29 動乱の気配
私の言葉を聞いて、カレンは虚を突かれたような顔になった。そしてしばらく何を言うか迷っていたようだが、やがて大きなため息をついた。
「ああ、確かにそうかも」
「え?」
カレンの返答は、予想外のものだった。
「そう言えば昔、あいつがそう言われて羽根飾り交換してるところ見たわ。あいつ、今もそれを信じてたのね」
これには私の方が驚いてしまった。
それでは、クルトがかつて羽根飾りを交換した相手を、カレンは知っているということになる。
「それはどなたですか?」
私は思わず聞いてしまった。
かつて羽根飾りを交換したという相手のことを、気にならないはずがない。たとえその理由が健康のためだったとしてもだ。
だが勢いよく聞き返した私に、カレンはしまったという顔をした。
どうやらこの話は、私にするつもりではなかったようだ。
重い二日酔いで、彼女も思考能力が低下しているのだろう。
「そ、それよりお祭りはどうだったの? 初めてだったんだろう?」
カレンは露骨に話題を変えようとした。
「話をそらさないでください。お願いします! どうしても知りたいんです」
私の必死の訴えに、カレンはあからさまに困ったような顔になった。
それはそうだろう。
そもそも話さないつもりだったことを、うっかり口にしてしまったのだから。
しばらく私とカレンの間で、無言の攻防が続いた。
彼女の目をじっと見つめる。
しばらく泳いでいたその視線は、やがて諦めたかのように私の方を見た。
「知らない方がいい。後悔するよ」
それは先ほどまでと同一人物とは思えないほど、真剣な声音だった。
私は少したじろいだ。
だが、知らないままずっと気にし続けるなんて無理だ。こんなもやもやを抱えたまま、クルトと今まで通りに付き合うなんてできないと思った。
私が深く頷くと、カレンは疲れたように笑った。
「全く仕方ないね。サラは頑固なんだから」
そんなやり取りをしているさなか、臨時休業の札を下げていたはずの扉が勢いよく開いた。
「ごめんね~。今日は休みなのよ」
間髪入れず、カレンが来客を断る。
誰がやってきたのかと、私は扉に目をやった。
そこに立っていたのは、息を切らしたセシルだった。
「セシルくん!? なんでここに……」
セシルはクルトの側近であるグランの孫だ。
謝肉祭の仮面を譲ってほしいとこの店に来たのだが、かなりの世間知らずでグランからも注意を受けていたようだった。
なのにどうして再びこの店にやってくることになったのだろう。それも、ひどく慌てている。
「た、大変だ!」
そう叫んだセシルの後ろには、護衛らしい男性が数人ついていた。全員が冒険者のような防具を着こんでいて、まるでこれから任務に出かけるところのようだ。
明らかな異常事態に、私は家主であるカレンの表情を伺った。彼女は二日酔いでふらふらになっていたのが嘘のように、まっすぐに背を伸ばし真剣な顔つきになった。
「落ち着いて。一体なにがどうしたんだい?」
「ま、まずはお爺様からの手紙があるんだ。あなたに」
そう言って、セシルは私に一通の手紙を差し出した。
セシルの件を通じて多少改善したものの、グランは私のことを嫌っていたはずである。当然個人的に手紙をかわすような交流はないので、突然の手紙に驚きを隠せない。
「これを、私に?」
尋ねると、セシルはこくりと頷いた。
そしてその手紙には、驚くべきことが書かれていた。
***
ここで、時は少し遡る。
謝肉祭に湧く王都ツーリを眼下に望む、銀狼王の居城。通称銀の城。
サラとの約束を守るため城下に降りようとしていたグランは、アルゴル領に送り出した密偵からの連絡が途絶えたという報せを受け、そのことをクルトに報告した。
若き王は険しい表情を浮かべている。
「ついに来たか」
この知らせを半ば予想していたグランは、思い過ごしであればいいと願っていたことが現実になったことを知った。
そもそもグールが住むアルゴル領は、銀狼国の中でも特殊な土地である。
連なる山脈によって区切られた空は、年間を通して曇っていることが多く別名霧の国とも呼ばれている。
グールは基本的に知能の低い魔族とされ、凶暴ではあるがかつてはそこまで危険視されてはいなかった。
彼らがアルゴル領内のみと行動を制限されるようになった理由は、約二百年前にまで遡る。
グールの中の一個体に突然変異が起こり、強靭な肉体と高い知性を獲得したのである。その個体こそ、アルゴル領の王と呼ばれるボルボロスであった。
ボルボロスは能力でこそ他のグールと一線を画していたが、その性質はグール族らしく凶暴な上にきわめて残虐であり、知性を持つゆえに人にも魔族にも大きな被害が出た。
このことを憂いたクルトは、困難な戦いの末にボルボロスを封じ、グール族をアルゴル領内に閉じ込めたのである。
