予感
07 予感
それから三日後。
いよいよ、目的のアラルの町まであと一歩の所までやってきた一行ではあったが、もうすぐ日没が迫っている。
その日のうちに町に入りたいと思っていたベルエールは、内心焦っていた。
そこで、タミヤに命じ、鳥を使って町までの距離を測らせた。
「まだまだです、あと何時間もかかるですよ」
「くそ、マジか・・・」
使いのカラスから情報を取り出したタミヤの言葉に苦い顔をする。
馬車には、別の意味で苦い顔をしている者がいた。
ルルートは、寒そうに腕を抱えて目線を背けていた。
「タ、タミヤ・・、早くカラスを放して下さい。
カラスは不吉です、見るだけで気持ち悪くなります」
「カラスさんはお利口さんですよ。
どんな頼みも聞いてくれるです、一番役に立つですよ」
「分かりました、分かりましたから、早くどこかへやって下さい」
そのビビる姿を面白がって、フィンクがからかう。
「カラスが苦手なんて変ね、あんただって真っ黒けな服着てるくせに」
「あなたには関係ありません」
「悪魔の使いだとか真面目に思ってんの?」
「あなたには懐いてないみたいですから、たぶん違うんでしょう」
「減らず口だけはいつもながらね」
「お互い様です」
ルーエイは、その日の宿は既に諦めている。
「どうすんだよベルエール、この馬車に夜用の装備はねえぞ」
「うるせぇ、分かってる」
「こりゃ野宿決定かな」
「あ、でも、この少し先に小さい村が見えたですよ」
「てめぇ、そういう事はもっと早く言え」
日暮れまでに町に入るのは無理だと理解したベルエールは、タミヤが見つけた一つ手前の集落で宿を探す事にした。
そこは、二軒の宿屋しかない小さい長閑な集落だった。
アラルまで、馬車だとほんの数時間の距離にあるここの宿は、徒歩移動の者くらいしか利用しないのだろう。
一行が宿泊を決めた宿屋の主人は、とても気さくで人当たりのいい穏和な老人だった。
たいした食事は用意出来ないが、それでもいいなら歓迎すると述べ、更に、今日は他に宿泊客がいないので、好きな
部屋を使って構わないという気前よさ。
老主人は、ベルエールとルルートの出で立ちを見てたいそう喜んでいた。
集落には教会がなく、小さな集会所がその代わりなのだそうで、当然ながら常駐する神父などいるはずもない。
だから、聖職者の来訪に甚く感激したと言うのだ。
一階で食事を摂りながらそんな話を聞いていても、宗教に無関心なルーエイにはどこ吹く風。
「坊主なんかいなくってもいいだろ、むしろいねえ方が清々する」
老人は苦笑いするしかない。
「そうは言いますがの、都会から来た人には分かりますまいて。
ここでは、何事か起こっても、いちいちアラルの町まで行かにゃなりませんでの。
半年くらい前、村の女が悪魔に取り憑かれた時は、それはそれは大わらわでしたじゃ。
わし等はおろおろするばっかりで、何も出来なんだですじゃ。
アラルの町からアヴァリス神父様がやってきて祓うてくれなんだら、どうなっとりましたやら」
ベルエールは、神父の名前に興味を持った。
「アヴァリス・・・、そういう名の神父がアラルにいるのか」
「はい、1年ほど前に赴任して来なすって、そりゃ立派な神父様ですじゃ。
村で悪魔憑きが出た時も、いよいよこっちまで広がってきよったか言うて、みんな恐ろしゅうて震えとりましたが、
アヴァリス様が来て下すって本当に助かりもうした。
あんた方も、アラルへ行きなすったら是非ともよろしくお伝え下され」
「いよいよこっちまでってなに?、他にそんな所があったの?」
「ですじゃ」
フィンクが疑問に思った老人の言葉から、アラルに関する思わぬ情報を知る。
☆
アラルは、アルテレ湖の北側の湖畔にある町で、それほど大きい町ではない。
表面積での単純な比較ならば、アルテレ湖の方が遥かに広い。
この一帯は、気候的に冬でも暖かく、雪が降る事は滅多にないので、比較的過ごし易いのが大きな特徴である。
