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くもりのち、はれ異伝ー約束の夜へ-  作者: 夏みかん
第5話
32/33

運命の彼方へ(8)

『キング』と『四天王』が倒されたという報告はすぐさま猪狩惣一郎いかりそういちろうの耳に入ることとなった。それに配下の暴走族も警察によって一網打尽にされ、魔女たちも身柄を拘束されているというではないか。当初はどこかの国の特殊部隊のしわざかと思っていた猪狩はシワだらけの手をワナワナ震わせて電話の受話器を置く。どんな連中に倒されたのかと思えば『キング』を倒したのは十七歳の少年であり、しかも1人で倒したというではないか。ありえないその報告に怒りが全身を駆け抜けていく。すぐさまその少年の素性を調査させた猪狩はその少年の処分はおろか身内に至るまでを厳罰に処すよう命令したのだった。自らの権力の象徴である『キング』は現在、政府機関の息がかかった大学病院で治療中とのことだ。この許されない状況に憤怒の形相をした猪狩は詳細を調査させ、明日中に報告するように命じると怒りにまかせてガラス製の大きな灰皿を投げつけるのだった。


周人は3日間意識を失っていた。手術自体は2時間ほどで終了し、命に別状はないと診断されていた。だが1ヶ月の入院は避けられそうにない。比較的軽傷だった哲生ですら3日間入院したほどだ。純と誠はあと2週間入院で、十牙に至っては怪我の度合いが最もひどいためにそのメドもたっていない。そしてすぐに見舞いに来た圭子、ミカ、さとみ、千里の4人はここで始めて顔を合わせたのだった。不思議と親近感がわいたせいかすんなりと打ち解けあったせいもあって仲良くなるまでそう時間はかからなかった。無事とは言いがたいが約束を守って帰ってきた純はさとみと付き合うこととなり、献身的に看病してくれているさとみと屋上で愛をはぐくみつつ既に両親からも認められる仲となっていた。誠もまた圭子との距離を縮めており、退院後に全快祝いを兼ねてデートをする約束をこぎつけているのだった。十牙はと言えば、千里によって傷口を責められるという手痛い看病を受け、相変わらずの調子ながら一緒にいる時間を多くしている。哲生はナースにちょっかいを出しつつも無事退院し、毎日のように4人を見舞うという名目でナースをナンパするのにいそしんではミカに怒られているのだった。一見明るく見える面々だが、実際はかなりややこしいことになっていた。そしてその実情を聞いた周人は意識を取り戻した直後ながらみんなに申し訳のない気持ちに一杯になってしまっていた。というのは、周人を含めた5人は各学校において無期限停学とされ、父の源斗に至っては部長職を更迭され、他部署へと回されるという事態に陥っているのだ。それらの理由全てが曖昧であり、『キング』を倒したことによる政府の、いや猪狩の画策であることは明白なのだった。本人たちに何の確認や通達も無く言いがかり的な突然の停学処分に怒りも込み上げてくるのだが、あの時、秋田と交わした約束を信じて待つしかない今の状況におとなしくせざるをえなかった。


会社にいても仕方がない源斗は休暇を取って家にいた。静佳は周人の着替えを持って病院へと行っており、今、この家にいるのは源斗とさっきやって来たばかりの鳳命ほうめいだけである。鳳命は裏の世界に通じるネットワークを持ち合わせていることもあり、全ての事情を知っているせいか、源斗にどう声をかけていいかわからず押し黙ったままだ。気まずい雰囲気が流れる居間でせわしなく座っているだけの鳳命は沈黙に耐え切れずに口を開いた。


「周人を見舞いに行ったのか?」


チラッと横目で見ながらそう言うが、どこか遠慮がちだ。


「行ってませんよ・・・」

「会いたくない気持ちはわからんでもないが・・・行ってやれよ」

「あいつの信念には脱帽だよ。けど、やはりあいつを許せない」

「その信念が『キング』を打ち破った・・・勝てるはずもなく死ぬだけだったあやつが勝ったのは信念が起こした奇蹟じゃろう。そしてその結果、お前はクビ寸前だ。その気持ちはわかるが・・・」

「それに関しては何も思っちゃいないさ。どのみち『キング』とかいうのを倒せばそうなっていただろうから。ワシはただ闇雲に暴力をふるったあいつが許せないんだ」


そう言われれば返す言葉を失う。確かに周人は木戸無明流を継がせたその真意を無視して喧嘩に明け暮れた。それが許せない源斗の怒りも理解できる。だが、それがなければ周人は確実に死んでいただろう。いや、それをふまえても勝ったことが奇蹟なのだ。


「時間が解決してくれる問題ならいいんじゃがな」


つぶやく鳳命の言葉を耳にしながらも聞こえないふりをした源斗はお茶をすすりつつ寒空の広がる窓の外へと目を向けるのだった。


薄暗い部屋の中にいるのは美少女と白髪混じりの頭をオールバックにした男だった。美少女は神妙な面持ちをした表情も美しく見え、口元のほくろがどこか妖艶な大人の雰囲気をかもし出している。対してオールバックの男は顔に刻まれているシワもどこか中年の渋みを見せていた。狭い個室にあるのは簡素なテーブルとパイプ椅子のみであり、他には染みだらけのくすんだグレーの色合いを持つ壁があるのみだ。


「で、取引とは?」


そう切り出したオールバックの男である秋田は肘をテーブルの上に置きながらも真正面から美少女である千江美に対していた。埋立地で身柄を拘束されて以来いろいろな尋問を受けてきた千江美は一切の口を開いていなかったのだが、つい先ほど突然名指しで取引を申し入れ、誰の邪魔も入らないこの部屋で秋田と対峙しているのだ。


