禁書
08 禁書
ルーエイは、また一人で適当に町をぶらつき、手頃な場所で昼寝し、空腹を満たし、カフェに入り浸って時間を潰し、
ただひたすら夜になるのを待っていた。
彼には、調査などはまどろっこしい以外の何者でもない。
必要な情報は、その気になれば瞳術で簡単に手に入れられるし、島へ渡るのも、船頭を操ってしまえば何の苦もない。
なんでわざわざそこに手間暇をかけるのか、その理由が分からない。
やっと夕暮れ時になり、待ちに待った酒場の開店時間になってきた。
元々が小さい町だけに、歓楽街も短く、オフシーズンで地元民だけを顧客にする店は更に少ない。
それでも、今は駐留軍の兵士達が大勢いるので、営業する店舗はこの季節にしては多い方だ。
彼がさっそく飲み屋で一杯引っかけて暫くすると、どこからか、ある独特な弱い気配を感じ始めた。
かなり弱々しいが、普通の人には感じない、あの気配に似たものだ。
悪魔に呪われたなどと噂が立つくらいの町だから、いると信じる者がいても不思議ではないが、それは感じる能力が
ないが故の恐怖心からくるものだ。
実際に感じたという事は、噂が事実であると断じていい事になる。
店を出た彼は、その微かな気配を辿って街を歩いた。
非番か勤務明けか、楽しげに行き交う多くの軍人達をすり抜けて、行き着いたのは一軒の娼館。
館の玄関先にいた、いかがわしい客引きが声をかけてくる。
「いらっしゃい若いの、どういうのが好みだね、ウチはどんな娘も選り取り見取りだよ」
「いいよ、自分で選ぶ」
「おい、勝手に奧に入るんじゃねぇよ」
彼は、男の制止を振り切って館の中の廊下を歩き出す。
廊下の壁には幾つものドアが並んでいて、その内側の小部屋にそれぞれ娼婦が控えている作りになっている。
その一つから、弱い邪気を感じて立ち止まった。
「これがいい」
「すんませんね、この娘はウチの一番人気だ。
予約でいっぱいなんで当分は無理だ、他にしてくんねぇかな」
「予約?」
「向こう3週間はぎっちり埋まっちまってるからな、他の娘にしな」
「全部キャンセルしろ、俺が借り切る」
この、図々しく空気を読まない若造の偉そうな態度に、男が苛立ち始める。
「ふざけてんじゃねぇぞこのガキが、こっちが下手に出てりゃつけ上がりやがって。
駄目だっつったら駄目なんだよ、商売の邪魔すんなら帰んな」
「幾らだよ、これで足りるか」
そう言って、ルーエイは、男の手にベルエールからくすねてきた金貨をバラバラと落としてやった。
掌からこぼれ落ちる大量の金貨に、男は返す言葉を失って立ち尽くした。
「足りなきゃ言え、欲しいだけくれてやる」
☆
ドアを開けた彼が見たものは・・・。
「あーっ!、お前!」
「ハッハー、見つけたぞサキュバスちゃん。
えーとなんだっけ・・・、アーリル?」
「アルダート・リルだ!、忘れんな!
なんでお前がここにいるのよ!」
「なに言ってんだ、お前に会いに来たんだろ。
さあやらせろ、今すぐやらせろ、とっととやらせろ、ブチ込ませろ」
「ギャー、やめてー、お前だけは嫌だー」
「俺は、お前に会ってから他の女じゃ満足出来なくなっちまったんだよぉ」
「いーやーだぁー」
そこにいたのは、サキュバスのアルダート・リルだった。
前回の任務で出会ってから、数週間振りの再会になる。
これを有頂天外で喜んでいるのはルーエイだけで、リルにとっては不倶戴天の天敵、悪夢の再来だ。
自分の野望を奪った男、そして魔力まで奪ってしまった男。
この男とだけは、二度と相まみえるのは避けたかった。
「そ、その手を放せ・・・」
「無理だ、もう吸い付いて離れん。
お前の乳は最高だぁ、堪らんなぁこの感触」
「この最低男」
「もっと喜べよ、こんだけ虜になってんだからサキュバスなら本望だろ」
「あんた以外ならね」
「お前、相変わらずエロエロだな、やっぱりその髪似合ってんぞ」
「うるさいな、そんなすぐに伸びるか。
おかげで魔力が戻らないままだし」
「へぇーそうか。
で、なんでお前はここにいるんだ?」
「他に行く所がないからよ。
でも、島に戻っても何もないし・・・」
「それで人間相手に客取ってんのか、どうりで予約だらけになるはずだ。
お前、意外と生真面目だな」
「変な褒め方しないで、この方がわざわざ獲物を探さなくて済むのよ。
蘇ったからには人間の精を吸わないと生きていけないし」
天下に轟く悪魔も落ちたものだ。
しかし、たとえ魔力が減衰したとはいえ立派なサキュバスだ、その魅力的な愛らしさと超絶的過ぎる艶やかな肉体の
官能美には一片の曇りもない。
むしろ、ここで多数の男達を相手にして、その美しさに更に磨きがかかったようにも見える。
駐留軍の軍人達が行列してまで予約に走るのもむべなるかな。
