競争という名の社会
なぜ人生には「勝負」というものが存在するのだろう。
私はそれがよくわからない。
なぜ人は戦う必要があるのか。
なぜ勝つと嬉しくなり、負けると悲しくなるのか。
こんなにも悲しい仕組みがあるだろうか。
本当は、全員が楽しみ、全員に喜びが溢れる世界があってもいいはずなのに、現実では片方が笑い、もう片方が傷つく。
なぜ世界はこんなにも二元論的なのだろう。
これは、この世の性質なのか。
それとも、誰かによってそう仕組まれているのか。
なぜ私たちは、こんなにも競争へと向かわされるのだろう。
戦争の悲惨さも、争いの残酷さも、人類は何度も経験してきたはずだ。
それなのに、学校教育、大学受験、就職活動――。
形を変えながら、「競争」という名の戦いは、社会の至る所に存在している。
しかもそれは、昔のような露骨な戦争ではなく、
もっと静かに、もっと当たり前の顔をして、人々の生活に溶け込んでいる。
皆、本当はこの競争社会を好きではないのだろうか。
それとも、「仕方がない」と諦めて受け入れているのだろうか。
私にはよくわからない。
ただ、この社会が「完全な社会」には思えない。
どれだけ平等を掲げても、結局、人は生まれながらに違いを持っている。
遺伝。
環境。
才能。
運。
育ち。
それぞれに差がある。
そして、その差を抱えたまま同じ土俵で戦えば、当然勝ち負けは生まれる。
勝つ者は勝ち癖を覚え、
負ける者は傷を抱える。
それが人生なのだとしたら、少し残酷すぎる気もする。
では、もし競争が存在しなかったらどうなるのだろう。
私は時々そんなことを考える。
競争の反対とは何なのだろう。
共存。
協力。
そんな言葉が浮かぶ。
だが、もし最初から競争という概念が存在しなかったなら、
「協力」という概念すら生まれないのかもしれない。
争う必要がないのだから。
そう考えると、今のように無数の企業や組織、小さなコミュニティが分裂することもなく、もっと一つの大きな共同体のような社会になっていたのかもしれない。
だが、それが本当に理想なのかもわからない。
完全に公平な社会など、本当に存在するのだろうか。
たぶん現実は、ゴルフのハンデのようなものなのだろう。
完全平等にはできない。
だから少しずつ調整する。
そんな世界。
それでも、人類は少しずつ良い方向へ進んでいると信じたい。
人間は、不安や欠点を見つけるのが得意な生き物だ。
だからこそ、今ある幸せには気づきにくい。
もしかすると、未来がわからないからこそ、人は生きることを面白いと感じられるのかもしれない。
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それにしても不思議だ。
なぜ私たちは、お金を稼ぎ、お金を使う社会を作ったのだろう。
便利になったと言うが、
本当に便利になったのか。
それとも、「便利だと思わされている」のか。
時々わからなくなる。
企業は次々と新しい商品を作る。
本当は必要のない物だったとしても、マーケティングによって「欲しい」と思わされることがある。
逆に、消費者自身も気づいていなかった便利さを、新しい商品によって初めて知ることもある。
世界は不思議だ。
役に立っていそうで立っていないものもある。
逆に、無意味に見えて、実は誰かを救っているものもある。
だから、「役に立つかどうか」だけで物事を測るのは、少し浅い気もする。
人間まで、「有能か」「便利か」「価値があるか」という尺度だけで見始めたら、何かが終わってしまう気がする。
もちろん、経済社会の中で打算は必要だ。
だが、人間関係にまでそれを持ち込めば、
人と人との繋がりは、いつの間にか「損得」でしかなくなる。
交流なのか。
取引なのか。
その境界すら曖昧になっていく。
……なんだか、自分でも何を話しているのかわからなくなってきた。
でも、たぶん私はずっと考えている。
競争とは何なのか。
人間とは何なのか。
そして、本当に大切なものは何なのかを。




