4/15 お葬式
4/15
1日葬なので、納棺→告別式→火葬 という1日だった。
夜寝る前に、チャイムを鳴らす以外のいたずらは止めて欲しいといったおかげか、霊現象に悩まされることはなかったが、何故か眠れなかった。きっと興奮しているのだろう。
しかしながら朝、起きてTVを付ける直前、TV画面にうっすら映る私の後ろを誰かが通る(誰もいない)という現象がwwww 今日の家での霊現象はそれだけだった。とおもう。
さて昨日1日で40個近くのペーパーフラワーを作り、ぜんぶで母の歳の数93個の花を作り上げた。大きいのが9個、小さいのが84個。なかなか壮観だと思う。
12時に斎場からの迎えが来て、母を会場に移送する。私たちは自分たちの荷物を持って私の車で式場に向かった。
斎場には、兄の職場から2基、施主花、私の職場から1基、兄が買った造花、私の作った花、ケアマネ&訪問看護師&リハビリ師からの花束。そして祭壇にスタッフさんが作ってくれたペーパーフラワーが飾られていた!! それだけでもとても華やかで、それに持ち込みの花で十分以上のボリュームとなった。
正直、『花などいらない!! 安く済ませろ!!』と言うであろう母の性格から、祭壇に何も花もない一番安いタイプだったのだが、それで十分だった。
12時半前には斎場に着いたが、荷物を置いて、私はちょっとだけ演奏練習して、トイレなど済ませたらもう開式の時間だった。
12:45から納棺が始まる。私たちも手伝って棺に納め、旅立ちの装束を納めていく。納棺師を使わなかったので服は着替えさせられなくて、退院した服のまま、その上に白装束をかけるだけ、となってしまった。知っていれば退院時の着替えでおしゃれな服にしたのに。と後悔しても仕方がない。こういうこともあろうかとお気に入りの2ピースを入れておいたので、自分で着替えてもらおう。
その後にお花入れとなる。頂いた2基のお花から入れる花束を指定する。大きな花は持ち帰っても飾るところがないのでそれを6束ほど入れてもらうことにした。式中にスタッフさんが花を短く切って用意してくれている。
それを持ってきてくれて、どんどんと入れていく。2籠以上のボリュームで、これだけでも華やかになったが、ここで私が作った93個の花の出番だ。それらをどんどんガサガサ入れていく。スタッフさんが作ってくれたものも入れていく。棺一杯の物凄いボリュームとなった。スタッフさんもこれだけ華やかなのは珍しいと言ってくれるほど(お世辞だろうが)。
そして母が好きだったお菓子を更に入れ、私の小説がコミカライズされた本も入れ、スタッフさんからのカーネーション1本ずつ、犬がいる遺影だったのもあって、あちらで犬に上げてくださいと犬用チュール2袋も入れてもらい、母の好きなプリンも持たせた。
さらには施主花がクマのぬいぐるみ盛りだったので、それらは基本持ち帰る事にしたが、その中から2つを母に持たせることにした。兄と私でそれぞれ肩のあたりに並べる。
私の側には母に持たせるお気に入りのスカーフも入れていたので、それがクマに掛からないようにして入れた。このクマはさらに4つずつを私たちが形見分けとして分ける事になっている。
ここで少々時間があるというので、私の演奏の始まりである。へたくそと最後まで言っていた母に、半分嫌がらせで3曲弾いた。そして兄にも弾いてほしい(本職の私よりうまい)と頼み、最初は嫌がっていたが弾いてくれた。
よかったね、大好きな兄が、母のために弾いてくれたよ。久しぶりに聞けて良かったね。私の嫌がらせはどうだった?
言いながら棺を覗いた時だった。
私が置いたクマが、スカーフで隠れている。
思わず叫んだ。
「聞く耳持たずってか!?」
嫌がらせ演奏も悪いけど、まさかスカーフを動かすとは! どれだけ私の演奏が嫌いなんだwww
とりあえず演奏が終わると、弔電の読み上げ、そしておふたじめの儀式が入り、式場内出棺。
式中のBGMはピアノソロのCDをずっと流していた(我々演奏中は止めてもらっていた)。そして出棺はショパンの別れの歌を指定しておいたら、完璧なタイミングで流してもらえた。
兄は車で、私は霊きゅう車に乗って、火葬場へ。
そして収骨をして、余った花束を式場スタッフから受け取って、解散となった。
一つだけ、母の遺髪を取っておこうと思ったのと、健康祈願のだるまを一緒に棺に入れるのを忘れてしまった。特に遺髪は火葬してしまったらどうしようもない。だが、両方、母が遺髪など取っておくな、だるまはもっていてくれ、という事だと思うことにした。
収骨待ちの時に、兄に、兄が母のせん妄を肯定したのは全面的に正解だった、と伝えた。お陰で完全な味方を得て、自分の意志で入院が出来たのだから、と。
そして帰りの車で、二人で、良い式だった、と話し合った。費用も想定内、そして棺がいっぱいになるほどの花で送れた。贈っていただいた花もたっぷり持ち帰れて、花瓶が足りない(笑)。
当日まで一緒に過ごし、私が化粧とネイルを施し、服装だけは申し訳ないけれど服はもたせたし、私たちも思い残すことのない式になったね、と話し合った。
帰宅後、さっそく仏具がない、と慌ててあちこち買いに出たがもう時間が遅く仏具店は閉店なので、とりあえず100均でwwww最低限揃えた。香炉はなかったが、母が昔買った、抹茶用の茶器があったので、それで代用した。この茶器、何故か飲み物が美味しくないのだwwww 深さも十分だったのでそれに100均で買った香炉灰を入れた。お線香自体もあるし、百均は本当に便利だ。
おりんは後日仏具店で買う事にして、私が持っている木魚を代用。これは修学旅行で行った先のお寺のお土産だった気がする。
葬式と言うものは、残された人々が区切りをつけるための儀式だ。それを納得できる儀式だった。
しかしこれからあれこれと手続きをしなければいけない。それが何より大変で、兄が帰る前に出来るだけやって行こうと言ってくれたが、年金手帳などが、あるはずの場所から無くなっている。
多分母が隠したのだ。泥棒である私から隠すために。こうなるともうわからない。ありそうなところは探してみたが出てこない。大体そんなところには隠さないだろう。
代わりにタンスを探していたら、服や靴下の間から、コーンスープ(粉)やインスタントのみそ汁が発掘された。
せん妄で私が泥棒だと思い込んでいた母が、私がタンスを探した時に「こんなものが出てきた!」と思わず報告し、母が「ほら見ろ! 勝手にタンスを探して! 金なんてどこにもないんだからね!」と言うためのものだったのだろう。だが探したりしないから、死後に見つけたわけだ。
これで私の冤罪が晴れると良いのだが。死後の世界はわからない。
まったく、本当にはた迷惑なせん妄だった。ただ、死後にも泣くよりも大笑いすることの方が多い、と言う事だ。さすが、母、と言うべきか。