「あなたが欲しい全てのデータを提供する。もちろん、猪狩を逮捕するには十分すぎるモノ。その代償として・・・」


そこで一旦間をおいた千江美は秋田の目を見ながらゆっくりと息を吐くようにしてみせた。


「魔女4人の解放と今後一切の干渉と接触の断絶。そして、木戸周人たちの擁護と責任問題の無効を要求します」

「・・・いいだろう、君を含めた魔女たちには今後一切関与しない。そして言われるまでもなく木戸君たちは私が助ける。彼は約束を守った・・・今度は私が守らねばならん。命を賭けてね」


秋田は最後のみ目を伏せがちにしたが、それ以外の言葉はまっすぐに千江美を見てそう断言した。千江美もまた秋田という男が信頼できるということは知っている。裏の情報を含めたあらゆる情報を知り尽くしている彼女は秋田がどんな権力にも屈しない鋼の意思を持っていることを知っていたからだ。だからこその取引であり、お願いなのだから。


「取引成立ね」

「あぁ。でもまさか君が木戸君たちを気遣うとは思ってもみなかったよ」


苦笑混じりにそう言うと、秋田は懐からタバコを取り出して未成年と知っていながらその中の1本を千江美に差し出した。


「ホント、変わった人ね・・・でも遠慮しとくわ。健康にはうるさいの、私」


嘘か本当かわからない理由だったが秋田は薄く笑ってそのままタバコをくわえると火をつける。ゆらゆらと煙を立ち昇らせつつそれをぼんやりと眺める秋田から視線を逸らした千江美は心にかかっていた雲が晴れていくような爽快感を感じながらそれに満足して小さく微笑むのだった。


それはニュース速報ではなく、特別番組として大きく報じられた。号外も飛び出すほどのそのニュースにテレビ局はおろか新聞社やラジオ局もてんやわんやの大騒ぎとなり、中継車が永田町を駆け回る異常事態となっていた。それもそのはず、現職の大臣にして日本の裏の総理大臣と言われた大物政治家である猪狩惣一郎の電撃逮捕なのだ。しかもその罪は汚職というにはあまりに巨大なものだったからだ。巨額の横領にマフィア等裏組織との癒着など、なぜか細かいことまでがマスコミにリークされる異常事態に日本中が騒然となった。日本政府はそれらに関与していたことを全否定し、猪狩1人にその責任を押し付けて収拾を図ろうとしたのだ。以後、これに憤慨した猪狩は名指しで政治家の名前を出して自分と関与した者まで連れてこさせようとしたほど大事になっていく。だが、もはや『キング』という飼い犬を失った猪狩に恐れを抱く者はなく、政府は警察と裏で取引して猪狩を取り巻くごく少数のみの処分で合意していたがためにその要求が通ることは無かった。そして日本政府は内閣の解散という見せかけの処分でこの騒動に一応の決着をつけたのだった。現政府要人にしても猪狩は目ざとい存在だったせいもあって、願ったり叶ったりだということは一般的には知られていない。だが、これを機にテロリストやマフィアの反撃も懸念され、早急に対策を練る必要があるのもまた事実だった。


猪狩の電撃逮捕の後、周人たちの無期限停学処分は2週間となり、父源斗は元の部署に戻されたものの役職が戻ることは無かった。結局会社も学校も教育委員会や役員会からの理不尽な指示に戸惑っていたためにこうも早く動きが取れたわけだが、実際は裏で秋田があれこれ手を回してくれたおかげもそこに理由があった。『キング』が倒されてわずか1週間で全てを成し遂げた秋田に感謝しつつ、いまだにまともに動けない周人は連日の報道にも飽きていたためにぼんやりと空を眺めている毎日を過ごしていたのだった。今日はまだ誰も見舞いにきておらず、さっきまで退院間近の誠が来ていたのだが、検査があるとのことで出て行ったために話し相手もおらず暇だった。相変わらず純はさとみとラブラブ屋上デート、まだ千里が来ていない十牙はこれ幸いと病室で安静状態だ。仕方なくおとなしくしようと空を眺めた直後、ドアをノックする音に返事を返せば現れたのは哲生の父である哲也であった。


「元気そうだね、よかったよ」


一人部屋である病室に入るなり笑顔でそう言われた周人は起き上がろうとするが、哲也に制されてそれを断念した。


「意識がない時に癒しの気功をしてもらったそうで・・・ありがとうございます」


その言葉に屈託のない笑顔を見せた哲也はベッドの脇に置かれている簡素な椅子に腰掛けた。哲生と違い、この哲也は傷を治す癒しの気功『内養生功』に秀でた才能をもった気功師である。それにかつては源斗と静佳を巡って争った経歴の持ち主であり、幼い頃からよく知っている周人にしてみれば親友のおじさんというレベルを超えた身近な存在でもある。


「なに、あれぐらい易いもんだ。それより、本当の意味での復讐は終わったようだね」

「ええ・・・テツにも世話になって・・・お礼を考えてます」

「いらないさ。君と一緒にいて心が強くなった、それでいい」


苦笑混じりにそう言う哲也にすまない気持ちで一杯になる。巻き込む形ではなく、自分から仲間になってくれた哲生にはどんなに感謝してもしきれない借りができてしまっている。哲生がいなければ途中で死んでいたと本気で思えるほどだ。そしてそんな息子を黙って見守ってくれていた哲也にも感謝せねばならない。


「彼女も喜んでいるだろうさ」


そう言われた周人の表情が曇るのを哲也は見逃さない。


「おじさん・・・頼みがあるんだ。俺を1時間だけ動けるようにしてほしい」


その真剣な目つきとさっきの表情から、それがどういうことかを理解できた哲也は一旦どうするかを悩んだが、ゆっくりと息を吐くようにすると鋭い目つきで周人を見やった。


「副作用で半日は激痛に苦しむことになる・・・それでもいいんだね?」


理由も聞かずにそう言う言葉にうなずく周人の目には一点の曇りもない。


「体の痛みなんて耐えられる。心の痛みに比べたら、我慢すればいいだけだから」


その言葉の間も視線を逸らすことをしなかった周人の意思の強さを感じ取った哲也はゆっくりと立ち上がるとシャツの裾をまくり始める。そして布団をめくると周人の体に触れるか触れないかの位置に手を持っていくとその手がぼんやりと金色に光り始めた。しかしそれは哲生のような刺々しさは無い。あるのは温かい光だ。


