12
昼下がり。
先程までレイスに両手首と足首を見せていたが、やはり特に腫れたりしている事もなく予定通り実際の効果の確認に取り掛かるつもりだった。自分としても何かあっては困るというのが根本にあり、その効果が発揮される事を確認しておきたい所だった。
だった。あった。すべてが過去形なのは。
「じゃあ、やってみるか。レイス、大丈夫か?」
「はい。まずは――」
彼女の簡単な説明と、ミリアの少し期待にも似た――それが何の期待かはわからないが――表情は、力強く叩かれる扉の音に遮られた。
出鼻をくじかれるようなそれに、いそいそと出てきたエステラを手で制しながら玄関へと向かう。
戸を開いた先に居たのは、ひどく不機嫌な表情のオルビアだった。
「……。」
「……。」
無言で閉じようとした戸に、オルビアが足を突っ込んでくる。
「オルビア、忙しいから今度にしてくれ!」
「お前、なに扉まで閉めようとしている!」
「相手から来る用件なんて碌な物じゃないって言ったのはお前だろ!?」
「それ、合ってるから早く読め!」
言いながら書簡を差し出される。慌てて手を引っ込める俺の胸元に、ミネルヴの文字でヴァンゼル家の名が記された書簡を押し付けられた。
文字を追い終えて顔を上げると、そこには相変わらず不機嫌そうな表情のオルビアが待っていた。先程の若干悲鳴じみたやり取りに何事かとやってきていたレイスへ、後ろ手に書簡を渡す。
「……。」
「って事だ。すぐに出発できるか?」
要するに。ミネルヴからの書簡には問題を何とかしろと書いてあった。
方法はこちらで考えていたものと同様だった。頭数を集めて双方国境まで出張れという話で、オレンブルグからの打診があったらしい。こちらからの連絡と行き違いになってしまった状況だったが、当然と言えば当然ながら、向こうで同じことを考える者がいない理由などなかった。
「あのなオルビア。最初から行く前提で話を進めないでくれよ。ギルドにも確認しないといけない」
「そっちは私の方からも話すから今から一緒に来い。今からちょっと顔貸せ」
「ちょっと待ってくれって。……しかし随分早かったな」
彼女が出発してそれなりの日数も経ってはいるが、自分たちが以前王都に向かった折からは考えられない日数でここへと戻ってきていた。
それと。そもそも何故オルビアにそこまで出発の時期を詰められないといけないのだろうか。
「くっそ。私は王都まで行って、結局こっちにも引っ張り出されるんだぞ?」
「ちょっと待て。えぇとお前、結局行くのか?」
「だからそう言ってる! 今までで一番急いで戻らされた挙句これだ、冗談じゃないぞ」
「俺に当たるなよ……」
「で、いつなら出られるって!?」
「だからちょっと待てって……」
完全に矛先をこちらに向けているオルビアとの間に、書状を読み終えたレイスが割り込む。
「オルビアさん、ちょっと待って下さい。ちょっと本当に大事な用があるんです」
「……。」
どうもレイスにはあまりきつく言えないらしく困ったような表情で口をつぐむオルビアに、俺の体の状況や拘束する旨をレイスが簡単に説明している。
誰にでも話すべきことではないが、少なくともオルビアには説明しても問題ないだろう。しかしその説明の後半で、明らかに表情が笑顔になるのはどうなのだろうか。
若干の後。
俺は、今朝も世話になった丸太の隣に突っ立っていた。
「じゃあリューン様。始めますよ?」
「ああ。やってくれ」
レイスの真剣な表情を見返す。その肩の向こうには、どうもその時になってみると若干不安になったらしく少し心配そうな表情のミリア。そしてその隣、楽しくてしょうがないとでも言いたげなオルビアが見える。見物人がまた一人増えているが……まぁ気にする事でもないだろう。
確か捕らえられた罪人の様に、両手両足に枷を付けたような状態になるという話だった。取りあえず初回であり逆らってみるべき状況でもない。
拘束という点において、足は極めて重要だ。腕だけを拘束しても自由を奪ったとはとても言えない。そもそも動き回れる上に、例えば膝の打撃力は拳の一撃を大きく上回る。