案外、このリルのように、人間社会に溶け込んで生きている悪魔は他にもいるのかも知れない。
「お前のせいで散々だったんだからね、あれから。
アルミルスには目茶苦茶にされるし」
「アルミルス?、お前の主人か」
「アザゼルにも馬鹿にされて嬲られたし、イナンナには思いっきり笑われたし」
「ほお、大物の名前が出てきたな、そいつ等はあの島にいるのか?」
「いる訳ないでしょ、あそこには神殿しかないの」
「封印されてるのか?」
「さあね、興味ないから。
もう用が済んだら帰って、そして二度と来ないでよね」
邪険なリルから三行半を突き付けられたルーエイは、はたと意地の悪い悪戯を思いつき、フィンクに渡された首輪を
無理矢理に彼女の首に巻き付けてやった。
「お前にいい物プレゼントしてやるよ」
「な、なにすんのよ」
「どうだ、これでお前は俺のペットだ。
俺の力を込めてやったから俺にしか外せねえよ。
取って欲しけりゃ俺から離れんな」
「もうこんな人生嫌だぁー」
☆
「あのクソ野郎はまだ帰らねぇのか」
「そうみたいね。
あのバカ、昨日あんだけ釘刺したのにまるで効いてない。
糠に釘ってまさにこの事ね」
「ヤツの脳みそはヨーグルト並みだな」
ルーエイが悪魔女子といちゃついて帰らなかった翌朝、朝食後に宿のロビーでソファに座ってコーヒーを飲んでいた
ベルエールとフィンクの元に、見知らぬ一人の男が近寄ってきた。
「やあ、おはようございます、お二人はこちらにお泊まりで?」
「そうだが」
「恋人とか夫婦・・・なはずないよな、神父さんだもんな」
「ただの連れだ」
「どういったご用向きでこちらに?」
「ただの通りすがりだ」
「では、アヴァリス神父の知り合いではないんですな」
「誰だてめぇ」
「これはご挨拶が遅れまして、俺はファルダージュ・トルヤンドリーと申します。
見ての通りの商人でございます」
「その商人が何の用だ。
この町に知り合いなんかいねぇし、何も買う気もねぇぞ」
自らを商人と名乗ったファルダージュ・トルヤンドリーは、30歳手前くらいの若者で、ボサボサの癖毛と太めの眉、
野性的な碧眼とにやけた口元が特徴的な男にして、欲得家か野心家のようだった。
袖口や肘などがすり減って多少くたびれたその服装から、行商を生業としている事が推察される。
ベルエールの態度に親近感を覚えたのか、彼等の横に腰を下ろして親しげに話し始めた。
「そいつはちょっと残念だな。
アヴァリス神父に本を買って貰おうと思ってきたんだがね、アポを取る前に神父に関して知っておこうかと思って、
知り合いなら色々教えて貰おうと思ったんだが」
「本だと?」
「そう、本。
神父が本を集めてるらしいって聞いてね、なら売ってやろうと思ってやって来たのさ」
またしても、アヴァリス神父に関する不思議な情報が出てきた。
「そいつは図書館でも始める気か」
「それはないっしょ。
神父はセルヴォラン司教座教会の司祭だぜ、あのセルヴォラン大聖堂で有名な」
「セルヴォラン?」
「おや、知らない。
そっちの可愛いお嬢さんは?」
「あらやだ、可愛いだなんて嘘のつけない人」
「お世辞で喜ぶんじゃねぇよ」
「なんだ知らないのか、コートリュー伯爵領の領都・セルヴォランにある大聖堂の事さ。
あそこにはかなりの蔵書があるんだ、本なら一生かかっても読み切れんほどある。
巡礼のコースにも入ってるくらいだから誰でも知ってるのかと思ってたら、神父でも知らん人がいるとはな」
「無知で悪かったな」
「いやいや、気にしなさんな。
じゃ、俺は出かけてくるんで、また機会があったらな」
スッと立ち上がったファルダージュは、軽く手を挙げ挨拶するとそのまま宿を出て行った。
フロントに聞いたところ、彼は昨晩チェックインした宿泊客だと分かった。
「何者だあいつは、胡散臭ぇな」
「でも、新しい情報も手に入ったわよ」
「どこまで信用出来んだか分かったもんじゃねぇ」
「そう?、そんな悪そうな人には見えなかったけどな」
「てめぇ、ちょっと褒められたくらいで浮かれてんじゃねぇぞ」
「ゴメンね、周りに褒めてくれる人がいないもんで。
でも、アヴァリス神父とコートリュー伯爵が繋がったじゃないの。
これは大きな収穫だよ」
「なんだか、だんだん焦臭くなってきやがったな・・・」
☆
昼過ぎになって、ようやくルーエイが宿に帰ってきて、フィンクの部屋に顔を出した。
「よおフィンク、他の奴等はいねえのか?」
「あんたどこ行ってたのよ、丸一日以上もほっつき歩いて。
おまけに悪魔の臭いなんかプンプンさせちゃって」
「あらら、いきなりバレちゃったよ」
「あたしにはエイルニルスが付いてんのよ」
「サキュバスちゃん見つけたんで、遊んできた」
「この前会った悪魔女子?
