間奏の6、『白面金毛九尾狐』
まず『分解』が倒れた。
睥睨する死を見上げた瞬間、その体が泥のように崩れ落ちた。ぶくぶくと泡を吹くでもなく、頭から地面に倒れ込んでそのまま動かなくなった。
「あいつを見るな! 分からないが、見たら死ぬ!!」
『枯渇』が叫んで目を伏せた。
次の瞬間、伸びた巨尾が『枯渇』を打ち払った。宙に舞い上がって石畳へ叩きつけられる。即死こそしていないものの、戦えるほどのコンディションでなくなったことは明白だった。
わずか数秒でトップクラスの潜行者の内、ふたりが潰れた。
「『疲労』さん、あいつを見ずに戦えます?」
滴る脂汗を袖で拭いながら『疲労』のモーラは首を振った。乾いた口が張り付いて声も出せなかった。
「なら下がっていて下さい。余裕があれば生存確認とバックアップお願いします」
首を縦に振って『疲労』は振り返って逃げるように下がった。その背中を巨尾が叩きつけようとしたところを佐智子が『固定』しようとして舌打ちする。予定を変更し大気を『固定』して巨尾を防いだ。
「そのままだと『固定』がほとんど通らない。……まずいなぁ」
『白面金毛九尾狐』の異能抵抗力は郡を抜いていた。それも当然、異能が生まれたのが異界なのだから、その頂点ともなれば通らないのは道理だ。成長前の対生物と同程度ぐらいにしか効かないことを感じ取り、佐智子の額から汗がぽたりと落ちる。
どっちかでも復帰して『疲労』がまともにバックアップをすれば……いや、無理だろうという感覚が佐智子にはある。それで善戦はできたとしても、倒すまでには至らない。
その想像は正しい。
九尾の狐がしたことと言えば、ただじろりと睨んで邪魔なものを尾で払っただけなのだから。たったそれだけで半数が潰れることを考えれば、その生命が尽きるまで追い込むことなど到底無理というのは当然の発想だった。
だが逆に、僅かにでも通るということは、何らかの方法を使えば『固定』で倒すだけのちからを生み出すだけの可能性はあるということだ。
だからこそ問題があるとすれば、
「それさえ見つからずに終わること」
それを発見できるまで時間を稼げるかどうかということだった。
視線を下げたまま、佐智子は影の動きで『白面金毛九尾狐』が尻尾を繰るのを見ると、その周囲の大気を固定した。僅かな停止のあと、尻尾は固まった大気を砕いた。『固定された大気』に溜まったエネルギーが暴発して、突風が吹き荒れる。
佐智子は暴風に紛れて石灯籠の陰に潜んだ瞬間、巨尾が叩きつけて全体が砕けた。さらに二本目の尾が石灯籠を粉砕したかに見えた瞬間、崩れ落ちる前に『固定』が石灯籠を保たせた。三本目の尻尾が追撃して、さすがにバラバラに砕け落ちた。佐智子はその寸前に身をかわしながら、迫りくる四本目の尾に向けてごっそりと砕けた石を拾い上げた。
「『三発分』なら通るかな?」
その手の中で石灯籠の破片が弾けた。大気が暴発したように『破片』に蓄積した三発分の尾打の威力を利用した弾丸だ。
石灯籠の破片が四本目の巨尾を貫いて、金毛を赤く染め上げた。真っ赤に染まった巨尾が光に変わり、九尾が八尾に堕ちる。
「よかった。これが通らなかったら、絶望的だった」
『白面金毛八尾狐』自身の力を返せば通じる。それがわかっただけでも収穫だが、それはおそらく、今後はかなり通じにくくなるだろう。動物でも反撃されれば同じ方法を警戒するのが当然だ。
残りの八尾を奪えばかなり弱体化することは想像できるが、あと八度も倒し得るだけの攻撃を佐智子は思いつかなければならない。
続けて佐智子は弾丸を打ち込んでみたが、それは死の瞳の前に砂と消えた。通りやすい無機物相手なら、ただ見るだけで死なせられる。
「反則でしょ、それは」
敏捷性が落ちないだけの数を抱えて衣服に固定しながら、佐智子は転がるようにその場から逃げ出した。その直後に狐の巨尾が、残った破片のすべてを吹き飛ばそうとその場を薙ぎ払う。
「そこで『固定解除』」
地雷のように弾け飛んだ破片がその尾を破裂させた。しかしそれは『白面金毛』も織り込み済みだ。ふたたび『弾丸』を補給させないために一尾を使う。それだけの贅沢が許されている。
「残り七尾。……厳しいなあ」
逆に言えば、佐智子にそれだけの警戒をするほどの脅威として見ている。
