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愚王と呼ばれておりますが、だいたい予定通りです  作者: 綾城式部
第四章 捨てられた愚王

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書状は何処から

挿絵(By みてみん)

王宮の北側には、軍用の馬屋がある。


近衛騎士や伝令の馬を預かり、各地の馬舎との受け渡しも管理する場所だった。


干し草の匂い。


蹄が床を叩く音。


クラリス・ヴァレンは、その入り口で腕を組んでいた。


「遅い」


約束の時刻までは、まだ少しあった。


だが、彼女の仕事はもう始まっている。


待つ時間も仕事のうちだと言われれば、なおさら腹が立った。


「お待たせしました」


背後から声がした。


振り返る。


剣を帯びた若い男が立っていた。


日に焼けた肌。


短く整えた髪。


手入れの行き届いた軍装。


胸元には、騎士を示す徽章がある。


「あなたが、エド?」


「はい」


クラリスは手元の紹介状を見た。


ローデリック・ハルトの署名。


調査への同行と護衛を命じる、短い文面だった。


軍務卿の推薦によって騎士となった者、とも添えられている。


「ハルト隊長は?」


「陛下のお言いつけどおり、休んでいます」


「本当に?」


「出かける前に、三度ほど注意事項を聞きました」


「……休めていないわね」


「本人は、休んでいると言っていました」


クラリスは紹介状を畳んだ。


「調べるのは、反乱の書状を運んだ使者の経路よ。西方街道を通ったと言っているけれど、記録と合わない点がある」


「馬も調べてよいですか」


「そのために馬屋へ来たのでしょう」


「では、助かります」


クラリスは男を見た。


「あなた、帳簿は読める?」


「仕事に必要なものなら」


「曖昧ね」


「馬の方は、もう少し詳しいです」


エドは馬屋の奥へ目を向けた。


「どちらも見れば、分かることがあるかもしれません」


◇


使者が王都へ入った際に乗っていたのは、一頭の栗毛だった。


現在は、馬屋の奥に隔離されている。


「こちらです」


責任者が二人を案内した。


「ほかの用途には使わず、預かったときの馬具も残してございます」


「通行証も?」


「はい」


机の上に、一枚の書類が置かれた。


使者が王都の門で提示したものだった。


グランツ要塞から、西方街道を経て王都へ。


途中の宿場名。


到着と出発の時刻。


馬を交換したという記載。


それぞれの確認印。


クラリスは、最後の欄へ指を置いた。


「ベルク宿場。ここで馬を替えたのね」


「通行証には、そのように」


「宿場側の記録は?」


「照会中です。西方の騒ぎで、返事が遅れておりまして」


クラリスは頷いた。


目の前にあるのは、あくまで使者が持参した書類である。


印がそろっているからといって、そのとおりに旅をしたとは限らない。


「まず、この馬がベルクから来た馬なのかを確かめるわ」


その間に、エドは栗毛へ近づいていた。


手の甲の匂いを嗅がせ、首筋を撫でる。


馬が落ち着くのを待ってから、脚と蹄を調べた。


クラリスは通行証を読み続けた。


しばらくして、エドが呼んだ。


「こちらを」


首筋の毛を分けると、小さな焼き印が見えた。


記号と番号。


「軍馬の管理印です」


責任者が覗き込む。


「北部第三馬舎の印ですな」


「ベルク宿場ではなく?」


クラリスが尋ねる。


「所属は北部第三馬舎です。ただ、ほかへ移された馬ということもございます」


「なら、移管の記録を」


責任者は頷き、台帳を取りに向かった。


◇


軍馬番号、二百十七。


栗毛。


六歳。


特徴の記載も、目の前の馬と一致した。


クラリスは、その下を読んだ。


「三週間前。右前脚の故障により、廃役」


エドが顔を上げた。


「廃役ですか」


「そう書いてあるわ。治った可能性は?」


「あります。ただ、少なくとも今は、廃役にするほどの故障は見当たりません」


「昔、傷めたかどうかまでは?」


「分かりません」


エドは即答した。


「古い傷が残らないこともあります。診た者の記録があれば、もう少し確かめられますが」


クラリスは責任者を見た。


「診断の記録は?」


「ここには届いておりません。廃役の報告だけです」


「売却先は」


「……記載がありません」


「移管先も?」


