第十六番歌:アヅサユミ、引く(三ー愛)
三
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【幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました】
桃アヅサユミが口ずさむと、トリコロールの巨大テントが出現した。
「中原中也『山羊の歌』サーカスっスな。ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん」
近現代文学が大好きなもえこピンクは、冒頭を聞いただけで当てられた。
【入れ。芸を共に観む】
「ほへー、チケットいらナイんスか? ピンク、サーカス初メテなんデスよ」
【我が唱へし術よ。お代は要らぬ】
もえこピンクは胸をときめかせ、スキップしてアヅサユミに続いた。
席についたのは、もえこピンクと桃アヅサユミの二人しかいなかった。
「イワシ、いナイんデスね」
【しめやかにせよ、幕が開ける】
セロファン貼りの照明が、場の中央へ重なり合い、とても明るくなった。そこに立っている者は、シルクハットをかぶったマッチ棒であった。
「のっぺらぼう!? にゃ、デッサン人形っスか。ピンク、神サマの世界観、嫌イじゃナイっすヨ☆」
ハットのデッサン人形が鞭を振るうと、横の門が解錠され、パイナップルの缶詰が躍り出た。猛獣の役割らしい。缶詰のライオンは、火のついたフラフープを五本くぐって、えさの金平糖を人形にもらった。
「餌付ケもメルヘンっスな」
【序の口なり、次を、早やう】
桃アヅサユミが手を叩く。猛獣使いが引っ込み、別のデザイン人形が二体歩いてきた。モールとスパンコールで着飾った物と、チョコレートの包み紙をガウンにした物だ。
たまに音程が外れるオルゴール曲を伴って、モールのデザイン人形は、ジェリービーンズのジャグリングを披露し、ガウンの人形は、アルミホイルのナイフを的にほいほい投げる。ナイフは、固定されたクマのぬいぐるみの外側に刺さっていった。
【要るや?】
桃アヅサユミのそばで、紙袋が浮いていた。促され、もえこピンクが袋をつかまえる。
「ジェリービーンズ! 綿あめ! ひゃはー、ぷるぷる、フワフワ☆ ホントにイタだイてOKなんスか?」
【ひもじければ、揮へるものも揮へず】
もえこピンクの猫のような目が、大きくなった。
「ソウっスよネ。サーカスの見物ニ来たワケじゃナイっスからネ……」
【すべからく味はふべし。後に我らは、芸の場へ向かふ】
寂しげな顔をやめて、もえこピンクはお菓子をつまんだ。
「バイザウェイ、サイダーがコワい、ってジョーク、アリっスか?」
桃アヅサユミは、呵呵と笑った。
閉演した舞台は仄暗く、華やかな世界の裏側を端的に示していた。
【我を越えたくば、陣を敷け―】
領巾をあちらへ、こちらへ、振り、電球をいくつか顕現させた。
「手元ガ見エにくカッたんデスよネー!」
電球のおかげで、両者の姿が分かるようになった。ついでに、観客席もだいたい確かめられた。先ほど座っていた所には、ルビーグレープフルーツサイダーの空きカップが立てかけられてあった。
「ふにゃは! お客サン!?」
芸は終わったというのに、ちらほらとスーツやワンピースが入ってくる。「普通」と異なる点は、イワシが人の衣服を着て、しっぽで歩行していることだ。
【浮かれるべからず。ゆかむ!】
桃アヅサユミが、簪にしていた弓の弦を鳴らした。白檀の香り漂い、夢幻の音がテントに響く。
「ドコからデモ、カモンっス!!」
もえこピンクは、呪いの具「共感のシグナルシグナレス」を竹刀よろしく構えた。
【出でよ、常夏の獅子】
弦を聞きつけ、ドラム缶が転がった。アヅサユミの隣で止まり、ふたをへこませて吠えた。
「オ徳用のパイナップル缶っスか? 一年分ハいけマスね」
呑気に言うものではなかった。パイナップル缶が、本物のライオンに化けたのだ。たてがみは輪切りの果実であったが、肉に飢えて今にもヒロインに噛みつきそうだった。
「ひえー!」
陸では分が悪い。もえこピンクは「共感のシグナルシグナレス」にまたがって、空に逃げた。ハートの杖から、撫子色の祓が噴射して、星くずをふりまいていた。
「浄化させナイとデスね」
