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ギルドを出た青司とリオナは、午後のリルトの通りを並んで歩いていた。

 商談室で受け取った報酬の袋はずっしりと重く、銀貨のほかに金貨が数枚混じっている。

 青司は歩きながら何度も手のひらの重みを確かめ、ようやく現実味がわいてくるのを感じていた。


 「……すごいね、セイジ。こんなにたくさん」

 「リオナが美味いもの作ってくれたおかげだな。森の家も、少しずつ形になってきたし」


 昼時の街角には、パン屋の香ばしい匂いと果実酒の甘い香りが混じっていた。

 通りの先に見つけた陶器屋の軒先で、リオナが足を止める。

 窯焼きの香ばしい匂いが風に乗り、青司とリオナは引き寄せられるように中へ入った。


 棚には、皿や壺が淡い光を受けて並び、奥から腕まくりをしたふくよかな女性が現れた。

 年の頃は五十前後。日に焼けた肌と大きな手が、職人のたくましさを物語っている。


 「いらっしゃい。……あらまぁ、なんてきれいな髪の子だい!」

 おばさんはリオナを見るなり目を丸くした。

 「森の中を歩いてきたってのに、まるで絹糸みたいじゃないの」


 リオナは少し照れたように耳を動かした。

 「えっと……セイジさんが作ってくれた石鹸と、髪を洗う液で……」

 「まぁまぁ、それはすごい。どんな材料使ってんの? 女の子たちが放っとかないわよ、そんな艶」


 「はは……いずれ店に並べられるよう、頑張ります」

 青司が苦笑すると、おばさんは感心したようにうなずいた。


 「そりゃ楽しみだねぇ。うちの皿と一緒に置いたら、きっといい香りがしそうだわ」


 そう言っておばさんは、木の棚から皿を一枚取り上げる。

 白地に淡い青で蔓草の模様が描かれた、素朴で温かみのある一枚だった。


 「これなんかどうだい? 森の家に置くなら、光を反射してきれいに見えるよ」

 リオナが手に取ると、指先にすべすべとした陶の感触が伝わる。

 「……うん。優しい色ね」


 そんなやり取りをしていると、店の外から声がした。

 「――リオナ? リオナじゃない!」


 振り向くと、栗色の髪をした少女が手を振っていた。

 「ミレット! 久しぶり!」

 リオナが笑顔で駆け寄る。


 「久しぶりね。街に来てたの? ……お隣にいるのは、彼氏?」

 「えっ、ちがう、ちがう。森で仲良くさせてもらってる人。セイジさんよ。今日はちょっとお買い物なの」


 リオナは慌てて手を振りながら答えたが、頬がうっすら赤くなっているのを青司は見逃さなかった。

 その一瞬、青司の胸の奥がかすかにざわつく。

 彼氏、か……。まさか自分がそんなふうに見られるとは。

 思わず苦笑を浮かべながら、手にした包みを持ち直す。

 釣り合わないと分かっていても、その言葉の響きが、しばらく胸に残った。


 「こっちは……えっ、髪! すっごくきれい! 前よりツヤツヤしてる!」

 「ほんと? 森で暮らしてるからね、セイジさんにいろいろ教わったの」


 「なにそれ! 私も教えてほしいわ」

 リオナは笑いながら首を振った。

 「セイジさんの作った入浴グッズのおかげなのよ。いつか街でも買えるようになるかも」


 青司が控えめに会釈すると、ミレットは興味しんしんな様子で近づいてきた。

 「……ちょっとリオナ、入浴グッズって。森でお風呂に入れるの? お風呂って高いのよ? ……なんだかすごいわね」


 「いや、そんな……」と青司が頭をかくと、おばさんが声をあげて笑った。

 「ははっ、あんたたち、若い娘たちだけじゃなくて、私みたいな白髪のばあさんだって、髪が綺麗になりゃ嬉しいのよ」

 おばさんは腕を組み、にやりと青司を見やる。


 結局、二人は皿とカップを二組ずつ選び、包みを受け取った。

包みを受け取りながら、リオナとミレットは名残惜しそうに話を続けていた。

その様子を、青司は少し離れた場所から穏やかに見守っている。

久しぶりの再会がよほど嬉しいのか、リオナの耳が楽しげに揺れていた。


ふと、ミレットがリオナの腕を軽くつかんで――

「ねぇ、少し時間ある? せっかくだし、お茶でもどう? ちょうど近くに新しい店ができたの」


リオナは少し驚き、耳をぴくりと動かしながら顔を赤らめた。

「えっ……お茶? でも、セイジ……」


ちらりと青司を見上げる。青司はにっこりと微笑み、肩の力を抜いて言った。

「いいよ。その間に俺は市場でも見てくる。終わったら合流しよう」


