表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/3

勇者から全てを奪い返す

 渓谷に沿った細い道を、アメリは俯きながら歩いていた。


 両手には冷たい手枷が嵌められている。鎖が鳴るたび、胸の奥が沈んだ。もう三時間は歩かされている。足の裏はじんじんと熱を持ち、喉はからからに乾いていた。


 前を行くワタナベが、ようやく立ち止まる。


「この辺で昼にするか」


 その声に、アメリは少しだけ顔を上げた。切り立った岩肌の下には浅い川が流れ、風が渓谷を抜けていく。景色は綺麗だった。けれど今のアメリには、何も見えていなかった。


 お兄ちゃんはどうなったのだろう。


 昨夜の光景が頭に浮かぶ。血まみれで倒れた兄の姿。骨の折れる音。壊されていく体。喉の奥が詰まった。


 ワタナベとヨシダは、村から奪った食料を岩の上に広げていた。干し肉にチーズ、果物にパン。小さな村ではそうそう見られないほどのご馳走だ。二人は酒まで取り出して、上機嫌に笑っている。


「おい、シスター」


 ワタナベがアメリを見た。


「お前にも飯をやるよ。ありがたく食え」


 そう言って放り投げてきたのは、器に残っていた冷えた飯だった。地面に落ちた拍子に砂利が混じり、白い米粒が土にまみれる。


 残飯を見つめるアメリを見て、ワタナベは嫌らしく口元を歪めた。


「手は使うなよ。這いつくばって、口だけで食べろ」


 アメリは黙って、それを見つめた。昨日、湖で釣った魚を思い出す。二匹しか釣れなかったのに、お兄ちゃんは笑っていた。


 『今焼いて食って、夜はどっか連れてってやるよ』


 そう言ってくれた兄の顔が胸を刺す。


 アメリは小さく首を振った。


「……あなたたちに貰ったものなんて、いりません」


 空気が止まった。


「ふーん」


 ワタナベが立ち上がる。


 次の瞬間、アメリの腹に強烈な蹴りがめり込んだ。


「かはっ……!」


 体がくの字に折れ、その場に膝をつく。胃の中のものがせり上がり、呼吸がうまくできない。


 ワタナベはそんなアメリを見下ろして、面白がるように笑った。


「気が強いな。ご褒美に面白いことを教えてやるよ。……あの村はなぁ、今ごろ山賊に襲われてる。お前の大好きなお兄ちゃんも、もうこの世にいないかもな」


 アメリの体がびくんと震えた。

 その言葉が胸に刺さる。


「……うそ」


 声が出なかった。喉が引きつくだけだった。


 ワタナベはさらに笑みを深くした。


「嘘なもんか。後でごちゃごちゃ騒がれても面倒だからな。俺は後片付けはきちんとしてるんだ」


 アメリはその場に崩れ落ちた。


 嫌だ。そんなはずない。けれど、あの体で立ち上がれるはずがない。

 そう思った瞬間、胸の奥で何かが崩れた。


「あぁ……いやっ……ぅぁあああぁぁー!!」


 渓谷に絶叫が響き、ぽろぽろと涙が落ちる。


「やっぱり弱い奴が絶望する顔は最高だぁぁ……」


 ワタナベが涎を垂らしながら、恍惚とした表情で言った。


「興奮したら食事だけじゃ物足りなくなってきたな。そろそろこっちの世話もしてもらおうか」


 虚ろな目をするアメリに、ヨシダが背後から抱きついた。


「勇者様、今度はすぐ壊さないでくださいよ。私もじっくり楽しみたい」


 下卑た笑い声が耳にまとわりついた、その時だった。


 ――ゴッ。


 鈍い音が響いた。


 ヨシダの頭が横から弾け飛び、血と肉片を撒き散らしながら崩れ落ちる。


「……は?」


 ワタナベが目を見開く。


 アメリも何が起きたのか分からず、ただ呆然とした。渓谷の上から、小さな石がころりと転がり落ちてくる。


 その先に、人影が立っていた。逆光を背にしたその姿がふっと跳ぶ。次の瞬間、目の前に影が落ちた。アメリは瞳を見開いた。


「……お兄、ちゃん……?」


 息を整えながら、まっすぐアメリを見た。血に濡れた道の上、その声音だけが不思議なくらい穏やかだった。


「遅くなってごめんな」


 唇が震える。夢じゃない。本当に、お兄ちゃんだ。アメリの目に、先程とは違う涙が滲んだ。


「お兄ちゃん……!」


 ワタナベが叫んだ。


「な、なんで生きてる……!」


 だが、すぐにその顔は怒りと嘲笑に染まる。


「はっ、そういうことか。また新しいペットを連れてきてくれたのか」


