名前
昨日と同じバルコニーを訪れると、
待っていた男達が、一斉にキバへと銃を向けた。
男達の数は昨日より少ない。
狙撃屋を探すために出払っているのか、
あるいは、狙撃屋の不在を知って逃げ出したか。
「よく来たな、拳屋」
そんな中、マフィアのボスである、肥え太った男が言う。
昨日と同じく一人だけ椅子に座っているが、
昨日のような余裕は微塵も感じられない。
狙撃屋を失ったことで、相当あせっているようだ。
その顔には、びっしりと汗が浮かんでいる。
「素直に狙撃屋を返すつもりはないようだな」
「当たり前だろ。大体いい年こいて――」
「撃てえっ!」
キバの軽口をさえぎって発せられた命令に、
周囲の男達が次々と引き金を引いた。
どうやら、キバが思っていたより切羽詰っているらしい。
舌打ちしつつ、床を蹴るキバ。
いくら彼でも、片手で全ての弾丸を受け止めるのは難しい。
ひとまず反撃を捨て、防御に専念する。
サトリによって弾丸の軌道を読み取り、
弾が来ない場所から、来ない場所への移動を繰り返す。
初めは景気よく乱射していた男達も、
キバの動きを捉えることができず、銃声が止んだ。
その隙に反撃しようとするキバだが、
不意に背後から殺気を感じ、前方に身を投げ出す。
次の瞬間、
空気が切り裂かれる感触が、キバの背中をなでた。
「これを避けるか。流石だな」
すかさず振り返ると、そこには剣を提げた女が立っている。
動きが止まったと見るや否や、
男達が再びキバへと銃口を向けるが――
「手出し無用!」
引き金が引かれるより先に、女の一喝が空気を震わせた。
その気迫に圧倒され、男達は不服そうにその銃口を下ろす。
(この女……)
マフィアの構成員とは明らかに違う雰囲気に、
キバは警戒を強める。
長い黒髪を頭の後ろで結い上げ、
炎の模様が描かれた羽織をまとった、独特のいでたち。
「ここは某に任せてもらう!」
独特の口調。
そして何より、手に提げた片刃の剣。
東洋の島国にのみ製法が伝わる剣だ。
見る者を魅了する美しさとは裏腹に、
人体を骨ごと両断する切れ味を秘めている。
内戦中、これを武器に政府軍から恐れられた部隊があった。
「紫電か……」
「左様」
帝国軍第三四三特戦部隊――通称紫電。
一切の銃火器を使用しないにも関わらず、
反乱軍で最強と言われた部隊。
政府軍で最強と言われた餓狼隊と、
幾度となく死闘を繰り広げた部隊でもある。
とはいえ、女の年齢はキバと同じくらい。
当時活躍した紫電のメンバーではなさそうだ。
(俺と同じように、技を継いだ人間ってところだな)
だがその実力は本物だ。
キバと同様に弾丸の嵐をかいくぐり、
周囲を警戒している彼の背後を取ったのだから。
「はーっはっは! どうだ拳屋!
急遽雇った用心棒の実力は!?」
キバの顔色が変わったのを見て、
マフィアのボスが笑い声を上げる。
「噂屋」ウサギの言っていた通り、
強者を味方にするのは得意なようだ。
「不意打ちの非礼は詫びよう。
貴様の実力を試させてもらった」
先程の大音声とは打って変わって、
静かだが凛とした声で言う女。
「マフィアの用心棒など本来は断るが、
相手が餓狼の牙を継ぐ者なら話は別だ」
闘気を高めつつ、女は剣を鞘に納める。
鈴を鳴らすような、涼やかな音色が響いた。
「貴様を倒し、
紫電こそ最強だったと証明させてもらう」
剣を鞘に納めたまま、女は腰を落とした。
紫電が使用する剣術特有の構えだ。
「くだらねえな。
今更そんなこと証明して何になるってんだ」
吐き捨てるように言うと、
女が顔をしかめた。
「剣士の誇りなど、獣には理解できぬか」
その言葉に、今度はキバが渋面を浮かべる。
「ならとっとと来いよ。達者なのは口だけか?」
「……参る」
女の一言で、周囲の空気が凍りついた。
マフィアの男達は圧倒され、思わず後ずさる。
(『居合い』か……)
剣は依然として鞘の中。
だがその状態から瞬時に攻撃できることを、
キバは知っていた。
居合い――鞘を用いて「溜め」を作り、
抜刀時の剣速を何倍にも高める技。
使い手の技量を考えれば、
銃弾より遥かに恐ろしいと言える。
「………………」
「………………」
沈黙のまま対峙する二人。
普段なら先手を好むキバだが、
片手しか使えない以上、
うかつには攻められない。
攻撃をかわすため、
相手の動きに全神経を集中させる。
そして――
「……っ!」
肩か、それとも足か。
どこかは分からないが、女の体がわずかに動いた。
瞬きする暇もなく、二人の距離が一瞬で消滅。
薄氷同士が擦れるような音を立てて、
剣が鞘から抜き放たれる。
背中の筋肉を総動員して、上体を反らすキバ。
次の瞬間、怪しく輝く刃が目の前を通過した。
(もらった……!)