「……本当にいいの?」

「せっかくだし、久しぶりの再会なんだろ」


リオナの尻尾が小さく揺れ、ちょっと照れくさそうに笑った。

「じゃあ、少しだけ……」

「セイジ、ありがとう」


ミレットも嬉しそうににやりと笑い、リオナの手を取る。

「よかった! じゃあ行こ。前から話したいこともあったの。セイジさん、少しの間、リオナを借りますね」


青司は二人の後ろ姿を見送り、ふと小さく息をついた。

――リオナには、街にもちゃんと居場所があるんだな。

そう思うと、どこかほっとしたような、少しだけ取り残されたような気もした。



**************



 リオナはミレットに手を引かれ、街角に新しくできた小さなカフェの中に入った。

窓際の席に座ると、柔らかな午後の日差しがテーブルを照らし、外の街路を橙色に染めている。

カップと皿の小さな香ばしい匂いが漂い、三時のおやつタイムの心地よい静けさに包まれた。


「ふふ、リオナ、やっぱり髪、すっごくきれい! 本当に森で秘密の魔法でもかけたんじゃないの?」

ミレットは目を輝かせ、好奇心いっぱいにリオナの髪を撫でようとする。


「えっと……魔法じゃないの。セイジが作った石鹸とか、髪を洗う液を使ってるのよ」

リオナは少し照れくさそうに笑いながらも、嬉しそうに髪を指でくるりと巻いた。


「なにそれ、ちょっと! どういう成分なの? 香りとかも教えてほしい!」

ミレットは前のめりになり、目をキラキラさせる。リオナもつられて自然と話が弾む。


「えっとね……森で採れたハーブとオイルを少し混ぜて、泡立てて使うの」

リオナはついつい細かく説明してしまう。

「香りも森の香草の匂いで、泡立ちは控えめだけどふんわりしてるの。セイジの仕事のことだから、あんまり詳しくは教えられないけどね」


「わぁ、それ絶対うちの店で使いたいやつ! でも……リオナ、森でやってることだから、無理強いはできないよね」

ミレットは少し考え込むように俯く。

「……仕事のことだから聞きたいだけなんだけど、あんまり親友を巻き込んじゃだめよね、っていう気持ちもあるの」


「うん、わかる。私もお店で無理に使わせたりはしたくないし」

リオナは微笑んでミレットを見た。

「でも、こうして話すだけでも嬉しい。ほら、久しぶりにいっぱいおしゃべりできてるし」


「うん、ほんとだね! リオナの話聞いてると、セイジさんって優しい人なんだなぁって伝わってくる」

ミレットの目は輝いていて、好奇心と羨望が混ざった表情だ。

「森での暮らしとか、全部楽しそうで……ちょっと羨ましいかも」


リオナは少し顔を赤らめて笑った。

「でも、私も街のこととか、ミレットに教えてもらうの楽しみにしてるんだ。こうしてお茶しながら話せるのも、久しぶりだし」


二人は甘いケーキを分け、温かいハーブティーを口に運びながら、森の生活や青司のこと、ちょっとした失敗談や小さな発見まで、次々と話した。

リオナは耳を揺らし、笑顔をこぼしながら、心地よい時間がゆっくり流れるのを感じていた。


「ねぇ、セイジさんとはどうやって知り合ったの?」

「……えっ? 森で怪我をした時に助けてもらったのよ。セイジは薬師が本職でね」

リオナは少し照れくさそうにしながらも、親友との再会を楽しむ小さな弾みが声に混ざった。


「ミレットは、彼氏さんとは仲良くやってるの?」

「もちろん! 相変わらず、男のお客さんが来た日はいい顔しないのよね。髪を切りにきたお客さんと、どうこうなるわけないのに」

「それだけ、好かれてるってことね」

リオナの言葉に、ミレットもにっこり笑った。二人の間には優しい午後の空気が漂っていた。

それは、街の喧騒から少し離れた、二人だけの大切な時間だった。



*******



 リオナとのお茶会を終え、通りをぶらぶらしていた青司の姿を、ミレットがいち早く見つけた。

 「セイジさーん!」

 通りの人混みの中から元気な声が響く。

 手を振って駆け寄ってくるミレットの顔は、まるで宝物を見つけた子どものように輝いていた。


 「ちょうどよかった! 会えてラッキー!」

 息を弾ませながら立ち止まると、ミレットはいきなり青司の手を取る勢いで身を乗り出した。

 「ねぇ、セイジさん! お願い、シャンプーとコンディショナー、うちの店で使わせてほしいの! 絶対お客さんも喜ぶって!」


 あまりの勢いに、青司は目を瞬かせて一歩下がった。

 「え、えっと……いきなりどうしたの?」


 リオナが少し困ったように笑いながら、小声で説明する。

