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くもりのち、はれ異伝ー約束の夜へ-  作者: 夏みかん
第5話
27/33

運命の彼方へ(3)

薄い長袖のシャツにジャージの下を履いた周人は裸足で庭に立っていた。何の構えもなく目を閉じ、じっとしたままだ。閉じられた目の中では憎き仇である『キング』の姿がそこにあり、あの夜に遭遇した時の姿を思い浮かべていた。やがて周人は常人には見えないほどの蹴りをその幻の相手に向かって放ち、続けざまに拳を振るい左右同時の蹴りを撃つ。流れるような一連の動きは約5分間途切れることはなく続けられ、やがて少々息を荒くした周人はゆっくりと目を開いて大きく深呼吸をしてみせるのだった。


「たった半年程度でそこまでの域に達しよったとは・・・いやはやお前は恐ろしいわ」


いつの間にそこにいたのか、左側にあるガレージの前に止めてある静佳の自転車の上にちょこんと座っているのは祖父の鳳命ほうめいだ。気配すら感じさせずにそこにいた鳳命に気付いていたのかはわからないが、周人はチラッと鳳命を見たのみで愛想もなくまた目を閉じた。


「惜しいのぉ・・・あと5年もあれば『キング』にすら勝てたかもしれんというのに」

「勝つさ、来週にはな」

「な!・・・来週?お前そこまで辿り着いたというのか?」


驚きを全身で表す鳳命を無視して再度回し蹴りを放ち、着地を決める前に腕を回して反動をつけながら軸にしていた足も跳ね上げてこれまた回し蹴りを放った。その動き、キレ、スピードと、どれをとっても鳳命をうならせるほどに素晴らしい。それだけに来週には『キング』の前に屈すると思えば惜しいと思わざるを得なかった。だが、たった半年で『キング』の所在を掴んだ上にこの上達ぶり、何より噂では聞いていたが『七武装セブンアームズ』や『金色の野獣』を倒したという情報が嘘ではなかったという事実に舌を巻く。所詮噂のみが一人歩きしたのだろうと思っていた鳳命だったが、それが事実だと知っただけに動揺も大きいのだ。


「やはりお前は神の子だよ。四百年以上の歴史においてワシ以上の者などおらんと自負しておったが・・・」


木戸無明流が誕生した戦国時代以来、人生において強敵を相手に敗北を知らなかったのはこの鳳命だけだった。代々50歳を迎えた時点で自身の戦歴を書き記す伝統があるためにご先祖の戦績は把握しているのだが、名のある格闘家や武術家と戦って勝った者はそういない。元々1対多数を基本とした技が多いだけにそれは仕方が無いと言えるが、それでも鳳命はアメリカ人武術家や柔道のオリンピック選手、有名空手の師範と試合して勝っている実力の持ち主だ。それらの経験、人脈から裏の情報にも詳しい鳳命は神崎京、千早茂樹の2人に関しては相当の実力を持っていることは把握している。以前、わざわざその実力を見に行っただけに、その2人を倒した周人の実力はもはや全盛期の自分を超えていると考えていいだろう。だからといって『キング』に勝てるとは思えない。だが、今から5年をかけてさらなる経験を積み、その技をさらに磨けばその高みにまで達する可能性も秘めているだけに惜しいのだ。


「で、来週、行くのか?」

「あぁ、その日だけを夢見て今日まで生きてきたんだ」

「今のお前はおそらく世界でもトップレベルだろう。が、『キング』には絶対に勝てん」


そう言われても何の反応も見せない周人が突き出す拳は1つに見えるが、実際は3つである。実に穏やかな雰囲気を持っているが身に纏っている凄まじい鬼気は鳳命ですら鳥肌が立つほどだ。左頬の傷が歴戦の勇士を彷彿とさせているせいかもしれない。


