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愛の導  作者: 瀬名柊真
五章 トラウマ

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圭吾side

「圭吾!大丈夫!?」


 切羽詰まった沙良の声で、圭吾は目を覚ました。どうやらうなされていたらしい。それもそうだ。あんな悪夢。


「また、あの夢?」


 沙良が言っているのはあの中年女のことだろう。思春期を終え、本当に高校生になった今でもあのことは言っていないのだから。

 しかし、あの夢を見るのは実に五年ぶりかもしれない。中学受験で完全男子校に行ってからは中々見なかったから。

 きっと、沙良は知らない。もしも、もしも沙良がその事を知ったら圭吾のことを嫌いになるだろうか?近づかないでと拒絶するだろうか?


(それだけは嫌だ。だったら、知らなくて良い)


 そう、圭吾は思う。きっと沙良はそんなことはしない。そう頭は理解しているが、心が追いついていない。少しでも可能性が否めないのなら、言いたくなど無い。

 きっと沙良は、あのときからずっと女性恐怖症に陥っているのも、ナンパされたからではなく、別な理由があると思っているのだろう。その理由が沙良の中で何になっていようがさして興味はない。

 ナンパされた、それさえ知られなければ特段構わないのだ。


「圭吾、今日、彩夏ちゃんにあったからその所為かな?」


 心配そうに圭吾の顔を覗く沙良に多分とだけ返す。

 古谷彩夏。彼女は沙良の親友で、圭吾には親友の弟としか思っていないのは分かっている。圭吾に対して色目も使ってきたことがない。普通に友達感覚で接してくる。

 だが、それでもやはり怖いものは怖いのだ。むしろ、友達感覚なのが恐怖を引き立てているのかもしれない。彩夏ですらその実、圭吾のことを狙っているのではないかと勘ぐってしまうから。そして、本当にそうだったら、それこそ立ち直れなくなってしまいそうだから。

 それに、あの化粧に塗れた顔はどうしてもあの女を彷彿とさせるのだ。あの女と同じ、強い化粧品の臭いがする所為だ。


「圭吾。少しだけ昔話をしよっか」


「昔話?」


「うん。昔話。圭吾の思春期の話。といっても、ついこないだまで思春期だったし、昔話とはいえないかもだけど」


「え?あぁ、確かにそうかも。てか、思春期の話とか黒歴史でしかないんだけど」


「まぁまぁ。あの日はいつも姉ちゃん姉ちゃんって言ってる圭吾が、触んなとか言ってきて悲しかったんだよ?」


 そういう沙良の顔は本当に寂しそうで。でも、ちゃんと過去を見つめている眼差しだった。


「うっ……。あのときは姉ちゃんに触れたくなかったんだよ」


「今じゃ抱きついてくるけどね。そういえば、反抗期のときからおふくろとか親父とか呼び始めたよね」


「さすがに、反抗期で母さん父さんは違うだろって思って。そしたら意外とハマっちゃって今もそのまんま」


「あれだね。唯一の思春期の名残」


「いや、そんな事ないんじゃない?」


「へぇ、じゃあ他には?」


 そう聞かれると何も答えられない。なにせ、反抗期と言っても接触を避けたぐらいなのだから。


「やっぱり答えられないんじゃん。そういえばさ、圭吾の反抗期ってスッて終わったよね。あれ、何がきっかけだったの?」


「え、あー。今ある時間を大切にしなきゃなって思っただけ。ほら、丁度親父が倒れたろ?」


「あ、そういえば丁度その時期だったね。あのときは怖かったなぁ」


 沙良は納得がいったのか一人でうんうんと頷いている。本当は父以外にも要因があるのだが、それを言う必要はないだろう。


(だって、姉ちゃんに彼氏が出来たから。なんて言えるわけないし)


 そもそも、圭吾が沙良との接触を避けたのだって、沙良ならそれでも圭吾を好きでいてくれると、離れないと思ったからだ。

 反抗期だからいつも甘えてる人には、つい離れたくなっちゃうよねー。というクラスメイトの話を聞いて、実行してみただけの話。中高生では反抗期が来るのが普通らしいし、圭吾自身は反抗したくなくても、やるべきなのかと思っていた。

 だが、沙良に彼氏が出来たのなら話は別だ。それもそうだ。沙良も大人。そのうちに実家を出て同棲とか、結婚とかするのだろう。いつまでも圭吾の傍にいれるわけがないのだ。

 そう思うと、わざわざ自分から離れる意味がないように感じた。多少周りから浮こうが、家族全員が揃っている時間を大切にしたい。

 そう思った矢先に、父も過労で倒れ、その思いは確固たるものになった。

 人はいつ死ぬか分からないくらい脆い。それは圭吾も含めて。

 誰が、いつ、どこで、何故、死ぬのか。

 それを完璧に熟知している人間は誰一人としていない。

 だったら、いつか来るその日に向けて後悔しない人生を生きたいではないか。

 家族みんなで笑って、泣いて、話して。

 そんな平穏を暮らしたいじゃないか。

 だから、避けるのを止めた。変に反抗期ぶるのを止めた。

 友人たちは、「え?もう終わったの?はやっ」なんて驚いていたが、父が倒れたからだというと、納得してくれたようだった。逆に、そうだよな。と自分たちの考えも改めるきっかけになっていたようだ。

 流石に沙良のことは話せないが。

 圭吾はこれでも、校内では真面目な優等生というキャラなのだ。家族思いまではみんな知っているが、シスコンということだけは知られたくない。

 それでいて、此処まで拗らせているということは、沙良にも知られたくない。

 沙良なら笑って流してくれそうだが、なんだか嫌だ。心の底では圭吾に引いてるんじゃないかと思ってしまっているからかもしれない。


(まさか、大切な姉すらちゃんと信用出来ていないとは)


 自分という人間の本質に思わず失笑してしまう。これは生まれつきと言うか、なんというか。多分、過去のトラウマの有無に関わらないものだろう。

 まぁ、別にどうだって良いのだ。そんなこと。

 圭吾は言いたくないから沙良にいわなかった。その事実だけが重要なのだ。

 家族でも隠し事の一つや二つくらいする。父と母も隠し事をしているのだし。圭吾だけが悪いというわけではない。というか、隠し事をするのは別に悪いことではないだろう。

 沙良が死ぬ直前になったら話そうか。

 そう考えないわけではないが、きっと死ぬとなってもいわないのだろうと思う。

 圭吾の中の秘密は墓場まで持っていく。絶対に。

 誰にもいわずに、心の中に巣食わせておくのだ。

 そんな事を考えていると、段々と眠くなってきた。沙良もウトウトとしている。

 そうして、いつの間にか、沙良と圭吾は寄り添うように寝ていたのだった。

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