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ヘブンズゲート・クライシス  作者: 遠藤 薔薇
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フォートリーにあるフェリシティのセーブハウスはうらぶれた平屋の一軒家だった。言っては難だがみすぼらしい外観をしている。築50年は経っているだろう。町の中心地からも外れており、住宅地の端っこでジッとしているような立地だ。周囲に人通りは少なかった。

俺とフェリシティは各々のスーツケースをタクシーから降ろし、セーブハウスの中に入る。古ぼけた外見だが扉は電子ロックと最先端の仕様だった。テンキーとスキャナーが備え付けてあり、フェリシティはパスワードと静脈認証で扉を開けた。

セーブハウスの中は驚くほどきれいだった。というより一度リフォームしたのだろう。うらぶれた外観とは不釣り合いな清潔感に溢れている。セーブハウスだけあって生活感は少ないが、調度品や家具は一通りそろっていた。

「なんか…すごい」

「あら、ありがと。スパイ映画みたいにあちこちに仕掛けがあったり、変な場所に武器が隠れていることはないわ。セーブハウスと銘打って入るけど、いたって普通よ。ガラスは全部防弾仕様で、一般の家庭にしては無駄に武器弾薬がクローゼットに入っているくらいね」

それを普通と言っていいのか。と内心ツッコみつつ、フェリシティの指示で俺はリビングの奥に3つある寝室の内1つに荷物を置きに行った。

部屋に入るとこれまた小綺麗な部屋が出迎えた。シングルサイズのベッドは一つ、後はテーブルとイスが一組。クローゼットがあったので覗いてみる。中に服の類は入っておらず、代わりにサブマシンガンとショットガンが壁に取りつけられていた。銃弾が詰まったマガジンが下に転がっている。フェリシティの言う通りだ。思わず背筋が凍り付いた。

ひとまず銃には手を触れず、クローゼットを閉めて俺はベッドの上で横になった。寝ないでいると多分フェリシティに怒られる。ここは大人しく指示に従おう。

知らない部屋には特有のにおいがする。どこか心細い気持ちにさせ、不安感を煽る奇妙なにおい。

俺が事故に巻き込まれた後に目覚めた際も同じにおいがした。つくづくここは自分が過ごしている環境とは違うのだとわかる。ここは違う国で、違う世界だ。

そんなことを考えていると、急に視界がぼやけてきた。薬が効いてきたようだ。思わず理性を奮い立たせて抵抗するが詮無いことだった。俺はストンと、眠りに落ちた。


目が覚めた時は夜になっていた。スマホを手に取って確認すると23時。12時頃にフォートリーに到着したからかれこれ11時間は寝ていたことになる。

思わぬ時間のロスに焦った俺は飛び起きて廊下に出る。リビングに灯りがついていた。ソファに座ったフェリシティがノートパソコンで何やら作業をしている。フェリシティは俺に気づいて顔を上げた。

Tシャツにスウェットとラフな姿のフェリシティは眼鏡をかけていた。気の抜けた格好をしているフェリシティは初めて見た。仕事終わりのくつろいでいるOLのような感じだ。ソファの前に置いてあるテーブルが置いてあり、その上には灰皿と巻きたばこが並んでいた。灰皿にはすでに3,4本ばかり吸い殻が入っている。

「おはようございます」

「どちらかというと『こんばんは』ね」

フェリシティはパソコンをテーブルに置き、煙草に火を点けた。

「普段吸っている奴じゃないんですね」

「本命はこっちよ。ニオイとか吸える場所の都合で加熱式を使い分けているだけ。本当の味がわかるのはやっぱりこれよ」

満足げに煙を吹かしながらフェリシティは立ち上がった。

「歯を磨いて、シャワーを浴びてきなさい。適当なモーニングを用意しているから。それをつまみながらミーティングよ」

俺は指示通りに歯磨きとシャワーを済ませてリビングに戻る。するとテーブルには皿の上にうずたかく盛られたコーンフレークと1ガロンボトルに入った牛乳が置かれていた。

「え…」

「早く食べてちょうだい」

「フェリシティさん、これって…」

「朝食よ。時間的には夜食というべきかしら」

嘘だろ。どれだけワイルドなんだよ。

「コーンフレークと牛乳。栄養バランスに優れた万能食よ」

そう言ってフェリシティはコーンフレークの山に牛乳をドバドバとかけ始めた。夥しい牛乳がこぼれ、テーブルが汚れていく。

「ちょ、ちょっと!かけすぎ!かけすぎ!」

「かけづらいわよねーこのタイプ」

なぜうまくいかないのかと不思議そうに首を傾げるフェリシティ。当たり前だ。1ガロン=4リットル。その量を全部ぶちまける勢いで牛乳をかけたなら自明の結末だ。あれだけいいものを食べているのに、なんで自分で料理をやるとおかしなことになるんだ。

とりあえずテーブルを雑巾で拭いた後、牛乳のかかり方に思いっきりムラがあるコーンフレークを俺はスプーンですくい上げて食べた。ものすごく甘い。牛乳もこってりしている。甘さとこってりが合わさってものすごい味になっている。