そのため、特に景観の素晴らしいアラルには、冬の期間暮らす越冬地として貴族や豪商達が多く別荘を構え、それに
付随して宿屋や娯楽施設などもあり、期間限定ではあれそこそこ賑わう。
更に、昔からアルテレ湖の中ほどにあるトルフィニヨン島への渡し舟が出る港のある唯一の町としても知られていて、
渡し舟が廃止された今でも、湖で漁をして生活する漁民は少なからずいる。
そのアラルが、1年くらい前から町の様子がガラリと変わった。
元々人口の多い町ではなかったが、そこの住人が立て続けに死亡するという奇怪な事件が発生したのだ。
流行り病という訳でもないのに、2週間に6人もの原因不明の死者が出るという異常事態に、住民は恐怖した。
悪魔の島と呼ばれるトルフィニヨン島と縁の深い町だけに、周辺からその事件は悪魔のせいではないかとの噂が立ち
始め、次第に呪われた町と呼ばれるようになってしまった。
全くもって根拠のない流言ではあっても、それを信じてしまった住民達の中には、悪魔に呪われるのを恐れるあまり、
家を捨てて町を離れる者まで現れた。
対応に窮したアラルの町長・エスクローは、領主であるベシュデメル伯爵に助けを求める上申書を提出する。
伯爵は、その対策として町を直轄地に指定し、住民の許可なき移動を制限、事実上引っ越しを禁止した。
併せて、領兵部隊の1個大隊を駐留させて治安の回復を図ると同時に事件の捜査を命じ、次いで、住民の不安解消の
決定打として新たにアヴァリス神父を赴任させたのだった。
「その悪魔の呪いが、この村にまで広がったって思ったのね」
「ですじゃ」
「で、その連続死事件は解決したの?」
「まだですじゃ。
なんでも、どこかの旅行者が数日間滞在しておって、それが立ち去った後から事件が起こり始めたという話は聞き
もうしたが、その後どうなったかは未だに何も伝わってきませなんだ」
「変な話ね。
アラルで死んだ人は悪魔に呪われたって噂だけなのに、こっちの村には確かに悪魔憑きが出た」
そのフィンクの言葉に、ベルエールが疑問を追加する。
「おまけに、わざわざ悪魔祓いの出来る神父を赴任させておきながら、専門家でもない領兵に事件を捜査させるのも
妙な話だ」
なんとなく話を聞いていたルーエイには、深く考える意味が分からない。
「そんなの簡単だ、事件と悪魔は関係ねえって事だろ」
「人事を主導したのは伯爵だぞ。
事件と悪魔が無関係なら、なんでわざわざ神父を派遣する必要がある。
元から町にいた神父が連続死の被害者の一人ってんなら話は分かるが」
「そんなの俺が知るか。
どうせ素人の浅知恵だ」
☆
翌日、ようやく目的地アラルに到着した一行は、まず、入り口の門で、これまでの町とは明らかに違う感触を覚える。
門での検閲のための領兵が、1個小隊規模で配置されていた。
宿の老主人に聞いていた通り、町の出入りは厳重に取り締まられているようだ。
前日のうちに馬車に手を加えて金貨を隠しておいたのが幸いして、門での検閲は遅滞なく通過した。
ベルエールは、アラルがこのような状況下にある事情を知っていた訳ではないながら、非常時に備えて馬車を改造し、
荷台の床を二重底にして金貨を覆い隠すよう指示していた。
この作業に時間をかけたおかげで、昨日中に到着出来なかったのだが、その甲斐はあった。
町の中は、人気も少なく至って静かだった。
どこもかしこも閑散としていて、シーズンオフのウインターリゾートといった風情そのものだ。
見た目も小綺麗で、建物の造りや屋根の色などに統一感を持たせて、独特な雰囲気作りに一役買っている。
特に、湖岸沿いに緩くくねりながら続く道路は遊歩道のように整備され、おしゃれなカフェや飲食店、土産物屋から
リゾートホテルまでが整然と立ち並び、雑然とした印象はない。
ただ、店舗の半数近くは冬まで閉店中で、営業している店舗も開店休業中に近い状態で、店員ものんびりしている。