「わかってる。でも、たとえ勝ち目がゼロであっても・・・最後に立ってるのはオレだ」


無表情のままそう言う周人は深呼吸をしながらよく晴れた空を見上げると悲しげな顔をするのだった。


「・・・わかっとらんわ」


吐き捨てるようにそう言うと鳳命は周人に背を向けて去っていった。そんな鳳命を見ることなくまたも目を閉じた周人は頭に描いた『キング』を相手に技の限りを出していくのだった。


自宅であるマンションはセキュリティー対策が万全なことを謳い文句にしている物件であった。マンションのエントランスの出入りだけでもかなり厳重で、その結果として住人以外の出入りはかなり難しいほどだった。にもかかわらず、自宅のドアにもたれかかるようにして立っている美少女に目を留めた茂樹は大きな口を歪めるようにしてニヤリと笑うと大股で目の前に立った。まるでアリとゾウのような対比に見える茂樹と美少女だったが、持っている雰囲気はどこか似ている。


「1人1人を認証しないと入れないマンションも『破滅の魔女』にかかっちゃイチコロだなぁ」


そう言われた『破滅の魔女』江崎千江美はにっこりと微笑むとドアの横へと移動した。それを見た茂樹は何も言わずに鍵を開け、ドアを開いて千江美に入るよう促した。千江美は全く動じる様子も見せずに綺麗な玄関に入るとヒールを脱いでまるで自分の家のようにさっさと奥へと移動していった。


「まさか俺のチームを破滅させる気じゃねぇだろうなぁ?」

「あなたを誘惑して彼女になってもいいかなって、本気で思えるわ」

「ハッ!面白い冗談だ」

「マジ、本気よ」

「嘘つけ・・・お前が本当にそうしたいのは木戸の野郎だろうが」


笑いながらそう言う茂樹は綺麗に整理されたリビングのソファに座るように勧めるとすぐ脇にあるキッチンに行き、缶ビールを2つ取り出してリビング中央に置かれたガラスのテーブルの上に置いた。


「そうね・・・彼が理想的ね。死んだ彼女の仇を討つためだけにここまで辿り着いた。2ヶ月程度しか付き合っていなかった彼女のためにそこまで出来る男なんてそうはいないわ」


テーブルを挟んでソファに座る千江美の対面にドカッと腰を下ろした茂樹は今の千江美の言葉に驚いた顔をしてみせた。


「2ヶ月?たったそんだけの付き合いだったのかよ」

「それほど愛していたんでしょうね」


缶ビールが小さく見えるほどの大きな手で栓を開けると神妙な顔つきでそれを口に運ぶ茂樹は悲しげな顔をする千江美を見ながら一気にそれをあおり飲んだ。


「で、わざわざそんな話をしに来たのか?」


一瞬にして握りつぶされ、圧縮されて無残な形となってしまった缶を部屋の隅にあるプラスチックのゴミ箱に投げ入れた茂樹はあぐらをかきながらねめつけるように千江美を見た。


「一週間後の夜十時、東京の港第3区画に『キング』が現れる。『四天王』を召集したところを見ると『魔獣』に興味を持ったみたいね」

「で、木戸はそれを知ったんだな?」


その言葉に静かにうなずいた千江美はビールをあおるとチラッと舌を出して唇を舐める仕草を見せた。この妖艶な仕草で数多くの組織の中に入り込み、内部抗争を起こさせた『破滅の魔女』に対して小さく微笑んだ茂樹は何も知らなければ自分もここで襲い掛かっていたかもしれないという考えを巡らせた。


「フン・・・だったら、当然軍団ごと動くな」

「だからあなたの力を貸して欲しいの。『キング』配下の暴走族は皆強い上に200人はいるわ」

「ウチも現時点での人数はかき集めてもせいぜい200人程度だからな・・・数は五分だが、断る」

「何故?あなたは彼に借りを返すって・・・」

「さすがの情報通だが、そりゃ間違ってる。借りを返すとはいったが助けてやるとは言ってねぇ。それに折られたアバラはあと3週間経たにゃ治らねぇ。第一テメェはあっち側の人間だろうが?」


