その8、乃羽さんは戦えない。
なにかないか、と地面を手探りしてコツンと手に当たったものを振り上げた。
避難バッグに入れるために買ったハンディライトだ。
もちろん殺傷能力などあるわけもない。
「うああああああああぁ!」
それでもないよりはいい。
全力で『成長』させながら体制を立て直す。
目の前の四足獣は侮っているのか、獲物を前に舌舐めずりしつつ恐怖を煽るように近づいてきた。
それは好都合だ、一秒でも長く時間が取れればそれだけ『成長』させられる。
けれど、そんな奇跡は十秒で終わった。
立ち上がりかけた瞬間、四足獣は大口を開いて噛み砕こうと突っ込んできた。
冷たいアルミのハンディライトを、その顔面へ叩きつけるように盾にする。
指が牙で裂け、グシャリとアルミのボディが歪んでスイッチが入った。
ケモノの口内から突き抜けるような閃光が弾け、剥き出しの眼を灼く。
「GIIIIUAAAAAWW!」
四足獣が蹲って、閃光の痛みが収まるまでその場でじっとしていた。
その間に地面の荷物を持ち上げ、全力で距離を取るように走る。
背後から襲われたらどうしようなんて考えもしない。
四足獣が動き出すまで、長くても三十秒あるかどうか、短ければ十秒足らずだろう。
眼が死んだままだとしても、獣型には鼻がある。
レーダーみたいな嗅覚があれば、たとえ見えなくても獲物を探すぐらいのことはやってのけるはずだ。
裂けた手は燃えたように熱く、傷口からこぼれていくように冷たい。
アルミボディの剛性ではなく、光量が『成長』することで役立ったハンディライトはすでにない。
持ち物はコンテックスのバスタオルが四枚、ハムが一本、ビニール袋、財布、植物の種だけ。
なぜこんなものを拾ってきたのか、パニックになっている。
どうやったって役立つ気がしないけれど、役立てなければいけない。
でなければ死ぬだけなのだから。
頭を回せ。
体が冷たくなっているのなら、鋭利に動くはずだ。
ハンディライトが『成長』したのがアルミ製の頑丈さではなく光量だったことを考えれば、方向性を考えずに使用した場合『機能』が強化される。
逆にいままで実験してきたサンプルから、意識して方向性を決定すると、そういう風にも成長させられるということだ。
べったりと血にまみれたハムを『成長』させて放り出す。
もし引っかかってくれたとしても数秒だろうが、その数秒はこの瞬間、黄金よりも貴重な数秒だ。
残りの手持ちはタオルと財布と植物の種。
植物の種類は料理やデザート用にハーブを数種類と観賞用のが一つ。
ハーブの種を数種類、自分用に買ったタオルに包んで傷ついた手に巻き付ける。
観賞植物の種を右手に握りしめ、そのまま全速力で走った。
「GOUGFOSIVFGISDHOUW!!」
背後からケモノの叫び声が聞こえた。
偽の獲物を食い千切って激怒している。
回復が早い。
距離にして五十メートルもない。
背後から襲いかかられるまで十秒もないだろう。
時間が経つのがあまりにも早すぎるし、遅すぎる。
処理班がかけつけるまであとどれぐらい逃げられる?
決まってる、あの四足獣が近づいてきたらそこまで。
「RRRRRRRROOOOOOOWW!」
その時がやってきた。
振り返りながら片方のビニール袋を投擲。
稼げた時間は十五秒、それだけあれば異能の通りやすい無機物なら、
「うわぁぁあああああ!」
文字通り、爆発的に成長する。
血とタオルを苗床に、植物の種がビニール袋を食い破って繁殖した。
ミントはぶちぶちと千切られながら四足獣に絡みつき、強靭な根でその体を縛っていく。
目の覚めるような冷たいメントールの香りの中、同じように右手の植物の種を爆発的に成長させた。
「あぁああぁああぁああぁああああああ!!」
観葉植物の種が絡み合って若木の杖になる。
それを棍棒のように、四足獣に向かって振り下ろした。
何度も何度も鈍い手応えを感じながら、それでも恐怖のまま繰り返す。
しばらくして手応えがなくなると、ミントの塊だけを残して四足獣が光に変わった。
「はぁ……はぁ……はぁ……っはぁ――……」
肩で息をしたまま、その場に膝から崩れ落ちた。
呼吸音がごうごうと耳に響いてうるさい。
ぶるぶると手が震えて、いまになって傷が痛みを訴えてくる。
やった、生き延びたという実感がじわじわと心臓の方から昇ってくる。
初めて戦って手に入れたものだ。
「――あ、っ」
その灯火はまた、暴風に曝される。
四足獣などというのは、湧出で多く現れる雑魚の一体に過ぎない。
それを倒しただけで、なにを浮かれていたのか。
気がつけば、稲荷神社があった方から続々と四足獣が、人型が、武装種が、亜種が吐き出されている。
手持ちの武器はゼロ。
生き残れる可能性など万に一つどころか、計算するのすら不可能な小数点の遙か彼方。
「ああ……」
ここで死ぬんだな、という現実が、体を硬直させる。
起き上がる気力さえなく、ただ呆然と近づいてくるモンスターを眺めていた。
「すまないが、ここで死んでもらうわけにはいかんな」
ダーツが赤い尾を引いて宙を奔った。
モンスターの柔らかい眼を貫き、その身を光に変換する。
「う、ぁ、仙波、さん?」
「そうだ、私だ。すこし遅れたが、よく生き残ったな」
仙波さんは白衣の内側に取り付けたホルダーからダーツを引き抜いた。
それが弾けるように加速して怪物に突き立つ。
彼女の異能『推進』の威力だ。
「どうしてここに」
「乃羽くんにはGPSと取り付けてあるからな」
「いつの間に?」
「君の異能は最重要だと言ったろ。それぐらいのことはする」
「それは説明になって……」
「おしゃべりしてる時間はなさそうだぜ」
仙波さんが顎でくいっと指すと、モンスターの群れはその密度を増していた。
最低でも三十は居るだろう。
ダーツを使うことからわかるように『推進』も、物があって戦える異能だ。
その白衣の下にどれだけ隠しているかわからないけれど、あれだけの数、そして武装種以上を倒せるようには思えなかった。
「乃羽くん、走れ……そうにはないな。覚悟しろ、いまから君を『飛ばす』」
「飛ばすって……えっ!」
次の瞬間、体が吹っ飛んでいた。
服を『推進』させたのか、靴が削れるほどの低空飛行で転がるようにその場から遠ざかる。
「これ、いつ止ま……っ!?」
地面に激突しそうなのを踏ん張りながら堪え、植えてある低木に突っ込んでようやく停止した。
「うわっ、誰……乃羽さん?」
「いったぁ……アリメロさん?」
「どうしたの、そんな怪我までして……もしかして、湧出現場に?」
「実は……って、そんな場合じゃない。あそこにほとんど戦えない適応種が一人いて……」
「オッケー、まかせて。装備も補修したから亜種の一体や二体ならなんてこともなく」
ぽん、と胸を叩くと、アリメロさんは声をかける間もなく走っていってしまった。
「速い……っていうか、あんな喋り方なんだ」
金色の髪を靡かせて彼女が行くと、ものの数分で現場は片付いてしまったらしい。
さすがトップクラスの適応種だけのことはある。
駆けつけた救護班に治療してもらいながら、そんなことを思っていた。
その日がそれからまだ続くなんて、思いもせずに。




