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ヘブンズゲート・クライシス  作者: 遠藤 薔薇
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「ハーピア。私の意向はすでに知っているはずだ。私は彼に興味がある。ある程度試したいんだ。処遇はその後私が決める。

まぁ私の興味を差し引いても彼を帰すわけにはいかんがね。FBIと通じている上に我々の内情を知り過ぎている。それに彼の記憶の確認もまだ完了していない」

「彼は無害です。私達と敵対するようなことはしません!」

「そこまでたぶらかされているとは驚きだ。君はあれだけ従順だったのに」

「お父様…!」

必死に食い下がるハーピアだが、ローレンスは意に介さず視線をゼメキスへ移す。

「ゼメキス。ハーピアを処分しろ。男の方だけで構わん」

「ヤー」

ゼメキスが銃を構える。ためらいはない。

「待て!!」

俺は大声で牽制した。ゼメキスの動きが止まる。ローレンスや他の私兵の視線が俺に集中した。

「ハーピアを殺すな。もし殺したら…俺は何も話さない」

ローレンスが怪訝な目をする。

「駆け引きで重要なのは自分を対等な立場へ持っていくことだ。だが今の君は圧倒的に不利だよ。ハーピアを使ったところで私は躊躇しないし、私は初めからどんな手段を使っても君を喋らせるつもりだ」

「だったら舌を噛んで死んでやる。そうなればお前達はFBIに先を越されるだけだ」

平常心、平常心。こっちが相手の致命的な弱点を握っていることを徹底的にアピールする。弱みを見せたらだめだ。

俺のハッタリが功を奏したのか、ローレンスの目つきが変わった。ハーピアは注意深く俺を見守っている。

「先を越されるとは、どういうことかね?」

「お前の察した通り、俺は記憶を思い出した。俺はイリスから預かった物証を日本に持って行ったんだ。場所はすでにFBIに伝えてある。だけどその物証は家の金庫に入っているんだ。パスワードは俺しか知らない。そしてそのパスワードを俺はまだFBIには伝えていない」

「ほう。それはシビアな状況だ」

ローレンスが目配せしてゼメキスに銃を降ろさせた。よし、こっちの土俵に乗った。

「今FBIは俺の捜索でてんてこ舞いはずだ。今ならお前達は先手を取れる」

「FBIが先に金庫を回収している可能性は?」

「それはない。俺はアメリカに来てから記憶を取り戻した。金庫はまだ日本にあるし、FBIも把握していない」

ローレンスがソファにもたれた。ひとまず提案を受け入れてくれたようだ。

「よかろう。それで、君の条件は?」

「ハーピアと、妹達を解放しろ」

ローレンスの表情が変わった。俺は構わず続ける。

「もう彼女達を苦しめるな。他人が死んだ人間になれるわけがない。お前がどれだけエレクトラって人に拘っていたかは知らないけど、自分の都合で彼女達の人生を潰そうとするな。もう誰も、死なせるな…!」

俺の話を聞き届けたローレンスは深く息を吐いて俺を見据えた。

「君は…母親が死んだ時、何を感じた?」

「なんだって?」

「答えたまえ。何を感じた?」

問いの意図が分からず、俺は戸惑うも、淡々と答えた。

「…悲しかったし、さびしかった。今まで当たり前にいた人だったから、いなくなった時は…俺も父さんも苦しかった」

「君は母親を愛していたかね?」

「…愛していた。憧れでもあった」

「なら感じただろう。蘇ってくれたらいいのにと」

ローレンスが再び杖で床を打ち始めた。

「愛した人がいるのなら、その死を受け入れるべきではない。どんな手段を用いても、どんな犠牲を払っても復活を願い、実践するべきだ。それが愛するということ、愛に報いるということだ。私はその愛の名の下に行動している。全てはエレクトラ・グラディス・ナイトクラウドを再誕させるためだ。新たな肉体と魂を得た彼女を、私の愛を捧げるに足る存在を創り上げるためだ。私はそのためなら何でもした。厳粛に、厳密にエレクトラそのものを設計し、調節し、選別した。理想は遠い。試行錯誤と実践の繰り返しだ。それでも私は諦めずにやり続ける」