道の湖岸側には並木やベンチがあり、散策しながら風光明媚な湖の景色を楽しめるよう考慮されている。
恐らく、ここが町の目抜き通りなのだろう。
一行は、この目抜き通り沿いにある、町で一番高級そうな宿に部屋を取った。
元々はどこかの豪商の別荘だったものを改築した宿だそうで、豪華過ぎず派手過ぎず、部屋が広くて落ち着いていて、
リラックスするには申し分ない。
しかも、時季外れのため空き室が多く、待遇の割りには料金も格安。
他の宿泊客は駐留軍の下士官が数人だけなので、遠慮も最小限で済む。
ベルエールは、全員を部屋に集めて、そこでこれからの方針を検討する。
「まずは、トルフィニヨン島へ渡る手段を探すのが先決だ。
渡し舟はもうねぇらしいから、他の方法を考えろ」
フィンクが意見を言う。
「湖で魚捕ってる漁師がいるって言ってたよね、頼んでみようか」
「そこはてめぇに任せる。
残りは全員で手分けして他の情報を集めるか」
「珍しいわね、あんたが率先して動くなんて」
「誰が動くと言った、動くのはてめぇ等だ」
「あんたは何すんのよ」
「俺は頭脳労働専門だ、足は使わねぇ」
「あーもう、分かったわよ、あんたに期待したあたしの方がバカだった。
じゃあみんな出かけましょ。
ルーエイ、あんたにはこれあげる」
「なんだこりゃ?」
「見りゃ分かるでしょ、首輪だよ。
前の町で買ってきてたの、渡すの忘れてた」
「首輪って・・、なんでこんなもん、俺は要らんぞ」
「あんたが飛び出したらそれっきり帰ってこないからでしょ。
いつもいつも自分勝手で、こっちの身にもなれっての。
だから、本当は鎖も付けておきたいんだけど、さすがにそれはやり過ぎかなって思ったからやめといてあげる」
「言いたい放題だなお前」
「首に巻けとは言わないけど、肌身離さず持ってなさいよ。
迷惑してる人がいるって忘れないためにね」
☆
アラルは、目抜き通りを東側に進んだ先の山麓に、貴族などの別荘が点在する高級住宅地があり、その反対の西側に、
町の役場や教会などの施設と住民の生活区域がある。
漁港があるのもその地域で、今は駐留軍の管理下に置かれている。
管理といっても、数人の領兵が暇そうに周辺をブラブラ歩いているだけで、緊張感はまるでなく、漁民を見つけては
親しげに話しかけて笑っているような、呑気で長閑な雰囲気しかない。
フィンクは、そこで観光客を装い情報収集を始める。
渡し舟が既にないのは分かっていたが、彼女が地元の漁師から聞いた話では、定期運航していたのは随分も前の話で、
廃止になってからもう数十年から百年近くにもなるのだという。
以前は、宗教儀式やらなにやらでよく往来する者が多数いて、その渡し代だけで生活していた舟方もいた。
島に悪魔を封印した古い神殿があるという話は地元民は皆知っていたし、だから、そこでの儀式とは何者かに封印が
破られないための予防と確認のためのものだと思っていたらしい。
それがある日、悪魔崇拝の儀式のためだという事が分かると、当時の町長は障りを恐れて島への上陸を全面禁止した。
異端や邪教の信者を近寄らせないためである。
その後、度々島への渡しを希望する者が訪ねてきた事もあったが、漁師達は皆怖がって断り、引き受けた者は一人も
いなかったという。
当然、今も勝手な上陸は禁じられていて、漁師達も島の付近では漁もしない。
宿に戻ったフィンクの報告に、ベルエールは納得出来ない顔をする。
「じゃあ、てめぇが前の仕事で行った貴族はどうやって島へ渡ったんだ。
舟でも30分以上はかかるらしいってのに、遊び半分でも泳ぐ距離じゃねぇぞ」
「泳ぎの得意な貴族がいたっていいでしょ」
「釣り客とでも偽ったか」
「それもダメみたいよ、島には絶対近寄らないんだって」
「金で動く奴の一人ぐらいはいるだろ、或いは舟と船頭を自前で用意したか」
「あたし達もそうしなきゃダメって事?