まさか連れてきてないわよね」
「う〜ん、どうだろ、近くにはいるんじゃねえの?
お前に貰った首輪が役に立ったぞ」
「あんたねぇ・・・、どうりでニッコニコしてる訳だ、まるで子供みたい。
必死であたしを口説いてたのはどこの誰だったかな」
「番犬付きの完全ガードで目の前にあるのに乳も触れねえなんて、いつまでも我慢出来るかよ」
「そんなお利口さんじゃないもんね、あんた」
「お前の悪魔に言ってやれ、てか聞こえてんだろうが、リルの乳は最高だ、手ぇ出したら承知しねえってな」
「あんたって、本当におっぱい大好きなんだね。
その情熱を少しは違う方にも向けて欲しいもんだわ」
「まあそう言うな、一応情報は仕入れてきたんだからよ」
「情報って?」
「あの島には悪魔なんかいねえって事だよ。
神殿に封印されてるのはいるかも知れんが、行ったってすぐ会える奴はいねえの」
「悪魔が封印されてるのは確かなんだね」
「そりゃあ、リルがいたくらいだもんな。
でも、悪魔がいねえんじゃ、俺達の仕事はもう終わったも同然だろ」
「それが、そうは行かない感じになってきてんのよ。
どうも、あの島に興味を持ってるのはあたし達だけじゃないっぽくて」
「そんなのは俺は知らん。
俺は暫く部屋で寝るから起こすなよ」
ご機嫌なルーエイが出ていくと、入れ替わりにタミヤが入ってきた。
「フィンちゃん、ベルちゃんはいないですか?」
「ベルエールなら朝から出かけてるよ、どこ行ったかは知らないけど。
何か用なの?」
「ここのホテルに泊まってる軍人さんに聞いたです、連続死の犯人は悪魔だですよ」
「ま、まさか、あんた直接聞いちゃったの?」
「ヤタローが聞いたんですよ」
「あ、そ、そうね・・・、びっくりしたぁ。
イタチなら簡単に部屋に潜入出来るもんね」
「イタチじゃないです、オコジョですよ」
「同じようなもんでしょ。
で、あの軍人達は悪魔が犯人だって言ったのね」
「それ以外に考えられないって言ってたですよ」
一行と同じこの宿には、領兵大隊の曹長や軍曹といった4人の下士官が部屋を取っていた。
タミヤの調査結果を総合すると、連続死事件を捜査しているのは大隊の本部中隊だけで、他の部隊は治安維持や門の
守衛任務などに当たっている。
本部中隊は町役場に本営を置いて活動しているので、ほとんどの兵士は一般住民と同じ区域で生活していて、一部の
下士官クラスが部屋不足のためにこっちの区域に回された。
従って、ここに宿泊している4人は捜査には関与しておらず、単に部隊内での噂を話し合っていたに過ぎない。
被害者の関係性には全く共通点がなく、死因は突然死だが病死ではないというのが共通しているのみで、それだけが
同一犯を疑わせる唯一の手がかりとなっている。
怨恨でもなく、地元住民にも不審な点がないとなれば、外部から来た者の通り魔的犯行との見方が有力だが、それを
立証し犯人を特定する作業は困難を極める。
町の全ての宿で事件前後に宿泊した者の記録を調べ、事件に関係しそうな不審人物を洗い出してその動向を追跡調査
せねばならない上に、貴族がそう簡単に聴取に応じてくれるとも限らない。
宿泊者の多くは、そうした貴族達なのだ。
途中で嫌気が差して、悪魔のような存在のせいにしてしまいたくなるのも自然な流れか。
「1年近くも捜査し続けて結論がそれか、所詮アマチュアの仕事かな」
ちなみに、ヤタローとは、タミヤのペットのオコジョの名前で、彼女の一番のお気に入りである。
☆
その後、ファルダージュが宿に帰ってくる。
彼は、出かけた時のにやけた顔と違い、口を真一文字に結んで伏し目加減の浮かない表情を見せていた。
商売が不調に終わった事が分かる。
少し前に宿に戻ってロビーで寛いでいたベルエールを見つけると、その横に疲れたと言わんばかりにどっかと座って、
フロントにいる宿の給仕に声をかけた。