「1時間といっても誤差がある。効き目が切れ始めると徐々に痛みが襲うだろうから、目安にするといい」

「わかりました、お願いします」


そう言って目を閉じた周人は添えられた手から温かい何かが体の奥底に注がれるような感覚に心地よさを感じるのだった。


寒空に似つかわしい冷たい風がコートの裾を巻き上げている。ギプスをはめた左腕ごとハイネックのセーターを着込み、羽織った黒いロングコートから出している右手だけで器用に花と桶、そして線香の入った袋を持って石の階段を上ってきた周人は『磯崎家之墓』と刻まれている墓石の前に立った。吐き出す白い息が風の威力にすぐさま散っていく。コートの裾が地面に着くことなどお構いなしにしゃがみこんだ周人は片手で花をより分けて墓に差し、苦労しながら左手の指だけを使って線香を持つと風のない合間を縫って火を灯す。そして水を墓石のてっぺんからかけてやると染み込むことなく水が掘り込まれた文字を伝って下へと流れていくのを眺めていた。顔の腫れは幾分か引いてはいるものの、目じりに貼られたバンソウコウや右手に巻かれた包帯も痛々しい。本来、トイレに行くことすら難儀している周人の傷は決して浅くはない。病院から車で片道20分はかかるこの墓地に1人で来ることなど不可能な状態なのだが、それを可能にしたのが哲也の内養生功であった。それに感謝しつつ、周人は墓石を見つめたままそこに眠る恵里に向かって静かに話を始めた。


「全部、全部終わったよ・・・ヤツは脳を損傷して入院しているが、治る見込みはないんだってさ。だからもう、安心してくれ」


ただ一刻も早くこの報告を自分の口からしたかった周人は充実感でいっぱいだった。結局『キング』を殺すことはできなかったわけだが、それはそれでよかったと思っている。脳を損傷した『キング』は廃人となり、権力はおろか自らが持つ全ての力を失ったのだ。それはもう死んだも同然だ。ただ不思議なのは脳を損傷しているのは憶測だということだ。どんなに調べても脳に異常はみつからず、どうすればああなるのか今の医療技術をもってしても解明できていない。秋田に言わせれば、それは今まで殺してきた人間の怨念かもしれないとのことだったが、どこか納得できる説明でもある。とにかく、周人の復讐はその目的を達したのだ。


「でも、やっぱ虚しいな・・・君がいないから」


悲しげな顔を冷たい風がなでるように吹きすさぶ。しばらくの間そこにただじっとしていた周人だったが、タイムリミットも迫っているために恵里に別れを告げることにした。


「恵里・・・安心して眠ってくれ。また来るよ」


小さな微笑は恵里が好きだったあの微笑ではない。悲しさと虚しさ、そして寂しさの入り混じったものだった。ゴミを丸めて空になった桶に入れるとそれを手にする。そして石畳の階段へと向かうべく恵里の墓石に別れを告げた時、向こうからやってくる2人の人物に目を留めてから歩き始めた。徐々に近づくその2人が恵里の両親だと分かっていた周人は内養生功による効果がありながらも痛む体を引きずるようにして一礼しながらすれ違った。嫌悪感をありありと見せている母親はそっぽを向いたが、父親は軽く会釈を返してくれた。


「つい先ほど秋田警部が来られて、全て終わったことを聞かされたよ」


すれ違いざま、背を向けたままのその言葉に同じく背を向けたままの周人が動きを止める。


「そうですか・・・・」


消え入りそうな声でそう言うと、周人は再度軽く頭を下げてすぐ傍まで迫っていた石の階段をゆっくり確実に一歩ずつ降りていく。そんな周人の態度が許せないのか、憮然とした態度の母親は階段を降りきって歩く周人に恨みを込めた視線を浴びせるのだった。だが、何気なく隣に立つ夫の姿を見てその目を丸くした。なんと夫は周人に向かって頭を下げているではないか。娘を死に追いやった原因を作った男に礼をする義理がどこにあるのか。憤慨する妻の様子を感じ取りながら何も言わずに顔をあげた夫はフラフラと歩いている周人を見つめたまま妻の方を見ようとはしなかった。


「もう彼を恨むのは止めなさい」

「何故?あいつが全ての元凶なのよ!」

「そうか?恵里を殺した犯人こそ本当に呪うべき相手じゃないか?」


そう言われては返す言葉が見つからない。妻にとって恨むべき相手は犯人だったが、それ以前に恨みを抱いていた周人の方が憎々しく思ってしまっていたのだ。それは半年経った今でも変わることがない。夫にしてみれば周人に悪いと思いつつ、生きる気力を失っていた妻が周人を恨むことによって生きる気力を取り戻しつつあることにそれを黙認していた。だが、もう今は違う。それは間違いだとはっきり言える。


「お前が泣いて恨みを抱いていた間、彼は何をしていた?私たちが秋田警部に全て任せて何もせずにいた間、彼が何をしていた?」


もう随分遠くなってしまった周人の後ろ姿を見やりながらそう言う夫はその背中に対してすまない気持ちと感謝の気持ちで一杯だった。


「十七年間、一緒にいた私たちがただ泣いていただけで、たった2ヶ月付き合っただけの彼があれほどの怪我をしながら犯人を逮捕するのに貢献したんだぞ?たった、2ヶ月だぞ?」


