2人の日常11
俺はアレンの所へ出向いていた。
売春宿が立ち並ぶこの通りも、もはや見慣れつつある。
最近ではここを歩いていても伺うような視線を感じる事は無くなっていた。
もう見慣れた人間の一人となったのだろう。
そしてこちらも見慣れつつある、路地へと曲がる角を曲がった。
「珍しい客だな。また誰か連れて行くのか?」
久々のヴァージルに、先日騒がせた事への詫びとアレンへの取り次ぎを頼む。
扉の前に立つもう1人が、音もなく家の中へ消えて行った。
「話は大体聞いた。大変だったらしいな」
「死ぬかと思った……と言うよりもライネがいなかったら死んでいたな。本当に助かった」
「それ聞いたアレンが、あいつは一回死んだ方がいいかもしれないって言ったらな。あのライネって奴、死人が沢山出ているのにそういう不謹慎な事を言うな、って食ってかかってなぁ。傑作だった」
「傑作って。それ、大丈夫だったのか?」
扉の開く音。
「アレンさんが会うそうだ。入れ」
その言葉に、ヴァージルが顎で扉の方を指しながら答える。
「大丈夫だ。まぁ礼を言っておけ。生きて戻れてよかったな」
ヴァージルに軽く右手を上げ、開かれた扉をくぐった。
相変わらず気圧されるような殺気を放つアレンの正面に座り込む。
しかしその空気にも、もはや慣れつつあった。
その殺気が口を開く。
「まぁよかったな。大体の話は聞いた」
「残念だったな。しぶとくて」
その言葉に薄い表情ながらも、意味が分からないといった顔をするアレンに続ける。
「何れにせよあの2人が居てくれて心底助かった。本当にありがとう。あいつらにも伝えてくれるとうれしい」
「……お前から礼を言われると正直、気持ちが悪いな」
そう言いながら苦笑いを浮かべている。
「俺はあんたが笑ってるのを見ると気持ちが悪い。お互い様だろ」
「相変わらず、随分な物言いだな。……いずれにせよ。あの小娘への義理は果たした。いいな?」
「ああ。俺が返事するような話じゃないかもしれないが……命を助けた。充分だと思う」
殺気にまみれた沈黙が流れる。
だがそれは、そこまで心地の悪い物ではなかった。
……目的は済ませた。
ゆっくりと立ち上がる。
「邪魔したな。流石に礼も言わないのはどうかと思った。もう来る事もないだろ」
「何を言っている。心変わりを待ってるぞ?」
「だから来ないって言ってるだろ。……じゃあな」
「ああ。精々生き延びろ」
気分の悪い笑顔に見送られ、恐らく向こうも気分が悪いであろう笑みを返しながら部屋を出る。
再び顔を合わせたヴァージルにも礼を言い、もう足を運ぶ事もないであろうこの場所を後にした。
再び進ませる足は少し重い。
富裕層の集まる区画までは意外と近く、それ程の時間も掛からずに俺は再びグラニスの家の近くを歩いていた。
とは言え、暗くなるまでにはまだ時間があるが、散々した寄り道のせいで太陽は傾きかけている。
そんなに時間はかからない、などと言っていたのは嘘になってしまった。
少し早足になり、グラニスの家の前を通り過ぎる。
目的地であるリンダウ家には、そう時間も掛からずに到着した。
少し見慣れつつある扉。
響くノックに扉を開いたのはリンダウ家の使用人である若い女性だった。
ミリアへの要件である旨を伝えると、その当人は留守である旨を告げられた。
その答えに少しの疑問を浮かべている背後から、さっき聞いたような声がかかった。
「先生、何やってんの?」
振り向いた俺の視線の先には、少し顔を晴らした弟の方が立っていた。
「……機嫌がいいんじゃなかったのか?」
「知らねぇよ。先生が何か言ったんじゃないの?」
「言うも何も。まだ会ってない」
「ええっ? 今までどこほっつき歩いてたんだ?」
「用事があった。遅くなり過ぎたのは認めるけどな」
「本当頼むよ。あれを止められるのは先生しかいない」
「何だよそれ……」
先程は上機嫌と聞いていたが。
レイスが来ていた筈だが、何かあったのだろうか。
「セイム。頑張れよ」
「頼れって言ったじゃないかよ……」
「流石に姉弟喧嘩は例外だろ」
「先生って本当にさぁ……」
再び顔を歪めるセイムと別れ、宿に戻る事にした。
夕暮れが迫る道を歩く。
魔術師の養成所を通り抜け、歩きなれた宿へ向かう道を行く。
どれ程この道を歩いただろう。
じきに、この道を歩く事は滅多になくなる。
少しの感傷的な思いを浮かべながら歩く見慣れた光景。
そこに。
明らかな異物が飛び込んできた。
草原の息吹亭。
あまりその名を口に出す事は無いが、この名前はルシアの趣味なのだろうか。
しかし。
今重要なのはその名が書かれた看板ではない。
まさかこんな所で会うとは思ってなかったが。
肩にかかる程の整った金髪と、上等な薄いブラウス。
少し手前で足を止めた俺の視線の先で、看板を見上げ眉間に皺を寄せている。
腕を組み、首を傾げ。
……再び看板を見上げた。
「……なにやってんだ?」
看板を見上げるミリアの肩がびくりと跳ね、こちらに振り返った。
その少し張りつめていた顔を急激に緩めながら、こちらに早足で近づいてくる。
「先生。ほんといい所に戻ってくるね」
「いい所ってなんだよ。俺は帰るぞ?」
「いやいや……ちょっと待ってよ」
その手が俺の手を掴もうとし、しかし避けるその動きを読んでいたように俺の服を右手が掴む。
「一体なんだよ。部屋まで上がればいいだろ?」
「違うってば。先生ごめん、先に謝る」
「なんだよ。何かやらかしたのか?」
「えぇと。まぁその」
掴んだ服を離し一度俺から視線を外す彼女が、再び俺に向き直った。
「さっきレイスと喧嘩して。その。……ひっぱたいた」
その看過できない言葉に顔を歪ませる。
とは言え、手を出す程の何かがあったのだろうか。
「余程何か言ったのか?セイムとは違うんだぞ?」
「わかってるってば」
セイムとは違うという言葉を即座に肯定したミリアに、少し彼への同情を感じた。
「で、謝りに来たって所か」
「まぁそうなんだけど」
「なんだよ、さっさと謝ればいいだろ?」
その言葉に、ミリアは少し困惑したような顔をしている。
「何も聞いてないの?」
「今戻った所で全然話が分からん。まさか拳で殴ったりしてないだろうな?」
その顔のまま首を傾げ、少し考え込んだミリアが再び口を開く。
「流石に私だってそんな事しないよ。所で先生、ちょっと付き合ってよ」
「なんだよ。ここじゃ駄目か?」
「話してる最中に当人が現れちゃったら困るって」
「そりゃそうだが。まぁ……近場なら」
その言葉に大きく頷くミリア。
見上げた空はすっかり夕方と言える頃合いになっていた。




