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 城門をくぐると、そこは静寂と整然の世界だった。


 石畳は一つひとつが磨き込まれ、陽の光を受けて白く輝いている。左右には季節の花が整然と咲き、香りは控えめながらも清らかだった。庭園の中央には小さな噴水があり、その水音がまるで“この屋敷が呼吸している”かのように、穏やかに響いている。


 ――ここが、フィオレル・ド・ヴァルド子爵の邸。


 青司は無意識に歩調を整えた。

 装飾の過剰な華やかさはなく、むしろ実用と美が巧みに釣り合っている。外交の場としての品格と、内政を重んじる堅実さ。その両方が、この建物の隅々から伝わってくる。


 「すごいわね……」

 リオナが小さくつぶやいた。

 その横顔に映る緊張と感嘆を、青司もまた感じていた。


 白亜の壁面に沿って並ぶ窓は高く、外から差し込む光が廊下の床石を滑るように照らしている。壁にはこの地の歴史を描いた織物が飾られ、隅には書架や地図台がさりげなく置かれていた。まるで「この屋敷こそが街の記録であり、未来を考える場所だ」と語っているようだった。


 案内役の執事が立ち止まり、恭しく一礼する。

「フィオレル閣下は、応接の間でお待ちです」


 ラシェルが軽く頷き、青司とリオナに視線を向けた。

「落ち着いて。閣下は形式ばった方ではないわ。人をよく見て、言葉よりも誠意で判断される方だから」


 青司は小さく息を整え、包みを両手で持ち直した。

 リオナもわずかにうなずき、深呼吸をひとつする。


 ――外交と内政、どちらにも長けた人物。

 この街の“礎”を築いた領主に、これから会うのだ。


 扉の向こうから、低く穏やかな声が聞こえた。

「通してくれ」


 執事が扉を開けると、温かな光が溢れる部屋が広がった。



 応接の間は、重厚でありながらもどこか家庭的な温もりがあった。

 壁にはリルトの古地図と、街の祭りを描いた絵が並び、机の上には未決の書簡がいくつも整然と並べられている。領主自らが机を使っていることがわかる――単なる権威ではなく、現場を重んじる人間の空気だ。