責任者は頁をめくった。


やがて、首を振る。


クラリスは椅子を引いた。


「廃役になった馬が、なぜ伝令用の鞍を着けて王都に戻ってきたのかしら」


馬そのものが病気だったかどうかより、問題はそこだった。


軍の管理から外れたはずの馬が、軍の通行証を持つ使者に使われている。


それも、受け渡しの記録を残さずに。


「廃役の報告は、どこから?」


「北部第三馬舎です」


「では、そこの直近の報告書も見せて」


◇


王都の馬屋には、周辺の馬舎から定期的に報告が届く。


北部第三馬舎の最新の報告は、四日前のものだった。


在厩六頭。


異状なし。


責任者の署名もある。


クラリスは飼料の払い出し帳を開いた。


こちらは王都側でつけた帳簿だった。


各馬舎へ、何を、どれだけ送ったか。


誰が運び、誰が受け取る予定か。


数字を追う。


一つ前。


さらに、その前。


クラリスの指が止まった。


「六頭の馬舎にしては、多いわね」


責任者が隣から覗き込んだ。


「冬に備えた蓄えでしょうか」


「その可能性はあるわ」


クラリスは別の欄を示す。


「でも、備蓄の申請になっていない。通常の補充分として、十日で三度も請求している」


「北の道は雨で荷が遅れることもございます。前倒ししたのかもしれません」


「なら、そう記せばいい」


それだけで不正とは言えない。


馬が増えたのか。


ほかの馬舎へ回すのか。


単に記載を誤ったのか。


どれも、現地へ確かめなければ分からなかった。


ただ、二百十七号の記録が途切れた場所と、飼料の請求が増えた場所は同じだった。


「この払い出しを認めた書類は?」


責任者が、綴じられた書類を探した。


抜き出された命令書には、軍務府の印章が押されていた。


その下には、軍務卿の名がある。


ウィリアム・ゴルドー。


クラリスは、隣のエドを見た。


エドは黙って書類を読んでいた。


◇


「ゴルドー卿の命令ね」


クラリスが言った。


「そのように書かれています」


「北に馬を集めていたのかもしれない」


「そうかもしれません」


クラリスは眉を上げた。


「否定しないの?」


「俺には、まだ分かりません」


「信じたいのでしょう?」


エドは命令書から目を離した。


「はい」


昨日も、同じような返事を聞いた。


父を信じたいのかもしれない。


そう答えた少年の顔が、クラリスの脳裏をよぎる。


「……それでも調べるの?」


「そのために来ました」


エドは、栗毛の馬へ目を向けた。


「軍務卿は、馬の数をごまかす者を嫌います」


「人格だけでは、証明にならないわ」


「はい。ただ、数をごまかせば餌が足りなくなる。馬が動かなければ、兵が帰れなくなる。そう教えられました」


クラリスは命令書へ視線を戻した。


馬を隠すのなら、その餌も隠さなければならない。


だが、現実には餌を用意する必要がある。


数字だけは、消しても腹を満たしてくれない。


「なら、誰の命令であっても調べないとね」


「そう思います」


クラリスは日付と承認欄を書き写した。


そして、責任者へ尋ねた。


「この命令書は、いつ届いたの?」


「七日前です」


「軍務府の通常便で?」


「いえ。直接、持参した者がおりました。印章を確認して、受け付けたと聞いております」


クラリスは、机に置かれた通行証を見た。


こちらも、使者が持参した書類だった。


「軍務府にも照会するわ。発令の控えと、代理で出した者がいるかどうか。今のところ、偽造とは決めないで」


責任者が、深く頭を下げた。


◇


返事を待つ間に、昼になった。


エドは栗毛に水が与えられるのを見届け、机へ戻ってきた。


クラリスの前には、王都各門の記録から必要な部分を抜き書きした紙があった。


使者が入ったのは西門。


通行証を示し、書状を持っていると告げた。


それは間違いない。


「では、西から来たのでは?」


責任者が尋ねた。


「西門から入ることと、西方街道を通って来ることは別よ。王都の外を回れば、入る門は選べる」


クラリスは街道図を広げた。


ベルク宿場から王都へ。


その一本を指でたどる。


そこへ、使いの若者が戻ってきた。


王都の外にある西方街道の関所へ、使者の特徴を照会していた者だった。


「記録がございません」


クラリスが顔を上げる。


「見落としではなく?」


「当日の当番にも確認しました。この通行証にある時刻の前後に、軍の使者は通していないと」


「別の時間は?」


