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拳屋 vol.02 「鷹の目の少女」  作者: マカ北川
4/5

覚悟

 十年前。


 野党の真似事をして暮らしていた少年は、

 ある兵士の墓標の前で、

 行動には結果が責任が伴うことを知った。


「待てよ!」


 少年が叫ぶと、去ろうとしていた男は立ち止まり、

 ゆっくりと振り返る。


「お前だって、戦場じゃたくさんの人を傷つけてるんだろ。

 なのに何で……」


 言いながら、少年は自分の胸元を押さえた。

 涙が枯れてなお、その奥の痛みは消えていない。


 少年はこれまで、

 人を傷つけることの本当の意味を知らなかった。


 こんなにも、痛みと恐怖を伴うということを知らなかった。


 きっと、ほとんどの人間が知らないのだろう。

 知らない間に誰かを傷つけて、

 取り返しのつかないことになって初めて気付く。


 だが、この男は違う。

 人を傷つける痛みも、怖さも知っている。

 その重みを背負ってなお――


「何でそんなに真っ直ぐ立てるんだよ!?」


 震える拳を握る少年の声は、その男にどう聞こえたのか。

 少年の背後、戦友の眠る墓標を見据えて答える。


「俺には……俺達には、痛みや恐怖に耐えてでも、

 成し遂げたいことがある。それだけのことだ」


 そう言って、男は懐から煙草を取り出した。


「いつか時が来れば、お前にも分かるさ」


 煙草に火を点け、吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出すと、

 男は再び少年へと視線を向けた。


「お前、名前は?」

「……」


 男の問いに、少年は答えることができない。

 自分の名前をはじめ、戦前の記憶の大半が抜け落ちている。


 当時、反乱軍の使用した毒ガス兵器の影響により、

 記憶障害を起こしている人間は珍しくなかった。


 事情を察して、男はばつが悪そうに頭をかく。


「名前がないと不便だな……」


 気の抜けた表情でぼやく男の姿は、

 先程までの威風堂々とした印象とは別人のようだった。


 そのギャップが可笑しくて、少年はほんの少しだけ、

 胸の痛みが楽になった気がする。


 男が政府軍最強と言われる、餓狼隊の隊長だと知ったのは、

 それからしばらく後のことだった。



     ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「そういえば、あいつの名前聞いてなかったな……」


 ソフィアの経営する酒場のホールで、

 キバは一人つぶやいた。


 朝も早いので客の姿はなく、店主であるソフィアは、

 キバの連れて来た少女を引きずって、

 店の奥に消えている。


 少女は最初こそキバの後ろに隠れていたが、

 キバが大丈夫だからと促すと、

 観念してソフィアについて行った。


 そして残されたキバは、

 昨日の治療費を払ってもらう代わりに、

 ソフィアから店の床みがきを命じられていた。


 左腕を吊っているためやり難いが、

 片手で器用にモップを動かし、

 石の床を丁寧にみがいていく。


 そんな時、店の入り口が不意に開かれた。


 扉に付けられた鐘が鳴るのを聞きながら、

 キバはそちらに目を向ける。


「店は夜から――って、お前かよ」

「やあ」


 入って来たのは、白いスーツを着崩した金髪の男だ。


 いかにも遊び人といった風体で、

 軽薄な笑みを浮かべている。


「昨日は助かったぜ。また借りができたな」


「気にしなくていいよ。

 こっちも興味深い噂を聞かせてもらったから。

 例の『狙撃屋』……ここに連れ込んだらしいじゃない?」


「相変わらず耳がいいな」


 半ば呆れながら、キバは男の言葉を事実と認めた。


 男の名はウサギ。


 「噂屋」のウサギと言えば、

 便利屋業界では知らぬ者はいないほどの、

 凄腕の情報屋だ。


 昨日、負傷したキバの前に現れ、

 狙撃屋の居場所を教えた人物でもある。


「お前から会いに来たってことは、

 何か耳寄りな情報でも入ったのか?」


「あれ、僕からタダで噂を聞くつもりかい?」


 質問を質問で返され、キバは思わず顔をしかめた。


 言うまでもなく、金はない。

 となると、代わりとなる情報を渡す必要がある。


「『狙撃屋』の正体だけどな……」

「うんうん」

「女だ。しかもこんな小っこいガキだ」


 少女の身長をジェスチャーで示しながら言う。