 窓辺に立つひとりの男が、青司たちの姿にゆっくりと振り向いた。

 フィオレル・ド・ヴァルド子爵。

 淡い銀髪に、鋭さと優しさを併せ持つ青灰の瞳。年の頃は四十を過ぎたあたりだろうか。貴族にしては飾り気のない服装だが、立ち居振る舞いに自然な威厳があった。


 「――君が、ホヅミ商会のセイジ殿だな」


 低く穏やかな声。それでいて、わずかに探るような抑揚があった。

 青司が頭を下げると、フィオレルは椅子を勧めるでもなく、まず自ら一歩、前へ出た。


 「森の資源を見事に活かしていると聞いている。

 商業ギルド長のラシェルが、君を“信頼に足る人物”と評していたよ」


 ラシェルは軽く会釈をし、控えめに微笑んだ。


 青司は一瞬、どう言葉を返すべきか迷ったが、包みを両手に持ち直して口を開いた。

 「お目にかかれて光栄です。まだこの街では新参者ですが……感謝の気持ちを込めて、拙いながらも手土産を」


 包みを差し出すと、フィオレルは興味深そうに眉をわずかに上げ、受け取った。

 「香りが……穏やかだな。薬草を混ぜてあるのか?」


 「はい。森で採れた薬草を使って、髪を整えるためのものを作りました」


 その言葉に、フィオレルの口元がわずかに緩む。

 「なるほど、“誠意は見た目にも宿る”――ラシェルの言葉を、よく心得ているな」


 青司は驚いてラシェルを見た。ラシェルは目を細めて微笑み、何も言わなかった。


 「だが、それ以上に大切なのは中身だ。

 君の作るものが“この街の人々の暮らし”を変えられるか――その話しを聞きたいと思ってな」


 その声音は柔らかいが、どこか芯がある。試すようでいて、導くようでもあった。


 「はい。できる限り、力を尽くします」


 「そう言ってくれると頼もしい。……そして、そちらがリオナ嬢だね」


 フィオレルの視線がリオナに移ると、彼女は少し肩をすくめ、ぎこちなく頭を下げた。

 「は、はい。リオナと申します」


 「噂は聞いている。森を歩く狩人として、街の者たちに慕われているとか」

 「……そんな大層なものじゃありません」


 「謙遜も美徳だが、誇りを持つことも大事だよ。

……それが噂の髪の毛か。確かに艶やかだな。」

 そう言って微笑むフィオレルの目には、からかいではなく、温かな理解があった。


 ――この人は、人の言葉よりも、その奥にある“生き方”を見る。

 青司はそう感じた。


 そして、これから始まる会話の重さを、静かに胸の奥で受け止める。




 フィオレルは机の上に包みをそっと置き、静かに椅子へ腰を下ろした。

 部屋の奥では、暖炉の炎がゆるやかに揺れている。

 壁には古い地図と、街の交易路を記した新しい書簡。

 その両方が、この領主が“理想と現実の両方を見ている”ことを物語っていた。


 「――セイジ殿」

 フィオレルの声が再び響いた。

 「君の作る石鹸や薬草製品は、街の宿や店でも好評だと聞く。だが、私はそれ以上に、“森の恵みをどう扱うか”という点に興味がある」


 青司はわずかに息をのむ。

 領主の眼差しは穏やかでありながら、深く見透かすようだった。


 「森は、この街にとって富でもあり、脅威でもある。

 伐りすぎれば荒れ、手を放せば獣が増える。

 君は――森とどう向き合っている?」


 少しの沈黙。

 青司は胸の奥にあるリオナの言葉を思い出し、慎重に選びながら口を開いた。


 「森は、利用するものではなく、共に生きる場所だと思っています。

必要な分だけをいただき、返せるものがあれば還す。

リオナが、狩った獲物の内臓は森の獣のために残し、心臓は森の恵みとなるように土へ還す――そう教えてくれました。

森の草木も、人の暮らしも、同じ“循環”の中で息をしている。

その流れを壊さないように、できる限りのことをしたいと思っています。」


 静かな声だったが、その言葉には確かな芯があった。

 隣で聞いていたリオナが、小さく息をのむ。

 自分の言葉が、青司の中で形を変え、ここまで届いている――そう気づいたように。


 フィオレルはしばらく黙っていたが、やがて口元に穏やかな笑みを浮かべた。

 「なるほど――“共に生きる”か。

 言葉だけでなく、それを実際に形にしているのだな。君の製品には、その考えが染みているのだな」


 彼は暖炉の火を一瞥し、軽く頷いた。

 「いいだろう、セイジ。

 私は領主として、森と街をつなぐ新しい試みを支援したいと思っている。

 その第一歩として――君の商会を、正式にこの領の“認可商会”として登録しよう」


 ラシェルが静かに微笑み、青司の背を見守る。

 リオナは思わず小さく息をのんだ。


