31 フレデリカの決意
食堂が休みなのに甘えて、私は昼間から眠りについた。起きていると、絶えず思考が悪い方に向いてしまうからだ。
起きると既に日が暮れた後だった。
部屋の中は真っ暗で、眠い目をこすりながらランプに火をつけた。
私はもう一度、グランからの手紙に目を通す。
本当は、すぐにでも決断しなければならないのだろう。避難するのか、それともグールと戦うためにアルゴル領に向かうのか。
私は二百年前の魔法絵を思い出していた。
目に焼き付いた、クルトの笑顔。その隣にいた聖女もまた、笑っていた。
彼女は幸せだったのだろうか。突然知らない世界に飛ばされて、強大な敵と戦った。一体どんな気持ちだったのだろう。自分の身を犠牲にしても、誰かを助けたいと願ったのだろうか。
私は、この街で出会った人たちのことを思う。
まだたった三ヶ月。共に過ごした時間で言うなら、神殿の人たちの方が圧倒的に長い。
それでも、ツーリの人々は私に生きる楽しさを教えてくれた。少なくとも、神殿にいた頃より私は幸せだった。
たとえカレンやゴンザレス、クルトが私に過去の聖女を見ていたのだとしても、その事実は変わらない。
分かっている。頭では分かっているのだ。仕方ないということが。
それでも気づくと、悲しみが溢れ出している。優しくされていたのは私ではなかったのだと、二百年前の聖女への嫉妬が抑えきれない。
こんなに浅ましいのに、私が聖女だなんて悪い冗談のようだ。
グインデルの言う通り、本当は悪い魔女なのではないか。皆を守るために犠牲になった人を妬むなんて、どれほど愚かしいことか。
己の浅ましさが心底嫌になっていた時、コンコンと窓を叩く音が聞こえた。
この部屋は、窓からの来訪者がやけに多い。
最初はグランで、その次はクルトだった。
私は体を固くする。
そのどちらだったとしても、今は会いたくない相手だったからだ。
けれど今宵の来訪者は、そのどちらでもなかった。窓の外に、大きな三本指のヒヅメが見えた。慌てて窓を開けると、そこにいたのはフレデリカだった。
私は慌ててフレデリカを部屋の中に招き入れる。
「ごめんね窓から。今日食堂が閉まってたからさ~」
フレデリカが笑いながら言う。普段ならこんなことはしないので、私は戸惑っていた。
「どうしたんですか?」
「んー、ちょっと挨拶していこうと思って。急にツーリを離れることになったから」
フレデリカの言葉に、私は驚いてしまった。
「どうしてですか?」
最後に彼女に会ったのは仮面を買いに行った時だが、その時のフレデリカはツーリを離れるなどと一言も言っていなかったはずだ。
それに彼女は、外の世界のことが知りたくてこのツーリにやってきたと言っていた。それは一朝一夕で達成できる夢ではないはずだ。
なのにどうして。そんな思いでただでさえ疲弊している私の心はいっぱいになった。
それが顔に出ていたのだろう。私の顔を見て、フレデリカは困ったように頭をかいた。
「うーん、それはちょっと言えないんだ。ごめんね」
言えないような理由とは何なのだろうか。
私はより一層混乱した。
単なる旅行等であれば、フレデリカはこんなことは言わないだろう。いつも明るい彼女だ。お土産でも買ってくると楽しそうに言うはずなのだ。
けれどランプの薄明かりに照らされて、フレデリカは見たこともないような寂し気な表情をしていた。
私の中に、嫌な予感が黒いシミのように広がる。
「で、でも。門番のお仕事もあるし、すぐに帰ってくるんですよね?」
「あー……」
フレデリカが言葉に詰まる。
私は息をつめて、彼女の答えを待った。
「門番の仕事は、今日辞めてきたんだ。ちょっと故郷に帰らなくちゃいけなくて」
突然の知らせに、私は愕然とした。
彼女はいつも、門番の仕事を天職のように言っていた。パーピーの自分が、こんな風に他の種族の役に立てるのはありがたいと。
「そ、それは前から決まっていたんですか……?」
絞り出した質問は、自分で思う以上に掠れていた。突然いろんなことがあり過ぎて、自分の心の中でどう処理したものか、私は対応に苦慮していた。
私の問いに、フレデリカは首を横に振る。
「んーん。突然決まった。決まったというか決めた。今故郷が大変らしくて」
「フレデリカさんの、故郷?」
聞き返すと、彼女はしまったという顔をしてくちばしをおさえた。
「あー……うん。なんか厄介なやつらが攻めてきたらしくって」
「た、大変じゃないですか!」
フレデリカの故郷が襲われているというのだ。
そういえば、フレデリカの故郷はアルゴル領の近くなのだ。厄介なやつらと言うのはほぼ間違いなく、グールのことだろう。
予想以上の緊急事態に、私はどう反応すればいいのか分からなくなってしまった。
グランからあんな手紙が送られてきたとはいえ、私はまだグールが暴れ出したと言うことをきちんと理解してはいなかった。
パーピー族のように、被害を受けている魔族が間違いなくいるはずなのに、だ。
「親にはさ、戻ってくるなって言われたんだけど、そんなわけにはいかないよね。あそこは私の故郷なんだ」
フレデリカの言葉は、私の心に重く響いた。
危険を承知で、フレデリカは故郷に戻ろうとしている。大好きな仕事までやめたというのだ。きっと生半可な覚悟ではない。
「大事なんですね」
私には、フレデリカの気持ちが分からない。
母と住んだ故郷は既に遠い。冷たいかもしれないが、故郷の村に何かあっても戻ろうとは思えないだろう。
「大切だよ。育ててもらったんだ。だからグールに好き勝手になんかさせない」
フレデリカは強い口調で言い切った。
「グール、ですか……」
「ああ、サラは知らないかな? 前にも話したかもしれないけど、私の故郷はアルゴル領の近くなんだ。アルゴル領って言うのはグールが住んでるところ。もうずっと大人しくしてたのに、突然領地からでて周りの村を襲い始めたんだって」
フレデリカの話を聞いて、私は冷静ではいられなくなった。
手が震え、やけに寒く感じる。
それを見て怖がっていると思ったのだろう。フレデリカが私を宥めるように言った。
「大丈夫だよ。やつらは王都まではやってこないよ。ここは銀狼王陛下が護っているんだもの」
彼女は羽毛の生えた柔らかな手で、私の肩を優しく撫でた。
人付き合いの苦手な私に、いつも笑いかけてくれた。
自分の方がずっと大変なのに、私の心配までしてくれるフレデリカ。
優しい優しい、私の初めての友達。
「じゃあ、もう私は行くよ。帰ってきたら、また一緒に遊びに行こうね」
そう言って、フレデリカは私の部屋の窓から飛び立っていった。
気づけば空は白み始めている。朝が来るのだ。
朝焼けの中飛んでいくフレデリカの背中を、私はずっと見つめていた。やがて彼女の姿が見えなくなっても、祈るように、ずっと。
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