クルトがまだ王位を継ぐ前の話だ。この功績によって、複数いた王位継承者の中でクルトが次期国王に選ばれたともいえる。
それまでの彼は、王の血こそ引くものの自由を愛する冒険者であった。
以来長い間、クルトは絶えずアルゴル領の状態に気を配っていた。
なぜならボルボロスを封じ込めたとはいえ、当時の彼の力をもってしても完全に打ち滅ぼすことはできなかった相手だからである。
「もう二百年になりますか……」
グランの低い声音に、鬼気迫る顔をしていたクルトは顔を上げた。
クルトにとって、ボルボロスは因縁の相手だった。この世で最も憎く、そして辛酸を味あわされた敵であった。
ボルボロスを封じるために、クルトは当時共に旅をしていた仲間の一人を失ったのだ。
「完全に復活する前に、今度こそ完膚なきまでに打ち滅ぼすのだ。もうなにも奪わせはしない」
強い力を込めたクルトの拳は、震えて白くなっていた。
金色の瞳に獰猛な色が宿る。眉間に皺が寄り、口元からは牙が覗いた。
サラといる時の彼とは、全く別人のようである。
「あの娘は、どうするのです?」
グランの問いに、クルトの顔からは表情が抜け落ちる。
「何が言いたい?」
「連れて行くのですか? あれの力は、ボルボロスを倒すのに役立ちま――」
それ以上、グランは言葉を続けることができなかった。
つかつかと歩み寄ったクルトによって、胸ぐらをつかまれたからだ。まるでサラの部屋に侵入した時と同じように締め上げられ、グランは呻いた。
常ならば、クルトは冷静な為政者である。どんなに感情を乱そうと、このような暴力的な行為に出ることはない。
だがあの娘が関わった時だけ、冷静さを失い歯止めが利かなくなっている。
グランはそのことを危惧していた。
思えば三月前に、突然クルトが城から姿を消したのも、あの娘が原因だった。
黒門によってサラがアルゴル領に転送されたことを察知したクルトは、グランの制止も聞かず単身で彼女を助けに向かったのである。
彼女の他に餌として送られたであろう人間たちは全て、グールによって食い荒らされていた。
クルトは彼らを蹴散らし、傷を負いながらもサラを救いなんとかアルゴル領を抜け出した。
傷はサラによって癒されたが、冷静とは対極にあるその行動をグランは危惧していた。
当初サラに厳しくあたったのもこのためだ。
グランにとって彼女は、クルトを危険に晒す存在だった。
一方で、孫の暴走によってサラの為人に触れ、彼女自身はよくも悪くも善良な娘だという認識に至った。
あの娘がただの人間であれば、グランはクルトとの関係を祝福したことだろう。
多数の種族が暮らす銀狼国にとって、異種族間の結婚はそれほど珍しくはない。吸血鬼のグランですら、ユニコーン族の女性を娶ったほどである。
だが、サラはただの人間ではない。聖女である。
一目見ただけで、その魔力の大きさが窺い知れた。人の身であれほどの魔力を有し、どうして平気な顔をしていられるのか、不思議なほどだ。
そう。グランもクルトも、最初からサラが聖女であると知っていた。
むしろ聖女でなければ、これほどクルトが心乱されることもなかっただろう。
なぜなら――二百年前に犠牲となったクルトの仲間というのは、異界からやってきたとされる聖女なのだから。
だからボルボロスと相対する前に、彼女をどうするつもりなのかグランは確かめておかねばならなかった。
彼女の力は、ボルボロスを倒すのに役立つ。それは間違いない。
かつての聖女は、そのために前線に出て戦ったのである。
しかし現在、全力でサラを守ろうとしているクルトは彼女が前線に出てくることを良しとしないだろう。
二百年前は、聖女の力をもってしても完全に倒すことができなかった相手だ。サラが戦いに参加しなければ、グール討伐は熾烈を極めるだろう。
どれほどの兵が死に、被害が出るか想像もつかない。
王として、国民の命と聖女の命。そのどちらを取るのかと、グランは問うたのだ。
聖女惜しさに、この国の住人んを不要な戦乱へ陥れる気かと。
確かめたかったのはクルトの覚悟であり、その意志だった。
冷静さを取り戻したのか、クルトがグランから手を離す。
グランは息を整えながら、じっと己の主を見つめた。
聖女を失ってから氷のように感情の起伏が少なかったクルトが、今ではこうして怒り、グランと睨み合いになることもしばしばだ。
けれど少なくともその変化を、グランは悪いとは思っていなかった。
むしろ己が主君が昔に戻ったようで、少しだけ嬉しい思いもあったのだ。
だが、それとサラのことは、どうしても分けて考えねばならない
「サラは連れて行かない。カレンとゴンザレスをつけて逃がす。我々は遠征の準備だ」
「……承知いたしました」
グランは了承して腰を折ると、抗うこともなく部屋を出た。窓からにぎやかな街を見下ろすこの国の王は、なんとも苦々しい顔をしていた。