 それに対し、ウサギの答えはあんまりな内容だった。


「そんなのとうの昔に知ってるよ」


 命がけで仕入れたネタを一蹴され、

 思わずウサギをにらみつけるキバ。


 「噂屋」の実力を考えれば当然とも言えたが、

 だからといって腹が立たないわけではない。


「そう怒らないでよ。実のところ確証はなくてね。

 今日は事実の確認をしに来たんだ。

 直接会った君の証言なら、対価としては十分だよ」


 そう言ってウィンクするウサギ。

 この仕草で女性を――場合によっては男性をも誘惑し、

 情報を入手するのが彼の常套手段だ。


「それじゃあ、君に関わりのある噂を基に、忠告を一つ」

「忠告?」


 穏やかでない単語に、思わず聞き返すキバ。


「昨日の連中だけどね。

 狙撃屋を取り返そうと必死になってるみたいだよ。

 その内ここにも来るだろうから、気を付けてね」


 深刻そうに言うウサギだが、

 キバはいまいち危機を感じることができない。


「気を付けろって言っても、

 狙撃屋以外は雑魚しかいないだろ?」


「そうでもないんだよ。

 あそこのボスって無駄に顔が広くてさ。

 今頃、凄腕の用心棒でも雇ってるかもしれない」


 ウサギの言葉に、キバは少し考える。


 ケチなマフィアだと侮っていたが、

 「狙撃屋」の例もある。

 忠告は素直に聞いておいた方がいいだろう。


「分かった。注意してみる」


「それがいいだろうね。

 じゃあ、新しい噂を聞いたらまた来るよ」


 そう言うとウサギは、

 入って来た時と同じく軽い足取りで出て行った。


 キバは床みがきを再開したが、

 今度は店の奥から現れたソフィアに声を掛けられ、

 またもやモップを動かす手を止める。


「ねえ見て見て!

 この可愛さ、もはや芸術レベルよ!」


 やたらと高いテンションで、

 足早に近付いてくるソフィア。


 隣では、狙撃屋の少女がその手を引かれていた。


 先程までのコート姿ではない。

 汚れていた彼女を風呂に入れると言っていたから、

 そのついでに着替えさせたのだろう。


 ここの従業員用だろうか。

 飾り気はないが魅惑的な黒のドレスが、

 小柄な少女の体を包んでいる。


「一目見て『これはイケる!』って思ったのよね。

 わたしの目に狂いはなかったわ」


 得意げに語るソファに呆れつつ、

 キバは様変わりした少女の姿を眺める。


 昨日の格好では少年のようにも見えたが、

 今の少女を見て間違える人間はいないだろう。


 本人は慣れない薄着に戸惑っているようだが、

 似合わないかと聞かれれば答えはノーだ。


「いいじゃねえか」


「やっぱりそう思うわよね。

 よかったらうちで働いてみない?

 あなたならすぐ人気者になれるわよ!」


 ソフィアの提案に「若過ぎるだろ」とは思うが、

 キバは何も言わない。


 今の世の中、

 年齢に会わない仕事をしている子供はたくさんいる。


 少女はどう答えるべきかとキバを見上げるが、


「自分で考えて決めろ」


 としか言わなかった。


 それを聞くと今度はソフィアの方を向き、

 少女は首を横に振る。


「残念。でも気が変わったらいつでも言ってね」


 どこか嬉しそうに言うソフィアだが、

 簡単に諦めるつもりはないらしい。


 よほど気に入ったようだ。


 そんな会話をしていると、

 入り口のドアが再び開いた。


 ドアに付いた鐘の音に、今度は三人で振り向く。

 そこには、ガラの悪い二人の男が立っていた。


 キバにとっては見覚えのある二人組だ。

 昨日少女に絡んでいたいた男達。

 同時に、現在事を構えているマフィアの下っ端でもある。


「それ以上進むな。潰すぞ」


 近付いてこようとした男達に、キバが低い声で警告する。

 それを聞いて、二人組の足がびくりと止まった。


 二人――特に昨日股間を蹴られた方が青ざめる。


「お、俺達はボスからの伝言を伝えに来ただけだ……」

「伝言?」


 内容の予想はついていたが、念のため聞き返す。


「おとなしく狙撃屋を返すなら、

 今後この店には一切手を出さないそうだ。

 あんたのことも大目に見てくれるってさ」


 いかにも寛大な風に聞こえるが、

 狙撃屋を返さないなら容赦しない、

 ということでもある。


 事実上の脅迫だった。


「交渉に応じるつもりがあるなら、

 狙撃屋を渡してくれ。

 この店に隠してるのは分かってる」


 隠してるも何も、目の前にいる。

 昨日のこともそうだが、

 二人とも狙撃屋の顔を知らないらしい。


(雑だなあ……)