「それで…人を殺してもか?」

「些末な問題だ。30年前のあの時、エレクトラを喪った悲しみと絶望と比べるべくもない」

ローレンスはゆっくり立ち上がり、杖をつきながら歩み寄ってきた。

「生まれつき右足が不自由で、劣等感に苛まれた私をエレクトラは、私の母は愛してくれた。私の教え、育み、導いてくれた。私にとって世界の希望は彼女だけだった。それが喪われた。喪われたんだぞ?初めて神を呪った。なぜ彼女が天に召されねばならなかったのか。なぜ私から奪われなければならなかったのか。だが私はこの苦難に屈するつもりはない。断じて屈してなるものか。この喪失は必ず埋め合わせる。奪われたエレクトラは必ずこの手で取り戻す」

それは執念だった。まがりなりにも紳士的に振る舞っていたローレンスはそこにはいなかった。エレクトラに固執し、エレクトラの死を許せないという、色濃い狂気に囚われた男の姿があった。

「私はエレクトラさえいればいい。それ以外は何もいらぬ。エレクトラさえ取り戻せれば私は何もいらない」

だけど、その狂喜は俺にとって―――。

ただ不愉快だった。

「お前は…そんな理由で…イリスやハーピアを巻き込んで…殺したのか」

テーブルの前まで歩いていたローレンスが足を止めた。ローレンスの狂気に俺は怯まなかった。怒りがずっと勝っていた。

「愛?冗談じゃない。そんなの、ただの執着じゃないか。自分の都合で子どもを作って、その子どもの人生まで狂わせて、殺して…!挙句に無関係の人間まで巻き込んだ!」

「言っただろう。些末なことだ。犠牲として数える必要もない。私にはエレクトラさえ帰ってこれば、創ることさえできたら…」

「それがそもそも間違いなんだよ!!大切な人が帰ってこればいい?創ればいい?そんなのそもそも間違っている!死んだものは帰ってこないんだ、永遠に帰ってこないんだ!残された俺達にできることは、その意志や気持ちを汲んで、自分の未来を見つめ直すことだけなんだ!」

ハーピアも、父さんも、そうやって悲しい人の死を乗り越えてきた。ローレンスのやり方は苦しみながらも懸命に進んでいる人達の生き方の否定だ。

ローレンスは薄く笑った。余裕とした態度を崩さない。

「欺瞞はやめたまえ。君とてイリスの死で苦しんだのではないのか?愛しい人を失い、取り戻したいと願っただろう?」

「…否定はしない。だけど、そこで止まっていたらダメなんだ。生きていた時に彼女が望んだことを、やり残したことを受け継ぐ方がずっと大事なんだ」

「声も聴けぬ相手の願いなどわかるはずもない」

「それを見つけていくのが、残された人間の生き方だ。それに、その理屈だったら…お前のやっていることに意味なんてない」

初めてローレンスの表情が曇った。かすかな苛立ちが浮かび上がっていた。

「だってそうだろ?死んだ人の願いも聞けないなら、死んだ人の心や精神までを再現できるわけがない。人の心はその人だけのものなんだ。その人にしかわからないものなんだ。

これまでも、これからも、お前がどれだけ再現しようとしても無理だ。お前が創れるのはせいぜいお前の記憶の中にいるエレクトラだけなんだ。お前の思い入れや思い出補正が入った、ただの虚像なんだよ。ありのままの、本当のエレクトラはずっと創れやしないんだ!!」

