第09話 社畜は抱き枕
浴室の扉は内部が見えないようにカスミガラスになっているが、それでも体の輪郭はある程度判別できてしまう。
対処自体は可能で簡単、ただ見なければいい。問題はもう一つの方で、目とくれば次は耳だ。浴室から聞こえてくる環境音。その強烈な視線誘導術に耐えられるだろうか。イヤホンを耳にぶっ刺しノイキャン全開、音漏れ上等で音楽を垂れ流したとしても、それでも耳を澄まして聞こうとするかもしれない。
本当に男とはどうしようもないバカだと痛感する。人間には理性がある、本能なんかに負けてたまるかってんだ。でも、据え膳食わぬは男の恥ってことわざもあるよな。
「上半身裸の状態で、俺はいったい何を熱弁してんだ……」
支離滅裂な思考、滅茶苦茶すぎる。そういえばエナドリの加護も感じない。いつもの半分以下の時間で効力を失った。今夜の出来事は、そこまで消耗するような濃い内容だったってことか。
「暗殺現場を見て、その暗殺者から求婚されて、しかも九つ下の……考えるのは明日でいいや……」
部屋着兼寝間着は基本的に年中同じ、上はシャツで下はスウェット。あとは気温によって長袖と半袖に切り替えている。外出時はスウェットがデニムになるだけで、本当に年がら年中同じような服装をしている。
寝間着に着替えた途端、急に眠たくなってきた。
「ふあぁ~、さてと真白にはベッドで寝てもらうとして俺はどうしようかな。ソファーとか買うべきか。まあそれは追々だな……マジ眠い……」
コップをシンクに持って行き、テーブルを折り畳み壁に立てかける。次に押し入れから毛布を取り出す。ベッドを背にして床に座り、その上から毛布を掛ければ寝床の完成だ。
あとは真白が風呂から上がってくるのを待つだけだ。
さすがに彼女をおいて先に眠るわけにはいかない。
だけど準備だけはしておいても損はないと思うんだ。
(寝る気は毛頭ないけど……もしもってのがあるか……ら……)
うつらうつらしていると突然、首筋に鋭い痛みが走った。
「――痛っ!?」
微睡みから抜け出す会心の一撃。
「危ねぇ、誓ったそばから寝かけた……スマホ、いやテレビにしとくか」
スマホは鞄の奥底に眠っている。わざわざ立ち上がってまで取りに行くのはダルすぎる。それに今の状態で小さな画面を見るのは自殺行為。秒で寝落ちするに決まっている。
手を伸ばして机上のリモコンを回収しテレビを点ける。その際、首に続いて脇腹も負傷してしまったが、そのおかげで少しだけ眠気が飛んだ。
◇◇◇◇◇◇
カーテンの隙間から漏れた日差しが部屋に光の線を描き、博希の目覚めを助長させる。寝ぼけまなこで置時計を見やると時刻は朝の七時を指していた。
休日でも平日と同じ時間に起床する。日が昇ると同時に目を覚ます、何とも素晴らしい生活リズム。しかし休みの日ぐらいは怠惰をむさぼりたいと思うのが人間。ってことで、二度寝をしようと掛け布団をかけなおす。
そこで博希はある違和感に気づいた。
(――俺、ベッドで寝たっけ?)
ベッドにもたれかかりテレビを見ながら、真白が風呂から上がってくるのを待っていた。そこまでは覚えているが、その先についての記憶は真っ新だ。つまるところ寝落ちをしたのは確実なのだが、だとしたらなぜ俺はベッドで寝ていたのか。
その理由について見当はついている。というか、置時計を視界に収めよりも先も答えが目の前に転がっていた。
剛力少女が隣でスヤスヤと気持ちよさそうに眠っている。昨夜の袖掴みで力が強いのは知っていたけど、まさかベッドに運ばれるとは思いもしなかった。
瞬間移動したのかと錯覚するほどの素早さに、大の大人を軽々と運ぶ腕力を併せ持つ。人知を超えた身体能力、その一端をまた身をもって知ってしまった。
(暗殺者、恐るべし……さてと、そろそろ現実を受け止めるか……)
身動きがとれないなかで状況把握に努める。服も布団も乱れていない、視認はできないが下半身も問題はなさそうだ。安堵のため息がこぼれる。それとは別に絶賛進行中で困ったことが起きている。
「…………」
真白の四肢が胴体にまとわりついているのだ。きっと抱き枕か何かと思われているのだろう。それだけならまだ耐えられるが、真白は寝相があまり良くないらしい。もぞもぞと動くたびに温かくて柔らかい感触が、寝間着を通して伝わってくる。このままでは危険だ、事案が生じてしまう。
緊急で対策を講じなくてはならない。
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