『キング四天王』の1人大場圭介の彼女である千江美はいわば敵である。これが罠でない保証も無い上にこうして周人たちの加勢を依頼してくる理由も見当たらないのだ。第一、千江美は『破滅の魔女』であり、これが罠でミレニアムが破滅する可能性が大きい。茂樹はじっと睨むようにしながら千江美から目を逸らさないようにしていた。


「・・・そうね、そうよね。忘れて、今のは」


そう言うと残ったビールを飲み干し、テーブルの上に缶を置くと静かに立ち上がった。


「お邪魔したわね、ごちそうさま」


そうにこやかに言うと玄関へと続く廊下を歩いていく。そしてヒールを履いて自分で鍵を開けると何も言わずにドアを閉めてしまった。鍵をかけに玄関に来た茂樹は遠ざかるヒールの音を聞きつつ目を細めて何かを考えるような態勢を取った。


「やれやれだぜ」


そう言うとキッチンへと戻った茂樹は缶ビールをもう一本取り出すとそれすら一気に飲み干して缶をあっという間に握りつぶすのだった。


遊園地の最後といえば観覧車というのがデートの基本ではないのだろうが、純とさとみは最後に観覧車に乗った。たまたま今自分たちのいる場所に観覧車があったために並んだところ、ちょうど乗る時になって閉演10分前になったのが原因だ。一周を15分かけて回る大きな観覧車に乗った2人は向かい合わせに座ると少しお互いを意識してぎこちない笑顔となってしまう。狭い密室空間に好きな人を前に座ればこうもなろう。純はすでに薄暗くなった空のせいで儚く見えるさとみを目に焼き付けるようにじっと見つめた。もしかしたらこれが最後かもしれないという弱気な自分がまたも顔を出してしまったが、それを否定するようにさとみからネオンやライトの光が目立ち始めた外へと顔を向けるのだった。


「綺麗だね」


純と同じ物を見ている喜びと、今見せたどこかつらそうな表情を見て胸を痛める自分がいる。何を思って今日自分を誘ってくれたかはわからないが、少なくとも嫌われていない、もしかしたら純も自分を好きかもしれないという淡い期待を胸に今日を過ごせたことはこの上ない幸せだと思える。だからこそこういった機会をもっと持ちたい、付き合いたいという気持ちがどんどん大きくなっていくさとみだったが、さっき同様時折見せる純の曇った表情が気になってしまい、とりあえずそのことについての質問を投げることにした。


「戎くん・・・いろいろ忙しいって、何をしていて忙しいの?」


唐突にそう言われた純はようやく遠くにある車の駐車場が見えてきた高さを認識しながらゆっくりとさとみの方へ向き直った。冷静な目を持つさとみはどこか神々しいように見える。夕闇の中にあって輝くオーラのようなものが見えている気させしてくるさとみを凝視できずに視線を落とした純はどう話していいか迷ってしまい、しばらく沈黙してしまった。


「ライトニングイーグルって何?」

「え?」


意外な言葉がさとみの口から出たために勢いよく顔を上げた純は変わらぬ視線を向けながらもさとみの膝の上でぎゅっと組まれた手を見て困ったような表情を浮かべる。


「噂で聞いたの・・・戎くんはライトニングイーグルって呼ばれている『ヤンキー狩り』の仲間だって。意味はよくわからないけど、それと関係があるんだよね?」


どこの誰が流した噂か知らないけど余計なことをと思う純はいっそのこと全てを話してしまおうかと考えた。しかし自分がライトニングイーグルだとバレているとなればさとみに危険が及ぶ可能性も高い。現に圭子の人質事件があっただけに、純はどこか過敏に反応しつつ誤魔化す方法を思案した。