ありったけの感情を放出した。ローレンスへの怒りを思いっきり俺はぶつけた。

「だから、もうやめろ。ハーピアを、他の子ども達を巻き込むのはやめろ。お前の叶わない妄想に付き合わせるのは…やめるんだ」

ローレンスは無表情で黙っていた。感情こそ表れていないが、先程まであって余裕さは消えていた。静かに怒っているのはわかった。

「…実に君は面白い。なるほど、凡百ながら正当な考えだ。おおむね、君の考えが正しいのだろう」

意外な返答に俺は目を丸くした。あれだけ執念を燃やしておいて、俺の言葉をあっさりと受け入れる?いや、そんなはずはない。

「だがな、愛は理を越えるのだよ。いや、いずれ越えてみせる。私はいずれ完全無欠の、十全たるエレクトラを創ってみせる。必ずだ」

ダメだ。この男に理屈は通じない。自分の中で完全に決めているんだ。例え不可能でもやり抜くと。どれだけ犠牲を払おうとやりきると。

「お前は…狂っている…」

「悲しみを捨てることは裏切りだよ。想う人がいるのなら、その人を失ったのなら悲しみ続けるべきだ。それが愛することの責任だよ。忘れることは許されない」

「それで、死んだ人が喜ぶと思っているのか…?!」

「『想像で悲しみを克服すること』と『想像で愛する人を模倣すること』…そこに何の違いある?互い違いなだけで、その本質は変わらないのだよ。私も、君も、その根本は変わらない」

ローレンスが杖で床を数度叩いた。それを聴いたハーピアが俺の腕を引いて銃を構えようとした。だがそれより早くゼメキスがハーピアの銃を撃ち抜いた。ハーピアの銃は砕け散り、彼女はうなり声を上げて右手を抑える。

「ハーピア!」

「大丈夫…大丈夫だから…」

俺はハーピアを抱き寄せた。怪我はないが、衝撃で腕が痺れているらしい。

「君との話は楽しかった。やはり興味深い人間だったよ、君は。だが我々は相容れない。やはり君はサンプルを取るだけにしておこう。せめてもの慈悲だ。2人で逝きたまえ」

「…物証はどうするんだ?」

「金庫ごと持っていけば問題あるまい。FBIと違ってプライベートジェットを飛ばせる身分でね。出し抜くのは容易い。それに、死後のことは気にせずともよかろう」

ゼメキスが銃を突きつけたままローレンスの傍に立った。それを皮切り他の私兵も銃を構える。全員が俺達に殺意を抱いている。

万事休す。あの口ぶりだともうローレンスに駆け引きは通じない。全部失敗だ。俺のなけなしの機転は空振りに終わった。

ハーピアが俺の耳元でささやいた。

「…和嵩。私の合図でエレベーターまで走って。私が盾になる」

「何を言って…!」

「和嵩。負けても、どっちかが生き残ればいい。それに…きっとイリスならアンタを守る」

「ダメだ。それは俺がやる…!」

「素人に何ができるの?!」

「君は生きていなきゃダメなんだ。イリスの望みならなおさらだ」

ハーピアは目を潤ませて首を振った。

そうか。本当は優しい奴なんだな。これが本当のハーピアなんだ。

「密談は終わりかね?」

ローレンスが悠然と言った。

「では、ごきげんよう」


その刹那だった。

強烈な光が窓から差し込んだ。同時に連続して起こる爆音。全員が窓の外に気を取られた。巨大な丸い光源が闇夜に映っていたからだ。微動する光源の正体が掴めず、俺は戸惑った。

「伏せて!耳を閉じて!」

加えていきなりハーピアが俺を押し倒し、覆いかぶさった。俺は訳がわからずハーピアに言われるがままにした。

すると至近距離で何かが炸裂する音がした。同時に塞いでいる掌越しに強烈な音が鼓膜を震わせた。さらに大勢の人間が入り込む震動が起こる。訳の分からない展開の連続で俺はすっかり混乱していた。多分ハーピアに庇われている、みっともない姿をずっとさらしていたと思う。

「なぜここが気取られている…!ゼメキス!」

「当主を下がらせろ!畜生…目がっ…!」

ローレンスとゼメキス達が騒ぐ中、俺は誰かに体を掴まれてどこかに連れていかれていた。そこでやっと混乱が収まった。恐る恐る目を開けると見慣れた顔があった。


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