 青司は立ち上がり、深く頭を下げた。

 「ありがとうございます。必ず、この街に還せるように努めます」


 「期待しているよ、森の職人殿」

 フィオレルの笑みは、今度こそ心からのものだった。



 会談の終わりを告げるように、窓辺の光が少し傾いた。

 青司が深く頭を下げると、フィオレルは柔らかな口調で言った。


「……良い話を聞かせてもらった。

 君の考えには、森を見つめる人間としての誠実さがある。

 そのような者が街に根を下ろしてくれるのは、領主としても心強い」


 「ありがとうございます」

 青司が頭を下げかけたそのとき――扉の向こうから小さな笑い声が聞こえた。


 「お父さま、もうお話は終わったの?」


 振り向いた先に、亜麻色の髪を揺らした少女と、落ち着いた雰囲気の女性が立っていた。

 年頃は十五、六ほどの娘と、その母であろう夫人。

 上品な衣の色合いは控えめながら、立ち居振る舞いには品があった。


 「ああ、今ちょうど、仕事の話を終えたところだ」

 フィオレルが微笑むと、夫人が静かに会釈する。

 「主人がお世話になっております。……そちらが、ホヅミ商会の方ですね?」


 「このたび新しく作った、ホヅミ商会の青司と申します」

 青司が立ち上がって頭を下げる。

 その隣で、リオナもやや戸惑いながら礼をした。


 その瞬間、娘の瞳がぱっと輝いた。

「わぁ……! その髪、とってもきれい!」


 思わず声を上げた娘に、リオナは目を瞬かせ、頬をわずかに染める。

「え、あ、ありがとうございます……お褒めいただき、うれしいです」


 ラシェルが穏やかに口を添えた。

「セイジさんのパートナーで、リオナさんとおっしゃるの。

 セイジさんの作る商品を実際に使って、私たちに“効果”を見せてくれる方なんですよ」


 「森の光みたい。すごく自然なのに、つやつやしてる」

 「本当にそうね」夫人も頷く。「香りも柔らかくて……草花のよう。香油か何かを使っていらっしゃるの?」


 視線が青司に向く。

 青司は一瞬戸惑いながらも、包みを持ち直した。


 「……自分が、森の薬草を調合して作った髪の手入れ用の品を使っています。

 石鹸ほど刺激がなくて、髪を整えやすくするためのものです」


 「まぁ、それは素敵ね」

夫人が嬉しそうに微笑み、娘も興味津々といった顔で青司を見上げた。


「お母さま、私も使ってみたい!」


青司は少し照れながらも、丁寧に言葉を添える。

「先ほどの手土産が、そのシャンプーとコンディショナーです。ぜひお試しください」


そのやり取りに、フィオレルが穏やかに笑った。

「どうやら、我が家の女性たちの心をつかんだようだな」


「い、いえ……そんなつもりでは」

青司が慌てて言葉を返すと、夫人が柔らかく続けた。


「でも、森からの贈り物を人の暮らしに活かす――それはとても美しい考え方だと思います。

 ぜひ、またゆっくりお話を聞かせてくださいね、セイジさん」


 ラシェルが微笑んで横目をやる。

 「ええ、きっと良いご縁になるわ」


 青司は深く息を吸い込み、静かに頭を下げた。

 ――“誠意”は、見た目にも、言葉にも、きっと宿る。

 そんなラシェルの言葉を胸の奥で思い出しながら。


 


 屋敷を出ると、夕暮れが街を柔らかな金色に染めていた。街路樹の葉はオレンジ色に輝き、石畳に映る光が二人の影を長く伸ばしている。秋の冷たい風が少し混ざり、温かな日差しと交じり合う。


リオナが隣でそっと息を吐いた。

「……あんなきれいな人たちの前だと、余計に緊張するね」


青司は昼間の出来事を思い返す。

仕立屋でリオナと合流し、少しぎこちない笑顔でスーツを選んだこと。生地に触れ、色合いを確かめながら、彼女と小さな意見を交わした時間。

商業ギルドに戻って手土産を作るため、薬草を慎重に計り、香りを確認しながらシャンプーとコンディショナーを丁寧に仕上げたこと。リオナがそっと手伝ってくれたあの瞬間の、温かく静かな笑顔。


「俺もだよ」と、青司は小さく笑った。

「でも……バタバタした一日だったけど、悪くなかったな」


リオナもふっと笑い、肩の力を少しだけ抜いた。

「うん……緊張したけど、なんだか嬉しかった。セイジと一緒だったから、かな」


青司はリオナの言葉に頷き、少し照れくさそうに言った。

「一緒にいてくれたから、落ち着けたよ。……ありがとう、リオナ」


二人の間に、森で過ごした静かな時間や、互いを支え合った日々の記憶が、穏やかに蘇る。森での風、朝露に濡れた薬草、夜の焚き火の匂い――そうした小さな記憶が、夕暮れの街の光と溶け合う。