コートでよくは見えなかったが、秋田から全て聞いている話ではここに来られる怪我ではないはずだ。どうやったかは分からないがそれほどの怪我を押してでも自分の足で娘に報告をしに来てくれたんだろうと理解できる。


「彼に礼を言わねば、恵里が私たちを恨むだろう・・・」


そう言って小さく微笑む夫が妻を見れば困った顔をしつつもまだ不機嫌そうだ。微笑を苦笑に変え、夫は娘の眠る墓石を見やった。


「お前はいい人にめぐり合ったんだな」


大切な一人娘だった。周人を彼氏に選んだその娘を誇りに思う。


「自慢の娘だよ、お前は」


こみ上げる涙を拭うことなくしばらく墓石を見つめていた夫がゆっくりと振り返る。まだ憮然とした顔をしている妻に苦笑しつつ、もう既に姿が見えなくなった周人に向かって心の中で再度礼を言うと妻の肩を抱いて娘の墓に祈りを捧げるのだった。


全員の傷が癒える頃にはもう3学期は終わりを迎えつつあった。比較的近い場所に住んでいる5人は土曜日の午後や日曜日などによく顔を合わせるようになっていた。もちろんさとみや千里、圭子なども一緒の時が多い。日に日に温かくなっていくその日は土曜日の午後であり、いつも集うファーストフード店に男が5人、バラバラの制服でハンバーガーをがっついて雑談を繰り広げていた。


「しかしなんだな、十牙はいつ千里ちゃんとくっつくんだ?」


全てを食べ終えてコーラの入ったコップに刺さっているストローをくわえながらそう質問する哲生に苦い顔をした十牙は珍しく何の反論もしないでポテトをついばんでいる。普段であればこの話題には過剰に反応してわめき散らすはずだが、何故か今日はそれがない。いつも愛想のない周人と何かを知ってそうな誠以外の2人の表情にハテナが浮かんでいるが、十牙は無視をしてさらにもう一本ポテトを口に入れた。


「アレだよなぁ?もうくっついちゃったんだよなぁ?」


やらしい口調でそう言うのは誠だ。その言葉に純は目を丸くし、哲生はキラキラと目を輝かす。周人は相変わらず無表情でオレンジジュースを飲んでいるだけだ。あの一件以来、多少だが周人は変わりつつあった。だがやはりまだ暗く、大声で笑ったり積極的に話をすることはなかった。そのせいか、今日もここにやってくるはずの純の彼女であるさとみはどこか周人に怯えているし、千里にしても圭子にしても声をかけづらい状態に変わりが無かった。


「お前・・・・・なんでそれを?」

「昨日偶然彼女に会ってさ、さっき告白したらOKもらったって・・・何も聞かないのに嬉しそうにそう言ってたから」

「なんだ昨日からかよ。頻繁にデートしてた割りには遅いな・・・ま、詳しくは彼女が来たら聞くけど」

「ちょっと先に彼女ができたからって調子乗るなよなぁ!」


純の言葉に過敏に反応する十牙はすっかりいつもの十牙になっている。


「尻に敷かれるタイプのお前にはちょうどいいんじゃないの?」


哲生のちゃちゃに怒りで顔を真っ赤にする十牙は哲生にとっていいおもちゃだ。


「というよりさ、藤川が遅いんだよ・・・もう随分前から好きだったくせにさ」

「え?なんで知ってんの?」


誠の言葉に思わず反応した十牙は赤い顔をしたままだが、昨日の千里の告白によればもう中学生の頃から好きになっていたということだった。十牙にしても献身的に看護してくれた千里を好きになっていたために即座にOKしたわけだが、その話を何故誠が知っているかは疑問だ。ちなみに昨日1日で49回あるストックの内27回のキスを消化している。


「そりゃわかるよ。俺と一緒にいる時に声をかけてきても、必ず『柳生』って声をかけるもん。それにあの藤川がああもちょっかいかける男子はお前だけ。バカでも分かるって」


その言葉に驚きを隠せない十牙はそう言われてみればそうだと今更ながら改めて気付いた。


「普通のバカじゃないんだ、仕方が無いさ」


今の今まで押し黙っていた周人の一言にこめかみに青筋が浮かぶ十牙。


「まぁ、バカで言えば世界トップレベルだな」


とどめとばかりにそう言った哲生の言葉に暴れる十牙だが、千里の名前を連呼されて顔を真っ赤にしてしまう。他の客から迷惑がられているのもお構いなしに騒ぐその5人を見ていたさとみは今しがた店に来たばかりでその入り口に立っていた。楽しそうにしている5人とはもうなじんではいるが、周人に対しては少し怖い印象を持っていた。無口で愛想が無く、感情もなさげというのがその理由だった。だが、そんな周人に対してそんな気持ちが急速に失せていく。それは今、周人の口元に浮かんでいる微笑を見ているせいだ。普段笑うことなどない、笑っても一瞬口が歪む程度の周人だが、今の彼からは大声ではないにしろ心からの笑みが口元に浮かんでいるからだ。自分がいる時には決して見せないその微笑は心から信頼しあっている4人の仲間だからこそ見せているのだろう。そんな関係を羨ましく思うさとみは小さく微笑みを浮かべたまま5人の座るテーブルへと向かい、周人とも話ができるように純と周人の間に腰掛けるのだった。


その瞬間、青く広がる空が見えていた。完璧なタイミングで放った蹴りだったはずだ。かわされることなんて出来ないと思っていた。いや、今までブロックはされてもかわされたことなどなかった。だが現実はその自慢の蹴りを当てることができずにあっけなく避けられ、腕を掴まれたと思った瞬間には投げられていたのだ。そして青空が見え、もはや反射的に受身を取って態勢を整えたその顔の前には足の甲が見えている。ゾクリとした冷たいものが背中を走り、無意識的な汗がにじみ出てくる。その足の甲は周人の右足だ。この足が振りぬかれていたならば、絶対に致命傷になっていたと思える。