「私ね、戎くんに憧れてた」


沈黙する純の心情を察してか、はにかみながらそう言うさとみを見やった純はその笑顔にドキドキしながらも妙に頭の中だけが冷静なことに違和感を覚えていた。


「自由で、言いたいこと言えて・・・その点、私は流されて生きてるんだなぁって思って」

「俺にしたら西原は凄いと思ってる。頭はいいし、優しいし・・・俺なんかとは正反対で」


互いに互いを誉めつつ顔を赤くしてしまい、しばらく沈黙がゴンドラの中を支配していった。やがて観覧車は頂上目指して上へと向かう。すっかり暗くなった空間に映えるネオンやライトが幻想的な世界を作り上げていくのを横目に見ながら、純は意を決して自分の気持ち、そして全てを話す覚悟を決めた。


「確かに俺はライトニングイーグルと呼ばれてチンピラ相手に喧嘩を売ってる男だった」


あえて過去形にしながら周人とのバトル、そして仲間となり『キング』を目指して数多くの戦いを経験してきたことなどを話して聞かせた。さとみは黙ってそれを聞きながら途中でいくらかの質問を投げたものの、思ったよりも冷静にその話を聞いていた。いつしか頂上を過ぎたゴンドラが今度は出口を目指して降りていく中、純は一週間後に迫った決戦のことを口にする前に自分の気持ちを伝えておこうと考え、目を閉じて大きく深呼吸するとじっと自分を見つめたままのその愛らしい瞳を見やった。


「本当は、ずっと前から君のことが好きだった・・・でも、俺と君ではつり合わないって勝手に決めていたんだ」


意外な所で意外な告白を受けたさとみは顔を真っ赤にしながら高鳴る鼓動の音が純に聞こえないかと思いながらも嬉しさで胸が一杯になっていた。


「わ、私も・・・私も、戎くんのこと、ずっと、好きだったから・・・すごく嬉しい」

「え?あ、いや・・・ありがとう・・・・・・ってなんだよ、実は両想いだったのかよ、そうかよ」


照れを隠すように早口でそう言う純はさとみと目が合った瞬間照れた笑みを見せるのが精一杯だった。ゴンドラの中がピンク一色に染まるような感じさえする2人だったが、純にはまだ言わなければならない大切なことが残っている。


「でも、まだ付き合えないんだ・・・」

「え?なんで?」


ピンクだった空間が一気に現実の蛍光灯の色に戻されたさとみはさっきまでとは違う胸の鼓動に痛みを被せながら悲痛な顔を純に向ける。


「来週の今日、周人の復讐が最終局面を迎える。俺も人間じゃないバケモノを相手にするんだ。マジな話、命の保証もない」


出口まであと四分の一と迫る中、純は真剣な顔つきでそう言い、さとみは今の言葉が真実を告げていると理解できた。何故友達のために命まで捨てる覚悟を持たねばならないのかが理解できない。敵だった男の復讐につきあってそこまでする理由がわからないさとみは純が死ぬかもしれないという恐怖に身を震わせた。


「どうして?どうしてそこまでしなきゃならないの?行かなきゃいいじゃない!」


やっと通じた想いを胸にさとみは普段には見せない取り乱した様子で立ち上がり、純を見下ろした。そんなさとみを見上げる純はつらそうな顔をしつつもゆっくりとその理由を口にしだした。


「仲間だから・・・あいつは俺に生き方を教えてくれた仲間だから。ただ漠然とケンケをしてきた俺に本当に戦うことの意味を教えてくれたから」


最初こそ名を売るために同行した。だが周人の内面に触れていかに死んだ彼女を愛していたかを知った。果たして自分もそこまで純粋にさとみを愛せるかどうか疑問に思え、最後の戦いに勝てば告白しようと、何があっても守り抜ける自信を胸に告白しようと思っていた。告白の時期は早くなったが、まださとみを守り抜くという決意は満たされていない。