杖の頭部を外し、パイナップルライオンにかざした。
「シグナル・マリアージュ☆」
ハート形の灰簾石がちりりと光り、ライオンをきらきらの粒子に分解した。
「エクセレント!」
【兜の緒は締めよ】
籠手を交互に打って、桃アヅサユミは万歳した。穴があるわけではないのに、天幕に霰が降る。
「イタ、イタっ!」
霰にしては、硬くて大ぶりだ。それもそのはず。
「胡桃ト落花生!? 危ナイじゃナイっスか!」
【砂糖の豆は、なまぬるし】
「そーイウ問題じゃナイっスよ!」
杖の先に祓を張って、傘として使う。ゆるやかに着地して、相手の出方を伺った。
【陣を敷け、さもなくば】
空に弓を掲げて、胡桃と落花生を消し、また弦を爪弾いた。たくさんの牡蠣の殻が、桃アヅサユミの頭上に現れ、浮き沈みした。
「牡蠣……身ハ大歓迎デスけド、殻ハお世辞ニモ美シクなクテ……」
【汝には、貝の殻に見ゆるか】
弓が前に突き出されるのに合わせて、牡蠣の殻がもえこピンクに襲いかかった。祓の傘で防ぐも、長くはもたず、破られてしまった。なんと殻は、ペーパーナイフに変化していたのだ。
【的は、汝なり!!】
壁に追い込まれ、もえこピンクの輪郭をなぞるようにナイフが続々と刺さってゆく。
「ピンチっス…………」
陣ハ、魔法陣ノ略デスか……? ピンク、ネイタルチャートなラ、イメージできマスけどネ。
「はあアアッ!」
太陽、月、七の惑星、準惑星を黄道十二宮で囲んだ図が、「愛」のスーパーヒロインの前にできた。
「神サマ、陣はコレっスか?」
弓と文学の神は、押し黙った。
【……占いの図にあらず】
ヒロインは絶叫した。ペーパーナイフが帽子を落としたのだ。次、失敗すれば、帽子のような末路が待ち受けている!
「標本ニハ、サレたくナイっス!」
【十数へる。終わるまでに、正しき陣を敷かねば、命は無し】
一、ネイタルチャートの他に、魔法陣はある。
二、でも、アニメやゲームのものではなさそうだ。
三、「愛」の祓で描ける陣は、どんなデザインだ?
四、抽象的なものを表現するって、なかなか難しい。
五、愛……愛……当たり前のように言葉にしているけど、本当に解ってる?
六、ハズレたら、おしまい。
七、なら、後悔しない答えでいく!
八、シンプルに、キュートに!
九、十…………。
【さらば】
「処刑ハ、まだデス!」
左手をてっぺんまでゆっくり上げて、右の人差し指で素早く陣を作った。衣装、武器に用いている印を円で囲み、閉じる。
【肝を冷やすものよ】
桃アヅサユミはナイフを落とし、腕をさすった。
「こよい会う人皆美シキ☆ スーパーヒロイン・もえこピンク!」
撫子色の陣が、テントをくまなく照らした。スーパーヒロインの瞳には、陣に描かれた印が灯る。憧れのヒロインである「マキシマムザハート」を意識した衣装が、完全に覚醒したことで、神道の巫女をモチーフにしたものに変わった。愛の図形、フリル、レース、ビジューが盛りだくさんの洋風アレンジ。胸には、トルコ石の護符。帽子は、以前のナースキャップと水兵帽を足して二で割った物から、つばの広い騎士風に新調された。
「『優』判定、くだサイよ☆」
【我に勝ちたる暁には―】
牡蠣の殻と、イワシの客がスーパーヒロインへまっしぐらに泳ぎだした。総攻撃か、不足なし。
「梅の花書く、新シキ歌☆ もえこフォーエヴァー!!」
乙女な杖「共感のシグナルシグナレス」が瞬き、ラブリーな形の寒天が、いっぱいできあがった。中には貝殻だったり、魚だったり、神様を固めた物もあった。
「実家ノ和菓子屋デ、好ンデ食ベラれたノハ、錦玉羹なんデス」
もえこピンクは、ひとりでに下がってきた鞦韆に腰かけた。
「金魚トカ季節の花ガ、ベストな状態デしまワレてルんデス。ピンクには、永遠ノ象徴でシタ」
ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん。詩の通りに揺れた。
「ショーのフィナーレっス!」
杖をくるり回して、錦玉羮へ無数の光線を浴びせた。それぞれ乱反射して、スペクトルとなって浄められた。桃アヅサユミだけは、原形を留めていた。
【光の手妻、良し。汝が花、さかりなり】
もえこピンクは、鞦韆の上で感極まりジャンプした。
―「愛」のスーパーヒロイン、見参。