凄まじい速度を誇る居合いだが、
その分攻撃の後に生じる隙は大きい。
体を起こす勢いのまま、
無防備な女に拳を叩き込もうとするキバ。
そんな彼の目元を、何かがかすめた。
「うっ!?」
思わず声をもらす。
正体はすぐに分かった。
頭の後ろで結わえられた、女の髪だ。
もちろんダメージはない。
だが一瞬とはいえ視力を奪われ、
思わず動きを止める。
その隙に女の体が一回転し、
高速の刃が再びキバに襲い掛かった。
反撃を諦め、後ろに飛び退くキバ。
剣先が鋭い音を立てて、
前髪を何本かさらっていく。
(今のは危なかった……!!)
冷や汗を浮かべつつ、
二度三度と地面を蹴って相手から離れる。
女は追って来ない。
攻撃をかわされてから更に回転し、
徐々に勢いを殺して停止する。
その過程で、剣は再び鞘へと戻されていた。
まるで舞い踊るような華麗な動きだ。
「ほう、これで倒せぬか」
再度構えつつ、女が口を開く。
「貴様、名前は何という?」
「……『拳屋』のキバだ。苗字は無い」
戦闘中に名前を聞かれて戸惑うが、
キバは素直にそう名乗った。
会話に付き合っている間に、
打開策を練りたいというのが正直なところだ。
「某はサツキ。
『鎬屋』のサツキ・ムラサメだ」
「『鎬屋』……?」
聞き慣れない単語に、思わず疑問の声を上げる。
いつもなら、拳屋の名を聞いた相手の反応だ。
「紫電の最強を証明するため、
強敵と鎬を削ることに命を懸ける。
それこそ我が宿命」
言って、にやりと笑う「鎬屋」のサツキ。
その姿は自分に酔っているようにも見えた。
(はたから見ると、俺もこうなのかな)
頭に浮かんだ不安を、慌てて振り払うキバ。
言動はアレだが、相手の実力は本物だ。
今は戦いに集中して方がいいだろう。
「貴様は久方ぶりにめぐり合った強敵。
手負いというのが惜しいが、手加減はせんぞ」
「ああ、そうかい!」
キバは答え、同時に床を蹴る。
途切れることなく攻撃してくる相手に対し、
片手で防御に回るのは危険だと判断した。
サツキが迎撃の体勢をとるが、
居合いの初速度は先程の攻防により、
大体把握できていた。
防弾性のグローブで剣を弾き、
勢いそのまま懐に入れば勝機はある。
だが、キバの読みは甘かった。
サツキは剣を抜かない。
剣を抜かず、鞘に納めたまま突き出してきた。
「ぐぅ……っ!」
柄の先端が左肩にめり込み、
激痛に声をもらすキバ。
手加減しないしないという言葉どおり、
その攻撃は彼の傷を正確にえぐっていた。
「まずい」と思った時にはもう遅い。
サツキは剣を手元に引き戻し、
再び鞘から抜き放つ。
咄嗟の判断で後ろに倒れこみつつ、
ブーツのつま先で相手の剣を蹴り上げるが、
それで精一杯だった。
無防備になったキバに対し、
サツキの頭上から剣が振り下ろされる。
「終わりだ」
その言葉を否定する材料は無かったが、
最期まで足掻こうと右手を伸ばす。
到底間に合うようなタイミングではない。
だが――
「何っ!?」
金属同士がぶつかる音を立てて、
鎬屋の剣が弾き返された。