「前後一日分も調べましたが、それらしい者は」


クラリスは返事を受け取り、通行証の隣へ置いた。


使者の説明では、最後の宿場から王都まで、その関所を通る。


だが、関所側に記録がない。


脇道へそれたのか。


別の場所から来たのか。


少なくとも、通行証だけを信じることはできなくなった。


「北も調べましょう」


クラリスは言った。


「この馬の記録が途切れた場所から」


◇


北部第三馬舎は、現在の街道図にも載っていた。


王都の北。


そこから先にあるのは、小さな集落と農地への道だけだった。


西方へ抜ける経路は描かれていない。


クラリスが地図を見ていると、エドが壁を指した。


「こちらの板では、つながっています」


古い木の板だった。


塗り直された跡の下に、消えかけた地名が残っている。


かつて馬の配置を示すために使われたものらしい。


北部第三馬舎。


その横に、三つの中継所。


さらに西側に、グランツの名があった。


「これは?」


クラリスが尋ねた。


若い厩務員たちは顔を見合わせた。


責任者も、板へ近づく。


「昔のものですな。今は使っておりません」


「その三つは、宿場?」


「確か、軍の中継所だったはずですが……」


奥で革具を繕っていた老人が、手を止めた。


「先王陛下の御代の道ですよ」


全員が振り返る。


老人は針を置き、ゆっくり立ち上がった。


「若い頃、荷を運びました。北の馬舎から山間を抜けて、グランツの北へ出る。戦が終わってから、中継所を畳んだんです」


クラリスは街道図と板を見比べた。


「道そのものは?」


「さあ。もう長く行っておりません。橋が残っているかどうかも」


「今の街道図には載っていないわ」


「軍用でしたからな。宿場を閉めた後は、こちらでも馬を出さなくなりました」


クラリスは、紙の端に小さな印を三つ書いた。


老人に順序を確かめながら、北部第三馬舎から西へ線を引く。


最後は、グランツ要塞の北へ。


描き終えた線を、しばらく見つめた。


使者の持参した通行証には、西方街道の宿場が並んでいる。


だが、その馬は北の馬舎に所属していた。


西方街道の関所には、通過の記録がない。


そして、北には別の経路があった。


「この道が、まだ通れるのなら」


クラリスは呟いた。


エドが、彼女の書いた線を見る。


「使者は、こちらを来たかもしれません」


「ええ」


それでも、書状がグランツで書かれた可能性は残る。


北を経由した理由も分からない。


宰相と軍務卿が、自分の意思で署名したのかどうかも。


分かったのは、説明されていない道が一本あることだった。


その道の入り口では、廃役の馬が消え、飼料の請求が増えている。


「妙ね」


クラリスは、北部第三馬舎を丸で囲んだ。


「使っていない道の先へ、何を運んでいるのかしら」


◇


クラリスは、調査結果を二通にまとめた。


一通は財務卿へ。


もう一通は、近衛隊長へ。


確認できた事実。


まだ確かめられていないこと。


使者の経路を、北部第三馬舎で調べ直す必要があること。


混ぜずに書く。


それから原本の保管を命じ、必要な箇所の写しだけを小さな革袋へ収めた。


「馬を二頭、用意して」


エドが彼女を見た。


「北部第三馬舎へ?」


「ええ。二百十七号を、最後に誰へ渡したのか。まず、それを聞くわ」


「様子がおかしければ、中には入りません」


クラリスは眉を寄せた。


「まだ何も見ていないでしょう」


「だからです。調べに来た者が帰れなければ、分かったことも届きません」


クラリスは、返しかけた言葉を止めた。


やがて、革袋の口を結ぶ。


「……分かったわ。勝手に踏み込まない。それでいい?」


「はい」


エドは頷いた。


「では、道中は俺が先を見ます」


外では、馬の支度が進んでいた。


クラリスは出発前に、もう一度だけ写しの地図を開いた。


西門から入った使者。


西方街道にはない通過記録。


北の馬舎。


消えた道。


紙の上では、一本の線にすぎない。


だが、その線を誰かが通ってきたのかもしれなかった。


クラリスは地図を畳んだ。


「行くわよ、エド」


「はい」


二頭の馬が、王宮の馬屋を出た。


向かったのは、西ではなかった。


【人物紹介】

挿絵(By みてみん)

エド(24歳)。元奴隷から、自らの意思で国を選んだ騎士。

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