 視線がシオンへ向く。白と青の法衣をまとった聖女は、一歩前に出て静かに告げた。


「教会の名において、あなたを討ちます。勇者ワタナベ」


 ワタナベは鼻で笑って、舌なめずりをした。


「……聖女か、こっちもいい女だ。お兄ちゃん、ペットの礼だ。まずはお前を二人の前でぐちゃぐちゃに殺してやるよ」


 シオンが手をかざす。金の髪が風に揺れ、澄んだ声が渓谷に響いた。


「蒼雷よ、罪ある者を穿て。天を裂きし裁きの槍――《ブルー・ボルト》」


 青白い雷光が一直線に走る。


 だがワタナベは、片手でそれを払い落とした。雷が弾け、火花となって散る。


「所詮お前らはこの程度だ」


 その時、俺は一歩前に出た。


「シオン、下がってろ。こいつは俺がやる」


 ワタナベが口元を吊り上げた。


「そう来ないとな。圧倒的な格の違いを知るといい」


 勇者は剣を抜き、自分の体へ次々と魔力を巡らせる。


「《聖躯強化》」

「《剛力解放》」

「《神速加護》」


 光がその体を包み、筋肉が膨らみ、足元の砂利が弾け飛ぶ。見せつけるような強化だった。


 アメリが息を呑む。


 ワタナベは大仰に剣を掲げた。


「喰らえ! 《神斬断剣ディバイン・スラッシュ》!!」


 振り下ろされた剣から光の斬撃が放たれる。轟音と共に地面が裂け、土煙が高く吹き上がった。


「ヒャハハハ! Sランクの剣技だ。勘違い兄貴には勿体無かったかなぁ?」


 だが、煙が晴れた時、ワタナベの顔色が変わった。


「……大層な名前だからどんなもんかと思ったが。お前と同じで、すごいのは肩書きだけか」


 歪んだままの笑みが、僅かに引きつった。


「なに……? 小細工でもしたか!」

 すぐに怒鳴り、再び剣を構える。


「なら次はこれだ! 勇者秘奥――」


 馬鹿なやつだ。まだ俺が待つと思っているのか。


 次の瞬間、俺は距離を詰めてガラ空きの腹に拳を捩じ込んだ。


「ごぶっ!?」


 ワタナベは盛大に胃の中を吐き散らし、その場に膝をついた。すかさず髪を掴み、膝を顔面に叩き込む。

 血と鼻水を撒き散らして、勇者が後ろに尻餅をついた。


「がっ……! あり得ない……! 俺は、勇者だぞ……!」


 ふらつきながらも立ち上がり、剣を拾う。

 だが遅い。


「《瞬動》!」


 俺は先に踏み込み、剣を構える前に顔面を殴りつけた。ワタナベの頭が大きく揺れ、歯が飛ぶ。


「どうした? これが勇者か? さっき殺した野盗より歯応えがないな。強さも、中身もゴミ以下だ」


 ワタナベの顔が怒りに染まる。


「ふざけるな! 俺を誰だと思ってる! こんな薄汚いガキ一人のために、俺に楯突いていいと思ってるのか!」


「……黙れ」


 薄汚いガキ。憎悪が体の奥から湧き上がってくる。俺はワタナベが落とした剣を拾い上げると、そのままワタナベの左足に突き立てた。


 ザシュッ。


「ぎゃああああっ!」


 絶叫が渓谷に響く。


 俺は感情を抑えたまま、静かに言った。


「勘違いするな。お前みたいなゴミに、俺の妹は触らせない」


 そのまま右足を踏み砕く。

 ゴキンッ、と乾いた音がした。


「ぁ、ああああああっ!!」


 ワタナベは悲鳴を上げながらのたうち回った。ずっと他人を踏みつけて笑っていた男が、地面に這いつくばって涙と鼻水を垂らしている。


 俺はその姿を一瞥し、静かに告げた。


「アメリに土下座して詫びろ」


 ワタナベは歯を食いしばった。顔は茹でられたように赤くなり、噛んだ唇から血が滲んだ。


 だがもう抵抗する力は残っていない。

 ゆっくりと、這うようにアメリの方に進む。


「……す、すまなかった……」

「聞こえない」


 ワタナベの肩が震える。


「アメリ……さん……! 許して、ください……!」


 ついに額を地面へ擦りつけた。


 アメリは目を見開いたまま、黙ってその姿を見つめていた。

 もう見る価値もない。俺は身体を屈めると、剣をワタナベの前へ放り捨てた。


「一緒に帰ろう、アメリ」


 その時だった。


「死ねえええっ!!」


 土下座していたはずのワタナベが、転がっていた剣を拾い、背後から斬りかかってきた。アメリが悲鳴を上げる。


「本当に馬鹿なやつだ」


 俺は振り返らなかった。

 ただ片手を上げ、迫る刃を止める。


 刃は指先で止まり、それ以上ぴくりとも動かない。


