8.すね毛を剃る
ウェスホーク王国は無事に冬を越し、春を迎えていた。
ここ貴族学院もそんな春の暖かな日差しを受けて、どこか暗かった雰囲気が嘘のように晴れ渡っている。それは日差しのおかげだけではないだろう。しばらく学院を休みにしていた2つの花がまた輝き出したからだ。
「ごきげんよう、皆様」
「まあ、ベル・ベチカさん。もうお加減はよろしいの?」
「ええ、すっかり」
「それは良かったです。わたくしたち、お部屋にお見舞いに行こうってお話していたところで」
明るく、だけどどこか遠慮深く咲いている赤い花はベル・ベチカ。没落した貴族の出ながら持ち前の健気さと努力が実った成績で学園の内外で一目置かれている。
「おーほっほっほ、ごきげんよう、ですわよ」
「まあ、コーネリアスさん。相変わらず遠くまで響くお声で」
「おーほっほっほ」
「今日もお元気そうで何よりです」
太陽の光を受けて輝いている紫の大輪はコーネリアス・コースレア。公爵令嬢ながら強い意志と胆力で成功を掴み取る姿は一時代を築くことを予感させた。
久しぶりに2人が揃ったことですっかりと学園の雰囲気は良くなっている。
そんな2人の視線が、今、一瞬重なった。その瞬間、火花が散る。
▼▼▼
ベルとコーネリアスは無事に魔法の学生服で変身することに成功し人心地ついていた。
一時は親の敵よりも相容れない、険悪な状態だったが悩みのタネが消えたことで精神的なゆとりが生まれた。人間とは不思議なもので余裕のある時は人に優しくしようという気になれる。
2人力を合わせて問題を解決したとかそういうわけでは一切ないのだが、そこはかとなく友情のようなものが芽生え始めていた。
「しかし、コーネリアスさんも大変でしたね」
「まあ、貴方に比べれば、大したことではなかったのですわよ」
コーネリアスが言外にあの3バカについて言っていることが分かり、ベルはつい笑ってしまう。
女子学生に化けている時はなるべく男らしい仕草を出さないよう気をつけて言えるのだが、ベルの笑い方は少しあけすけになっていた。
「ベルさん、そんなに笑っては、くくく」
「コーネリアスさんこそ」
コーネリアスもベルが来る前はウルク元王子に振り回されていたのだろう。それにネスケの件でも婚約解消のために苦労し、そんな同じ人間たちに苦労をかけられた2人は互いに何か思いが通じる気がした。
「ところで、あなたもあの女神に?」
ベルはコーネリアスに問う。
コーネリアスの魔法が解けた姿はいかにも純和風のおっさんだったのでこの世界の人間でないことは予想がついた。勿論、現代とも違うもっと別の世界からという可能性もあるが。
「ええ、そうですわよ。ということはベルさんも」
だが、ベルの予想通りだったようだ。
また一つ苦労の共通項を見つけ、親近感が湧く。そうなると口は更に良く滑るようになる。
もう、サリーは店に帰ったので何も気にする必要はない。思う様、2人のおっさんは語り合った。
「それで、あの女神の理不尽なことと言ったら」
「そうですわよ。たかがゲームくらいでムキになって」
「本当にそう。ゲームをどう楽しむかなんて、人のかってなのに」
意気投合した2人は共通の憎き敵の悪口で盛り上がる。本当に、この世界に来て初めて本音で語り合える友人ができた。ベルはそんな気がしていた。その一言が出るまでは。
「ほんと、あの女神はくだらないことでこんな世界に。だってちょっとレビューでふざけたぐらいで」
レビューで、ふざけて。
ふざけた、レビューで。
『リベラル主義者と共産主義者のファ◯ク』
「お前かああああああああああああああああああ!」
こいつこそが元凶、あの時、あそこで、あんなクソレビューが書き込まれなければ自分は許されていたのだ。無罪放免だったのだ。
恐らく、この男は令のすぐ後に女神に呼び出され制裁を受けたのだろう。そして運よくすぐに魔法の学生服でコーネリアスに化けることに成功した。順番的には目の前のコーネリアスの中身が女神の怒りに触れたのは令の後だったが、学院に編入したのは令の一年前だったのだ。
この時間のズレのせいでその可能性を令は思い至らなかった。
