十章
わたしが吉野家に住み始めてから、何日目かの朝。
とうとう、この日が来たか。
わたしはちょっとした緊張を胸に、着替えたり朝ごはんをいただいたりしていました。
そして沙耶からもらったリュックに、筆記用具や時計、それから受験票を入れました。
「いよいよだね」
「まあ、余裕だけどねえ」
わたしと吉野くんは今日、大学の二次試験を受けに行きます。
「がんばってね、翔ちゃん、ちーちゃん!」
お母様は、わたしがここに住み始めてからわたしのことをちーちゃんと呼ぶようになりました。千紗、だから、だと思います。わたしのリュックの中には、お母様に作っていただいたお弁当が入っています。
お父様はすでにお仕事に出かけられましたが、昨日の夕食の時に「落ち着いてな」と言ってくださいました。
「いってきます」
「いってきまあす!」
わたしと吉野くんは一緒に家を出ました。
わたしたちの受験会場はそれぞれ違いますが、途中までの電車は一緒です。わたしは千葉、吉野くんは東京。
その受験会場は遠く、ここからではそこそこ時間がかかってしまうので、少し早めに家を出ました。なので、あたりはまだ少し暗いです。だから途中まででも一緒に行けるというのは、心強いものがあります。
電車に乗って移動している間、わたしたちは受験とは全然関係ない話をしていました。周りでは制服姿の人たちが単語帳をめくったりしているのに、わたしたちはとても楽しくおしゃべりをしていました。妙な背徳感さえ感じますね。
「それじゃあ、わたしはここで乗り換えだから」
「うん。じゃあ、がんばってね」
「うん、吉野くんも」
わたしは手を振って電車を降りました。その駅で別の電車に乗り換えて、わたしは目的地に向かいます。
そうしてわたしは無事に受験会場につきました。なんだかまるでイベント会場に来たみたいです。初めて行った同人イベントを思い出しました。
周りには、同じ大学の試験を受ける人たちがたくさんいます。
わたしも、その一人。
……さあってええ、気合入れていきましょうかあ!
○
日も巡りに巡って、気がつけばもう三月。
わたしが高校生でいられるのも、今日で最後。
今日は、卒業式。
そして、大学受験の合格発表の日でもあります。
クラスにいる人たちは、その二つが重なっていることもあってそわそわしています。
ここにいる人たちとわたしは、ろくな関係を築けませんでしたが、またどこかで会った時は、ちょっとくらい話せたらいいなあと思います。まあ、むこうは嫌でしょうけれどね。
卒業式が始まるまで卒業生は教室で待機しています。その時間、わたしは吉野くんとお話をしていました。教室で、隣同士で話せるのも、今日で最後です。
「いろんなことがあったねえ」
「僕は、最後の一年が特にすごかった」
「わたしと会ってからだね?」
「君と、会ってからね」
「楽しかった?」
「とっても。信じられないくらい」
「それはよかったあ」
「君は?」
「わたしも、楽しかったなあ」
高校生活なんて、最初の二年間はろくな思い出がありません。ですが、最後の一年間で、全部がひっくり返りました。大逆転です。いい思い出ばかりです。
その後、担任の先生が教室に入ってきて、これからの将来のこととかのお話を聞いて、わたしたちは卒業式が催される体育館に移動しました。
体育館に入場して、卒業生たちは自分たちの席に座ります。入場の際、吉野くんのお母様が保護者席にいらっしゃるのが見えました。
そして、どこの学校でもあるような段取りで卒業式が始まりました。
卒業式が粛々と進んで行く間、わたしは吉野くんのことを考えていました。
ああ、吉野くんと毎日一緒にいられるのも、もう、ちょっとなんだ。
○
卒業式が終わり、校門付近では写真撮影会等が開かれていますが、わたしは関係ないので、さっさと帰ろうとしました。
しかしそんなわたしを、吉野くんのお母様が止めました。
「ねえちーちゃん。最後に、翔ちゃんとの写真だけ取らせて。ね?」
断る理由はありません。わたしは吉野くんと隣り合って立ちました。少し普段よりも、背筋を伸ばして。
「はい、じゃあ撮るねぇ。……ちーちゃん、笑って」
その写真を、わたしはきっと、一生見ることはないでしょう。
精一杯笑おうとしたのに、吉野くんと学校に通えるのが最後だと思ってしまって、失敗したからです。
自分が人目もはばからずに泣いている写真なんて、見たくありませんよね。
○
吉野家に帰宅してから、わたしは携帯をじっと見ていました。依存症になったわけではありません。
今日の十三時に、大学の合格発表があるのです。吉野くんも同じ時間です。
わたしたちは吉野くんの部屋で、それを待つことにしました。
テーブルを挟んで向かい合って、わたしたちは携帯とにらめっこをしています。
そして、デジタル時計の表示が十三になった時、わたしはサイトを更新しました。
ずらりと表示された番号の中から、自分の受験番号をわたしは目を皿にして探しました。
そして…………。
わたしはがばっと顔を上げました。
顔を上げた先には、吉野くんの嬉しそうな顔がありました。
「や」
「や」
そして、吉野家に二つ分の「やったー!」が鳴り響きました。




