を、活用した……です」
いおんブルーの視線をたどると、合点がいった。
【川にて補ひしか!】
「水場を、戦地に、選んだ、あなたの、負け……ですね」
呪いの具「沖つ青波・改」の発射口より、露草色の剣が飛び出す。静かに循環する水は、術者の心情を代弁するかのようであった。
剣を上段に構え、四枚の翅を鳴り響かせ、胸に湧いた技の名を表す。
「H2Oをく袖に 波もかけけり! いおんスラッシュ!!」
涼やかな斬撃が、アヅサユミを縦半分にした。辺りには波を彩った葉が舞い散る。
【荒だてず、然れども激しき攻め。汝が花、しかとこの目に―】
右半身と左半身が引き合い、青アヅサユミは元の形に直った。
【汝の勝なり。良くぞ陣に至れし】
「遠慮を、辞めた、それだけ……です」
いおんブルーは、袖にかかった楓の露をすくい、オニヤンマの形にして放してやった。はかなき水は、たくましく天を渡るのだった。
―「技」のスーパーヒロイン、起動。