その結果にキバとサツキ、
二人の驚愕の声が重なる。
次いで、サツキの足元が爆ぜた。
おそらく銃撃によるものだろうが、
辺りに撃った者の姿はなく、
銃声も聞こえない。
「狙撃か!」
叫びながら、サツキが慌てて後退する。
厚さ一センチにも満たない刃を、
正面から狙い撃つ精密射撃。
キバにとって、心当たりは一つしかない。
(あの馬鹿、何しに戻って来やがった)
そんな思いとは裏腹に、
口元には笑みが浮かぶ。
(正直、助かったぜ)
立ち上がるキバを援護するように、
続けて弾丸が撃ち込まれる。
「おのれ!」
予想外の事態に焦りつつも、
飛来する弾丸を斬って落とすサツキ。
これも驚くべき技術だが、
キバにとってはむしろ、
狙撃方法が昨日と違うことが驚きだった。
狙っているのは、致命傷にならない体の外側。
しかも弾丸の放たれる瞬間が、
気配として明確に伝わってくる。
サツキほどの腕前なら、
避けるのも防ぐのも難しくはないだろう。
この狙撃が「彼女」の選んだ答えだというなら、
キバにとってこれほど喜ばしいことはなかった。
「ま、まさか狙撃手の仲間がいたとは……
だが急所も狙えない半端者に、某は倒せぬぞ!」
「それでいいさ」
強がって見せるサツキだが、
狙撃に対応するだけで手一杯の様子だ。
その隙を突いて、キバが拳を繰り出す。
「ひゃぁっ!?」
咄嗟に避けたものの、
驚いて悲鳴を上げるサツキ。
「何だ、可愛らしい声も出せるんじゃねえか」
彼が笑うと、顔を真っ赤にして声を荒げた。
「き、ききき貴様! ひ、卑怯だぞ!
一対一の真剣勝負で、狙撃による援護など!!」
「何言ってやがる。
俺が手負いなのが惜しい、って言ってたじゃねえか」
そう言って、キバはようやく攻勢に出た。
冷静さを欠いたサツキの攻撃をかいくぐり、
容赦なく拳を打ち込んでいく。
それでもサツキの実力は流石だ。
取り乱しながらも、キバの拳を紙一重でかわし、
撃ち込まれる弾丸を剣で防ぐ。
(なら、これでどうだ……)
キバは飛来する弾丸の一発を掴み取ると、
着弾の衝撃を逃がすことなく回転し、
そのままの勢いで拳を突き出した。
サツキはそれを剣の柄で受けるが、
弾丸の威力を上乗せした一撃は、
そう簡単には止められない。
「うぉおおおおおおおおおっ!!」
「何っ!?」
雄叫びと共にキバが床を踏むと、
その衝撃が拳まで伝わり、
遂に「鎬屋」サツキを吹き飛ばした。
彼女の体はバルコニーの手すりを越えて、
路地向こうの建物まで飛んでいく。
「おのれ拳屋ぁあああああぁぁぁぁぁ……」
彼女の叫びは徐々に遠くなり、
最後は窓を突き破る音にかき消された。
「片腕の拳屋と、半端な狙撃屋……
二人そろって一人前ってことで頼むわ」
そう言って、残った男達を見渡すキバ。
一人が慌てて銃を構えたが、
遠方から飛んできた弾丸に弾かれ、
呆気なく地面に落下する。
男はみるみる内に青ざめると、
情けない悲鳴を上げて出口へと走り出した。
それを皮切りに、他の男達も次々と銃を捨て、
我先にと出口へ殺到する。
「待てお前達!