実際、不完全とは言え最終守護者級に異能を通すほどの強力な適応種だ。それだけの対応をするのは間違っていない。
単純な弾丸はもはや通じないし、かといって二番煎じで、もう一度、石灯籠を壊させるというのは難しいだろう。
それからの長い十数秒、佐智子は防戦一方だった。逃げ回りながら物陰を探して十分に威力を乗せた『固定』を撃ち込もうとしていたが、それすら許されないほどの攻撃だった。
七尾が入れ代わり立ち代わり、進行方向を遮りながら叩きつけていた。『大気』の壁は脆く粉砕され、突風に乗って逃げようにも地から脚を浮かせた瞬間、二度と地を踏ませてもらえないということも考えられる。そして何度めかの必死の瞬間、尾が偽攻を混ぜた。
「う、そ――!」
反対側から迫り来る尾に向けて弾丸を発射、これを弾くもダメージは軽く、失わせるに至らない。貴重な弾丸を消費した防御はあまりに痛い。だが使わざるを得なかった。
死地から抜け出した佐智子は、肩で息さえつけないまままた攻撃に曝された。今度はすべての尾が軽撃と偽攻の役割をして、佐智子を消耗させるための攻撃だった。
重撃こそないものの、それらの削りの攻撃とて佐智子には重たすぎる。掠りでもすれば大ダメージは免れない。
神経と精神を削られてミスが増え、弾丸が残り僅かになって足元がふらついた。異能よりも早く、体力が切れていた。元々アスリートでもなければファイターでもない佐智子にすれば、むしろそれだけ呼吸を削られてよく持ったと言っていいだろう。
だがそれは致命だった。
勢いを乗せられた巨尾の一撃が叩きつけられようかという瞬間、佐智子は『弾丸』と『固定』の両方をダメ元で防御に回した。タイミング的にはあまりにも遅すぎる。
いかな奇跡か、それは間に合った。
「やっと『通った』な」
それは『疲労』の声だった。
自覚のないまま疲れた巨尾は僅かに速度を落としていた。
痛みもなく、違和感もなく、しかしどんな生物にも存在する。言わば絶対に効く毒。それこそが『疲労』だ。
無機物よりも生物に通しやすいという風変わりな特性こそ、『固定』が現れるまで潜行者のトップに君臨し続けた理由である。
彼はモーラを回収した後、じっと物陰に潜んで『疲労』を撃ち込み続けていた。佐智子に攻撃が集中していたからこそ通った異能は、確実に巨尾のパフォーマンスを落としていた。
くおぉーん、と『白面金毛』が鳴く。獲物を仕留め損ねた怒りだった。
「『疲労』!」
「異能は、針のように鋭く撃ち込め!」
その言葉を残して『疲労』のモーラは巨尾に上から叩き潰された。
回収したモーラはその付近に置かれていたわけではなく、潰れたのは彼一人だった。金尾は赤く染まっていた。それは当然、狐から流れた血ではない。
「……ありがとう、助かった」
滲みそうになる視界を必死で清浄に保ちながら、佐智子はまだのろのろと眼前を彷徨いている三尾を睨んだ。
「針のように鋭く――ッ!」
わずかに数瞬のみ『固定』が通った。それで十分だった。
分子運動を『固定』され停止した三尾は、内部から凍りついて腐れ落ちた。
くおぉーん、くおぉーん。
怒れるように、悲しむように『白面金毛』の四尾狐は鳴く。
そして宙より蔑むように睥睨していた身を地に降ろした。宙に佇んでいれば、同じように凍りついて死ぬことが理解できたからだ。
ここに来て佐智子の異能はまだ『成長』を見せていた。というより死に瀕して加速していた。
それを感じ取った『白面金毛』は、それが自分自身に追いつく前に倒すことに決めた。
後ろ足が地面を掻いたと思った瞬間、視界がブレるように狐の全身が佐智子に叩きつけられようとしていた。
「早……っ!」
大気の壁では尻尾はなんとかなっても、巨躯には脆すぎる。
なにか盾になるもの、と遅延するほど引き伸ばされた感覚の中で見回しても、なにもない。
佐智子は目を閉じそうになって、せめて防御力だけは高めようと衣服を『固定』した。
「『吹っ飛べ』」
衝撃が佐智子の全身に叩きつけられた吹き飛ばされた。
しかしそれは『白面金毛』にではなく、仙波桃果の『推進』によって。
「仙波さん!?」
「ああ、わたしだ。今日は良くピンチを救う日だな」
白衣を靡かせる桃果と、応急処置を施した乃羽に、装甲服を纏うアリメロの姿がそこにあった。
「さあて『成長』した私のお披露目と行きますか」
不敵な笑みを浮かべながら、アリメロが跳んだ。