「すまんが、俺にもコーヒーを頼むわ」
「勝手に頼むんじゃねぇ、金は出さんぞ」
「分かってるって、そのくらい自分で出すわ」
「その顔だと、売れなかったと見えるな」
「アヴァリス神父は留守だとさ。
四日前にリサンシューへ行っちまったって。
あそこはデカい町だからな、多くのブローカーが集まってるって話は聞いてたんだ。
そいつ等に会いに行ったんだろう。
奴等より先回りする予定だったのに、一歩遅かったな」
「そいつはご苦労なこって」
「助手のマルフラ神父が留守を預かってたんだが、売り込みは見事に断られたよ。
俺の持ってる本には価値がないって、バッサリ切ってくれやがった」
「それであっさり引き下がったのか」
「もちろん、そんなつもりはなかったさ。
だがな、探してる本とは違うってはっきり言われちまうとな・・・、ぐうの音も出ないわ」
「ヤツ等は何の本を探してるんだ」
「さあね、お前さんには無用の本だろうさ」
「禁書か」
「神父様の前では言えないな」
「心配は要らん。
腐った阿漕団体には見切りをつけている」
このベルエールの発言に、ファルダージュはピクリと反応した。
「ほお、じゃあお前さん俗に言う破戒僧って奴か、背徳僧、異端僧・・」
「なんとでも呼べ」
「ふーん、どうりで似た者の臭いがすると思った。
ならいいや、俺も異端で捕まるのはご免だからな。
密告でもされたら堪ったもんじゃねぇと思って黙ってたんだが、そんな遠慮は無意味だったか」
「なぜ、アヴァリスは禁書を欲しがる」
「そんなのこっちが聞きたいさ。
俺はただ、神父が禁書を収集し始めたと聞いたんで、あちこち回って売れそうなヤバい物を探しただけなんだ」
「闇商人か」
「どう呼んでくれても構わないよ、俺だって日の当たる場所だけ歩いてる訳じゃないんでね。
ただ、神父が何を目的に禁書を集めるのかは本当に知らない。
禁書ならなんでもいいって訳でもないって言うし、エリート神父様が邪教に目覚めて宗派替えするとも思えんしな」
「エリートだと?」
「そりゃあな、悪魔祓いの権威だから、その道では知らん人はいないだろ。
アヴァリス・ルーストン神父は今年で41歳、助手のマルフラ・パント神父は30歳。
この二人のコンビでサリゴード伯爵家のご令嬢の悪魔祓いをしたのがきっかけで一躍有名になって、以来数多くの
悪魔祓いをこなしてきたが、未だ一度も失敗していない。
大物なんだぜ、お前さんが考えてる以上にな。
だから、この町では誰一人としてアヴァリス神父には頭が上がらないのさ。
町長のエスクローや駐留軍の指揮官のトーペ大尉くらいじゃ、口答えも出来んだろうな」
ファルダージュの話を聞き、ベルエールは、アヴァリス神父が何者か益々気になった。
彼の動向には不可解な点が多々ある。
禁書とは、教会にとっては最も都合の悪い、悪魔崇拝や邪教及び異端の教義などを記した書物全般の事で、一般への
販売を堅く禁じると同時に、回収して専門の書庫に収め、厳重に施錠管理されるほどタブーとされる書物である。
所持しているだけで悪魔崇拝者と疑われて捕縛対象とされるし、異端裁判にでもなれば有罪は免れない。
アヴァリス神父が、未だ闇で流通するそれら悪徳本を、市場から排除すべく奔走しているなら別に問題はない。
聖職者として地方に赴任したついでに、そうした活動をしているのならばである。
もしそうであるならば、ファルダージュの売り込んだヤバい本を一顧だにしないのはなぜか。
話の限りでは、ある特定の本を探しているのが分かる。
これが意味するものは何なのか。
「なあお前さん、本を買う気はないか。
俺はもうここには用はないから、売れない本を持ってても邪魔になるだけだ。
荷物を軽くしたいんで買ってくれ、身内価格にしといてやるよ」
「要らん」
「くそ、情報と引き替えにするんだったぜ」
続