そのためにタミヤを競馬で走らせたの?」
「偶然だ。
俺は遊覧船でクルーズ出来ると思ってた」
「観光客じゃないんだよ、あたし達」
そこへ、タミヤとルルートが帰ってきた。
ルルートが持ち込んだ情報は、ベルエールの疑問を解決するに格好だった。
実は、島へ渡る舟が出ていたのは、漁港からだけではなかった。
一般には知られていない、一部の人達のためだけの特別な秘密のルートがあったのだ。
それは、高級住宅地のとある別荘の敷地内に作られた桟橋から出ていた。
漁港から出るよりは多少時間はかかるものの、個人所有なので、夜であれば外部には一切知られずに島へ渡れる。
この、かなり極秘と思われる情報を、あっさり入手したルルートに驚くフィンク。
「よく調べたわねあんた、一体誰から聞いたのよ」
「オフシーズンの別荘の管理を任されている地元のおじさんです。
ここには別荘がたくさんありますので、そういう人は何人もいて、よく情報交換するそうです」
「にしたって、ただ聞いただけじゃ誰も教えてくれないでしょうに。
あんたに色仕掛けが出来る訳もなし、お金使った?」
「なんであなたはそういう下品な発想しか出来ないんですか。
私のパイチラパンチラの破壊力も知らないで」
「下品はそっちだろ」
「生まれたばかりの子犬がいるからって祝福を頼まれて、授けたら教えてくれたんです」
「ま、まあ、一応見た目だけは修道女だからいいか・・・、下品だけど」
これは、ベルエールも強く興味を惹き付けられる情報だ。
「その別荘の所有者は誰なんだ」
「コートリュー伯爵という人だそうです」
「また知らん名前が出やがった」
「でも、その人はもうずっと何年も別荘を使ってないそうです。
だから、そこを管理していた人が、日銭稼ぎに頼まれればこっそり舟を出していたらしいです。
ただ、それももう出来ません」
「バレたのか」
「死んだんです。
1年前、どこかのなんとか伯爵を島へ渡したそうですが、それを最後にイキました」
「それが、連続死の被害者の一人なのか」
「そう言ってました。
他の被害者は、酒場主人、主婦、ホテルのボーイ、木工大工、漁師」
「無差別か」
「そうなりますね」
フィンクが時系列の確認をする事で、全ての発端が見えてきた。
「そのなんとかって貴族は、もしかしてロジェ伯爵の孫?」
「孫かどうかは分かりませんが、そう聞きました」
「なるほど、そういう事か。
あの孫が島へ行ってから、連続死事件が起こったりして色々始まったって事なんだね。
全部あれが最初だったんだ」
ロジェ伯爵の孫・ヴァレフォールは、1年前にコートリュー伯爵の別荘から密かに島へ渡っていた。
という事は、彼がその後の連続死事件にも関係しているのだろうか。
彼が島で悪魔を復活させて連れ帰ったのは間違いないのだから、なにかしら事情を知っている可能性はある。
ただし、事件は彼が帰省後に発生しているので、直接の関与はあり得ない。
ルルートは、更に重要な情報も仕入れていた。
「実は、その後も島へ渡った人がいると分かりました」
「誰だそれは」
「アヴァリス神父です。
神父は何度か渡っているそうです」
「船頭役が死んじまったのに、どうやって渡るってんだ」
「別荘の管理人が死んだ後、その後を引き継ぐ人をアヴァリス神父が連れてきたんです」
「てぇ事は、アヴァリスは伯爵の別荘に住んでるのか」
「それは分かりません。
新しい管理人は地元の人ではありませんから、挨拶する程度のつき合いしかないそうです」
「別荘の場所は分かってんのか」
「タミヤが探しました」
「ちゃんと見つけたですよ」
「どういう関係なんだ・・・、アヴァリスと伯爵は」
独り言のように呟くベルエール。
トルフィニヨン島を巡る町での人々の動きが見えてくると、なにやら不穏な予感がした。
続