2人の日常09
見慣れたパドルアの門をくぐったのは、ウルムを出てから5日後の事だった。
馬の体力の限界まで急ぐ必要などなかったこと、寄り道がなかったこと、見慣れつつある不死者と出会う事もなかったこと。
全てがここを発った時とは真逆だった。
「それじゃね。私達は戻るから。恩は……返せた?」
ひらひらと手を振るヒルダに、微笑みながら頷いて見せる。
正直、十分過ぎるくらいだ。
逆に彼女たちの窮状を知った場合、放っておく訳にはいかなくなったと思っている。
そしてその隣。
ライネに、腕の中のレイスが悲しそうに微笑む。
それに答えるように目を伏せて頷くライネ。
急激に重くなるその空気に、スライが割って入る。
「ヒルダ、ライネ、それじゃあな。落ち着いたらみんなで飲みにでも行こうぜ」
「そうだね。リューンの所を荒らしに行こう」
無理に明るい声を出すようなそのやり取りに、2人の表情も幾らか明るくなった。
「じゃあリューン、俺達も行こうぜ。あぁ馬はグラニスさんの所に返すのか、めんどくせぇ」
白々しく大きな声を出すスライに心の中で感謝しつつ、ここで別れる2人の馬をひきながらグラニスの家に向かった。
当人が留守のグラニスの家で使用人に馬を預け、後日改めて訪れる事、そして礼の伝言を頼んだ。
大きく欠伸をするスライが向き直る。
「じゃ、またな。落ち着いたら呼べよな?」
「わかった。一番最後にな」
「……本当ひでえよな、お前」
「冗談だ。最初に呼ぶ」
その言葉に目を見開くスライ。
「気持ち悪ぃな。一体なんだ?」
「嫌なら来るなよ。とにかく落ち着いたら呼ぶからよろしくな?」
「分かったって。調子狂うっつの」
「知るかよ……」
互いに苦笑いを浮かべる。
隣で聞いていたレイスも薄笑いでこちらを見上げていた。
「またな」
「ああ、またな」
軽く手を上げ、スライとも別れた。
「さて。帰ってきたな」
やはり少しぎこちない顔で微笑む彼女の髪に触れる。
「レイス、ちょっと寄り道してもいいか?」
「寄り道ですか?構いませんけど……どこにですか?」
「家。多分この近くだ」
「ああ……」
少し気乗りしない風の彼女の手を引き、グラニスの家から2区画ほど先にある筈の報酬を眺めに向かった。
暫く歩いた先。
じきに俺たちが住まう筈の家を見つけた。
というよりも。見つけてしまった。
「……リューン様」
「帰るか」
「そうですね」
俺達の視線の先に表れたのは、今まさに改修作業が行われている家の筈だった。
しかしそこには見事なまでに半壊した家屋が、やっと立っていた。
改修と言うよりは取り壊し作業の風景だ。
元より気乗りしない風だったレイスが明らかに顔を歪めている。
そこへ連れてきてしまった俺は、それに輪をかけて顔を歪めていた。
「あれ、全部壊した方が早いだろ。壁と屋根さえあればいいと思ってたけど流石に……」
俺の脱力したような声に、レイスがくすくすと笑いながらこちらを見上げる。
「住めるようになるのは当分先になりそうですね」
「あぁ。まだ当分、ルシアさんに世話になるようだな」
「でも、ルシアさんもその方が喜びますよ。それに……」
「それに?」
顔を覗き込む俺から視線を逸らし、彼女が薄く微笑む。
「何でもありません。リューン様。帰りましょう」
ゆっくりとのばされた彼女の右手が、俺の左手をそっと掴む。
「ああそうだな。……帰ろう」
久し振りの階段を上り、見慣れた扉を開く。
ほっとした顔のレイスが鞄も下ろさずにベッドに座り込んだ。
そこからこちらを見上げる光景に、思わず笑みを浮かべていた。
「レイス、お帰り」
「あ、そうですね。リューン様、お帰りなさい」
「やっぱりここがいいよな」
「寄り道、しなければよかったですね」
「……悪かった」
「や、え、別にそういうつもりじゃないです」
少し困ったような顔をする彼女を眺めながら荷物を下ろした。
久々に開かれた窓の外からはまだ人通りの喧騒が響いている。
太陽は少し傾き、もう夕方になろうとしていた。
「じゃ、行くか」
「はい」
仕事を終えた日の日課となりつつある行動。
浴場へ向かい体を流す。
遅れて出てきた彼女と一緒に部屋に戻り、椅子に座らせた彼女の髪を良く拭く。
それにいつものように礼を言う彼女と食堂に降りた。
今回は少し長めに開けたが、いつも通りの行動だった。
やはりいつも通りに、切り分けた食事を彼女の方へ押しやる。
少し嬉しそうにフォークを受け取る彼女を眺めながら、俺も目の前の少し硬い肉にフォークを突き立てた。
夕食にしては少し早めにテーブルに着いた俺達の横に、少しほっとしたような顔をしたルシアが現れた。
まだ時間も早く、話す余裕もあるのだろう。
「帰ってこなかったらどうしようかと思ったよ。長く出掛ける時はちゃんと言っていくんだよ、もう」
それはとても温かい言葉だが、その全てをレイスの方に向かって言うのはどうかと思う。
不満げな顔の俺を無視して、厨房に戻るルシア。そしてその不満顔を見て楽しそうに笑う彼女。
先に食事を終え、ゆっくりと食事を口に運ぶ彼女を眺めていた。
「リューン様、見てますよ」
「見てる?何が?」
「食事中に見られていると食べづらいって言ってたじゃないですか」
「あぁ、確かに言っていた。……駄目か?」
「別にいいですけど」
困ったようにこちらから視線を逸らし食事を続ける彼女を、少し悪いとは思いながらもそのまま眺めていた。
部屋に戻り、レイスは再びベッドに座る。
俺も定位置の椅子に座り、大きく伸びをした。
それなりに休んでいたつもりだったが、さすがに疲れていた。
「レイス、どうだ?」
「もう少し……」
「わかった。どの道、話し込むなら昼間がいいと思っていた。夜はどうも感情的になりやすい」
椅子から立ち上がり、浮かない表情の彼女の肩に手をかける。
「大丈夫だ。お前の言う事なら大体は叶える。もう少し我が儘言ってもいいんだ。……でも俺にできる事にしてくれよな?」
返事もせず、座ったまま更に俯く彼女の細い肩を抱き寄せる。
少しためらうように腰に回される彼女の右腕。
部屋の中には、今だ続く表の通りの喧騒だけが流れていた。
どれだけの時間が経ったか。
「……寝るか」
その言葉にゆっくりと顔を上げた彼女が、微笑む。
再び閉じられる窓。
いつものように蝋燭を2人で吹き消して回り、狭いベッドに潜り込んだ。
狭い部屋に小さく響く彼女の細い声。
微笑みながらその右腕を広げる彼女。
屋根と壁だけあればいい、というか。
多分、この部屋があればそれでいいのだと思う。
ただ、そんな事を考えていた。