「・・・・参りました」


悔しいが素直にそう言わざるをえない。開始早々渾身の蹴りを避けられたあげくに投げられ、起き上がったそこへ蹴りを入れられればそうもなろう。『キング』とかいう怪物を倒した周人と手合わせを願ったが、その実力差は天と地以上の開きがある。


「だから止めとけっつったんだ」


十牙の言葉に頬を膨らませた千里は道着姿のままゆっくりと十牙に歩み寄ると予備動作もなくゲンコツを一発頭に叩き込む。


「なにすんだよ!」

「まず慰めろ」


その言葉をきっかけにいつもの夫婦漫才が始まった。もはや見慣れている面々はやや閉口しながらもTシャツの上から薄手のジャケットを着込む周人へと視線を向けた。千里が手合わせを願い、哲生の道場でそれが組まれたのだが、ちゃんと道着に着替えた千里に対し、Tシャツにジーンズ姿の周人は千里の怒りを買うに十分だった。だが結果は4秒で終わり。わざわざ着替えた時間の方がはるかに長い。


「すごいんですね・・・・」


感心したようにそう言うさとみに苦笑した周人は無事3年生に進級してからかなり明るくなってきていた。5月も終わろうとしているのに今年は何故か肌寒いせいか、ジャケットを着てちょうどなぐらいの周人は板の間となっている道場に座り込むとミカが運んできた飲み物を口にした。


「そう言うけどさ、さとみの彼氏も同レベルじゃん」


先にお茶の入ったコップを持っていた圭子の言葉に苦笑したのは周人か、さとみか。


「なら圭子の彼氏も同じだね」

「こいつら全員よ」


ここ最近頻繁にデートを重ねてきた誠と圭子は先日ようやく交際がスタートしている。奥手の2人が付き合うまでやきもきしていたメンバーもいたわけだが、結局2人はお似合いのカップルとなったのだ。これで残るは哲生と周人だが、周人はまず無理で、哲生も短期間で彼女を取っ替え引っ替えなのでまだまだだろう。


「その連中を尻に敷いている君らの方がランクは上だろう」


お茶をすすってそう言う周人の言葉にまぁねと答える圭子に笑みを漏らすさとみ。


「そう言えば、桜町だっけ、お寿司美味しかった?」

「あぁ・・・美味かった。それにあそこはいい所だったよ」


先週、秋田は約束を守って5人をお寿司食べ放題ということで東京郊外にある桜町に連れて行き、なじみの寿司屋でごちそうをしたのだ。この4月からそっちへ引っ越している大山康男には会えなかったが、秋田と共に滝医師には再会できていた。その際に秋田からいろいろ情報を聞いたのだが、魔女の行方と茂樹たちの動向は掴めていないとのことだった。これは千江美との取引に従って秋田がわざと誤魔化したせいでもある。


「免許取ったら連れてってよ」


そう圭子に言われた周人だが、それには苦笑するしかない。ようやく仮免許が取れたばかりの周人は4月で十八歳になったために静佳の援助で車の免許を取りに行っているのだった。


「まこっちゃんに頼め」

「マコは8月生まれだもん、あんたの方が早いじゃん」


膨れっ面でそう言う圭子にさとみも苦笑する。確かに免許はすぐに取れるだろう。だが今現在も源斗と断絶状態では車を借りることもできない。ただでさえ静佳の援助に関して喧嘩をしているだけに言い出せるはずも無かった。そして周人は高校卒業と同時に家を出るつもりでいた。恵里の遺した言葉通りに両親にコンピューターの専門学校に行きたい旨を伝え、源斗は勝手にしろと言ったきりでそれ以来口もきいていない。そんな仲であったが、周人は源斗に申し訳ない気持ちで一杯だった。しかしそれを口にすることはなかった。それは復讐に関して咎められたからではない。自分のせいで役職を失い、窓際に追いやってしまったことへの後悔でどう言っていいのかわからなかったからだ。それに関して源斗は周人に何も言わなかった。源斗が許せないのは『キング』だけを狙わずに多くの人間に対して暴力を振るってきたことであり、権力の犬である『キング』を倒せばこうなることはわかっていたからこそ何も言わなかったのだ。


「ま、気が向いたらな」


そう短く答えた周人は道場の窓から外を眺める。受験を考えている専門学校はこの間行った桜町の近くであり、本やインターネットでいろいろ調べてみたが桜町はいいところという印象を持っていた。それに気持ちはもうそこに決めつつある。そしてそれを両親に告げたのが8月であり、恵里を亡くしてちょうど1年が経過した日であった。その日はみんなで墓参りに行き、帰宅後に話をしたのだった。静佳は寂しそうにしながらも息子の意見を尊重し、源斗は相変わらず何も言わなかった。


その日は花火大会となっていた。みんなで行こうと誘われた周人だったが、それを丁重に断っていた。純とさとみ、十牙と千里、誠と圭子はそれぞれカップルであるが、それが原因ではない。別に花火に興味が無く、行ったところで逆にみんなに気を使わせてしまうと思ったからだ。哲生は女子の中でも高飛車で嫌われている美咲をフッたというそのキャラクターが受けてモテモテだったのだが、何故か十人近い女子と同時に付き合っているのがバレてしまい、その人気も凋落の一途を辿っていた。上手く計画的に複数の女子と付き合っていたはずだった。他校の生徒もいたがブッキングしないよう細心の注意を払って行動していたはずだった。なのに何故か女子生徒の間でそれがバレて広まり、今は寂しく1人身となってしまっていた。仕方なく花火大会にはミカを誘ったわけだが、大会終了後あまりの人の多さに仲間はバラバラとなり、ミカと哲生は人の波が落ち着くまで屋台で食べ物を買って近くにある公園のベンチに座っていた。浴衣姿のミカはいつもより可愛く見え、静かな雰囲気もあって少々意識してしまう哲生だった。近くに見えるベンチには浴衣姿の彼女といちゃつくいかにもチャラチャラした格好の男が見えている。


