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第七章/2

第七章/2



 けっきょく休日中にしたことといえば、宿題に取り掛かっては集中力がきれて寝たり本を読んだりして時間を浪費し、このままではいかんと奮起し直してはまた集中力をきらすということの繰り返しだった。


 なんとか宿題は間に合わせたものの、消化不良感は否めない休日になってしまった。


 週明け。

 どこか上の空な気分を抱えたまま授業を終え、いつものように弥子や小次郎と休み時間を過ごし放課後をむかえる。


 そしてこれもまたいつものように放課後の第一音楽室へむかう。


 小次郎に、姫宮さんのことをどう思っているかきかれて以来、変に姫宮さんのことを意識させられてしまって、今日一日どうにも気分が散漫だった。


 変にぎくしゃくしてしまってもよくないし今日は行くのをやめておこうかとも考えたが、姫宮さんには「また月曜日に会いにいく」と約束してあったし、話しておきたいこともあったのでやはり行くことにしたのだ。


 第一音楽室に入る。


 姫宮さんはいつもの席に座っているのではなく、音楽室の窓辺に立ち、窓ガラスに手をあてて、そこから外の様子を眺めているようだった。


「おっす」


 声をかけてみるが、返事はない。ヘッドホンをかけているから気づかないのだろう。

 うしろから軽く肩を叩くと、


「えっ、あ……カズアキさん」


 身をすくませて、すこし驚き気味に姫宮さんは振り返ったが、すぐに落ち着いた表情に戻る。ポケットに入れていたウォークマンを取り出して停止ボタンを押すと、ヘッドホンを外して首にさげた。


「なにか見てたのか?」

 俺は姫宮さんのとなりに並ぶようにして窓のまえに立った。


 外を見てみると、校庭では陸上部と思しき生徒たちが準備運動をしているようだった。他にも下校中の生徒や、掃除をしている生徒などもちらほらいる。


「いえ、とくに目的があって見ていたわけではないんです」

 こたえながら姫宮さんはふたたび窓の外をみる。

「なんとなく、ながめていただけで」


 ふと横目で見てみると、姫宮さんはせつなげな目をしていた。憂いの色を帯びた感傷的な目を。


 俺も窓のほうへ視線を戻して、

「ここにいて、寂しくなったりはしないのか」


 そう問うた。


 姫宮さんはいつもこの第一音楽室にひとりでいる。朝早くから、放課後までずっと。いや、もしかしたら下校して、親戚に借りているというアパートに戻ってからもひとりなんじゃないだろうか。


 彼女はもうずいぶんと長い間、そんな生活を繰り返していて。


 そんな毎日は、あまりにも寂しすぎやしないだろうか。


 姫宮さんは下をむいて逡巡し、

「ときどき、あります」


 所在なさげに手を窓にやって、静かな口調でこたえた。


「ふだんは、ヘッドホンをかけているからきこえませんけど、ときどき外してみると、校庭の方からみなさんの声がきこえてきたりして。それがとても元気で、快活で。窓からながめてみると、楽しそうに遊んでいたり、元気に体育の授業をしていたりして」


 姫宮さんはそっと手を離すと、ゆっくりと窓に背をむけた。後ろ手に組んで、ぼんやりと天井を眺める。


「なんだか、みなさんのいる場所と、わたしのいる場所は同じ学校内のはずなのに、この窓の内と外には大きな隔たりがあって、まるで別のふたつの世界が隣接しているような、そんなきもちになるんです」


 そして姫宮さんは、押し殺すように息を吐き、

「でもそれは、わたしが選んでやっていることですから」


 納得している、そんな顔をしていた。


「あのさ――」

 俺は、ある話を切りだすことにした。それは明日に行われる文化部発表会に関することだ。


「明日の午後さ、文化部発表会があるのは知ってるよな」


 M中学では文化祭がないかわりに文化部発表会というものがある。かわりといっても文化祭のような大々的な行事ではなく、午後の二限ぶんの授業時間をつかって体育館で文化部や有志が発表をするという簡易的なものだ。ちなみに科学部はとくに発表をする予定はない。