わたしを置いてどこへ行くつもりだ!?」
ボスの男はそれを止めようと、
手下の肩を掴んで怒鳴りつけるが、
簡単に振り払われてしまう。
その際、相手の肘が顔面に命中し、
鼻から血が流れ出た。
「い、痛い……」
「何言ってやがる。
『痛い』ってのはそんなもんじゃねえよ」
唖然とする男の前に立つキバ。
もはや、両者の間に入る者はいない。
「『痛い』ってのは、こういうことだ」
そう言って、キバは男の顔面に拳を叩き込んだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「よう」
アジトを出て、ソフィアの酒場に戻る途中、
狙撃屋の少女に出くわして、キバは声を掛けた。
少女は先程のドレス姿ではなく、
昨日と同じ男物のコートとハットを身に着けている。
その手には、
小さな体に不釣合いなギターケースを提げていた。
「やっぱ、その方が似合ってるかもな」
キバの言葉に、少女は無言で頷く。
「……狙撃屋に戻るのか」
正直なところ、反対したい気持ちもあった。
だが少女はもう、人を傷つける重みを十分に知っている。
それを背負った上で狙撃屋を続けるというのなら、
もはやキバに言えることはない。
彼のそんな思いを知ってか知らずか、
少女は首を横に振った。
何も言わぬままキバの元まで歩み寄り、
ギターケースを差し出してくる。
「……?」
わけが分からないまま彼が受け取ると、
少女は満足そうに頷いてから、
「ボクは拳屋になる」
自信満々にそう言った。
予想外の答えに、キバの思考が停止する。
「……は?」
何とか搾り出せたのは、
そんな間の抜けた一言だけだった。
呆然とするキバをよそに、少女は続ける。
「最初は見習いでいいから、
君のそばにいさせて」
そしてハットを取ると、
ほんのわずかに微笑んだ。
キバが初めて見た、少女の笑顔だった。
「いつか君のようになりたいから……
そのために、
一秒でも多く君のことを見ていたいんだ」
真っ直ぐな目で見つめられ、
キバは「どうしたものか」と頭を抱える。
少女の願いに、
イエスともノーとも答えないまま歩き出した。
「拳屋なんて儲かる仕事じゃないし」
「それでもいい」
逃げるように大股で進むと、
少女は早足で追いかけてくる。
「お前を養うほどの余裕もない」
「ボクも仕事手伝うから」
理由をつけて諦めさせようとするが、
少女はそれでも食い下がってくる。
「命がけの危険な仕事だ……」
「そんなの怖くない」
無視できない言葉を聞いて、
キバは立ち止まった。
振り返り、怒鳴りつけようとするが、
少女がうつむいているのを見てやめる。
ハットを持つ手に力が入り、
小刻みに震えていた。
「ごめん、嘘だ……本当は怖い」
何も言わず、キバは再び歩き出す。
後ろから少女がついてくる気配はない。
しばらく歩いたところで再度振り返ると、
少女は一歩も動かないまま立ち尽くしている。
「ああ、もう……!」
キバは乱暴に頭をかくと、
途方に暮れている少女に呼び掛けた。
「何やってんだ。置いてくぞ、ヒトミ」
その言葉に、少女は大きな目を丸くする。
だがすぐに深々とハットをかぶり、
キバの方へと駆け寄った。
「危険な場所に行く時は留守番だ。
それでいいな?」
狙撃屋の少女――
「元」狙撃屋の少女が頷くのを確認してから、
今度は二人並んで歩き出す。
「『ヒトミ』って?」
「お前の名前だよ。東洋の言葉で『目』だったかな。
微妙に違うかもしれないけど、悪くないだろ?」
「ヒトミ……」
反芻すように、自分の名前をつぶやく少女。
その顔はハットに隠れて見えないが、
何となく上機嫌そうだ。
「うん、悪くない」
やがて納得したように頷くと、
キバの方を見上げて尋ねる。
「そういえば、君の名前は?」
「キバだ」
自分が名前を与えた少女に、
「彼」から与えられた名前を教える。
「キバ……」
今度はキバの名前を反芻すると、
「変な名前」
少女は素直にそう言った。
あまりにストレートな感想に、
キバは思わず吹き出してしまう。
「だろ?」
「彼」には悪いが、まったくの同感だった。
もらった時にはこの上なく嬉しかったが、
今思えばこの上なく変な名前だ。
それでも彼は、この名前に誇りを持っていた。
だから、いつでも胸を張って名乗る。
彼の名はキバ――「拳屋」のキバだ。