 呆れて、鼻息を漏らすキバ。

 どちらにせよ、少女を渡すつもりは毛頭なかった。


 少女は昨日までの狙撃屋ではない。

 人を傷つけることの痛みも、怖さも知っている。


 そんな彼女を、

 再びマフィアの道具にさせるわけにはいかない。


 向こうが力ずくで取り戻そうとしているなら、

 「拳屋」として阻止するだけだ。


「狙撃屋ねえ……あんた知ってるか?」


 とぼけた顔で、キバはソフィアに尋ねる。

 彼女もまた、わざとらしく肩をすくめてみせた。


「さあ、植木屋なら知ってるけど」

「てめえら……」


 完全になめきった二人の態度に、

 男達の額に青筋が浮かぶ。


 一人が肩を怒らせて歩み寄るが、

 彼が何か言うよりも先に、

 キバのつま先がその顎に突き刺さった。


 男の体が宙を舞い、

 背中から床に落ちる。


「忠告はしたぜ」

「あ、アニキぃ!」


 もう一人の男が、倒れた男に慌てて駆け寄った。

 助け起こそうとするが、

 白目をむいているのを見て諦める。


「よくもアニキを!」

「何だよ、潰さなかっただけマシだろ?」

「うるせえっ!!」


 男は怒鳴りながら立ち上がったが、

 その顎の先を何かが引っ掛けた。


 頭全体がかくんと揺れる。


 結局もう一人の男も白目をむくと、

 仲良く並ぶ形で床の上に倒れた。


「店内ではお静かにお願いします」


 男の顎を引っ掛けた拳を掲げたまま、

 ソフィアが朗らかに笑う。


「あなたもよ。店内では、もっとスマートにね」

「……了解」


 キバは答えると、

 成り行きを見守っていた少女へと向き直った。


 自分が着ているドレス。

 その胸元をぎゅっと握り締め、

 少女は小さな体を震わせている。


 知っているのだろう。

 彼女を取り戻そうとしている連中の欲望が、

 どれほどの暴力を伴うものなのか。


 キバは彼女の前に片ひざを突くと、

 その大きな目を見て言った。


「なあ、俺の拳を買わないか?」

「え……?」


 それを聞いて、少女が疑問の声を上げる。


「肉が欲しい奴は肉屋に行けばいい。

 靴が欲しい奴は靴屋に行けばいい……」


 「拳屋」キバは、

 そう言いながら自分の胸を指差した。


「暴力におびえてる奴は、拳屋のところに来ればいい」


 そして立ち上がると、左腕を吊っていた布をはずす。

 動かすと鈍い痛みが走るが、そのままでは何かと不便だ。


「報酬は、そうだな……

 お前の銃。あれをもらおうか」


 少女の答えは聞かぬまま、

 酒場の入り口に向かって歩き出す。


 後のことはソフィアに任せ、

 そのまま店を出て行こうとしたが、


「待って!」


 少女の声に立ち止まる。


「人を傷つけるのは、あんなに痛いのに……

 君もそれを知っているはずなのに……」


 キバが振り返ると、ほんの一瞬だけ、

 少女の姿に重なって、十年前の自分が見えた気がした。


「どうして君は、『拳屋』でいられるの……?」


 少女の口から出たのは、

 十年前、キバが抱いたのと同じ疑問だ。


 いつか時が来れば、お前にも分かるさ――


 あの時に言われた言葉を思い出し、

 キバは苦笑する。


「自分が傷つくより、他人を傷つけるより、

 お前みたいな奴が傷つく方が、

 何倍も痛いんだよ……俺にとってはな」


 「彼」とは少し違うかもしれないが、

 それがキバの見付けた答えだった。


「お前にも、いつか分かる時が来るかもな」


 会話の流れで、

 まだ少女の名前を聞いていなかったことを思い出す。


「そういえば、お前の名前は?」


 キバが尋ねると、少女は首を横に振って答えた。


「名前は、無い」

「そうか……」


 名前も無いなんて、どこまでも似ている。

 そう感じながら、キバはその場を後にした。

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