深澄━光の眩しさに目が眩んだ━
月さえ眠る夜に。
二人を見守るものは何もなくて、
ただ暗い世界を走っていた。
キミに、逢いたくて――。
*
発車を告げる電子音に、彼はそれでも駆け込む。身体がガンッと鈍い音を立ててドアにぶつかったが、そんなことどうでも良かった。
遠くで呆れたような表情を浮かべる駅員の視線から逃れるように、切れる息を次いでその場に蹲った。
今は何も答えられそうにない。
微かに痛む右肩を摩り、眉を顰める――けれども気分はいい。
――そうか。これが“欲望”なんだ。
何かをとても欲する気持ち。彼女――良佳――に逢いたいと思う気持ち。それは自然で優しい感情。自分の膝に埋めた口唇から知らず溜息が零れる。
乗客なんて殆どいない静かな車内には、規則正しいガタンッ、ゴトンッという音と時折混じる踏切の囃し立てるような警告音。
ドアに寄りかかり座り込んでいた深澄だったが、その自分の姿が異様なことにようやく気付く。
見咎めるものなんて居もしないが、それでもなんとなく居心地が悪くて手近な座席に腰を落ち着けた。
――どこまでいけるんだろう。
もう終電までの電車は数えるほどしかない。
そんな時間に出歩いていること自体が間違いなのだが、それでも彼女の元までたどり着ければいいのに――そう思う。
もっとも普段ならば絶対に出歩くような時間でもないのだから、平然として見える表情とは裏腹に内心は期待と不安でいっぱいだった。
優等生だった自分が、初めて非行少年となる感覚。色々なことが頭の中に浮かぶけれど、そのどれもが今は些細なことだと思える。
親とか、学校とか、世の中の常識とか、今まで縛られてきたモノたちから解放される――自由になれる気がした。
――非行とかいうほど大したことでもないんだけどな…。
どこか皮肉気に浮かべた笑みをその手のひらで覆うと、彼はそっと目を伏せる。
世間が騒ぎたてるような非行行為をしようという気持ちなんて砂の粒ほどもない。別に親に反抗したいとか、夜遊びしたいなんてやんちゃなお年頃でもないわけで、ただ、どうしようもなく今、彼女に逢いたいだけ。
「……」
そこまで思って、不意に表情が曇る。
別に、逢ってどうしたいというわけでもない。
そこから急に彼氏彼女のように男女の関係に発展するつもりもない。認めたくはないが、これは深澄にとって“初恋”なのだ。
誰かに興味を惹かれたり、誰かを想ったりしない――他人に興味のない――彼が初めて愛しいと感じた女性。
けっして美人とか、可愛いとか、そういう風には言えないけれど、それでも放っておけなくて、危なっかしくて、怖がりのくせに時に強く優しいキミ。
何もかも初心者の深澄からすれば、この関係は壊したくなくて、大切にしたいもの。だからこそ今は逢うだけで――お互いの存在を感じられるだけで十分だと思えた。
――どうせ俺は幼稚だよ。
それを認められるくらいには冷静さが残っている。
相変わらず雲に隠されたままの月は姿を現さず、けれども街の明かりがキラキラと光ってとても眩しい。星なんて見えもしない場所で、彼はぼんやりとその風景を見送る。
待ち合わせはあの日の海岸――。
窓ガラスに映る自分の顔を見つめてまたひとつ零れる溜息。
沢山の想いと、沢山の光が明滅しては消えていく。そんな世界を見つめながら揺れる電車の振動に目を閉じた――。