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Episode 93: 夏への準備

夏に向けてグリーンカーテンを作る。

そう決めたのは、まだ少し肌寒さの残る朝のことだった。


流石に初夏の陽気も近くなってきて最近こたつは片付けたものの、

部屋の空気にはまだ春の名残がある。

窓を開けると、湿り気の少ない風が入ってきて、畳の匂いと混ざった。

あれから、だいぶ夏の陽気になってきていた。


「じゃあそろそろ苗は買いに行くとして……」


俺がそう言うと、敦史は少しだけ困ったような顔をした。


パソコンの前に座ったまま、画面から視線を外さない。

動画編集のソフトが開いていて、タイムラインのバーがぎっしり並んでいる。


「悪い、今日はマジで手が離せない」


マウスを動かしながら言う声は、いつもの軽さが少し薄い。

どうやら本当に忙しいらしい。


「そんなに?」

「動画編集が思ったよりタイミングが上手くいかなくって。…昨日からずっと触っててさ」


言われてみれば、昨日の夜も遅くまでキーボードの音がしていた気がする。


「まあ苗くらいなら俺らでも買えるだろ」


そう言うと、敦史は少しだけ肩の力を抜いたように笑った。


「一応、必要そうなのメモで送っといた」


その直後、スマホが震えた。

画面を見ると、敦史からのメッセージ。


『グリーンカーテン必要物リスト』


開いてみると、やけに実務的な内容が並んでいた。


・ゴーヤ苗 1~2株

・きゅうり苗 2~3株

・支柱(180cmくらい)

・ネット(グリーンカーテン用)