「必ず勝って、生きて帰ってくるから。そしたら俺と付き合ってほしい。あいつ以上に人を愛せる自信をつけて帰ってくるから」

「絶対だよ?絶対生きて帰ってきてね?死んだらいやだからね?やっと気持ちが伝わったのに、これでおしまいだなんて許さないからね?」


ぽろぽろと涙をこぼすさとみをそっと抱きしめる純は必ず帰るとその耳元にささやきながら徐々に強く抱きしめる。遠くから見れば夕闇の中を行く観覧車の中で抱き合うカップルが悲痛な想いを胸にしているとは思えないだろう。純は自分の中の恐怖心が消え、生きるという決意が全身を覆っていることに気が付いていなかった。この決意こそが最強の力である『無我の領域』であるとは気付かず、ただ愛しい人の温もりを全身で感じているのだった。


すっかり暗くなった外を見ながらため息をついた十牙は空っぽになってしまった財布の中身を嘆きながら今日千里と出会ってしまったことを後悔していた。小遣いをもらって間もないはずなのに何故か中身は小銭だらけ。結局メダルゲームでも千里にしてやられた十牙はこいつだけとは付き合えないと真剣に思っていた。少しでも気になっていた自分がアホらしいとさえ思えてしまう。何が悲しくてファーストフードで夕食を済ませなくてはならないのか、大食いな自分がこんなもので満腹になるはずもないと思っていた十牙は夕食は任せなさいとフードコーナーのテーブル席に自分を待たせてさっさと買いに出かけた千里が持って戻った物を見て目を見開いた。4人掛けのテーブルとはいえ、それは2人掛けの物を2つ合わせた小さな物だ。そのテーブルに乗り切らず、隣のテーブルにまで食べ物で溢れている。店員に運ばせる手際も見事だが、どれも大体十牙か好む物ばかりであった。


「こいつやっぱストーカーだな」

「なにが?さ、食べようか」

「・・・・金、いくらだった?」

「出すよ。ゲームでいっぱい使わせたからね」


千里は素っ気なくそう言うとチーズバーガーを頬張った。とても十七歳の女の子が見せる食べっぷりではないのだが、逆に見ていて気持ちがいい。十牙はうどんの入った器を手に取るとこれまた勢いよく平らげていく。もはや会話すらなくひたらすら食べつづける2人に近くに座っている人たちもあ然としているほどだ。やがて残りがフライドポテトのみとなったところでようやく一息ついた2人は仲良くそれをついばみながら時折顔を見合わせるものの会話は相変わらずなかった。十牙はさっきまで持っていた後悔の心がどこかへ吹き飛んでいることに気付いたが、それを悪く思うことはない。お金を使わせたという気持ちがあればこそのこの夕食だ。感謝してもいいぐらいだろう。


「楽しかったね」


ここでようやく口を開いた千里の笑顔を正面から見つめた十牙は心から可愛いと思ってしまったせいか照れを隠すためにそっぽを向いた。


「・・・・・楽しくなかったよね・・・お金使うわ、罵倒されるわさ」


その仕草にやや落ち込んだ感じの千里の言葉にあわてて正面を向いた十牙は困った顔をしつつも今のことを否定した。


「いや、楽しかったぜ。マジで」

「じゃぁなんでそっぽ向くのさ」

「可愛いと思っちまったからだよ」


思わず本音を言ってしまった十牙はますます困った顔をしながらゆっくりと顔を伏せた。驚いたような顔をしていた千里は目を細めてニヤリと笑うとチラチラ自分を見ている十牙に意地悪そうな笑みを見せた。


「惚れたな、私に」

「バカ言え!誰がお前に!」

「だよね・・・」


その言葉と同時に見せた悲しい表情が心に引っかかった十牙だったが、何故か今の表情が本当の気持ちを表していたような気がして胸の奥がチクリと痛む。もしかしたら本当に自分のことを好いているのではないかと思った十牙はここでようやく小学6年生の頃から今でも自分を見ているといった千里の気持ちに気付いた。と同時に急激に胸が高鳴る。ポテトを口に入れながらぼんやりと遠くを見ている千里ははっきりいって可愛い。もともと容姿もスタイルもいい千里がよくモテながらも片っ端からそれらをフっていることは有名だ。そんな千里が今日一日自分と一緒にいたという事実がその理由を裏付け、十牙は顔を真っ赤にしつつも千里を意識しまくっていた。