「食べながらでいいから聴いて」

傍らに置いていたパソコンを膝の上に乗せてキーボードを叩きながらフェリシティが言った。

「『真田和嵩記憶発掘ツアー』のプランだけど…ひとまず現場の資料写真を見てもらうわ。具体的なイメージがあった方が脳みそに刺激がありそうでしょ?」

「現場には…?」

「件のアパートはすでに取り壊されて更地になっているわ。残念ながらアパートには行けないわね。あまり大っぴらにしないのならニューヨークにいる友達に声をかけてもいいわよ」

「そうですか…」

アパートがなくなっているのは残念だった。生憎記憶からは消えているし、焼け跡すら見ていないが、俺が実際に過ごした場所が消えているのは名残惜しい。

「でも、現地には行かせてくれませんか?花束を…添えてあげたくて」

優しい夫婦だったというトムソン夫妻、無関係なのに巻き込まれてしまった他の住人達、そしてイリス。非情な爆発事故で唯一生き残った俺だからこそ、追悼しなければならないと思っていた。

「いいわよ。花屋にも寄りましょう」

快諾したフェリシティはノートパソコンの画面を俺の方に向けた。アパートの焼け跡の写真だ。爆発の衝撃で壁は崩落し、鉄骨が所々剥き出しになっている。木製の部分は焦げてすっかり炭化していた。爆発の衝撃の凄まじさを物語っている。

現場をちゃんと見たのは初めてだった。凄惨な様に言葉を失う。こんな状況で生き残ったことが信じられなかった。

様々な角度で撮られた写真の中には黒焦げの死体や人体の一部と思われる肉片が映っているものもあった。俺は夜食を食べる手を止めた。グロテスクだったからじゃない。胸が痛んで、食べ物が喉を通らなくなったからだ。

俺の様子に気づいたフェリシティが事務的な口調で説明を始めた。

「6月28日未明、アパートが突如爆発して炎上。同時に1人の少年が3階の窓を突き破り、アパートすぐそばの植え込みに落下した。少年は朦朧とした意識で植え込みの付近でもがいた後、意識を失った」

俺のことだ。入院していた時にNYPDの刑事から聴いた話と合致している。

「通報で駆け付けた消防隊による炎は5時間で鎮火。NYPDもやってきて現場検証。焼け跡から18人の遺体が見つかったわ。遺体の身元は続々と判明。しかし、ただ1人だけ身元がわからない遺体があった。司法解剖の結果遺体は10代後半の女性と判明。しかし身元がさっぱりわからなかった。何もかも焼けたのもあるけど、葉の治療痕などもない。NYPDはたまたま来ていた住居者の友人だと考えたけど、あのアパートにそれらしい人物が出入りしたという目撃証言はなかった。NYPDは例によってその遺体の情報を集めようとしたけどある一家がそれにストップをかけた。おなじみナイトクラウド家よ。ナイトクラウド家はさっさとその少女の遺体を回収し、アパート火事に関する証拠のほとんどを奪っていったわ。NYPDの署長達にたんまり小金を握らせてね」

ナイトクラウド家に先を越されたことを思い出したのか、フェリシティは苛正しげに煙草のフィルターを噛んでいた。

「私達が動かしたのは連中が立ち去った後だったわ。NYPDの協力者からナイトクラウド家の情報が入ってから私達はすぐに動いたわ。アパートの爆発事故に関する数少ない証拠を頼りに捜査を開始。いなくなった18人目に的を絞ったわ」

フェリシティがタッチパッドを叩いた。次に映ったのは大きな洋館に入ろうとするドレス姿の少女だ。やや解像度が粗いが、表情は分かった。ハーピア…違う、イリスだ。

6年後のイリスを初めて見た。ハーピアと瓜二つの顔だが、漂わせる雰囲気が違う。上品で、儚げな雰囲気がある。化粧で綺麗に彩られているが、両目には物憂げな影があった。

イリスはこんな感じだったんだ。俺は感動とも悲壮にも似つかない感傷を覚えた。やっぱり、6年前に出会ったあのイリスだとわかる。再会した時もきっと俺は彼女だと分かっただろう。

フェリシティはそんな俺の干渉を悟ったのか、幾分口調を和らげた。

「…この顔が出てきた時は私達も驚いたわ。あのイリス・エルフ・ナイトクラウドだったからね。ローレンスのとびきりのお気に入りがナイトクラウド家と縁もゆかりもないアパートの中で炭になっている…。まさに予想を裏切る展開だったわ。でもだからこそ付け入る隙があった。イリスほどの大物があんなアパートで殺されたということは、ローレンスがわざわざ手の者を動かして始末をつけたということは、それだけ致命的なボロが出たという証拠でもある。実際、アパートの管理人であるトムソン夫妻を調べると面白いことがわかったわ」

「面白いこと?」

トムソン夫妻とはアパートを管理していた夫婦であり、俺のホストファミリーだった人達だ。夫はチャールズ、妻はジェニファー。俺の記憶からは消えてしまったが、友人がいうにはとても良好な関係だったらしい。とてもいい人達だったそうだ。

「チャールズ・トムソンとジェニファー・トムソンはそれはそれは親切で慈悲深い夫婦だったそうよ。後10年生きていたらポスト・ジーザス・クライストになれたかもしれない」

「フェリシティさん…!」

茶化すような物言いに俺はしかめっ面をした。記憶がなくても、俺が関わった人達だ。故人をけなすような表現は許せない。


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