間奏の4、スープに溶かして
休日の朝、ユーヴは淡々と野菜を刻んでいた。
週に一度、半寸胴でスープを作るのが習慣になっていて、週末の休日はほとんどその為に費やされる。
作って冷蔵庫に入れておけば温めてすぐに食べられるし、なにより汁ごと食べるものだからお腹が膨れて栄養価もあって安い。いまの彼女には絶対欠かせないものだ。
「フンフフーン~♪」
包丁のリズムに合わせながら鼻で歌い、手際よく寸胴に放り込んでいく姿は実に手慣れていた。
ニンジンでもタマネギでもキャベツでも、その時安く手に入る具材を細かく刻んで煮込んでしまえば、大抵は食べられるスープになる。コンソメのキューブなんかを入れなくても、野菜から出汁がたっぷりと溶けてくるから、調味料なんかも最小限でいい。
クセのある野菜なんかも色々と混ぜて煮込んでしまえば、そのほとんどが旨味に変わる。
極一部を除いて。
中身が三分の二ほど埋まったところで、とくとくと水を注いで火にかける。あとはアクを取りながらじっくり煮込めば、季節の安い野菜を使ったスープのできあがりだ。鍋の量から考えても、沸いてくるまでは時間がかかる。その間に家事を済ませてしまうことにして、ユーヴは台所を離れた。
部屋が狭くなったから掃除は楽に済む。上から順に叩いた後、掃除機で床を吸ってからワイパーで乾拭きと水拭きすればそれで終了。所要時間は三十分もかからない。
そうしていると半寸胴はぼこぼこと沸いてきていて、野菜の煮えたいい匂いが部屋に広がってくる。きのこ類も入っているから、その出汁も期待できるだろう。
「今回はどんな味かなあ」
まだ見ぬ完成形を楽しみながら、ユーヴは火を弱めてじっくりと煮始めた。
その途端、お腹がぐうと主張してくる。スープ作りが一段落したところで、まだ朝食を食べてなかったことに気がつくと、ユーヴはほとんど中身のない冷蔵庫を覗き込んだ。多少の調味料に小麦粉があるぐらいで、肉や野菜なんかは使い切ってしまっている。前日の夜は余った食材を小麦粉と卵で混ぜて、お好み焼きにして食べてしまったのだった。
「やば、なにもない」
食べるものがないとわかると、ユーヴのお腹はなにかよこせとより主張を強めてくる。
引っ越してきたばかりだからどこかに忘れていた古い缶詰なんてものもないし、本当になにもない。
「んー……すっごい大盛りのお店とかこのあたりでやってたかな」
周辺の食事処を検索してレビューを覗くと、大食いチャレンジをやっている店を何店か見つけて、ユーヴはにんまりした。元いた場所だと名が知られていて、チャレンジメニューを受け付けてはくれなかったが、こっちに来てからはまだ暴れていない。挑戦しても不自然はないだろう。
「ああ、久しぶりだなぁ」
ステーキ屋と、ラーメン屋と、お好み焼きの三店がこのアパートから近かった。
一も二もなくユーヴはステーキ屋を選んだ。
「牛を食べるなんて」
普段買うのは安い鶏肉ばかりだ。それも美味しいのはわかるけれど、彼女の体は牛の滴るような肉汁を欲しっていた。暴力的な脂の甘味を思い出して、思わずごくりと喉が鳴る。
いそいそと部屋着からトレーニングウェアに着替えると、ユーヴは鍛錬も兼ねて走りながらステーキ屋へ向かった。途中、レーサーパンツ姿でアルミフレームを走らせるロードレーサーをペースメーカーに使いながら、ステーキ屋まで走ると、全身に汗が浮かんでいた。それでも欲しいのはやはり水よりも肉だった。
ユーヴが店内に足を入れると、開店したばかりでまだ客の姿はまばらだ。だが肉の焼ける匂いがしている。染み付いていると言っていい。
(いい店だ)
席についてすぐにお冷が運ばれてきた。メニューを手渡されてユーヴは、メニューの写真を見ながら水を一息で飲んだ。ぺらりとページを捲り、チャレンジメニューの項目を見る。
三十分で六百グラム超の巨大ステーキと大盛りライスとサラダ三セットを食べ切れたら代金無料で賞金一万円と確かにある。
失敗したら取られる代金はユーヴの一週間分の食費だ。是が非でも成功しなければならない。否、万全の態勢で挑んだ時点ですでに成功している。問題はステーキが美味しいかどうかということだ。
「すみません。三〇分のステーキチャレンジお願いできますか」