街路の灯りが一つ、また一つと灯り始める。青司はその光景を見つめ、胸の奥で静かに思う。

――この街で、リオナと共に歩む日々が、少しずつ色づいていくのだろう、と。


「……でも、こんな日も、悪くないな」

青司がぽつりと言うと、リオナは小さくうなずき、微笑んだ。

「うん。私も、そう思う」


馬車の中、二人のやり取りを穏やかに見守るラシェルは、窓の外に映る街灯の光を受け、優しい笑顔を浮かべていた。

その瞳には、二人のこれからに対する静かな期待と、暖かな信頼が宿っている。






**************





商業ギルドの第十二商談室。

ホヅミ商会が今後の活動のためにギルドから借り上げた部屋には、青司とリオナが不在の間、新しい仲間たちが集まっていた。


「やっぱり、セイジさんの作るものはすごいな。香りも良いし、誰が使っても喜ぶはずだ。見ろよ、昨日商会を立ち上げたばかりなのに、もうセイジさんに面会したいって書簡が届いてる」

 クライヴが自慢げに胸を張る。その声には、営業畑で培った自信がにじんでいた。


「それだけ、期待されてるってことね。それにしても、彼、あんまり緊張しているように見えなかったよね?」

 ミレーネが書類を整えながら首をかしげる。


「領主様への手土産を作るときも、ずいぶん落ち着いてたな。魔力の扱いも手際が良かったし、説明書まで丁寧に書いてた」


「初めて錬金術ってものを見せてもらったわ……なんだか、ドキドキしちゃった」

エリンが小さく息を漏らす。いつもは帳簿と数字ばかり見ている彼女の瞳が、ほんのり輝いていた。


「そういえば、スーツの手配はどうなったの?」

ミレーネが笑いながら尋ねると、クライヴが肩をすくめる。


「エリンが経費で支払いを、さり気なく済ませてた。リオナさんの分も含めて数着ずつ。森の暮らしだと、ああいう服には慣れてないだろうしな」


「ふふ、そうね。二人とも森で暮らしてるんだもの。でもリオナちゃんはセイジさんのこと“友達”って言ってたけど……ほんとに?」


エリンが微笑む。

「スーツとドレスを選んで褒めあってる姿、どう見ても付き合いたてのカップルみたいだったわよ。それに、リオナちゃんって本当に美少女。狩人らしい引き締まった体つきで、姿勢もきれいだったし――ラシェル様が“歩く広告塔”だっておっしゃるのも、わかる気がするわ」


「セイジさんも負けてなかったぞ。高身長で細身だけど、ちゃんと鍛えた体してた。仕立屋に行くとき、『俺には高嶺の花だ』なんてリオナちゃんのこと言ってたけど……本当はどう思ってんだか」

 口の端を上げたクライヴの顔には、仲間をからかうような悪戯っぽさと、どこか誇らしげな温かさが混じっていた。


「セイジくんが一番褒めてた服を着て出かけたのよ。見てた? リオナちゃん、少し赤くなってたじゃない」

 ミレーネは口元をほころばせ、思わず手を軽く叩いた。二人のぎこちないけれど微笑ましい様子を想像し、自然と笑い声がもれる。


「ちょっと赤くなってたね、リオナちゃん。すごく可愛かった」

 エリンは肩をすくめつつも、楽しそうに小さく笑い、目元がやわらかくなる。まるで自分もその場にいたかのような気分になった。


「セイジさんも、嬉しそうだったしな」

 クライヴは肩を軽く回しながら笑い、仲間としての誇りを胸に、二人の未来が少しだけ楽しみになった。


「あの二人、うまくいってほしいわね」

ミレーネが柔らかく言い、三人の笑い声が部屋に広がった。


 窓から差し込む昼の光が、書類と木製の机をやわらかく照らしていた。

 穏やかなその空気は、商会の新しい始まりを静かに祝福しているかのようだ。


「ああ、早くみんなで商会を動かしたいな」

 クライヴが拳を軽く握り、意気込みを見せる。


「うん、今日の二人の様子を見て、ますます楽しみになった」

 ミレーネも小さく頷いた。

「セイジさんの作ったものを、街の人たちに届ける――私たちも一緒にできるのね」


三人の間に、自然な連帯感と高揚が生まれていた。

やがて、ラシェルから――領主との面会を終えた青司とリオナが宿に戻った、という報せが届く。

それまでの間、ギルドの一室は、商会の未来を想う小さな賑わいで満たされていた。

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