「お前さ、俺のこと、好きなのか?」

「あれ?もしかしてさ、今ごろ気付いた?」


あまりに率直に聞いた十牙も十牙だが、これまた素直に答えた千里も千里だ。だが冗談とも取れる言い方だったせいか十牙は本心を見抜けず、その話題から逃げ出すようにトレイや器を返却口に運び始めた。そんな十牙の後ろ姿を見がら恋する乙女の微笑みを浮かべた千里は満足した顔をしつつもあることを思いつき、その笑みをいたずらなものへと変化させるのだった。


「さ、行くぞ」


戻ってきた十牙の言葉を合図に千里は立ち上がるとコートを羽織った。十牙は食べている最中もダウンジャケットを着ているために千里が着終わるまで待ち、それから随分人気のなくなったショッピングモールの中をバイクが止めてある駐車場に向かって歩き出した。


「バイクは寒いぞ」

「送ってってくれるの?」

「お前は強いけど一応女だしな」


前を歩く十牙の素っ気ないその言葉に照れた顔をするが、それは十牙には見えない。


「そういうトコ、好きなんだよねぇ」


小さくつぶやいた声もまた十牙には聞こえない。やがてバイクの前まで来た2人は十牙が用意したヘルメットを受け取った千里を後ろに乗せ、十牙が革の手袋をはめながらバイクに跨るとヘルメットを被る前に千里を振り返った。


「俺のジャケットのポケットに手ぇ突っ込んで放すな」


そう言ってヘルメットを被る十牙の言うとおりにダウンジャケットのポケットに手を入れて内側からその腹に手をやって体を密着させた。


「行くぞ」

「いいよ!」


バイクは駆け出し、2人は20分程度のランデブーを楽しみながら千里の自宅マンション前にある公園へと辿り着いた。バイクを降りた千里はヘルメットを脱ぐと頭を振って髪の乱れを直したためにいい香りが十牙の鼻をくすぐる。十牙は受け取ったヘルメットを後部座席にくくりつけながら白い息を吐いている千里の視線を感じていた。


「ありがとね、今日は」

「あ、あぁ・・・」

「また行こうね」

「金は割り勘だからな」


その言葉に小さく微笑んだ千里は十牙の目の前まで歩み寄るとそっと両手でその頬に触れる。冷たい感触が手の温もりを冷ましていくが、十牙は逃げずにされるがままになっていた。ポケットに手を入れていたおかげで寒くなかった千里はその優しさに感謝しつつおもむろに掴んでいた手を十牙の顔ごと引き寄せると、その唇に自分の唇を重ねた。何が起こったかわかるまで1秒を費やしてから驚いた十牙があわてて顔を引いたためにわずか2秒のキスでしかなかったが、それでも十牙にとっては思いもよらないファーストキスとなった。そしてそれは千里も同じファーストキス。


「な、な、な、なんなんだよ!」

「百円でキス1つって言ったでしょ?今日だけで5千円は使ったからぁ、だからあと49回以上はあるからね」


そう言ってウインクした千里はすぐさまベーっと舌を出すと手を振りながらマンションの入り口へと駆けていった。ただただ呆然とする十牙は唇に残る柔らかい感触と何ともいえないいい香りを思い出していたが、頭をブンブン振ってバイクにまたがり、5分ほどその場にじっとしていた。やがてヘルメットを被った十牙がバイクを走らせる姿を自室の窓から眺める千里は満面の笑みを浮かべてベッドにダイビングすると顔を赤くしてキャアキャア言いながらゴロゴロと転がるようにしてみせるのだった。

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