「こちら失敗したら一万八千円頂いておりますがよろしいですか?」
「はい」
「かしこまりました。少々お待ちください」
しばらくして、キレイに焼き目のついた三百グラムのステーキが二枚、大盛りのライス、小さなサラダが三セット運ばれてきた。鉄板の上で弾ける肉汁が、痛いほどユーヴの胃を刺激する。
店員がエプロンからストップウォッチを取り出すと、席の側に立つ。
「それでは開始します。準備よろしいですか?」
「はい。お願いします」
「三、二、一、スタート!」
ユーヴは大き目にナイフで切り分けると、息を吹きかけて冷ますこともせずそのまま口に突っ込んだ。
「ん、おいひい」
チャレンジメニューなら、質の悪い肉や脂ばかりのものを使う悪質な店もあるだろう。しかしユーヴが食べたのは、やわらかく上等な肉に、塩と胡椒のシンプルな味付けをされた何ヶ月かぶりの美味いステーキだ。二枚は別の肉が使われているようで、もう一枚のほうもじんわりと味わうと、そこから先は早かった。
時間をかければ、鉄板の上で待っているステーキが冷めて美味しくなくなる。
それだけの理由でユーヴは、まず六枚のステーキ肉を十五分で食べ切った。それからそこそこ落ち着いたお腹に、付け合せやステーキソースなんかを使ってライスを食べ、口直しにサラダをサッパリと食べ、五分余裕を残して無事に完食した。
「ごちそうさまでした」
「食べ残しは……ないですね。チャレンジ成功です!」
食べ終えると、店内が急にわっと沸いて、ユーヴは目を丸くした。
夢中でユーヴが食べていると、金髪褐色の美女がものすごい勢いでステーキを平らげていくというのはそれなりの衝撃があったのか、他の席を埋めている客からずいぶんと注目されていた。
「すごいねお姉さん。フードファイター?」
「そんな。全然素人ですよ」
たっぷりと肉を食べた幸福感から、次々に声を掛けられるのに笑顔で対応していると、チャレンジ成功の写真を撮って賞金をもらい、ユーヴは財布もほくほくと幸福になって店を出た。今から走るのはせっかくの幸福を逃してしまうことになるから、ゆっくりと歩いて家に帰った。
スープはうまく煮えているようで、アパートの周囲には、野菜ときのこのいい香りが漂っている。どこから匂いがするのだろうと乃羽が顔を出したところで、ユーヴと鉢合わせた。
「こんにちはー。お昼まで寝てたんですか?」
乃羽の顔はどう見ても寝起きそのもので、目はずいぶん泣いたのか腫れぼったい。梳かすのも忘れた髪は寝癖で酷いことになっている。
「こんにちは。ちょっと寝付けなくて、お恥ずかしい」
「あー、そういう時ありますね。大丈夫です?」
「はい。夜中に一人でいるとわけもなく不安になってくる奴ですから」
一度寝てしまえばけろっとしたものですよ。と乃羽は笑った。
「そうですか。ならよかったです」
ユーヴはにっこりと笑った。
彼女にもその覚えはあった。まだ彼女が適応種として未熟だった時、よく夜中に泣いていた。何にも音がしないと時計の針や心臓の音がやけに大きく聞こえて、催眠状態にでもなったように思考の迷路に落ちていく。眠ればあれはなんだったのかとさっぱり忘れてしまう、起きてみる悪夢のようなものだ。
「アリメロさんはトレーニングですか?」
「いえ、ご飯です」
「えっ、ご飯ですか」
「はい。おいしかったです」
「……それは結構なことで。ところでいい匂いしますけど、それも?」
「はい。たっぷりのお鍋でスープ作るんですよ」
「いいですね。やっぱり量作ると味が違いますもんね」
「いっぱい作ったほうがおいしいですから。よかったら、夜にでも一皿差し入れしましょうか?」
「いいんですか?」
「はい。でも期待はしないでくださいね?」
「こんなおいしそうな匂いしてますから、期待しちゃいますよ」
「あはは、ハードル上げないでくださいよ。ではー」
「はい。それでは」
食事の幸福感から来たものもあったが、腫れぼったい目をすこしだけ慰めてあげたい気持ちもあった。
ユーヴはこの瞬間だけは、装備品にかかる代金なんかのしがらみをすべて忘れていられた。
そしてすぐに思い出して頭を抱えた。
「チャレンジメニュー荒らしで稼げるかなぁ」
腹と財布、どちらもが助かる夢のような店を検索しながら、ユーヴはこてんと倒れて天井を仰いだ。