「お前のせいでよおお、もうちょっとで丸め込めたのによおお」
ベルが見た目には細い腕でコーネリアスを締め上げる。激情でリミッターが外れた筋肉は中年男性の体重を持つコーネリアスを吊り上げている。
「ぐえっ、何を、する」
「何をってお前、天誅だよ、これは。お前のせいで不幸になった人間がいるんだ。報いを与えてやるんだよおお」
「ぐええええ、おだずげええええええ」
尋常ならざる声に館の従者たちが部屋に踏み込む。悪鬼の如き形相で令嬢を縊り殺さんとするベルに怖気づきつつも彼らも仕事なので必死に止める。
「どうどう、落ち着いて下さい。気持ちは分かりますが、それ以上はまずいので」
「うるせえええ、あいつは、あいつこそはこの世の悪だ、生きてちゃいけないんだああああ」
館中に響き渡る怨嗟の声。それらは当然、口の軽い庭師たちにも伝わり、噂はすぐにウェスホークの首都を駆け巡った。
これが後にウェスホーク王国の崩壊につながったとされる『王子争奪大決戦』の真実であった。
▼▼▼
教室の空気が凍りつく。
当然、例の噂は貴族の子弟たちにも届いているので、ベルとコーネリアスが一触即発であることは理解していた。
「やぁやぁ、ベル、どうしたんだい? 今日はご機嫌斜めだね」
「ウル坊や、そういうことは言っちゃいかんぞ。便秘じゃ便秘」
「まったくこれだからウェスホークは。余が愛用しているイチジク浣腸を使うかね?」
それでも空気を読めないいつもの仲良し三人組はベルに話しかける。
あわや血祭り。周囲は緊張で目線を上げられない。
「ふふふっ、あはは、違いますよネスケさん。あとそういう物は学園に持ち込まないで下さいホーランド王子」
しかし、ベルは意外にも表情を柔らかくして彼らの失礼な言葉に優しげに答える。予想外の展開に周りの生徒達はむしろ不穏なものを感じてざわつく。三人組はそんな周りの様子になど気を払わずやいのやいの言っていた。
ベルは3人の顔を見て思い出していた。自分の決意を、こんなところでつまらない争いに時間を費やしている暇などないことを。
物語の中でクズが突然改心することがある。きっかけは大切な人の死であったり、取るに足らないことであったり様々だ。
ただ、とにかく、どうしようもない奴が人が変わったかのように品行方正になり、うじうじしていた奴が勇気を出し、どんくさい奴が活躍し、そうして周りからの見る目が変わる。それはある種のカタルシスがある。物語がハッピーエンドへと走り出した安心感がある。だからこそ物語の中でたいていの場合、どうしようもない人間がある日立派な人間になって周りの人を幸せにして本人も幸せになって、そんな救いがあるのだ。
そんなものあるわけないだろ?
この3人を見てみろ。こいつらが証拠だ。なんか途中でちょっといい雰囲気を出していたが結局は元通りだ。
クズは永遠にクズだ。改心など長くは続かない。人の本質などというのは第二次性徴の辺りで決まるのだ。あいつらはクズのまま、失ったものを取り返せないまま、落ちぶれたまま、それでもまあまあ幸せになるのだ。なぜなら、世の中には小さな幸せがいくらでも転がっているからだ。小銭を拾ったり、風が気持ちよかったり、馬鹿な話で盛り上がったり、笑えるネタが頭に浮かんでそれを小説にしたり、どんな場所でも、どんな時代でも、そんなものだ。そういう幸せというのはどんなにどうしようもない奴の足元にも転がっている。
こいつらはそれでいい、だが俺は違う。
俺は金持ちの男を捕まえて楽して暮らす夢を諦めない。絶対に、絶対に大きな幸福を手に入れてみせる。小さな幸せ? そんなもので満足できるか! 俺は諦めないからな、絶対に。
だから俺は今日も女装して、すね毛を剃って、そしていつの日か王子様に養われるのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次作「ワイはNTR好きの恋のキューピッド。なぜか同僚から無能扱いされ追放されるも、神が鬱勃起に目覚めて手のひら返しされたがもう遅い。ワイは冴えないモブに憑りついて気ままなスローライフを楽しむンゴ。」もよろしくお願いします。