・プランター

・培養土

・結束バンド


「……結束バンドまで書いてある」


思わず呟くと、隣でスマホを覗き込んでいた修二が小さく息をついた。


「敦史らしいな」


確かに、あいつはこういうところがやたら細かい。


「苗だけ買うんじゃないのか?」

「支柱とかもいるらしい」

「……そうか」


修二は少しだけ考えるような顔をしたあと、ゆっくり立ち上がった。


「流星、俺も一緒に行く」

「え?」


思わず聞き返す。


「それ見ただろ、荷物が多い」


それだけ言って、淡々と靴下を履き直している。


確かに、メモを見る限り苗だけじゃない。

支柱なんて長いし、土もある。


俺一人だと、たぶん途中で後悔するやつだ。


「助かる!」

「……それに」

「ん?」

素直にそう言うと、修二は少しだけ視線を外した。


「苗というものを、実物で見たことがない」

「え、そうなのか?」

「写真ならある」


言い方が妙に真面目で、思わず笑いそうになる。


その時、畳の上でごろごろしていたクロが顔を上げた。


「なに、かいにいくの?」

「苗だよ。ゴーヤとかきゅうり」


クロは少し考えるように首を傾げる。


「ゴーヤ……にがい」

「やっぱりそう思うよな」


あの苦味は、子どもにはきついだろう。


「だからゴーヤは少なめにするつもり」

「ほんと?」

「ほんとほんと」


クロは少し安心したように頷いた。


「ぼくもいきたい」

「あぁ~…今日は荷物多いからなぁ」


支柱だの土だのを運びながらクロの相手をする余裕は、正直あまりない。

すると修二が静かに言った。


「クロ、帰ったら植えるのは手伝ってくれ」


クロの目がぱっと明るくなる。


「ほんと?」

「ああ、約束だ」


それだけで、クロは満足したらしい。


「じゃあ、いってらっしゃい!」


元気な声に見送られて、俺たちはアパートを出た。


外に出ると、春の空気が思ったより暖かい。

冬の冷たさはもうほとんど残っていない。


歩きながら、俺はスマホのメモをもう一度見た。


「ゴーヤは一株か二株でいいんだな」

「らしい」

「きゅうりは三株くらい行くか」

「多い」


即答だった。


「え、でも絶対使うぞ?」


きゅうりって、結構なんでもいける。

味噌つけて食うだけでもうまいし、漬物にもできるし、冷やし中華にも入る。


「こう考えるときゅうりは消費速度は速いだろ?」


修二は少し考えてから言った。


「……三株でもいいかも知れん」

「へへ、だろ?」


こういうところは、妙に納得が早い。


いつものホームセンターに併設された園芸店に入ると、独特の匂いがした。

湿った土と、植物の青い匂い。

温室のような、少し暖かい空気。


苗の棚には、小さなポットがずらっと並んでいる。


「おお……」


思わず声が出た。


「これ全部苗か」


葉っぱはまだ手のひらより小さいのに、札には「きゅうり」とか「ゴーヤ」と書いてある。


「こんな小さいのが、あんな長い実になるのか」

「蔓植物だからな」


修二は苗の札をじっと見ている。


「これが……二メートル以上伸びるんだろ」

「マジ?」

「らしい」


少し想像してみる。


この小さい葉っぱが、アパートの窓を覆うくらいに広がる。


「……なんか怖いな」

「まぁ、植物はだいたいそうだろうな」


妙に落ち着いた声で言われると、余計に不思議な気分になる。


ゴーヤの苗はすぐ見つかった。

濃い緑の葉っぱで、きゅうりより少しごつい感じがする。


「ゴーヤ一株でいいか?」

「もう一株あってもいい」

「でもクロ苦手そうだしな」


俺がそう言うと、修二は少し考えたあと頷いた。


「……確かに」


それに、ゴーヤって料理がそんなに思いつかない。

ゴーヤチャンプルーは知ってるけど、それ以外は正直よく分からない。

沖縄の人なら色々作るんだろうけど、俺たちはそういうわけでもない。


「じゃあゴーヤ一株」

「きゅうり三株」


「決まり!」


じゃあどの苗にしようか。

元気そうなやつはどれだろうか、と棚を見ていると、

修二が別の棚を見ていた。


「どうした?」

「……トマトもあるな」

「トマト?」


「ここに苗がある」


確かに、ミニトマトの苗が並んでいる。

赤い実の写真がついた札が可愛い。


「お?興味出てきた?やってみるか?」


俺が聞くと、修二は少しだけ首を振った。


「今回はカーテンが目的だ」

「真面目だな」

「敦史の計画だ、それに俺は仕事で家を空けてることも多いからな

他のやつに世話をお願いせざるを得なくなるのはなんか違うだろうしな」


言われてみれば確かにそうだ。

苗をカゴに入れて、次は支柱を探す。

長い棒が束になって立てかけてあった。


「……ほぇ~、これがか。長いな」


「180センチだからな」


二本持っただけで、思ったよりかさばる。

殆ど修二の伸長と同じ長さだ。


「これ六本いるのか」

「ネットを張るならそのくらい必要だろう」


次に土。

培養土の袋を持ち上げた瞬間、思わず声が出た。


「うわっ!重っ」


修二が無言で袋を受け取る。

片手で持ち上げて、そのままカートに入れた。


「お、おぉ、流石だな、ありがとう……」

「これくらいの重さなら問題ない」


そのあとも


ポッド

ネット

結束バンド


敦史のメモ通りに揃えていく。


気がつけば、カートはかなりいっぱいになっていた。

レジに向かいながら、ふと修二を見る。

苗の入ったカゴをじっと見ている。


「やっぱり気になる?」

「……まぁ、少しな」

「なんで?」


修二は少し考えるように目を細めて、

カゴに入った苗の葉を指先で軽く触った。


「植物は、放っておいても成長する」

「うん」

「人間より、ずっと単純だ」


何を言いたいのかは、正直よく分からなかった。

でも、声の響きだけは妙に静かで、

どこか寂しそうに聞こえた。


だから俺も、それ以上は聞かなかった。


店を出ると、空は夕方の色になっていた。

カートから荷物を持ち替えて、二人でアパートまで歩く。


支柱が風に揺れて、カン、と軽い音が鳴る。


「……これ、家に帰ったらクロ喜ぶな」

「だろうな」

「植えるの楽しみにしてたし」


少しだけ歩いてから、修二が言った。


「うまく育つといいな」


その言葉が、思ったより静かに響いた。

俺は支柱を持ち直しながら、空を見上げた。


まだゴーヤもきゅうりも、ただの小さな苗だ。

でも、きっと夏になれば。

このアパートの窓を、緑でいっぱいにするくらいには伸びるんだろう。

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