更に真剣な表情を浮かべてレイスが右手をこちらに向ける。その唇が小さく動くのを見て全身の力を抜く。足も拘束されるのであれば最初から寝転んでいてもいいのかもしれないが、それは流石にみっともないし――。
瞬間。俺の視界は空へと向いていた。
続き、派手に背中から地面に落ちるような感触。そして遠くから響く馬鹿笑いと、こちらに近寄る足音。
懸命に状況を理解しようとしている俺の視界に、凄まじい力でべったりとくっついた右手首と左足首、そして左手首と右足首が見えた。
予想外の状況に巡らす視線に、真っ青な顔でこちらを見下ろすレイスが入り込む。
「……すごい力だな」
「……。」
「これじゃあ動けそうもない。拘束という点では十分だな」
「あ……あれ……」
「レイス?」
土の上で三角座りのような態勢で起き上がる。再び響く笑い声。確かに少し無様だとは思うが……腹を抱えて笑っているオルビアと、その隣で口を半開きにしているミリアが見えた。
相変わらず帰らない返事に見上げると、口をぱくぱくとしているレイスが泣き出しそうな表情でこちらを見下ろしていた。
「……もしかして。間違えたのか?」
その言葉に、レイスは頭を抱えるようにしゃがみこんだ。
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
「いや、別にいいだろ。これなら間違いなく動けない」
「なんで……何度も確認したのに……!」
「おい?」
「どうしよう……」
「なぁレイス?」
「……はい」
「とりあえず問題ないって。あとこれ、とりあえず離れるようにして欲しいんだけれど、いいか?」
思い出したように顔を上げた右目は真っ赤に……先程まで青かった顔も耳まですっかり赤くなっている。
完全に泣き顔で立ち上がったレイスが、再びこちらに掌を向けた。
「いいもの見せてもらった」
「お前なぁ……」
「カエルか何かみたいだったぞ」
「……。」
ベンチでうずくまり、ミリアに頭を撫でて貰っているレイスを眺める。お構いなしにさも楽しそうなオルビアは先程とは真逆なほどに上機嫌だった。
「ギルドの方へは私から話をしておく」
「わかった。こっちも……説明してからだな」
「何を言ってるんだお前は?」
「?」
思わず見返した先のオルビアは、言葉通り呆れた顔をしていた。
「レイスちゃんは、間に合って良かった、なんて言ってたぞ?」
「……。」
「だから。とっくにあの子の中じゃあ織り込み済みだって事だ。あの調子ならあっちもだろ」
再び視線を向けた先のミリアは俺の視線に気付くと、こっちは大丈夫だから用を済ませて来いとでも言うようにギルドがある方角を指さして見せている。
「……あぁ」
安堵のような溜息。
「お前はいい加減に……。あの子たちだって子供じゃないんだぞ? 務めを果たす必要があることくらい理解できるだろ」
「わかってるって。だからいつもなら先に用を済ませろ、オルビアに付き合えって遠慮するところが――こっちが必要だから優先させた。ただちょっと。話が急だったというかなんと言うか」
わき腹を軽く小突かれる。
「ったく、なに日和った言い訳してるんだお前は。それで、いつなら出られる? ギルドには基本お前の都合に合わせた日程を伝えるが、まさか今日ってことはないだろ?」
「準備は……流石に今日は苦しい。明日の昼まであれば」
「わかった。じゃあ遅くとも明後日の早朝。いいな?」
門まで送る間、思い出したように文句を述べるオルビアに礼を述べる。
疲れを感じさせない速足でギルドへと向かう背中を見送り振り返った先、行かなくてもいいのか?とでもいうような顔をして見せるミリアに軽く頷いて見せた。
オルビアの言葉を借りれば日和っていたのは事実だし、いつまでもその調子ではいけない。
しかし、ミリアが再び視線を落とした先の黒い髪。恐らくその下には先程と変わらない泣き顔がありそうで――それこそ気が抜けているという話なのかもしれないが――流石にそれを無視する気には到底なれなかった。




