愚王、人を買う
「人が足りません」
宰相グレイスは、できる限り簡潔に申し上げた。
「そうか」
王は菓子を食べていた。
以上である。
先王の崩御から半年。
北部では街道の拡張が始まり、西部では新たな農地が開かれ、南部では長く放置されていた鉱山の再開発が決まった。
国は忙しい。
にもかかわらず、肝心の人間がいない。
「陛下」
「なんじゃ」
「人が、足りないのでございます」
「二度聞いたぞ」
「でしたら、何かご指示を」
「なぜ我が?」
グレイスは言葉を失った。
なぜ我が。
王がそれを言うのか。
「……国家の問題でございますので」
「うむ」
「陛下は国王でございます」
「知っておる」
王は二つ目の菓子を取った。
今年二十一になったばかりの若き国王は、いつもこうだった。
緊張感がない。
威厳もない。
何を考えているのかも分からない。
先王が病に倒れたとき、宮廷では誰もが国の行く末を案じた。
そしてその不安は、即位後半年を経ても消えるどころか増すばかりだった。
「労働者が足りません。兵も不足しております。特に北部の開拓地では深刻です」
「では、募集すればよい」
「しております」
「給金を上げれば?」
「すでに二度」
「では、もっと上げればよかろう」
「陛下」
財務卿が口を挟んだ。
「それ以上は採算が取れませぬ」
「そうか」
「はい」
「なら無理じゃな」
王はあっさり諦めた。
「…………」
重臣たちの顔が引きつる。
会議開始から、まだ十分も経っていない。
「無理で済ませては困るのです!」
軍務卿が立ち上がった。
「街道整備も鉱山開発も陛下がお認めになった事業でしょう!」
「そうじゃったか?」
「陛下!」
「冗談じゃ」
王は笑った。
誰も笑わなかった。
「ならば、そなたらはどうしたい?」
「それを決めていただくための御前会議でございます!」
「なるほど」
王は三つ目の菓子へ手を伸ばした。
グレイスは額を押さえた。
先王ならば、こんなことはなかった。
各地の人口を調べ、必要な人員を計算し、場合によっては徴用も命じただろう。
だが、この王は命じない。
考えない。
そして何より、責任を取ろうとしない。
「近隣諸国からの移民を募る案もございます」
外務卿が言った。
「しかし成果は芳しくありません。言葉も文化も異なる国へ、自ら移り住もうとする者は多くありませんので」
「ふむ」
「加えて、我が国は特別豊かな国というわけでもありません。移住を促すには相応の支度金が必要かと」
「金を払えば来るのか?」
「可能性は上がりましょう」
「なら払えばよい」
「ですが、財務卿が申しました通り、国庫にも限りが」
「面倒じゃな」
王は椅子の背にもたれた。
しばらく天井を見つめる。
誰も口を開かなかった。
やがて王が言った。
「買えばよいのではないか?」
「……何をでしょう」
「人を」
静寂。
グレイスは、自分が聞き間違えたのだと思った。
「陛下。今、なんと?」
「人を買えばよい」
「人を……?」
「うむ」
王は当然のように頷いた。
「隣国には、人を売る商人がおるのであろう?」
今度こそ誰も動かなかった。
人買い。
奴隷商。
戦争で家族を失った者。
借金を返せなくなった者。
食うに困った家が手放した子供。
そうした人間を買い集め、国境を越えて売る者たち。
確かに存在する。
だが、まともな王が御前会議で口にするような商売ではない。
「……おります」
「ならばちょうどよいではないか」
「何がでございますか」
「向こうには人が余っておる。我らには足りぬ」
王は指を一本立てた。
「人買いは金が欲しい」
二本目。
「我らは人が欲しい」
三本目。
「何か問題があるのか?」
問題しかない。
グレイスは本気でそう思った。
「陛下。それは国家が人身売買に加担するということでございます」
「そうなのか?」
「そうなのか、ではございません!」
「しかし、人を売っておる者がおるのであろう?」
「おります」
「買いたい我がおる」
「……おります」
「ならば成立しておるではないか」
「商取引の話をしているのではございません!」
王は不思議そうな顔をした。
その顔を見て、グレイスは悟った。
駄目だ。
本当に分かっていない。
「陛下」
財務卿が恐る恐る尋ねる。
「仮に、仮にでございます。人を買うとして、どのような者を?」
「働ける者」
「それでは広すぎます」
「では健康な者」
「年齢は?」
「若いほうがよかろう。長く働ける」
最悪である。
「子供は?」
「構わぬ」
もっと最悪だった。
「子供は働けませぬが」
「ならば教えればよいではないか」
王は心底不思議そうに答えた。
「文字も計算も仕事も、何も知らぬのであろう?」
「まあ……」
「馬鹿のままでは役に立たぬ。学校に入れよ」
教育まで施して効率的に使うつもりらしい。
軍務卿の顔から血の気が引いていた。
「家族がおる場合はいかがいたします?」
「まとめて連れてくればよい」
「全員を?」
「うむ。そのほうが逃げにくかろう」
グレイスは目を閉じた。
終わった。
この国は終わった。
「それから、買った者には飯を食わせよ」
「……当然でございます」
「寝る場所もいるな」
「当然です」
「病気になったら治せ」
「陛下」
「なんじゃ」
「奴隷を家畜か何かとお考えでは?」
王は少し考えた。
「家畜も病気になったら治すであろう?」
軍務卿が天を仰いだ。
「あと金も払え」
誰も反応しなかった。
数秒遅れて、財務卿が顔を上げた。
「……誰にです?」
「買った者に」
「奴隷に、給金を?」
「働かせるのであろう?」
「はい」
「なら払わねば働かぬではないか」
「奴隷ですので、働かせるのでは?」
「嫌がる者を働かせるのは面倒であろう」
王は本当に面倒そうだった。
「監視する者まで必要になるではないか。金を払って勝手に働くなら、そのほうが楽じゃ」
重臣たちは互いの顔を見た。
もはや何を目指しているのか分からない。
王は最後の菓子を口へ放り込んだ。
「人買いには、連れてきた人数に応じて金を払え」
「本気でございますか?」
「うむ」
「国庫から?」
「他に誰が払うのじゃ」
財務卿が頭を抱えた。
王はそんな臣下たちを眺めながら、満足そうに茶を飲んだ。
「よかったではないか」
「何がでございます」
「人手不足が解決する」
「その代わり、我が国は人を買う国になります」
「別によいではないか」
あまりにも軽かった。
「陛下には、人間を金で売買することへの抵抗はないのでございますか?」
「ない」
即答だった。
王は空になった菓子皿を残念そうに眺める。
そして、さも当たり前のことを言うように続けた。
「人間など、たくさんおったほうがよかろう?」
誰も答えない。
若き王は笑った。
「税も増えるしな」
その日の午後。
王命が公布された。
国境を越えて人材を連れてきた者には、王国が報奨金を支払う。
年齢、健康状態、技能によって金額は加算。
家族単位での受け入れも可。
未成年者には教育を施す。
そして働く者には、国庫から給金を支給する。
後世、この布告は王国史における大きな転換点として記録されることになる。
だが、この日。
御前会議を退出した宰相グレイスが廊下で漏らした言葉は、歴史書には残っていない。
「……愚王め」