「ありがとぉねぇ・・・今日、一緒してくれて」


相変わらずのとろい間延びした口調だが、これに慣れきっている哲生にしてみれば気にもならない。


「いいさ、別に一緒に行きたい女もいなかったし」

「そっか・・・」


そう言って微笑むミカに何故か心がときめくようなくすぐったい気持ちになってしまう。哲生はそっぽを向く感じになりながら浴衣の胸元に手を突っ込んでいるカップルの姿を横目で見ていた。


「今日、エッチするぅ?」

「はぁ?」


突拍子もないその提案にさすがの哲生も驚くしかない。どこか間の抜けた顔をミカに向けるが、ミカは真剣そのものだ。


「なんでお前と・・・」

「ほらぁ、約束したでしょぉ?全部終わったらぁ、エッチしようねぇって」

「あ、いや・・・・冗談だろ?」


この半年で20人近い女性と経験をしている哲生にしては面白いぐらいに動揺している。普段の彼であればそう誘われればすぐさまOKし、ことに及んでいるだろう。だが恋愛対象外なのか、ミカに関してはそれがない。いや、恋愛対象外の女性ともそれだけが目当てとした一夜限りの経験はある。だがミカに関してはダメなのだ。


「本気。てっちゃんとならいいよ・・・私、子供の時からずぅ~っと好きだったから。てっちゃんとしたかったから」


今更そんな告白をされずともわかっていた。ミカが自分を好いていることなどもう随分前から知っていた。だがあえて知らないフリをしてきたのだ。それが何故だがわからないが、気付いていながら素っ気なく接していたのだ。


「好きなの」


潤んだ瞳に吸い寄せられそうになる。


「それにてっちゃん、約束守ってくれたもん。しゅうちゃんが死なないように守ってくれたもん。恵里ちゃんの仇を討ってくれたもん。だから、ありがとう・・・って感謝の気持ちもあるから」


さっきまでの間延びした言い方はどこへやら、しっかりとした口調でそう言うミカの瞳から目を逸らすことが出来ない。純粋さの極限というべきその瞳に、哲生はもう吸い込まれてしまっていた。そして気付いた。大野木とのバトルで死にかけた際、心を奮い立たせてくれたのは恵里だけではない。このミカもそうだったことに。ミカはずっと自分だけを見てきた。自分だけを好きになり、信用してくれていた。いつも傍にいた、近すぎたが故にそれに気付かないフリをしていたのだ。


「礼を言うのは俺だよ・・・死にかけた俺を救ってくれたのはお前と恵里ちゃんだ」

「恵里ちゃん?」

「ああ」


そう言っておもむろにミカを抱きしめる。言っている意味が今一つ理解できないで最初はただ驚くだけのミカもおずおずと哲生の背中に手を回してしっかりと抱きしめあう。


「付き合ってみるか?」

「え?」

「女癖悪いけど・・・本気になった女はいなかった。でも、今、なんか違う・・・お前に対してのこの気持ちは・・・なんか違うんだ」


今のこの状況に流されているだけかもしれない。いつもと雰囲気の違うミカにドキドキしているのを錯覚しているのかもしれない。だが、今のこの気持ちが本物だと思える。支えてやりたいと、支えて欲しいと、愛して欲しいと、愛してやりたいと。今の気持ちが一時のものであっても、哲生にしてみれば本気の想いだ。ミカはいつでも自分を見てくれていた。アドバイスをくれ、励まし、見守ってくれていた。本当に好きかどうかはわからない、けど、好きになれる自信はある。


「うん!付き合おうよ・・・色んなことはそれから考えればいいよ・・・」

「そうだな」


そう言って離れる2人は見つめあい、どちらからともなくそっと唇を重ねあう。哲生は不思議な気持ちが大きくなるのを感じていた。柔らかいその唇の味は今までしてきたどのキスよりも甘く、熱く、切なく感じてしまう。名残惜しそうに離れる唇の後で再度見つめあう2人が2度目のキスを交わすまで、そう時間はかからなかった。数年後、この時を思い返した時、それは星が降る夜に天使となった恵里からの贈り物だったのではないかと思う2人だった。


その報告は全員を震撼させ、十牙はまたも口にしていた飲み物を豪快に噴き出して千里の鉄拳を喰らった。それほどにその報告、哲生とミカの交際宣言は全員の予想を裏切る衝撃的なものだった。今までの哲生の言動からしてそれはありえないと思っていた。だが、これもまたいつもの女遊びかと全員が思ったが、周人だけはこれが運命なのではないかと思っていた。


「よかったな」


その周人の言葉に無邪気な笑みを浮かべるミカ。だがこれで周人を除く全員に彼女ができたわけだ。周人はそんな仲間たちを嬉しく思うが、自身が恋愛し、彼女を作ることはありえない事だけにみんなで旅行に行こうという話で盛り上がるのをどこか複雑な気持ちで聞いているのだった。そして季節は夏から秋へと移り変わり、それぞれの進路が決まっていく時期に差し掛かっていた。さとみと圭子は早々と大学入学を決め、誠もまた同じように推薦入学による大学入学を決めている。純は父親が経営している運送会社を継ぐことで決定しており、残りの面々は一般入試による大学進学を希望していた。そして周人は桜町の外れにあるコンピューターの専門学校へと入学が決定し、今は一人暮らしすべき家を探している最中であった。専門学校に進むことはもうとっくに話をしている周人だったが、この街を離れることはまだ仲間に告げていない。だが、まずその前に恵里にその報告をすべく墓地へ続く坂道を上っていた周人はその坂の頂上に立つ見慣れた人影を目にして片眉を上げた。