「なっ……ち、力が入らない……」


 ワタナベの顔が恐怖に引きつる。

 今更気付いたのか。力に溺れたやつの末路だ。


 その瞬間、シオンが一歩踏み出した。


「――裁きです」


 白い閃光が走った。


 ワタナベの胸を貫いた光は、背後の岩肌まで焼き焦がして消える。勇者の体がびくりと震え、剣が手から零れ落ちた。


「……ば、かな……俺は……勇者……」


 そう言い残してワタナベは崩れ落ちた。

 次の瞬間、その体から熱が流れ込んでくる。


「っ……!」


 思わず息を呑んだ。


 戦いの中で奪った力とは比べ物にならない。濁流みたいな力が全身へ流れ込み、骨の奥まで満たしていく。


 だが、今はそれどころじゃない。

 俺はすぐにアメリのもとへ駆け寄った。


「アメリ!」


 シオンも隣に膝をつき、そっと手をかざす。


「癒しの光よ、安らぎを」


 淡い光に包まれ、アメリのこわばっていた体から少しずつ力が抜けていく。虚ろだった瞳に、ようやく色が戻った。


「……お兄ちゃん」


 次の瞬間、アメリは堰を切ったように泣き出し、俺にしがみついた。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん……! ほんとに……来てくれた……!」


「ああ……もう大丈夫だ。遅くなって悪かった」


 強張っていた胸の奥が、ようやくほどける。間に合った。アメリの細い肩を抱きしめると、いつもの匂いがした。


 そんな二人を見つめていたシオンが、静かに口を開く。


「やりましたね、アインさん。あなたの方がよほど勇者に見えましたよ」


 顔を上げる。


「シオン、ありがとう。君は俺たちの恩人だ。なんて言葉を尽くせばいいのか分からないよ」


 シオンが一瞬微笑んだ。だがすぐに俺の目を見返して、小さく首を振った。


「……ワタナベのような者は各地にいます。異世界から召喚され、強大な力を与えられた転移勇者たちです。全員が全員ではありませんが、中にはああして力を振りかざし、好き勝手をしている者もいる」


 そして、倒れ伏すワタナベを一瞥した。


「ちなみに、彼はその中でも最弱に近い部類です」


「……まだ、いるのか」


 俺は目を見開いた。最弱といっても、昨日はまるで歯が立たなかった。山賊とヤマダの力を簒奪していなかったら、かなり危なかったかもしれない。


 シオンはうなずいた。


「だからお願いします、アインさん。これからも私と一緒に戦ってください」


 俺はアメリを見た。シオンの気持ちにはもちろん応えたいが、今さっき危険な目に遭ったばかりの妹を置いてはいけない。だがこのまま見過ごせば、どこかでまた誰かが同じ目に遭う。


 迷っている俺に、アメリが涙の跡を残したまま微笑んだ。


「……お兄ちゃん、行きたいんでしょ」


「アメリ」


「今度はボクがお兄ちゃんの背中を押す番です。でも、もう守られるだけは嫌です。ボクも一緒に行きます」


 俺は目を丸くした。


「危ないんだぞ」


「分かってます。でも、お兄ちゃん一人で行かせる方が嫌です。言ったでしょ? お兄ちゃんのご飯は、ずっとボクが作るって」


 そう言うと、またアメリが抱きついた。


「……分かった。ただ、俺の側を離れるなよ」


「えへへ。お兄ちゃん……大好き」


 俺は頬を染めるアメリの頭を撫でた。


 そしてシオンへ向き直る。


「シオン、改めてありがとう。そしてこれからも、よろしく頼む」


「礼には及びませんよ。これからは共に戦うのですから」


 渓谷を抜ける風が、三人の髪と衣を揺らす。

 妹は取り戻した。だが、これで終わりじゃない。もう二度と、あんな顔をする誰かを見たくなかった。


 俺は勇者の剣を拾って、自分の腰に刺した。


「行こう」


 アメリとシオンがうなずく。


 そうして並んで歩き出した。次の勇者がいる場所へ向かって。





ここまでありがとうございました。

そして全国のワタナベさんとヨシダさんごめんなさい、実際の異世界ではきっと良い人達です。


もし

「面白かった」

「スカッとした」

と思っていただけたら、下の☆☆☆☆☆で応援いただけると嬉しいです。


ブックマークもとても励みになります。

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