終章 旅立ちの王女
クーズベルク城が謎の集団に襲撃されてから数日が経過した。
幸い、城下町に被害は一切なく、初めから襲撃者の目的は城――国王であるアラダブルだったのだと推測された。
襲撃者が龍を探していたことなど国民は誰も知らず、また知ったとしても信じなかっただろう。
城内にいた者たちには怪我人は出たものの、幸い死者は出なかった。その怪我人たちも殆ど大きな傷を負った訳ではなく、この数日でほぼ回復したと言える。
焼け崩れた城も、半分以上の修復は終わっていた。
シャルネアは力を合わせ城の外壁を修復している兵士や国民の姿を見つめながら、襲撃の翌日に語ったワーナーの言葉を思い出していた――
「私は、元々ある組織に属していて、ある目的の為にこの国にやって来ました。そして……昨日襲撃してきたのは、私が属する組織の者たちでした。こうなった今でも、その組織のことを話すことは出来ませんが……本当に申し訳なかったと思っています。言い訳に聞こえるかもしれませんが、私はこの国が好きです。決して、アラダブル様に手をかけようなどとは思っていませんでした。しかし、私がなかなか結果を出さなかった為、上の人間が他の人員を動かしたのでしょう。その人員が、昨日の襲撃者たちです。よりにも寄って、結果の為になら手段を問わない連中……これは私の落ち度です。本当に申し訳ございませんでした」
そんなワーナーの話を、シャルネアは黙って聞いていた。驚きはあった。それを隠すつもりもなかった。しかし、その話を聞いて出た言葉は、妙に冷めた「そう」と言う一言だけだった。そんな自分の言葉にも軽く驚きつつ、それでもシャルネアは今後の国のことを考えて言葉を続けた。
「これから、どうするつもりなの?」
組織のことを話せない。その言葉から察すればワーナーは組織に戻るのだろう。いや、むしろその立場を考えればこの国に残ると言う選択肢があるとは思えない。それでも、とシャルネアは考える。ワーナーの知識は、この国にとって必要なのではないか、と。
シャルネアの問いかけに、ワーナーは俯き何も答えない。いや、答えられなかった。
「……もし、貴方がその組織に戻ると言うのなら、私にそれを止めることは出来ません。でも、私個人の――いいえ。クーズベルク王女の考えとしては、貴方にはこの国に残って欲しいと考えています」
「しかし……」
「ワーナー。私は、今回のことを貴方のせいだとは思っていません。ですが、もし貴方が罪悪感を抱いて、そのままこの国を立ち去るのが心苦しいと言うのなら……私の為に、この国の為に知恵を貸しては貰えませんか?」
「シャルネア様……」
シャルネアの言葉に、ワーナーは心打たれたのか涙腺が緩む。しかし涙を流すことはなく、決意を固めその言葉に答える。
「分かりました。このワーナー=クレイヤード。貴女の為に力を貸しましょう」
そんなやり取りを思い出し、シャルネアは苦笑を漏らした。ワーナーの恐縮した態度や、自身の似合わない口調に。
「シャルネア様」
背後から声をかけられ、シャルネアは素直に振り返る。そこにいたのは、心配そうな表情のテルスだった。
「本当に、行かれるのですね?」
「えぇ」
テルスの問いかけに、シャルネアは頷いた。
それは、シャルネアの固めた決意。シャルネアの説得によってクーズベルクに残ることになったワーナーは、クーズベルクの再建――と言うよりは発展の為に、他国の力を借りるべきだと進言した。シャルネアはその意見に賛同し、その交渉を自ら行うことにしたのだ。
今自分に出来ること。するべきこと。そして、したいこと――それらを考えた結果、見聞を広める為と言う理由を付け加え、自ら他国に赴き、助力や支援を請おうと言う答えに辿り着いた。
「城の修復とか、国のことは任せっきりになっちゃうけど……ワーナーと二人で、お願いね?」
シャルネアはワーナーの話を誰にも話してはいない。その為、ワーナーを煙たがる者はいないだろうが、あくまでもワーナーは国の人間ではない。そこでシャルネアが考えたのが、テルスとワーナーの二人による代理統治だ。テルスは元々文武両道な人間で、ワーナーにはそれ以上の知識と知恵がある。その二人に任せておけば、当面の心配をする必要はなくなる。そう考えたからこそ、シャルネアは今回の結論に至ったのだろう。