「よぉ、奇遇だな」

「お前がそう言う時は絶対に奇遇じゃねぇな」


苦笑混じりにそう言う周人に笑顔を返すのは哲生だ。哲生は周人の言う通りさっき電話で静佳からここに向かったと聞かされており、父親の車を飛ばして先回りしていたのだ。墓地に来る周人は何故かバイクを使わない。免許がありながら源斗の車も使わないで徒歩で来るのをポリシーとしているのかどうかはわからないが、それを知っている哲生は簡単に先回りができたというわけである。2人はその後会話もなく恵里の墓前に立った。秋の風とはいえ、もうすでに冷たく感じることから冬が近いことが理解できた。2人は交互にお参りをした後で墓地から見える住宅地や丘のようになった山を見渡す。高台にある墓地からの眺めは良く、しばらく言葉を発することなくその眺めを堪能していた。


「テツ」

「ん~?」


下を行く幹線道路の車の流れをぼんやりと見ていた哲生がゆっくりと周人の方へと顔を向ける。周人は体ごと哲生に向き直ると真剣な表情をしたままゆっくりした口調で話を始めた。


「オレ、家を出て桜町に行くよ。学校は通うには遠すぎるしな」

「んなこったろうと思った」


さすがに幼い頃からの付き合いである親友だ、周人の考えなどお見通しだった。第一、片道3時間近くかかる学校にわざわざ通うバカなどいない。


「まぁここはいろいろあるだろうし、あそこで自分をリセットするのもいいだろうさ」

「親父にも迷惑かけっぱなしだしな。自分でなんとか生きていこうと思う。2年したら、卒業したら帰ってくるつもりにはしてるけど」

「ま、それも就職次第だろう」


哲生は笑顔でそう言うと恵里の墓石に目をやった。随分元の周人に戻ったとはいえ、それは仲間内でだけの話だ。学校でも浮いているのは変わらない。ならば自分のことを誰も知らない土地で過ごすのもいいだろう。なによりこの街は恵里との思い出も多すぎる。


「恵里ちゃんもそれを望んでるさ。あの子が望んだのは自分よりもお前の幸せだ」


その言葉に周人もまた恵里の方を見やった。今思えば夢か幻かと思えるのだが、『キング』を倒したあの夜、自分が遅れてしまったがために命を落とした恵里から全てを許してくれるというような言葉を聞いた気がしていた。何より、『キング』に放った最後の技、木戸流に幻の秘技として伝わってきた、過去誰も使えなかった『神威拳』を放つ寸前に光の中で見た恵里の笑顔は忘れていない。


「そうだな・・・そう思う」


無表情ながらそう言った周人は自分の肩に哲生の手が置かれたがためにそっちを振り向く。哲生は真剣な顔をしたままただじっと周人を見つめていた。


「一つ約束してくれ。オレだけじゃなく、恵里ちゃんにも誓ってくれ。向こうに行ったら元のお前でいてほしい。芝居やフリじゃなく、ごく普通のお前でいてくれ。無理矢理笑えとは言わない、恋愛しろとは言わない。でも・・・」


そこまでで周人は哲生の手に自分の手を重ねた。同時に浮かんだ小さな笑みは恵里が一番好きだったあの淡い微笑だ。


「わかった。誓うよ、約束する」


哲生の言いたいことはもう十分伝わっている。同じ死地を駆け抜けた親友であり、心の支えとなった友であり、最高のパートナーである哲生の言葉を胸に恵里にも誓いを立てた。


「こっちも一つお願いがある。できるだけ一切の連絡を絶って欲しいんだ。自分を変えるつもりは無いけれど、お前たちに甘えたくないから」


その言葉の意味を全て読み取った哲生は力強くうなずくと肩に置いていた手をどけて顔の傍で拳を作る。それを見た周人は笑みを浮かべたまま同じようにしてみせ、2人はお互いの拳をぶつけあってそれを誓いあったのだった。


年が明けて進学組の全員が合格し、ささやかながらの祝勝会と周人のお別れ会が行なわれた。9人が揃うとなればそれなりの場所が要求され、全員が生まれて初めて居酒屋での宴会となったのだった。もちろん少々のアルコールも入り、十牙が暴れて哲生が無理矢理気絶させ、千里が脱ごうとしてさとみと圭子が止める波乱もあったが楽しい時間を過ごせたのだった。そしていつか、それこそ何十年先になるかわからないが周人に彼女が出来たときには十人で旅行に行こうとの話も飛び出したのだった。周人の一人暮らしについての約束事ではミカと圭子が寂しがり、純や誠もどこか寂しげな様子を見せていた。だが周人のことを思えばそれは守らなければならないことだ。それゆえ全員が納得し、あらためてそれを誓い合ったのだった。


よく晴れ渡った青空の下、午前中に恵里に別れと誓いを告げた周人は簡単な手荷物をバイクの後ろにくくりつけていた。桜がちらほらと咲き始めているということだったが、この辺りではまだピンクのつぼみが暖かな春の風を待ちわびてその時を待っているようにして膨らんだ姿を見せているのだった。周人が一人暮らしをする場所は桜町の繁華街からは離れた場所であり、滝医院からも離れた場所だった。とりあえず秋田警部には家を出る旨を伝えていたがその場所までは伝えていなかった。


「あっちに荷物が届いたみたいよ。着いたらまず確認しなさい」

「わかった」

「それと手紙が来てたわよ」


そう言って静佳が差し出した封書には差出人が書かれていない。今日は仲間が全員見送りに来るということで、時間を指定した予定としている出発時刻までまだあと30分はあるために一旦部屋に戻った周人はすっかり殺風景になった自室に感慨深いものを感じつつ手紙の封を切っていく。中から出てきたのは1枚だけの手紙だ。周人は最後に書かれている差出人の名前に驚きつつその手紙を食い入るようにして読み始めた。