 「お茶してたときにね、シャンプーの話をしたの。そしたらミレットが……」


 「そしたら気になっちゃって、もう頭から離れなくなったのよ!」とミレットが割り込むように言った。

 「だってリオナの髪を見てよ! この艶、手触り、ふわっと香る感じ! あの森の空気ごと閉じ込めたみたいじゃない!」


 リオナは耳をぴくりと動かし、少し恥ずかしそうに髪を撫でた。

 「ミレット、そんな大げさに言わないでよ……」

 「ほんとのことを言ってるだけ!」ミレットは頬をふくらませて言い返す。

 「これを街で広めたら、絶対人気が出るわ! お客さんだって喜ぶに決まってる!」


 青司は腕を組み、少し眉を寄せて考え込んだ。

 「でも、まだ直接商品を見てもらったわけじゃないし、試してもらってもいない。いきなり店で扱ってもらうのは……ちょっと心配だな」


 「でも、リオナの髪を見てよ!」

 ミレットはぐいっとリオナの肩を押し出す。

 「見たら分かるでしょ? もうこれが証拠よ!」


 リオナは目を丸くしつつ、耳を揺らして小さく笑った。

 「わ、私が証拠になってるの……?」

 「もちろん! あんたの髪ほど説得力のある見本はないわ!」


 青司はその様子に思わず吹き出し、肩の力を抜いた。

 「……はは、そんなに言われたら断りづらいな」

 少し考えてから、静かに言葉を続ける。

 「わかった。じゃあ、商業ギルドの商談室を借りて、ちゃんと話し合おう。きちんと手順を踏んで、条件や扱い方を決めよう」


 「ほんと!? 助かるわ!」

 ミレットは両手を合わせて嬉しそうに跳ねるような仕草をした。

 「もう、こういうときのギルドって堅いから嫌なんだけど……でも、正式に話せるなら安心ね」


 リオナは笑いながら青司を見上げる。

 「セイジ、ありがとう。ミレットも、きっとちゃんと考えてくれると思う」

 「もちろんよ!」ミレットは胸を張る。

 「私は商売人だけど、それよりも“友達が作ったすごい物”をちゃんと広めたいの。リオナもセイジさんも、損しない形でね」


 その言葉に、青司は少し表情を和らげた。

 「……なら安心した。そういう気持ちで言ってくれるなら、俺も前向きに考えるよ」


 「やったぁ!」

 ミレットはぱっと笑顔を咲かせ、両手で青司の手をぎゅっと握った。

 「じゃあ行こう! この勢いのまま商談しちゃいましょ!」


 「わ、わかった、落ち着いて。そんなに急がなくても――」

 青司が苦笑する横で、リオナが楽しそうに笑っていた。

 耳と尻尾がゆるやかに揺れ、その光景がなんとも微笑ましい。


 リルトの通りには、夕刻の風が吹き抜けていく。

 三人は人々のざわめきの中を並んで歩き、商業ギルドのある通りへと向かっていった。

 ――それぞれの思惑と期待を胸に抱きながら。




 夕方の光が傾き、リルト商業ギルドの建物には金色の陰影が落ちていた。

 受付で手続きを済ませたミレットたちは、三階の奥にある小さな商談室に通された。

 磨かれた木の机に、深い色の椅子。窓の外には市場通りが見下ろせる。

 落ち着いた空間の中で、ガラントは包みを取り出した。


 「これが、今朝セイジから頂いた例の品だな」

 布包みを開くと、陶器の瓶が四本。ほのかに草と花の香りが漂い、室内の空気がやわらかく変わった。

 ミレットは息を呑むように前のめりになる。

 「これが……!」

 「本当にすいません、贈った物を見せて欲しいだなんてお願いして」

 「気にしなくて大丈夫だ。返せと言うのではなく、見せてくれという話しだからな。」


「それで、ミレットさん、左からシャンプーとコンディショナーにボディーバターとボディーソルト、あとは石鹸ですね。どれも、材料は森で採れた植物と、精製したオイル、それに――」

 青司は一拍おいて、少しだけ口元を緩めた。

 「少しだけ錬金の手を加えてあります」


 ミレットは瓶の口を開け、香りを嗅いだ瞬間、ぱっと目を見開いた。

 「すごい……! 森の香りそのまま。これ、香料じゃなくて素材の匂いなのね」

 「ええ。香りを混ぜすぎると、髪が疲れるから」

 「本物だわ……うちの店で使ったら、きっと常連のお客さんがびっくりするわよ」


 青司はその勢いを見て少し苦笑する。

「ところで、ミレットさんのお店は何をされてるんですか?」


「あっまだ言ってませんでしたっけ、理髪店です。お客さんの髪を切って整えてあげる仕事で、切り終わった後に髪を水で流すんですけど、その時に使ったらお客さん喜ぶでしょ」