「はい」

 姫宮さんはこくりと頷く。


「もし良ければさ、ほんとうに気がむいたらでいいんだけど、姫宮さんも見に来ないか」


「えっ……。えっと……」

 姫宮さんはじゃっかん戸惑い気味だった。俺は間髪いれずに話を続ける。


「ずっとここに居たんじゃ息が詰まっちゃうだろ? だからさ、気分転換にどうかなって。弥子も演劇部として発表に出るんだけど、姫宮さんにも見てほしいっていってたしさ」


 第一音楽室にとじこもるのをやめさせるとかは関係なく、純粋に息抜きになればなと思っての誘いだった。ちなみに姫宮さんを文化部発表会に誘おうというのは俺の独断だが、弥子が姫宮さんにも見てほしがっているというのは本当の話だ。


「でも……」


 姫宮さんの様子は嫌がっているというよりも迷っているというふうに見えた。俺はさらに押すように、


「教室に来るんだとみんなの目も気になるだろうし、継続して行かないといけないような感じになっちゃうけど、文化部発表会を見るってだけならその日限りでいいわけだしさ。場所も体育館だからべつに目立たないし、クラスの列に並びづらいようなら、うしろの方でこっそりさ」


 文化部発表会は自由に観覧できるわけではなく、朝礼や式のようにクラスごとに列になって並ばなくてはならいのだが、保健室登校の生徒を連れてくるという名目で先生に頼めば、多少のイレギュラーは許してもらえると俺は考えていた。


 姫宮さんはしばらくの間、黙って目線をふせ、俺の提案について考えてくれているようだった。そして、


「そう、ですね。……はい、わかりました」


 静かに頷いて、了承してくれた。


「ただ、その……お願いがあるんです」

 不安げな顔で姫宮さんはいった。


「なんだ?」


「一緒に、いてくれませんか? ひとりは心細いので」


「ああ、構わないよ」


 むしろ俺は最初からそのつもりだった。ふだん教室へ来ておらずクラスメイトたちとの交流が取れていない姫宮さんを連れ出しておいて、そのまま体育館へ放置するのはあまりにも薄情だ。チェスの盤上にひとつだけ将棋の駒を放り込んで前進させるような居づらさを感じてしまうだろう。


「ありがとうございます」


 丁寧にお辞儀をして、姫宮さんはほほ笑んだ。その笑みは数センチわずかに目元が動くような細かなもので、ほんとうに控え目なものだったが。


「それじゃ、明日の昼休みにむかえにくるよ」


「はい」


 文化部発表会を見る約束を取り付けると、俺は近くの席に腰をおろした。姫宮さんも同じように手近な席へつく。



 いつものように雑談をしたり勉強を教えてもらったりしているうちに一時間ほどが経過していた。陽も落ち始めて第一音楽室は橙色に染まり始める。


「それじゃ、そろそろ帰るかな」


 これくらいの時間に、姫宮さんより一足先に第一音楽室を出るのがいつものパターンになっている。


 俺は鞄を肩に立ち上がる。と姫宮さんが、

「あの……。最後に、ピアノを弾いてもらっても、良いですか」


「ピアノ? ああ、そういえば今日は弾いてなかったな」


 放課後に姫宮さんと会ったときはよく俺の丸暗記式のピアノを弾いたり、最近はそれを教えたりしていたのだが、そういえば今日はピアノを弾いていなかった。


「じつは、カズアキさんのピアノを聴くのが、楽しみなんです」


「へえ、そうだったのか。俺の子供だましのピアノじゃ、なんか恐縮だけど」


 俺のつたないピアノを聴きたいと思ってくれているとは意外だった。


 俺はピアノのまえに着席すると、鍵盤蓋をあけた。


 そして鍵盤に指を置き、いつもと同じ曲を弾きはじめる。


 技術で劣るぶん、できるだけ心を込めて丁寧に演奏することを意識する。第一音楽室の静寂を、ピアノの音色が彩っていく。


 姫宮さんもまた、いつものように傍の椅子に腰をおろし、穏やかな表情で演奏を聴いていた。

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