『お元気ですか?アレ以来ですね?あなたのおかげで私は元気に生きています。アレからいろいろな人に助けられ、生きていく心を取り戻しました。もちろんあなたのおかげでもあります。いいえ、あなたにはどんなに感謝してもしきれません。本音を言うと、あの時『キング』を殺して欲しかったけど、今思えばあれで正解だと思えます。きっとあなたや私を含めた全ての恨みが彼をああしたのだと思います。だから、もう私の復讐は終わりです。これからは旅をして、いろいろな世界を見ていきたいと思っています。今までの自分を捨てて新しく生きていこうと思います。だからあなたも、これからは新しく生まれ変わった気持ちで生きてください。私もまたそうですけど、願わくばもう一度誰かを好きにならんことを祈ります。最後にもう一度お礼を言わせて下さい。ありがとう、木戸さん。そして、さようなら・・・・宮下葵』


読み終えた周人がそっと封筒に手紙を戻すと自然と口元に笑みが浮かんだ。心の中に何か温かいものが充満していくのがわかる。自己満足の復讐で一人の少女の人生を変えることができたという思いがそうさせているのかもしれない。葵はつらい過去を胸に新しく生きていこうとしている。その意思を伝える手紙が自分の出発の日に届いたのも何かの巡り合わせだろうと思えた周人は自分もまた新たな一歩を踏み出す決意を胸にその手紙をカバンの中に入れたのだった。


家の前に集まった人数は十。仲間たちとその彼女、静佳そして鳳命だ。結局源斗は姿を見せずに家の中にいる。そのことにどこか寂しさを感じる周人だったがあえて何も言わずに全員の方を向いていた。


「気をつけて行きなさい。仕送りはちゃんとします。困ったことがあれば何でも言ってきなさい」


笑顔の静佳がそう言うが、その笑顔の裏に隠された寂しさが見て取れるだけに周人は胸が締め付けられるような感じがしていた。まるで源斗から逃げるような気もしている。だが、自分で決めたのだ、覚悟はできている。


「助けが必要な時は声をかけてくれ。飛んでいくからな」


純の言葉にうなずき、お前たちもなと返事を返す。出会いは敵同士だったが、今は『親しき友』を超えた存在、『真の友』である『真友』だ。


「たまには帰っておいでよ?」

「あぁ、圭子の顔を見にな」


その意外な言葉にその場にいた全員が目を丸くする。そんな言葉は恵里を失ってから聞くことがなかった軽口であり、それ以前の周人の口調であった。そんな周人に思わず涙ぐむ圭子は自分が好きだった周人が帰ってきたような気がして寂しさが一層増すのを感じてしまい、誠に背中をさすられるのだった。


「向こうでケンカしても負けんじゃねぇぞ。お前を倒すのはオレなんだからな!」

「お前も、千里ちゃん以外には負けるなよ」


その言葉に十牙は苦い顔をし、千里はにんまりと笑った。それを見た全員から笑いが生まれた。


「お元気で。体に気を付けて下さいね」

「ありがとう。君も純と仲良くな」


そう言われたさとみは大きくうなずき、純もまた目でうなずいた。当初は怖かった周人も今では何でも話せる友達だ。彼氏の親友ではなく、自分の親友となっている。


「しゅうちゃ~ん・・・」

「よぉく知ってるだろうが、女癖悪いがこいつはいいヤツだ。泣かされてもヘコむなよ?」


既に泣いているミカの頭にぽんと左手を乗せてそう言われたミカはさらに大きく泣きじゃくって哲生に肩を抱かれるのだった。そんな哲生は一瞬薄い目で周人を睨んだが、すぐに肩をすくめるようにしてにんまりと笑った。再度周人は全員を見渡すとおもむろに右手で哲生の右手首を掴む。一瞬何かと思った哲生だったがその意図に気付いたのか握られた手をそのままに右手で横に立つ純の右手首を掴んだ。そして純が十牙の右手首を、その十牙が誠の右手首を掴み、最後に誠が周人の右手首を掴んで一つの輪を作り上げた。


「ありがとう。オレが最強とか言われてるけど、そりゃ間違いだ。オレたち五人が最強なんだ。そしてそんなみんなが友達だってことを誇りに思うよ」


その言葉に全員が微笑み、掴んだ手に力を込めた。右手で輪を作る5人をどこか羨ましい気持ちで見つめる4人の少女も、いつかはその輪の中に入りたいと願うのだった。そして誰の合図も無く同じタイミングで手を離すとバイクへと向かった周人は座席の上に置いてあったヘルメットをかぶった。


「行ってきます」

「行って来なさい周人、あなたが思うとおりに生きなさい」

「はい!」


いつか聞いた言葉を口にする静佳に高らかと返事を返した周人はエンジンをふかしつつバイクを発進させた。涙ぐむ女性陣、笑顔で手を振る仲間たち、腕組みして見送る鳳命。そして小さく手を振る静佳は家の窓からじっと様子をうかがっている源斗の姿を横目に留めて小さく微笑んだ。もう見えなくなった周人の姿に全員がため息のようなものをつく中、静佳は小さな微笑を浮かべたまま、今、頭の中に浮かんだビジョンに心が熱くなるのを感じていた。


「行って来なさい周人・・・そこは運命の地、そして運命の女性に会える場所。あなたの本当の人生はそこから始まるの」


心でそうつぶやく静佳は青々と澄んだ空を見上げてみせる。その空から可愛らしい声が聞こえてきたが、それは静佳にしか聞こえない言葉であった。


『ありがとう周人・・・・・さよなら』


周人が愛した少女の声を聞きながら、静佳は今さっき見たビジョンをもう一度思い出す。そしてまばゆく輝く太陽に手をかざし、それから大きく背伸びをするのだった。

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