 「……なるほど。確かにそうかもしれないですね。ただ、まだ生産量は限られてますから、大きな取引には向かないです」

 「それでもいいの! まずは店で使う分だけでも。ほら、体験してもらえば口コミが広がるし――」


 ミレットの声が高ぶりかけたその時、 静かに様子を見ていたガラントが、ふと声を上げた。

 「失礼、どういう話しかと思ったら、贈り物として渡されたこれが、もう商品化の話しになっているようだな」

 厚い帳簿を抱え、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。


 「ガラントさん、現物を見せて頂けたのはありがたいですが、今は私たちの個人取引の相談中です」

 ミレットが少し眉を寄せて言う。

 「正式な取引にする前に、ギルドを通すのは避けたいの。二割の手数料は高過ぎだから。これは、あくまで私とセイジさんの間の話だから」


 しかしガラントは笑みを崩さず、静かに部屋の中へ進んだ。

 「もちろん理解しています。ただ……セイジくんの開発品となると、ギルドとしても見過ごせませんでね」

 「……注目している、ということですか?」青司が慎重に問い返す。

 「ええ。きみからもらった“これ”、既に評判だぞ?女性職員達が、朝からソワソワしてな。私の耳にまで入ってきている。この街で出回る前に、品質確認をしておくのは当然だろう?」


 ミレットは小さく舌打ちした。

 「そういうところが堅いのよ、ギルドは」

 「堅さは信頼の礎ですから」ガラントは軽く返す。

 「もちろん、あなたがたの個人契約を妨げるつもりはありません。ただ、記録を残す必要はあります」


 青司は二人のやり取りを見つめ、少し考え込んだ。

 ――まぁ、ギルドの監視下なら、変な噂も立たないか。

 「……わかりました。試作品を少量、ミレットさんに渡します。使用感の報告を受けて、改良を重ねる。その形でどうでしょう」


 「賛成!」ミレットが勢いよく手を挙げた。

 「実際に使えばすぐに良さが伝わるわ。お客さんの反応を見て、改めて本契約にすればいいのね?」

 「ええ。正式な取引はそれからに」青司はうなずく。


 ガラントも満足げに手帳を閉じた。

 「実に誠実な提案だね。――では、そのように記録しておく。が、実はこれを“使ってみたくて仕方ない”人物がいてな」

 そう言って、彼は少しだけ口元を緩めた。


 「……誰です?」青司が警戒気味に尋ねる。

 「うちの妻ですよ。――ああ、正確にはこのリルト商業ギルドの長でもある」


 「えっ、ギルド長って……!」ミレットの声が裏返った。

 「はい。どうやらギルド内でリオナ嬢を見かけたらしくてな、もしかしたら、リオナ嬢の髪に近づけるかもと興味津々でしてね。

 もし、ミレットさんの許可をいただけるなら、あなた自身の手で使ってみてはどうかなと」


 「……ギルド長に?」

 青司は思わず目を瞬かせた。


 「ええ。もちろん、あくまで“使用感の確認”という形で。ミレットさんの店で、私の頂いた贈り物の扱いを店で使えるものか確かめてみるというのはどうだろうか」

 ガラントはいつもの穏やかな笑みのままだが、その声にはどこか抜け目のない響きがあった。


 ミレットは視線を泳がせながら小さく息をのむ。

 「す、すごいことになってきたわね……。セイジさん、ギルド長の髪に合うなら、もう完璧じゃない?……けど、ギルド長って貴族様よね。大丈夫かしら」


 青司は苦笑しながらも、どこかで腹を決めたようにうなずいた。

 「……わかりました。試してもらって構いません。ただし、使い方の注意点と保管方法は、こちらで伝えさせてください」


 「もちろん。彼女も、開発者の意見を直接聞きたいに違いない」

 ガラントは立ち上がり、帳簿を抱え直す。

 「では、待ちきれない妻――ギルド長との面会を手配します。きっと有意義な時間になりますよ」


 リオナが隣で小さく笑った。

 「セイジ、また忙しくなりそうだね」

 「まったくな……」青司は肩をすくめたが、その声はどこか誇らしげでもあった。


 窓の外では、街の明かりがひとつ、またひとつ灯り始めている。

 森から生まれた小さな試作品が、今、街の中心へと静かに歩き出そうとしていた。

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