「はい。お任せ下さい」
シャルネアの決意を聞いたテルスは、当然反対した。今もまだ、考えを改めるつもりはないのかと問おうと思っていた。しかしシャルネアの真剣な表情を見て、テルスは最後の説得をすることもなく諦めた。だからこその、真剣な返答。
「シャル様ー! こいつ何とかして下さいよー!」
城門の前でそんな情けない声を上げたのは、白い小さな獣に突かれているファイだった。
そんな様子を見て苦笑を漏らすシャルネア。
「シリウスー! こっちおいでー!」
そんなシャルネアの呼びかけに応える様に「ピィィッ」と一鳴き上げて、その獣はふわふわと中空を飛びながらシャルネアの元へとやって来る。
シャルネアは両手を前に出し、その中にぽすりと収まった獣を抱きかかえた。
シャルネアの両腕に包まれて、その獣は嬉しそうに再び小さく鳴いた。そんな様子を見てシャルネアは小さく微笑み、テルスへと向き直る。
「それじゃあ、行ってきます」
「はい。お気をつけて」
テルス以外に見送りはいない。それはシャルネアが望んだことであり、実際に叶えられた。
シャルネアはテルスに向けて微笑みを浮かべ、そうして踵を返す。
「お待たせ、ファイ」
「いえいえ。大丈夫です」
「ルーク!」
そのまま進もうとするシャルネアに続いて歩き出すファイだったが、声をかけられ一度足を止めそのまま振り返る。
「シャルネア様のこと、頼んだぞ!」
「任せて下さい!」
ファイは、自ら他国へと足を運ぶと言うシャルネアの護衛役として任命された。先日行われた試験の結果、そして襲撃事件での実績を認められ、晴れて近衛騎士として任命された。そして最初に与えられた使命が、シャルネアの護衛と言う訳である。それはある意味、ファイにとっては希望通りと言えるものではあったが……
「まったく、シャル様のお転婆にも困ったもんですね」
「言っておくけど、これはお転婆じゃないからね?」
「はいはい。分かってますよ」
子供をあやす様な口調で言葉を返され、シャルネアは拗ねた様にそっぽを向く。そんな様子を見て苦笑を漏らすファイ。
そんなやり取りをしている内に、シャルネアたちは城下町も抜ける場所まで差し掛かっていた。
クーズベルクの町と街道とを隔てる門。
決して強固とは言えないその古い門を見て、シャルネアは自分が旅立つことを改めて実感する。
「ファイ」
「はい」
「これから、よろしくね?」
「ええ、こちらこそです」
「ピキィィ」
そんな二人の会話に文句を言う様に、シャルネアの腕の中にいる獣が鳴いた。
「分かってる。シリウスもよろしくね?」
「ピィィ!」
そんなシャルネアの言葉に、今度は嬉しそうに一鳴き上げた。
「そいつ、本当にシャル様に懐いてますよね」
「当たり前じゃない。だって。シリウスと私は親友だもん」
「ピィィ」
「そうですか。まあ、別に構わないですけどね。でも……こいつが伝説の龍だなんて、あんまり信じられないんですけど」
「そう? まあ、それならそれでいいんじゃない? だって、シリウスはシリウスだもん」
そう言ったシャルネアの表情は、キラキラと輝いて見える程純粋なものだった。そんなシャルネアの様子にファイもまあいいかと言う気持ちになり、それ以上は追求しないことにした。
「それじゃあ、行きましょう」
いつの間にか止まっていた二人の足。そこからの一歩を踏み出すべく、シャルネアはそう言った。
「はい」
そんなシャルネアにファイが頷く。そして、二人はほぼ同時に歩き出した。
今、一人の少女と一人の青年、そして一匹の小さな龍の旅が始まろうとしていた。
今、一人の少女が、己の運命を見出し、その道を歩み出そうとしていた。
少女の名前は、シャルネア=マーツ=ミリオム。ある国の王女である。
青年の名前は、ファイ=ルーク。幼き頃、シャルネアを守ると誓った騎士の青年。
そしてその国の名を、獣森の王国クーズベルクと言った。
シャルネアとファイは、一匹の子龍――シリウスと旅に出る。
いつの日か、 龍を従える王女と呼ばれる様になるシャルネアの旅が、今始まった……